セインは魔力をこぼさない
連載中『王都を追放された災害復旧官、ハズレスキル《断脈視》で滅びかけの辺境を再生する ~攻撃も回復もできない俺だけが、世界の壊れる場所を知っている~』と同じ世界を舞台にした短編です。
本編とは違う人物、違う視点から、この世界を少し広げてみました。
単体でも楽しめる内容になっていますので、気軽に読んでいただければ嬉しいです。
「セイーン!」
朝の広場に、よく通る声が響いた。
商人の呼び込みも、荷車の軋む音も、それなりに騒がしい。
その中を突っ切って耳まで届く声となれば、誰なのか確かめるまでもない。
列から外れない程度に身体をひねる。
案の定、リナが人混みを縫ってこちらへ向かってきた。
栗色の髪を揺らし、何人かに頭を下げながら、それでも足だけは止めない。
「やっと見つけた。朝起きたらいないし、宿の人に聞いたら『剣を持って出ていった』って言うし……何してるの?」
「見れば分かるだろ」
俺の前には十人ほどの列。
広場の中央には商人組合の旗が立ち、その横に大きな掲示板が置かれている。
『東街道先遣護衛 臨時選抜』
リナは掲示板を読み、それから俺を見た。
一度では足りなかったらしく、もう一度掲示板を確認する。
「……これに申し込むつもり?」
「東へ行けるし、報酬も悪くない」
「そこじゃないの。どうして私に何も言わずに並んでるの、って聞いてるの」
そっちか。
「朝、寝てただろ。起こすほどでもないと思った」
「先遣護衛は、魔物が出ても街道が崩れてても最初に踏み込む人たちでしょ。十分、起こすほどのことだと思うけど」
「その分、報酬も高い」
「……私が気にしてるの、ほんとにそこじゃないんだけど」
リナが額へ手を当てた。
怒っているというより、呆れている。
昔からよく見る顔だった。
「まあいいわ。どうせ止めても出るんでしょ?」
「止める理由に納得したらやめる」
「それ、納得しなかったら絶対出るって意味じゃない」
ばれた。
「次から先に言う」
「本当に?」
「忘れなければ」
「今の一言で台無しになった」
ため息をつきながらも、リナは掲示板を読み始めた。
村を出てからも、こういうところはあまり変わらない。
俺たちが旅を始めた理由に、大層なものはなかった。
俺は、外の世界で自分の剣がどこまで通じるのか見てみたかった。
リナは、村では見られない魔術や土地ごとの術式を自分の目で見たいと言った。
知らない土地へ行く。
面白そうなものがあれば寄る。
金が減れば仕事をする。
今のところ、それで十分だった。
「行き先も特に決めてなかったし、条件そのものは悪くないね。ただ、先遣なら私も魔術師枠で出るよ。あなた一人を前に出して、私は荷車の横を歩いてるなんて嫌だし」
「その方が安全ではあるぞ」
「そういう話じゃないって、さっきから言ってるでしょう?」
リナは俺の袖をつまんだ。
ほんの少しだけ、引く。
「無茶するなとは言わない。たぶん言っても意味ないし。でも、何かするなら私にも教えて。私、あなたの隣にいるつもりで旅に出たんだから」
最後だけ声が小さくなった。
目が合う前に手を離される。
「じゃあ魔術師枠を見てくる。ちゃんと受かってね。私だけ通ってたら笑うから」
「それは困る」
「でしょう?」
今度はいつもの調子で笑って、人混みへ消えていった。
「次の方!」
受付から声が飛んだ。
俺の番だった。
受付の男は四十くらいだろうか。
前の応募者の紙を脇へ寄せ、新しい用紙を手元へ引く。
「名前を」
「セイン・ラザフォード」
「今の所属は?」
「ない」
男が紙へ書き込む。
「冒険者登録は?」
「していない」
「騎士団や傭兵団にいた経験は?」
「ない」
そこで初めて、羽根ペンが止まった。
「なら、剣は誰に習った?」
「オルヴァン」
名前を口にすると、久しぶりにあの男の姿を思い出した。
村外れの、半分傾いたような家に住んでいた大男だ。
片目には、眉から頬へ斜めに走る古い傷。
腕は太く、鍬を持たせても薪割り斧を持たせても似合いそうな身体をしていた。
そのくせ、まともに働いている姿はほとんど見た記憶がない。
昼間から酒瓶をぶら下げて歩き、村の女たちに叱られている方が多かった。
酒臭くない日の方が珍しい。
口も悪い。
ただ。
木の枝でも剣でも。
長いものを一本、手に持った瞬間だけは別だった。
動きが変わる。
というより、こちらが動いたと思ったときには、もう地面に転がされている。
何度やられたのかは、途中から数えるのをやめた。
「オルヴァン……姓は?」
「知らない」
「どこかに所属していた剣士か?」
「それも知らない」
受付の男が顔を上げた。
「師匠について、ずいぶん知らないことが多いな」
「剣は知ってる」
答えると、少し黙られた。
「どこの剣術かくらいは聞かなかったのか?」
「一度聞いた」
「何と言っていた?」
「『剣は剣だ。名前を付けたら斬れ味が増すのか』って」
男の顔に、何とも言えない疲れが浮かんだ。
「……随分と変わった師匠だな」
「そこは否定しない」
むしろ、かなり控えめな表現だと思う。
「最後に、スキルを確認する。そこに立ってくれ」
受付の男が隣へ合図した。
奥にいた職員がこちらへ来て、俺の前で手をかざす。
淡い光が一度だけ身体をなぞり、すぐに消えた。
「スキル適性なし。発現スキルもありません」
受付の男が結果へ目を落とした。
「……なし?」
俺はうなずいた。
男は一瞬だけ俺を見て、それから紙へ書き込んだ。
後ろの列から、小さな笑い声が聞こえた。
「悪いことは言わない」
別の声が重なった。
振り向くと、胸当てに紋章を刺繍した男が立っていた。
二十代半ばくらい。
腰の細身の剣も、防具も、よく手入れされている。
「先遣は腕を見せる場所じゃない。後ろには荷車も人もいる。自分が倒れれば、自分一人の失敗では済まない」
声に嘲りはなかった。
「実戦経験があるなら止めない。ただ、少しでも自信がないなら通常護衛へ回った方がいい。それを恥じる必要もない」
「心配してくれてるのか?」
「当然だ。同じ隊になるかもしれない人間だからな」
真面目な男らしい。
「エドガー、そんな奴に構うなよ」
壁にもたれていた男が口元を歪めた。
俺より少し年上だろう。
厚い革の胸当てに長剣。
身体つきを見る限り、剣を飾りで下げているわけではなさそうだった。
「冒険者登録なし。騎士団にも傭兵団にもいたことがない。そのうえスキルまでなしだろ?」
男は俺の腰の剣へ目を落とす。
「それで先遣へ入るっていうんだから、大した自信だよな」
「笑う話じゃない」
エドガーが低い声で返した。
「腕は実技で分かる」
「だから笑ってるんだよ。実技まで来れば、自分がどの程度か嫌でも分かるだろ」
男が俺を見る。
