03-03
→空腹を満たしに売店を目指す
湊は現在、司書室でお茶を飲んでいた。
売店で得たのだろうペットボトルに入った紅茶は一息で飲むには熱く、購入して間もなく湊の手に渡ったのだと考えられる。けれど最も知りたいと思う、知らなければまずいような気がする、目の前で笑う男が何を考えているのか、という疑問にはどうやっても自力で解答を導き出せずに悶々とする湊だった。
半分は自業自得とは言え慣れない説教に体を緊張させていたためか小腹を空かせた湊は校内の売店へ向かっていた。滅多に利用しないそこへの道を思い出しながら歩いていた湊は廊下を曲がる際、普段ならこの場に決していないはずの人物とぶつかってしまったのだった。
所用でこちらへ来ていたのは先ほど聞いた。けれど何故こんな時間になってまでこちらにいるのか。問いたいことが一度に溢れたせいで返って何も言えずにいた湊を知ってか知らずか、いつものように微笑んで「偶然という素晴らしい縁」だの「もう一ステップ進めよう」だのと意味のわからない変態独自曲解論を展開し始めた理人に押され、それへつっこむ気力の無かった湊は流されるまま今に至った。
湧きあがる意味のない疲労感とため息を押さえながら聞き出した諸々によると、理人はこちらの学校行事の都合で数週間はこちら側に貸し出されることになったらしい。それを聞いた湊が、暫くは図書室の利用を止めておこうと秘かに決めたのは言うまでもない。
「お茶菓子もありますから遠慮せず食べてくださいね」
にこにこと笑む理人に器に入った菓子を差し出されるが、湊は空腹を抑えて固辞する。ちゃんとした木の器に入ったこれはきっと本来の司書の私物だろうと思ったのだ。理人はそれを不思議そうに見たが、湊が何を気にしてそう言ったか悟ると笑みを深くして言った。
「大丈夫ですよ。貰い物ですが、古くなる前に食べてしまって欲しいと言われた品ですから」
湊は自分の懸念が看破されたことに少々驚いたものの、それならと可愛らしい包み紙から飴取り出して口に含む。転がすたびに甘さを伝えるそれを味わっていると、カシャ、という音が聞こえた。聞き覚えのある音に眉をひそめた湊は、咄嗟に手を伸ばして理人の手からカメラを取り上げた。
「湊?」
「止めてください、落ち着かないんです」
取り上げたカメラを操作して今撮られた物とついでに朝に撮られた不意打ちの一枚とを削除すると、理人が珍しく悲痛な声を上げた。
「何て事するんです湊!ああ、俺の湊コレクションが」
「何なんですかそのコレクション!…て、兄への報告用だって言ってたの嘘なんですか!?」
予想外過ぎる言葉に思わず口の中の飴をかみ砕いた。そして残りの写真もすべて削除してしまおうとカメラを弄るも、慌ててこちらに手を伸ばしてきた理人に簡単にそれは奪われてしまった。半ば意地になった湊はそれでも諦めるまいと再びカメラへ手を伸ばすも、そうはさせまいと必死な理人は懐にカメラを収めて前身ごろをがっちりと両手でかばった。
「消してください。中の写真。今すぐ」
「嫌です」
さすがに手を出すことができなくなった湊は憮然として要求する。それを突っぱねる理人との消せ、消さないと埒の無いやり取りが繰り返される。そう思ったのは理人も同じだったようで、聞き分けのない子供にい諭すように言葉を紡いだ。
「写真を義兄に送ると言うのは本当です。メールや電話で簡単に連絡が取れるとはいえ、湊のことを本当に心配していましたから普段の湊の姿を撮って送ろうと思ったんです」
「それは…すみませんでした。でもコレクションて」
「義兄ほどではないにしろ、俺も湊のことをとても大切に思っています。それはわかっていただけますか?」
「…方向性は別とすれば」
含むところのある歯切れの悪い湊の返答に、理人は笑顔で礼を言う。
「湊のことを心から大切だと思っていますよ。湊のどんな一瞬だって記憶にとどめておきたいと思います。この包み紙と一緒です。放っておけばそのまま忘れ捨てられてしまう一瞬を写真にして残しているだけなんです。貴方が捨てて置いて行ってしまう一瞬の保存。貴方が捨てた物の再利用、つまりエコなんです」
「そんな趣向も再利用もいりません!この真正変態!」
いつにない熱さで弁舌をふるう理人に、けれど湊は堪え切れず怒声を上げた。
「いいえそんな。少し特殊なだけで輝かしい個性なんです」
「開き直らないで下さいド変態!」
湊は我慢の限界だ、と言わんばかりに憤慨したまま足音も荒く退室した。
ついで図書室の扉を少々乱暴に開閉した湊の背を見送り、目を戻したテーブルの上に飲みかけのペットボトルを見つけた理人は、誰もいなくなった部屋で「やりすぎたかな」と小さくつぶやいた。
半分ほど残っていた液体を備え付けの流しへ落とし、きっちり蓋を閉めてから購買横のゴミ箱へ行く途中で校内に予鈴が響き渡るのを聞いた。
本鈴が鳴り、担任が教室へ入ってきても未だに憤りの収まらない湊は、勝手にもてなされたとは言えごちそうになった礼をしていなかったことに気付いた。
礼を失してしまったことに居心地の悪さが襲ってきたものの、あの状況では仕方がなかったと己へ言い繕う。けれどでも、しかし、と反省と弁解を繰り返している間に級内の厄介事を押し付けられると決まったことに遅まきながら気づいた湊は、沈んだ気持ちをさらに重くしたのだった。