02
選択肢有。わかりづらくてすみません。
朝のあいさつが交わされる、ありふれた日常の光景。それぞれ気の合う仲間同士で集い、昨夜のドラマ、バイト先の騒動、ファッションセンスの如何と聞こえてくる会話は途切れない。それが善きにしろ悪きにしろ、彼らは彼らの好奇心の赴くままに言葉を紡いでいく。
「で、何してたんだよ朝っぱらから」
「…ノーコメント」
「逆に気になるだろ。いいから吐けよ」
おもむろに息を吐いた湊に構わず、隣に立った級友は更にせっついてくる。何故自分の周りには我が道を行く人種が多いのかと思わずにいられないが、嘆いたところで彼らがこちらを慮ってくれるわけではない。
「…そもそも誰のことを言ってるのかわからないんだけど」
「お前が道の真ん中で殴ってた奴、うちの司書だろ。大学の方の」
「人違いだよ」
「お前嘘へたっくそだなー」
ぐっと詰まった湊は相手がやはりと言うか引かないことを悟り、当たり障りなく「常識じゃ出てこない言動に、つい手が出た」とだけ伝えた。障りがあるのは理人との関係だ。あんな変態が義理とはいえ兄であるなど、精神衛生上誰にも知られたくない。
嘘ではないが歯切れの悪い回答にまだ質問したそうにしていたけれど、タイミングよく現れた担任を口実に、湊は理人には決して見せないような満面の笑みで級友を自席へ戻るよう促した。
湊の通う高校では制服以外に自由な服装で過ごすことが許可されている。それまで制服に縛られてきた若者は各々好きな服装を楽しんでいる。それは勿論、体育の授業中も例外ではない。
黄色い声と黄土色の声がグラウンドの左右から聞こえてくる中、湊は膝に肘をついて中庭にある樹を何とはなしに見ていた。体育があることをド忘れし運動用の着替えを持って来なかったので仮病を使ったものの、時間を持て余しているのだ。
背の高い樹の向こうにはその葉に隠れるように書棚の並んだ部屋が見え、つられるように先ほどの会話に出てきた変態司書を思い出し眉根を寄せた。校内に大学図書館司書を知っている人間がどれだけいるかは知らないが、彼と関わりがあることを周囲に知られたくない以上、今後は別々に登校するのが妥当だろう。泣き落しをかけられようが腹の立つ変態独自曲解論を繰りだされようが、背に腹は代えられない。そう静かに決意する湊の肩へ不意に誰かの手が触れた。突然のことにびくりと身を竦ませながら振り向くと、今まさに脳裏に浮かべていた忌避対象がニンマリと口元をゆるめて立っていた。
「何してるんですか」
「それはこっちの台詞です。あなたの職場はここじゃないですよ」
言いながら勝手に隣に座りこんでくる理人に不快を隠さず顰め面を作る。
「お使いできました。こちらに入る本がうちの方に紛れていたので」
「…それは、お手数おかけしまし…た?」
いいえ、とにこやかな笑みと共に返ってくる返事は至って常識的だ。
目の前にはボールに翻弄されるクラスメイトたち。本当なら、こんな状況で理人と会話することは避けたいところだが、出会った当初のような爽やかさと常識的な言動に、つい振られる話題に返事をしてしまう。普段の二人きりの時には考えられない穏やかな空気を作りだした男がいつもこうであれば湊の心労もはるかに減ることだろう。
けれど。でも。
何か違う、何か、物足りない。そんな違和感が拭えない。
「湊?」
どうかしましたか、と屈みこんで来る理人。普段はからかうように細められるそれが、今は別人のように真摯な色を乗せていることに、どうしても違和感が消えない。
「え?」
「なんか違う。なんだか、…大人しいとなんだか寂しいです」
湊、と戸惑ったような理人の声に、はっとして湊はあわあわしながら前言を撤回する。何がどう寂しいのか、自分で自分がわからなくなった湊の耳にホイッスルの音が届く。集合の合図だ。
動転したまま教師の元へ行こうとした湊は、けれど腕を取られてたたらを踏む。己を引きとめた相手へ振り返ることができないでいると、不意に伸びてきた手に頬を押されて後ろを向いた。自分が今どんな顔をしているか全くわからない湊の目に、満面に笑みを載せた理人が映る。そして――
「今度くるときは、短パンから伸びる湊の生足、ぜひ拝ませてくださいね」
楽しみにしています、と続けられた言葉が徐々に浸透し、湊は己がからかわれていたのだと理解した。
「こ…の、ド変態!!」
大音量で発した罵声は校庭に響き渡り、昼休みに体育教師に呼び出されて説教を受ける羽目になったのだった。
「失礼しました」
体育教員室の扉を閉めた湊はげっそりしていた。
自分の発言が招いたこととはいえ、何があったかありのままに伝える訳にもいかず上滑りするだけの言葉の受け答えをするだけで相当な気力を費やした気がする。そして何より一時とはいえどうしてと問わずにいられないあの時の己の思考が湊を苛んだ。
何が寂しいか。きっと気のせいだ、魔が差したんだと繰り返し念じてどうにか立ち直ろうとする。
「…そう、気のせいの気のせい。気のせいでした。うん」
口に出して無理矢理思考を閉めくくった。
心なし俯いていた顔をあげ、教員棟を出た湊は
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・ふと、図書室に行こうと思った →次の話×4 03-02へ
・空腹を満たしに売店を目指す →次の話×7 03-03へ