「俺はダリル・ベック。せっかくだから覚えとけよ。先遣ってのは、木剣を振って褒めてもらう仕事じゃない」
「そうか」
「……それだけか?」
「名前は覚えた」
「そこじゃねえよ」
周囲から笑い声が漏れた。
今度はダリルの方を見ている奴が多い。
「忠告してやってるんだ。身体強化を使える程度じゃ強みにならないぞ。ここにいる連中なら珍しくもない」
「分かった」
「本当に分かってんのか?」
「実技を見ればいいんだろ?」
ダリルが黙る。
「その通りだ」
エドガーが先に答えた。
「ここで言い合っても仕方ない」
「ああ」
できるかどうかを、口で決める必要はない。
◇
街外れの訓練場には、先遣候補が三十人ほど集まっていた。
奥には、人の胴ほどもある木柱が三本。
それぞれ赤い布が巻かれている。
査定役が候補者の前を歩いた。
「先遣の前衛枠は六名。今回見るのは力自慢じゃない。街道で三体の小型魔物と同時に遭遇した想定で、三本すべてへ有効打を入れ、そのまま白線まで抜けてもらう」
木柱を示す。
「速さ、剣筋、足運び、魔力の使い方。それから無駄な動きがないかを見る。後ろの隊商へ敵を通さない。それができる奴を選ぶ」
数人が挑む。
力任せに木柱へ斬り込む者。
全身を魔力で包み、一直線に駆け抜ける者。
剣から光を散らし、木片を飛ばす者。
「ダリル・ベック!」
呼ばれた男が前へ出た。
長剣を抜く。
「始め!」
地面を蹴った瞬間、ダリルの全身を魔力が覆った。
一気に一つ目との間合いを詰める。
正面から振り下ろした長剣が赤布の中央へ食い込み、木片が飛んだ。
刃を抜く勢いで身体を左へ返す。
二本目。
今度は横薙ぎ。
木柱を斬り抜けるほどではないが、赤布の下まで深く刃が入る。
三本目はさらに前。
ダリルは二本目を斬った勢いのまま踏み込み、身体ごと長剣を叩き込んだ。
剣を引いたところで、周囲から歓声が上がった。
悪くない。
というより、かなり速い。
ここまで挑んだ中でも、明らかに上位だ。
ダリルは剣を収めた。
戻る途中、俺の前で足を止める。
「まあ、こんなもんだ」
「速いな」
「……それだけか?」
「速かったからな」
ダリルが何か言いかけたところで、次の名前が呼ばれた。
「エドガー・クロード!」
エドガーが前へ出る。
「始め!」
エドガーは真っすぐ一つ目へ踏み込んだ。
抜きざまの横薙ぎ。
赤布の中央へ、ぶれずに刃が入る。
そのまま身体を返し、二本目を斜めに斬り上げた。
速さだけなら、ダリルと大きくは変わらない。
だが、三本目の前で剣を包む魔力が一段濃くなった。
「重撃!」
踏み込みと同時に、長剣が振り下ろされる。
鈍い音が響いた。
赤布の下から大きな木片が弾け、木柱に深い斬り跡が残る。
一瞬遅れて、歓声が上がった。
ダリルが、わずかに顔をしかめる。
エドガーは短く息を吐いた。
「悪くないな」
それだけ言って、剣を収める。
戻ってくる途中、俺の前で足を止めた。
「次は君だな」
「たぶん」
「楽しみにしている」
本当にそう思っているらしかった。
「次、セイン・ラザフォード!」
前へ出る。
「木柱三本だ。無理なら一本目で止まっとけよ」
ダリルだ。
何人かが笑う。
「黙って見ていろ、ダリル」
エドガーの声が飛ぶ。
「まだ何も始まっていない」
「へいへい」
査定役が手を上げる。
「身体強化の使用は自由だ。出し惜しみはするな」
剣の柄へ手を置く。
「始め!」
右脚へ魔力を通す。
踏む。
地面を蹴った力が身体を一つ目まで運ぶ。
もう脚には要らない。
腰へ移す。
身体を回す。
肩。
腕。
刃が木へ触れる瞬間だけ、剣まで流した。
一閃。
手応えを確かめる前に、魔力を抜く。
二本目は左前。
次の一歩だけ脚。
身体を返す瞬間だけ腰。
刃を通す。
三本目はさらに先。
強く踏む必要があるのは一瞬だけだ。
右脚。
前へ。
腕。
剣。
斬る。
白線を越えたところで速度を落とし、剣を鞘へ収めた。
後ろが静かだった。
「……終わりでいいか?」
「あ、ああ」
査定役が返事をした直後。
ごとん。
一つ目の木柱の上半分がずれ、地面へ落ちた。
続いて二本目。
三本目。
切断された赤い布ごと、順番に倒れる。
査定役が、倒れた三本の木柱と俺を交互に見た。
「……今の、見えたか?」
隣にいた係が、少し遅れて首を振る。
「二本目からは、何をしていたのかまでは」
今度は誰も笑わなかった。
ダリルも、俺を見たまま黙っている。
「……何のスキルだ、あれ?」
「敏捷強化じゃないか?」
「受付の検査で適性なしだっただろ」
「じゃあ何だよ、今の……」
エドガーだけが、倒れた木柱ではなく俺を見ていた。
「……妙だな」
「何が?」
「速い。だが、身体強化で無理に押し切った動きには見えなかった」
視線が俺の足元から剣へ移る。
「何をしているのかまでは分からない。だが――ただ速いだけじゃないな」
「見えたのか?」
「いや。だから気になる」
査定役が三本の切断面を順に確かめた。
「三本とも有効打。セイン・ラザフォード、合格だ」
一度、俺を見る。
「ここまでで、間違いなく一番速い」
「待てよ」
ダリルが声を上げる。
「木柱を斬っただけだろ。魔物は突っ立ってくれない」
周囲の視線が集まる。
「実戦なら話は別だ。速く木を斬れたからって、先遣で使えるとは限らない」
「その通りだ」
意外にも、エドガーが頷いた。
「だが、それは俺にもお前にも同じことだ」
すぐに続ける。
「今の実技でセインが一番だった。それまで否定するのは違う」
「……分かってるよ」
ダリルはそれ以上言わなかった。
木柱は噛みつかない。
実戦なら話は別。
それ自体は間違っていない。
だったら。
実戦でもやればいい。
「セイン!」
柵の向こうから聞き慣れた声がした。
リナだった。
首には魔術師枠の合格札が下がっている。
「そっちも受かったんだな」
「リナ・ファーレンを誰だと思ってるの?」
「幼馴染」
「今そこは聞いてない」
リナは三本の木柱を見る。
「また派手にやったね」
「普通に斬っただけだ」
「あなたの『普通』は、人に説明するとき使用禁止にした方がいいと思う」
査定役がリナを見る。
「知り合いか?」
「幼馴染です」
「なら教えてくれ。あの身体強化は何だ? こちらからは魔力反応をほとんど追えなかった」
リナが俺をちらりと見た。
「別に珍しい魔術を使ってるわけじゃありません。身体強化そのものは普通です。ただ、この人――ほとんど魔力をこぼさないんです」
「こぼさない?」
「全身をずっと強化するんじゃなくて、踏む瞬間は脚、身体を返すなら腰、斬る瞬間だけ腕と剣。使い終わった場所には残さず、次に必要なところへすぐ移すんです」
エドガーが切断された木柱を見る。
「だから、こちらから追えなかったのか」
「正確には、途切れてるわけじゃないんですけどね。外に漏れる量が少ないし、移るのが速すぎるから」
リナは肩をすくめた。
「私は昔から見てるから分かりますけど」
「水みたいに言うなよ」
「だって元は水でしょ?」
査定役たちの目が俺へ戻ってきた。
説明すると長い。
俺も昔は、自分が何をやっているのか知らなかった。
◇
子供の頃、水汲みは俺の仕事だった。
井戸から家まで歩けば、水はこぼれない。
ただ、遅い。
走れば早い。
でも、水がこぼれる。
こぼせば母親に見つかって、もう一度井戸へ戻される。
それが嫌だった。
だから、速く走っても水が揺れない方法を考えた。
足を着く瞬間だけ脚へ。
桶が傾きそうなら腰へ。
腕を引かれれば腕へ。
全部を強くする必要はない。
必要なところだけ支えれば、水はこぼれなかった。
オルヴァンが声を掛けてきたのは、その頃だ。
「おい、小僧。今の、誰に習った」
「何が?」
「魔力の動かし方だ」
何を言われているのか分からなかった。
「水汲み」
「……水汲み?」
オルヴァンは本気で変な顔をした。
「水をこぼしたくないから走ってるだけだ」
「もう一回やれ」
「嫌だよ。帰る」
「酒やるぞ」
「子供に酒を勧めるなって母ちゃんが言ってた」
「じゃあ肉」
「それならやる」
今思えば、俺も大概だった。
何度か走らされたあと。
普段の酔っ払いとは別人みたいな目で、オルヴァンが俺を見た。
「剣を握ったことはあるか」
「木の棒なら」
「明日から剣を持て」
「何で?」
「面白いからだ」
「俺が?」
「俺が」
ろくでもない理由だった。
けれど翌日。
あいつは本当に木剣を持って待っていた。
それから何年も。
俺は水桶と同じように剣を振った。
必要なところだけ。
必要な瞬間だけ。
オルヴァンがいなくなっても。
それだけは身体に残っている。
◇
翌朝。
俺とリナは東へ向かう隊商に加わった。
先遣は八人。
剣や槍を持つ前衛が六人と、魔術師が二人。
前衛には俺とエドガー、ダリルもいる。
魔術師の一人はリナ。
もう一人は男だった。
隊商の前を進み、何かあれば最初にぶつかる。
要するに、面倒事は全部こっちが先に踏む役だ。
荷の多くは、ヴァレイン辺境領へ向かうという。
穀物。
木材。
鉄材。
少し前まで水路が止まり、水車も工房もまともに動かなかったらしい。
ようやく水が戻ったと思えば、今度は街道橋が傷み、まとまった荷の出入りが止まっていたそうだ。
「結果だけ見れば、悪くない仕事だったね。東へ行くついでに、報酬もおいしいし」
「だから言っただろ」
「勝手に申し込んだ件まで正しかったことにはならないからね」
そっちはまだ終わっていなかった。
◇
昼を少し過ぎた頃。
先頭を歩いていたエドガーが拳を上げた。
「止まれ!」
隊商全体へ停止の声が伝わっていく。
街道脇。
湿った土に、大きな足跡が残っていた。
二つに割れた太い跡。
深い。
エドガーがしゃがむ。
「アイアンタスクだ」
アイアンタスク。
成獣の背丈は俺の胸ほど。
胴は荷馬より太く、肩は岩の塊みたいに盛り上がっている。
鉄みたいに硬い皮膚。
口元から前へ突き出した二本の太い牙。
戦い方そのものは単純だ。
獲物を見つければ、真正面から突っ込んでくる。
だからといって簡単な相手ではない。
オルヴァンには何度も言われた。
『アイアンタスクを正面から受け止める馬鹿がいたら、先に墓穴を掘ってやれ』
盾ごと人間を跳ね飛ばし、荷車なら横倒しにする。
硬い皮膚は浅い刃を弾く。
一頭でも、まともに相手をすれば厄介だ。
「一頭じゃない」
エドガーが少し先を指した。
別の跡。
さらに右。
道の反対側にもある。
「四頭」
誰もすぐには返事をしなかった。
それだけいれば、先遣だけで受けるには十分すぎる。
エドガーが立ち上がる。
「この先は隊列を詰める。先遣は荷車から離れすぎるな。見つけても追うな」
誰も異を唱えなかった。
八人が少しずつ間隔を狭め、隊商は歩みを再開した。
俺は街道脇の林を見る。
姿はない。
しばらく進んでも、何も出てこなかった。
ただ、足跡だけは途切れない。
右の斜面へ入ったもの。
街道を横切ったもの。
古い跡の上に、新しい跡が重なっている場所もある。
「……何度もここを通ってるのか?」
ダリルが声を落とした。
「分からない」
エドガーは歩みを止めない。
「分からないうちは、いるものとして動く」
さらに進む。
鳥の声が消えた。
代わりに、林の奥で枝の折れる音がした。
一度。
少し離れて、もう一度。
今度は反対側。
リナが杖へ手を掛ける。
「……囲まれてない?」
「まだ分からない」
そう答えた直後。
前方の藪が大きく揺れた。
「止まれ!」
エドガーの声が飛ぶ。
御者たちが手綱を引く。
先遣の八人が、すぐに荷車を囲むように散った。
前方の藪から、一頭。
道の左から二頭目。
右から三頭目。
少し遅れて四頭目。
そこで終わらなかった。
左奥の林から、さらに一頭。
後方でも枝が折れた。
六頭目が街道へ出る。
「……六頭」
ダリルが長剣を抜いた。
「前衛六人。一人一体だな」
「冗談だろ?」
隣の槍使いが顔を引きつらせる。
「俺だって冗談で言ってる」
エドガーだけは六頭から目を離さなかった。
「一人で抱えるな。近い相手と組め。荷車まで通すな」
二人の魔術師へ視線を向ける。
「右を頼めるか?」
「私がやる」
リナが一歩出た。
「前衛を一人つけて。抜かせないようにする」
「頼む」
もう一人の魔術師も杖を上げた。
「俺は中央を見る」
「助かる。前衛の援護を優先してくれ」
「分かった」
杖の先に赤い火が灯る。
エドガーが短く指示を飛ばした。
左にダリルと盾持ち。
右にリナと槍使い。
中央にエドガーと、もう一人の剣士。
その後ろに魔術師がつく。
誰が隊長と決めたわけでもないが、全員がその指示に従っていた。
俺は少し左へずれ、林の奥まで見える位置を取る。
足跡の数と、今見えている位置が合わない。
六頭とも正面から来るとは限らない。
そのとき、六頭が一斉に動いた。
「来るぞ!」
正面から二頭。
左へ一頭。
右へ一頭。
残る二頭は――林へ消えた。
中央。
一頭目が頭を下げる。
土を蹴り上げ、巨体が一直線に突っ込んできた。
「正面から止めるな! 右へ逸らせ!」
エドガーが叫ぶ。
隣の剣士がぎりぎりまで待つ。
牙が届く直前、横へ退いた。
すれ違いざまに剣の腹を頬へ叩き込み、頭をわずかに右へ振らせる。
それだけで突進の線が外れた。
荷車へ向いていた巨体が、街道の外側へ流れる。
「今!」
エドガーが横から踏み込んだ。
狙ったのは硬い肩じゃない。
前脚と首の間。
剣が深く入る。
アイアンタスクが吠え、首を振った。
一撃では倒れない。
エドガーは追わずにすぐ後退した。
「戻れ! 二頭目が来る!」
傷ついた一頭の後ろから、もう一頭が突っ込んでくる。
後方から杖が突き出された。
「燃えろ!」
拳ほどの火球が飛ぶ。
鼻先へ直撃。
炎が顔を包んだ。
アイアンタスクが吠え、反射的に頭を横へ振る。
焦げた臭いが流れてくる。
だが。
火が消えたあとも、皮膚は表面が黒く焦げた程度だった。
止まらない。
「浅い!」
後ろから声が飛ぶ。
「十分だ! もう一発、顔を狙え!」
エドガーが返す。
炎だけで倒す必要はない。
ほんの一瞬。
前が見えなくなる。
頭が逸れる。
その一瞬で、前衛が斬れる。
二発目の火球が頬で弾けた。
巨体が顔を背ける。
エドガーと剣士が左右へ分かれた。
開いた首筋へ二本の刃が入る。
中央は止まっている。
だが。
余裕はない。
左から怒鳴り声。
「来たぞ!」
ダリルと盾持ちへ一頭が突っ込んだ。
盾持ちが前へ出る。
「真正面は――」
エドガーの声より先に、牙が盾へ当たった。
鈍い音。
盾持ちの身体が浮く。
そのまま後ろへ弾き飛ばされた。
背後には荷車の車輪。
このままなら背中から叩きつけられる。
「石は受け、地は止める――支えて! 土石障壁!」
リナの杖が地面を叩いた。
盾持ちの背後で、土と石が一気に盛り上がる。
人の腰ほどの壁。
そこへ男の背中がぶつかった。
ばきっ、と上部が砕ける。
壁ごと後ろへ削られながらも、身体は車輪まで届かなかった。
「立てる?」
「あ、ああ!」
「なら左へ戻って! 次が来る!」
リナは確認が終わる前に右へ向き直った。
自分の側にも一頭いる。
右のアイアンタスクが槍使いへ突進した。
槍使いは下がらない。
直前まで引きつけて、斜め前へ出る。
牙の外へ抜けた。
「そこ!」
リナが杖を下ろす。
「重きものは沈み、走るものは逸れる――沈め! 地没封足!」
アイアンタスクの右前脚が着く場所だけ、地面が崩れた。
脚が半ばまで沈む。
走っていた巨体の右側だけが急に止まった。
肩が落ちる。
首が横へ流れた。
槍使いはそこへ戻る。
首と肩の境へ穂先を深く入れた。
アイアンタスクが暴れ、沈んだ脚を引き抜こうと地面を抉る。
まだ倒れない。
左も。
右も。
中央も。
三箇所とも、一頭を止めるだけで手が塞がっている。
リナは一歩も前へ出ていない。
それでも、あいつがいる側だけは崩れない。
吹き飛ばされた奴を受ける。
突進の足を落とす。
敵を倒してはいない。
味方が倒れない場所を作っている。
林で枝が鳴った。
左奥。
俺の前。
消えていた一頭が飛び出した。
低く頭を下げ、最初から俺だけを狙っている。
俺は剣を抜いた。
正面から受ける必要はない。
突進の線を見て、半歩だけ外へ出る。
巨体が横を抜ける。
前脚が地面へ着き、首がわずかに下がった。
そこへ入る。
右脚。
踏む。
腰を返す。
肩。
腕。
刃が首筋へ触れる直前だけ、剣へ魔力を流す。
一閃。
硬い皮膚の下へ刃が通った。
血が飛ぶ。
アイアンタスクはそのまま二歩進んだ。
勢いが切れる。
前脚から崩れ、地面へ倒れた。
動かない。
一頭。
俺はすぐに剣を戻した。
残り五頭。
中央ではまだ二頭。
左も一頭。
右も一頭。
なら。
あと一頭はどこだ。
林を見る。
いない。
「一頭、消えた!」
俺が声を張る。
エドガーは正面の二頭を相手にしていて、こちらを見る余裕がない。
「どっちだ!」
「見えない!」
耳を澄ませる。
右。
違う。
正面でもない。
枝の折れる音。
後ろだ。
しかも遠い。
林の中を大きく回っている。
「後ろ!」
振り返った。
隊商の後方。
荷車と荷車の隙間へ、六頭目が林から飛び出した。
馬が悲鳴のように嘶く。
御者が手綱を引くが、恐慌した馬は動けない。
アイアンタスクはもう突進に入っている。
正面のエドガーは動けない。
左のダリルも。
右のリナも。
もう一人の魔術師も、火球で中央を牽制している。
全員、自分の持ち場を止めるだけで手が塞がっている。
なら。
俺が行く。
右脚へ魔力。
一歩。
身体が前へ出た瞬間に抜く。
次は左脚。
二歩。
腰で身体の揺れを抑え、また右脚へ。
全身を強くする必要はない。
地面を蹴る脚だけ。
次の一歩に必要なところだけ。
速度が上がる。
荷車まで、まだ遠い。
アイアンタスクの方が先に近い。
もう五歩。
四歩。
三歩。
「セイン!」
リナの声。
馬の前で御者が動けなくなっている。
アイアンタスクの牙が荷台へ向く。
まだ届く。
最後の一歩へ魔力を集中した。
地面を蹴る。
横から巨体へ追いつく。
走ったまま剣を抜いた。
狙うのは肩じゃない。
首筋。
前脚が地面へ着く瞬間、頭がわずかに下がる。
そこへ身体を合わせる。
腰。
肩。
腕。
刃が皮膚へ触れる直前だけ、剣へ。
一閃。
刃が首筋を深く裂いた。
血が噴き、アイアンタスクの前脚がもつれる。
それでも止まらない。
倒れかけた巨体が、突進の勢いそのままに荷車へ滑っていく。
このまま倒れれば、死体ごと車輪へ突っ込む。
まだ間に合う。
俺は走る巨体の横へ並んだ。
外側へ突き出した牙に片足を掛ける。
そのまま踏み込み、腰へ魔力を流した。
押し止めるんじゃない。
頭の向きを、荷車から外へずらす。
牙が横へ振れた。
それにつられて肩が回り、巨体の進む向きが変わる。
荷車の脇を掠めるように抜け――
その先で、アイアンタスクは地面へ崩れ落ちた。
土煙が大きく舞い上がる。
車輪までは、あと半歩もなかった。
御者が口を開けたまま俺を見ている。
「馬、押さえた方がいいぞ」
「あ、ああ!」
御者が慌てて手綱へ戻る。
二頭。
これで、残り四頭。
振り返る。
俺が二頭を片づけている間も、他は戦い続けていた。
中央。
エドガーが傷を入れた一頭が、もう一度突っ込もうとしている。
後方で魔術師が杖を振り上げた。
「右へ振る!」
「任せろ!」
火球がアイアンタスクの左側で弾けた。
獣が炎を嫌って顔を右へ背ける。
左の首筋が空いた。
エドガーが踏み込む。
剣を包む魔力が、一瞬だけ濃くなった。
実技で見せた《重撃》だ。
最初につけた傷へ、重い斬撃が叩き込まれる。
巨体が前から崩れた。
左も右も、まだ戦いは続いている。
どこも余裕はない。
俺が中央へ戻る。
一頭が、こちらへ頭を向けた。
前脚が土を掻く。
そのまま、俺へ突っ込んできた。
「セイン、来るぞ!」
エドガーの声。
牙が届く直前、左へ半歩。
巨体が横を抜ける。
前脚が着く。
首が沈む。
右脚。
踏む。
腰。
肩。
腕。
最後に剣へ。
一閃。
刃が首筋を抜けた。
アイアンタスクは二歩進み、そのまま前脚から崩れた。
右。
リナと槍使いが相手をしていた一頭が、沈んだ脚をようやく引き抜いた。
怒ったように頭を振り、槍使いへ突っ込む。
「もう一度止める!」
リナが杖を地面へ向けた。
「重きものは沈み、抗うものは地に縫われる――沈め! 地没封足!」
今度は左前脚。
踏み出す先の地面が崩れた。
片脚を取られ、巨体が前のめりになる。
槍使いが脇へ退く。
俺も反対側へ入る。
槍が右。
俺の剣が左。
二方向から首へ入った。
アイアンタスクがその場へ崩れる。
最後まで立っているのは、ダリルのところだった。
ダリルも盾持ちも泥だらけだった。
盾は半分ほど割れている。
ダリルの額からも血が流れていた。
だが。
一頭を荷車へ通していない。
「手を貸すか?」
俺が聞く。
「いらねえ!」
即答された。
アイアンタスクが再びダリルへ頭を向ける。
ダリルは正面から斬り込まない。
一歩だけ前へ出る。
上段から長剣を振り下ろす。
アイアンタスクが反応して頭を上げた。
刃が届く直前。
「――返し刃」
落ちていたはずの剣筋が、途中で横へ折れた。
長剣が首の左側を深く裂く。
アイアンタスクが反射的に頭を右へ振った。
「今だ!」
エドガーが動く。
右側から剣を叩き込んだ。
左右から斬撃を受け、巨体が膝から崩れた。
静かになった。
六頭すべてが地面に倒れている。
「全員いるか!」
エドガーは自分の息を整えるより先に周囲を見た。
「怪我人!」
「三人! 全員歩ける!」
「荷車は?」
「無事だ!」
そこでようやく、エドガーの肩から力が抜けた。
「よし」
短く息を吐く。
それから俺を見る。
視線が、離れた三箇所に倒れているアイアンタスクへ移った。
「……三頭か」
「ああ」
「半分を一人で倒したのか」
エドガーは荷車を見る。
車輪のすぐ脇にも、アイアンタスクが倒れている。
「俺たちは一頭を止めるのにも二人、三人必要だった」
今度は俺を見る。
「君は一頭を片づけて、後ろへ回った一頭も倒して、戻ってきてもう一頭だ」
「近かったからな」
「近くない」
即答された。
「少なくとも、俺なら二頭目にも三頭目にも間に合わなかった」
少しだけ口元が上がる。
「訓練場で見たときは、速い剣士だと思った」
倒れた三頭を見る。
「実戦で見た方が、ずっと厄介だな」
「褒めてる?」
「そのつもりだ」
手を差し出された。
握る。
「助かった。あれが荷車へ突っ込んでいたら、馬が暴れて隊列まで崩れていた」
「そっちの指示も助かった」
「当然のことをしただけだ」
エドガーが短く息を吐いた。
「だが、そう言われるのは悪くないな」
「……三頭やったのかよ」
ダリルだった。
額の血を袖で拭っている。
「そうなるな」
「こっちは二人で一頭だぞ」
「倒しただろ」
「そういう問題じゃねえよ」
ダリルは俺が倒した三頭を見る。
「木柱だけじゃなかったってことか」
「アイアンタスクは動くからな」
「それくらい分かってる!」
怒鳴られた。
ただ。
もう笑われなかった。
リナがこっちへ歩いてくる。
「そっちも無事か」
「見れば分かるでしょ」
「ならいい」
「もう少し心配してくれてもいいんじゃない?」
「心配する必要なさそうだった」
「……まあ、それはそうなんだけど」
エドガーが、砕けた土石障壁を見る。
「右だけじゃなく、左まで見ていたのか」
「見えるところならね」
「吹き飛ばされた奴を、あそこから拾っただろ」
「荷車に当たりそうだったから」
リナはそれだけ言って肩をすくめた。
もう一人の魔術師も近づいてきた。
「こっちは顔を焼いても、怒らせるくらいしかできなかったけどな」
「十分だった」
エドガーが答える。
「頭を振らせてくれなければ、あそこまで首へ入れられていない」
「なら報酬分は働いたか」
「十分にな」
◇
隊商が再び動き始めた。
リナが俺の横まで歩いてくる。
「ずいぶん遠くから飛んできたね」
「飛んでない」
「こっちからはそう見えたの」
少しだけ眉を寄せる。
「間に合うと思った?」
「思った」
「間に合わなかったら?」
「別の方法を考えた」
「走りながら?」
「ああ」
リナがため息をつく。
「そういうところ、昔から変わらないよね」
「何が?」
「水をこぼしそうになってから走り方を変えてた頃と同じ」
そこまで昔の話を出されるとは思わなかった。
「覚えてるのか」
「誰が井戸まで付き合ってたと思ってるの?」
そうだった。
「でも」
リナが前を見る。
「間に合ってよかった」
それだけ言った。
◇
ヴァレイン辺境領は、聞いていたより人が動いていた。
古い補修跡の残る街道を荷車が走り、領都へ穀物が入り、逆方向には粉袋を積んだ車も出てくる。
「ここ、最近かなり直してる」
石橋を渡りながら、リナが欄干の術式を眺めた。
「古い補修の上から塞いだだけじゃない。下を直してから引き直してるね」
「俺には新しい石くらいしか分からない」
「それはそれで十分じゃない?」
橋の先に、領都リューデンの防壁が見えた。
南門の東側だけ暗い。
「あそこ、術式が止まってる」
門の周囲には兵士と職人。
塔の根元には太い木材が組まれている。
かなり大掛かりな修繕らしい。
「エドガー!」
後ろからダリルが呼んだ。
「商隊はここまででいいんだろ?」
「ああ。荷を引き渡せば先遣の仕事は終わりだ」
エドガーは防壁を見る。
「向こうは向こうで大変そうだな」
「手伝うのか?」
「頼まれてもいない仕事へ首を突っ込む気はない。専門外だ」
即答だった。
気が合いそうだ。
◇
報酬を受け取るため冒険者ギルドへ入ると、受付から声が上がった。
「東側外周へ出られる方はいませんか! グレイファングの新しい足跡が複数確認されています!」
外柵周辺の警戒。
深追い禁止。
ただし、すでに姿も確認されているらしい。
「俺は出る」
エドガーがすぐに名乗った。
「隊商の護衛は終わった。今動けるなら手を貸そう」
「俺もだ」
ダリルも前へ出る。
「アイアンタスク六頭の次がグレイファングか。今日は当たり日だな」
「嬉しそうに言うことじゃない」
エドガーが苦笑する。
リナと目が合った。
「宿代にはなるね」
「気が合うな」
「セインがそう言うと思っただけ」
俺たちも東側の外周警戒へ名前を書いた。
◇
東側の外柵へ着いて最初に聞こえたのは、鳴き声だった。
低い。
喉の奥で石を擦り合わせるような声が、草地の向こうから二度続いた。
領兵が槍を構える。
「近いな」
別の領兵が笛を口へ当てた。
一度。
続けて、短く二度。
甲高い音が、防壁の方へ飛んでいった。
エドガーも剣を抜く。
草が揺れた。
一頭。
その後ろに二頭。
さらに左右から四頭。
少し遅れて、草地の奥に三頭が姿を見せた。
「十頭」
リナが端から端まで視線を走らせる。
「……全部こっち見てる」
グレイファング。
灰色の四足獣。
長い前脚と、口元から覗く白い牙。
一頭なら、経験のある兵士でも相手はできる。
問題は群れだ。
正面に三頭。
左右に二頭ずつ。
その後ろに三頭。
前へ出た七頭の向こうで、残る三頭は低く身を伏せていた。
「正面を追いすぎるな!」
エドガーが周囲へ声を飛ばした。
「左右を見ろ。柵へ抜かせるな!」
「分かってるよ」
ダリルが剣を構える。
中央の一頭が低く沈んだ。
前脚が地面を掻く。
「来る!」
二頭。
正面から飛び出した。
同時に左右の草が揺れる。
俺は正面へ出た。
一頭目が跳ぶ。
牙は首を狙っている。
半歩だけ右へ外す。
必要なのは、それだけだ。
頭が左肩の横を抜ける。
前脚が地面へ降りる前に剣を抜く。
右脚。
腰。
腕。
刃が首へ触れる瞬間だけ、剣へ流す。
斬る。
一頭目が地面へ転がった。
その先。
二頭目は止まっていない。
一頭目を避けた俺の位置へ、そのまま飛び込んでくる。
爪が右肩へ来た。
後ろへ下がれば突進線に戻る。
なら前。
身体を低くする。
爪が外套だけを裂いて頭上を抜けた。
すれ違う。
剣へ残っていた魔力を抜く。
腰へ移す。
反転。
二頭目が着地した直後、首筋がこちらへ向いた。
返す。
刃が喉を開いた。
二頭目が倒れる。
「右、二頭!」
領兵の声。
「左も来る!」
前へ出ていた残り五頭が一気に距離を詰めていた。
ダリルは動かない。
隣の冒険者と肩を並べて待つ。
「来るぞ」
「分かってる」
左から一頭。
ダリルへ飛び込む。
ダリルは剣を振らない。
直前で半歩だけ外す。
身体の横を抜けた瞬間、肩口へ刃を入れた。
深い。
だが追わない。
すぐ戻る。
そこへ二頭目。
隣の冒険者が盾を入れた。
牙が盾の縁を噛む。
「今だ!」
ダリルが横から首を斬る。
一頭が崩れた。
右ではエドガーと領兵が一頭を挟んでいた。
残る二頭は――こっちへ来ない。
外柵へ向かって走っている。
「抜けるぞ!」
領兵が追う。
一頭が柵へ肩からぶつかった。
乾いた音。
横木が折れる。
そのまま隙間へ身体をねじ込み、防壁へ走った。
「壁へ行く!」
もう一頭も続く。
俺は近い方へ走った。
脚へ魔力を流す。
一歩。
二歩。
追いつく。
後脚の外から首へ剣を入れた。
倒れる。
だが先頭はもう防壁の前だった。
灰色の身体が跳ぶ。
前脚と肩が石壁へぶつかった。
どん、と腹に響く音がした。
石は崩れない。
けれど、壁の内側から別の音が返った。
ぎしっ。
木が軋む音。
塔の根元に組まれていた太い支えが揺れた。
細かな砂が壁際へ落ちる。
「今ので動いたぞ!」
内側から怒鳴り声がした。
「外から衝撃です!」
グレイファングは着地すると、ほとんど間を置かず前脚を石へ掛けた。
そこは領都へ入ったときから、術式の光が消えていた場所だ。
身体を沈める。
もう一度。
肩が壁へ叩きつけられた。
どんっ。
一度目より砂が多く落ちた。
内側の支えがまた鳴る。
「二回目! 継ぎ目が開いた!」
グレイファングが、もう一度壁へ向き直った。
三回目はやらせない。
踏み込む。
グレイファングが先に跳んだ。
壁へではない。
俺へ。
牙を外し、首が伸びたところへ斬る。
グレイファングが地面へ崩れた。
「右、終わった!」
エドガーの声。
振り返ると、領兵の槍が一頭の胸を押さえている。
その横から、エドガーの重い一撃が首へ叩き込まれた。
残る前衛は左。
さっきダリルが肩を斬った一頭が、血を流しながらまだ立っている。
グレイファングが一瞬だけ身体を沈めた。
ダリルの隣にいた冒険者へ飛び込む。
「右!」
ダリルが叫んだ。
冒険者が右へ退く。
グレイファングもそちらへ首を振る。
ダリルは追わない。
逃げ道を塞ぐように左へ回った。
前へ進めばダリル。
右にはもう一人。
グレイファングが迷ったのは一瞬だった。
低く跳ぶ。
ダリルへ。
「来い!」
牙が伸びる。
届く寸前。
ダリルが半歩だけ外へずれた。
頭が横を抜ける。
長剣が下から跳ね上がる。
グレイファングが首を引いた。
だが、刃の軌道が途中で返る。
逃げた首筋を追うように、斬撃が深く食い込んだ。
巨体が地面を滑った。
二歩。
三歩。
止まる。
ダリルの刃を受けたグレイファングが地面を滑り、そのまま動かなくなった。
周囲から荒い息が漏れる。
俺も剣先を下げた。
前へ出てきた七頭は、これで全部倒れた。
草地の奥には、最初から残っていた三頭がいる。
「あと三頭だ」
ダリルが息を吐いた。
その三頭が、同時に動きを止めた。
こちらへ飛び込んでくるでもなく、逃げるでもない。
ただ、草地のさらに奥へ顔を向ける。
次の瞬間。
低い声が響いた。
さっきまでとは違う。
低いだけじゃない。
腹の底へ押し込まれるような唸りだった。
三頭が左右へ退く。
開いたその間から、灰色の影がゆっくり姿を現した。
「……うそだろ」
ダリルの声が落ちた。
同じグレイファングだ。
毛の色も、長い前脚も、牙の形も変わらない。
ただ、一回り大きい。
並んだ三頭より肩が明らかに高い。
胸が厚い。
前脚も太い。
立っているだけで、さっきまでの個体とは重さが違って見えた。
エドガーが剣を握り直した。
大型のグレイファングが一度だけ唸った。
すると三頭が動いた。
一頭は左。
一頭は右。
一頭だけ正面に残る。
ばらばらに散ったように見えて、距離は崩していない。
「こいつが動かしてるのか」
エドガーが言った。
「たぶんな」
大型が一歩前へ出る。
三頭も同時に距離を詰めた。
さっきまでと違う。
全員で獲物へ飛び込んでこない。
こちらが動くのを待っている。
「前衛、広がるな!」
エドガーが叫ぶ。
「壁との間を空けるな!」
右の一頭が走った。
領兵二人がそちらへ向く。
同時に左も走る。
ダリルと冒険者が動く。
正面の一頭が俺へ来た。
大型は動かない。
こいつら三頭で、こっちを開かせる気か。
正面の牙を外す。
首へ剣を入れようとした瞬間。
低い唸り。
目の前の一頭が急に身体を引いた。
斬撃が毛先を掠める。
その横を、大型が走り抜けた。
「速っ――」
ダリルの声。
でかい身体から想像した初動じゃない。
狙いは俺じゃない。
外柵の割れた場所。
その先の防壁。
追う。
右脚へ流す。
踏む。
距離を詰める。
大型がこちらを見た。
走ったまま首だけが向く。
俺が間合いへ入る瞬間、前脚が横から飛んできた。
速い。
剣の腹を合わせる。
手首。
肘。
肩。
受けた衝撃を順に逃がす。
それでも身体が横へ押された。
二歩。
靴底が土を削る。
重い。
大型は止まらない。
俺を払った勢いのまま防壁へ向かう。
「セイン!」
リナの声。
間に合う。
もう一度踏み込む。
大型の首へ斜め後ろから剣を入れた。
いつもなら、ここで終わる。
刃が毛を割る。
皮膚へ入る。
その瞬間、大型が首を振った。
刃が深く入る前に外される。
血は出た。
でも浅い。
大型は倒れない。
振り返りもしない。
そのまま壁へ走った。
「おい、今ので止まらねえのかよ!」
ダリルが叫ぶ。
俺も同じことを思った。
普通の個体なら、少なくとも脚は止まる。
こいつは違う。
そのとき、さっきまで暗かった防壁の一部に淡い光が灯った。
壁の内側から声が飛ぶ。
「一番区画、入ります!」
大型が地面を蹴った。
厚い肩が、光の戻った壁へ叩きつけられる。
どん――。
さっきの二回とは、明らかに重い。
足元まで震えた。
壁の継ぎ目から砂が吹く。
内側で木が大きく鳴った。
ぎしっ、では終わらない。
ばき、と一本が悲鳴を上げた。
「塔が動いた!」
壁の向こうから声が飛ぶ。
「支えに荷が掛かってる!」
大型がもう一度、壁へ身体を向ける。
「もう一発来る!」
誰かが叫ぶ。
内側から別の声。
「切ってください!」
「今、戻したところです!」
「残したら南門まで持っていかれます! 切って!」
灯ったばかりの光が消えた。
何をしているのかは分からない。
でも、今の一発をもう一度入れさせるのはまずい。
それだけは分かる。
「そいつは俺がやる!」
エドガーの声が飛ぶ。
「残り三頭をこっちで押さえる!」
「頼む」
大型が俺を見た。
今度は壁じゃない。
邪魔をしている相手が誰か、分かったらしい。
低く沈む。
次の瞬間には目の前だった。
前脚。
横薙ぎ。
避ける。
すぐ牙。
身体をひねる。
肩が通り過ぎると思った瞬間、後脚で土を蹴って身体ごとぶつけてきた。
連続してる。
普通の個体みたいに、一度飛び込んで終わりじゃない。
剣の柄を胸の前へ入れる。
腰。
背中。
脚。
衝撃を逃がしながら横へ抜ける。
それでも肩が痺れた。
「セイン!」
「大丈夫だ!」
大型が旋回する。
速い。
巨体を持て余していない。
こっちが一歩入れば半歩下がる。
剣を振れば、首か肩で浅く受けてすぐ返してくる。
牙だけじゃない。
前脚も、肩も、全部が武器だ。
面白い。
師匠以外を相手にして、こんなふうに次の一手を考えさせられるのは久しぶりだった。
後ろでエドガーが叫ぶ。
「右を押せ! 三頭を散らすな!」
「分かってる!」
ダリルの声。
残る三頭も簡単には倒れない。
大型の唸りに合わせ、突っ込む相手を変えている。
一頭がエドガーへ行くと見せて領兵へ。
もう一頭がダリルを外へ引く。
三頭目は隙ができるたび壁を向く。
偶然じゃない。
「エドガー!」
俺が叫ぶ。
「三頭、まとめられるか!」
「まとめる?」
「できるだけ近くへ!」
一瞬だけ、エドガーがこちらを見た。
すぐに剣を返す。
「分かった!」
エドガーが声を飛ばした。
「三頭を一箇所へ寄せる! 右から押せ!」
ダリルが一頭へわざと大きく踏み込んだ。
グレイファングが横へ逃げる。
その先を領兵の槍が塞ぐ。
別の一頭にはエドガーが回り込み、進む方向を変えさせる。
三頭目も冒険者に押され、同じ場所へ寄っていく。
三頭の間が縮まった。
「セイン! 集めたぞ!」
「リナ!」
リナはもう杖を構えていた。
「全員、下がって!」
エドガーたちが一斉に距離を取る。
杖の先端が地面へ向いた。
淡い光が広がる。
「地に伏す石は牙となり、群れる影はその上を走る――穿て! 石槍群生!」
地面が爆ぜた。
一頭目の真下。
太い石槍が胸を持ち上げる。
二頭目は横へ跳ぶ。
その着地点から二本目。
腹へ突き刺さる。
三頭目が反転した。
逃げる先に三本目。
地面から突き上がった石が身体を跳ね上げた。
三頭がほとんど同時に落ちる。
動かない。
「……は?」
ダリルの口が半分開いた。
「前!」
リナ自身の声が飛ぶ。
俺も見ていたのは一瞬だけだ。
大型が来る。
真正面。
今度は逃がさないつもりらしい。
低い姿勢から一気に加速した。
俺も前へ出る。
通常個体と同じ量では足りない。
さっき分かった。
なら増やす。
ただし、全身へばら撒く必要はない。
必要な場所へ。
必要な瞬間だけ。
こぼさないことと、惜しむことは違う。
右脚。
いつもより深く流す。
踏む。
大型の前脚が振られる。
左脚。
半歩、内へ。
爪が背中の外を抜ける。
牙が落ちてくる。
腰。
身体を沈める。
頭の横を白い牙が通る。
大型の胸が目の前に来た。
まだ斬らない。
ここで首を狙えば、また振って逃がす。
一歩、さらに中へ入る。
左手で剣の柄を押す。
右肩。
肘。
腕。
大型が身体を返そうとする。
その瞬間。
首の付け根が伸びた。
ここだ。
腕から柄へ。
柄から刃へ。
今までより多く。
でも、一滴も余計な場所へ流さない。
斬る。
刃が厚い毛皮を裂いた。
皮膚を抜ける。
筋肉へ入る。
まだ止まる。
なら、もう一段。
踏んでいる右脚から腰へ。
腰から肩。
肩から腕。
全部を同時に強くするんじゃない。
斬撃が通る順番に、必要なところだけを押す。
剣が走った。
大型の首筋から血が噴いた。
前脚が一度、俺へ動く。
だが、振り下ろされる前に力が抜けた。
大型の巨体が横へ崩れた。
地面が揺れる。
一度、前脚が土を掻いた。
もう一度。
そこで止まった。
静かになった。
俺は一度、息を吐いた。
少し待ってから剣を下げる。
「……倒したのか?」
ダリルが聞く。
「ああ」
「あの大型、お前でも二回斬るのかよ」
「最初の一太刀が浅かったからな」
「そういう話してんじゃねえ」
よく分からない。
エドガーが倒れた個体を順に見た。
「通常の十頭。それから、こいつ」
大型の前で足を止める。
「十一頭。全部だ」
領兵たちから息が漏れた。
外柵は一箇所、大きく壊れている。
防壁には砂が落ちた跡が残っていた。
塔の根元では、職人たちが支えへ取りついている。
市街へ抜けた魔物はいない。
それで十分だ。
「……おい」
ダリルが息を整えながら、リナの方へ歩いていく。
地面から突き出した石槍を見上げた。
「お前、そんなの使えたのかよ」
「使えるけど」
「じゃあアイアンタスクのとき使えよ!」
リナがきょとんとした。
「無理でしょ」
「何でだよ!」
「アイアンタスクのときは乱戦だったでしょ。あなたたちが踏み込むタイミングであんなの撃ったら、魔物ごと巻き込んじゃうじゃない」
リナが、地面から突き出した石槍を杖先で示す。
「誰がどこまで前に出るのかも、いつ引くのかも分からなかったし」
「……今は?」
「さっき見たから、大体分かった。それに今回は、エドガーさんたちが三頭を外へ寄せてくれたから」
ダリルが石槍を見る。
自分の足元を見る。
もう一度リナを見る。
「……先に言えよ」
「聞かれてないし」
ダリルが黙った。
何となく。
気持ちは分かる。
エドガーがこちらへ来た。
「君たち二人とも、見た目より面倒な相手だな」
「何で嬉しそうなんだ?」
「強い奴が二人もいたら、悪い気はしない」
よく分からない。
でも。
悪い奴ではない。
「セイン」
ダリルが今度は俺を見る。
「何だ?」
「お前だけじゃなかったんだな」
「何が?」
「もういい」
頭を抱えた。
そのとき。
防壁の方から声が響いた。
「支え、一本追加! 塔側を先に受けろ!」
職人たちが走る。
さっき大型がぶつかった場所の近くで、壁の一部がまだ暗いままだった。
「術式はまだ戻さないでください! 先に塔の動きを止めます!」
若い男の声。
ダリルが眉を寄せる。
「……あの壁、平気なのかよ」
「さっきのでかなり動いてたぞ」
「しかも、せっかく光ったと思ったらまた消えたしな」
「俺に聞くな」
俺たちは倒れたグレイファングの片づけへ戻った。
◇
片づけが始まってしばらくしてから。
さっき声を飛ばしていた若い男が外柵まで来た。
「外周を抑えていただいて助かりました」
頭を下げる。
「そっちも大変そうだな」
「ええ。まだ終わってません」
壁から声が飛ぶ。
「レオン! 塔の印をもう一度見てくれ!」
「今行きます!」
レオンと呼ばれた男は、俺たちへもう一度頭を下げて戻っていった。
リナが壁を見る。
「……あの術式、変だね。一度戻ったのに、また消えた」
「そうなのか?」
「気にならない?」
「分からないもの見ても仕方ないだろ」
俺は倒れたグレイファングの方へ戻った。
後ろでは、まだリナが壁を見ていた。
◇
翌朝。
宿を出る前に荷物をまとめた。
俺の分はすぐ終わった。
着替え。
水筒。
剣。
以上。
「少なすぎない?」
リナが自分の鞄へ荷物を詰めながら言った。
「足りてる」
「昨日服破れてたでしょ」
「縫った」
「誰が?」
「宿のおばさん」
「……いつの間に」
俺が起きたときには廊下にいた。
聞いたら直してくれた。
「愛想がいいんだか悪いんだか、たまに分かんなくなるんだよね。セインって」
「いい方だろ」
「自分で言う?」
リナが最後に杖を手に取った。
「それで、次どこ行く?」
「決めてない」
「やっぱり」
特に急ぐ場所はない。
リナも今のところ行き先を決めていないらしい。
「報酬もらいながら考えるか」
「そうしよっか」
◇
冒険者ギルドへ入ると、昨日より少し騒がしかった。
グレイファング討伐の話がもう広がっているらしい。
何人かに見られたが、気にせず受付へ向かう。
「セイン・ラザフォードさん、リナ・ファーレンさんですね」
受付の女が帳面を確認する。
「昨日の東側外周警戒ですね。こちらが依頼分の報酬です。大型のグレイファングを討伐した分も上乗せされています」
硬貨の入った袋が置かれた。
「上乗せ?」
「大型個体の討伐分です」
「結構あるな」
リナが袋を受け取る。
「これならしばらく宿代は困らないね」
「働かなくていい?」
「そういう意味じゃない」
分けるのは後でいい。
受付を離れようとしたところで、リナが壁の掲示板を見た。
足が止まる。
「どうした?」
「ちょっと聞いていいですか?」
俺ではなく受付の女へだった。
「はい?」
「この辺りで、土とか石の魔術が盛んなところってあります?」
なるほど。
昨日から、壊れた壁や術式をずっと見ていた。
リナなら気になってもおかしくない。
受付の女が少し考える。
「それなら北ですね」
「北?」
「山を越えた先に、大きな鉱山都市があります」
リナの目が少し変わった。
この顔は知っている。
「鉱山?」
「ええ。坑道の補強や採掘、石材の切り出しなんかで、土や石を扱う魔術師が多いんです。土地柄もあって、この辺りとは使われている術式もかなり違うそうですよ」
「へえ……」
やっぱり。
「決まったな」
「まだ何も言ってないけど」
「行きたいんだろ?」
「……行きたい」
一拍置いて認めた。
「セインはいいの?」
「行ったことない」
「だから?」
「行ってみたい」
リナが笑う。
「じゃあ決まりだね」
「ちょうど良かったです」
受付の女が別の掲示板を指した。
「今朝、そちらへ向かう隊商が護衛を募集してますよ」
「また護衛?」
「今度は普通の護衛です。先遣選抜はありません」
リナが俺を見る。
「どうする?」
「金も増える」
「そこは最初に言うと思った」
受付で詳しく聞く。
出発は昼前。
北門。
山越え前の宿場まで数日。
その先で鉱山都市へ入る。
条件は悪くない。
昨日の戦闘記録が残っていたおかげで、話も早かった。
「では、お二人とも参加で?」
「ああ」
「お願いします」
受付の女が名前を書き込む。
次の行き先が決まった。
思ったより簡単だった。
◇
北門へ向かう途中。
リナはさっきから地図を見ている。
「そんなに気になるのか?」
「気になるよ。坑道の中でどうやって地面を支えるのかとか、崩れやすい岩盤でどう術式を組むのかとか。採掘で使うなら、壊す魔術もあるかもしれないし」
「楽しそうだな」
「楽しいよ」
顔を上げる。
「セインだって、知らない剣士がたくさんいる街って聞いたら行きたくなるでしょ?」
「なる」
「それと同じ」
分かりやすい。
「でも鉱山なら剣士もいるんじゃない?」
「魔物が出るならな」
「そこは嬉しそうに言わないで」
言ってない。
◇
北門まで来ると、エドガーとダリルがいた。
「何でいるんだ?」
聞くと、ダリルが露骨に嫌そうな顔をした。
「俺も同じこと聞いた」
「昨日一緒に戦った仲間を見送るくらいしてもいいだろう」
エドガーは真顔だった。
「こいつ、本気で言ってるからな」
ダリルが呆れたように言う。
「お前は?」
「こいつに付き合わされた」
「来なくてもよかったんだぞ」
「一人で来させたら何言い出すか分かんねえだろ」
「俺を何だと思っている」
「そういうところだよ」
リナが小さく笑った。
「次は北か?」
エドガーが、門の向こうに並ぶ荷車を見る。
「ああ。鉱山都市まで」
「鉱山都市?」
「私が行ってみたくて」
リナが答える。
「土とか石の魔術が盛んなんだって。せっかく近くまで来たなら見てみたいなって」
「なるほど」
エドガーが納得したように頷いた。
「君たちらしいな」
「まだ知り合って二日だろ」
「十分分かった気がする」
そういうものか。
「俺たちはしばらくここに残る」
エドガーが防壁の方を見る。
「外周警戒にもまだ人手が要る。昨日の群れで終わりとは限らないからな」
「そうか」
「次に会うまでには、俺も少し腕を上げておく」
「十分強いだろ」
「君を見たあとに、それで満足できると思うか?」
声は穏やかだ。
でも。
目は本気だった。
「次は負けない」
「何の勝負だ?」
「それは次に会うまでに考える」
そこからなのか。
「次に会ったときは、少しは追いついてやる」
ダリルが言った。
「そうか」
「……その余裕も今のうちだからな」
「楽しみにしてる」
ダリルが一瞬黙った。
「ああ。覚えとけ」
北門の外から御者の声がした。
「鉱山街道行き! 護衛の方、そろそろ出ますよ!」
時間らしい。
「じゃあな」
手を上げる。
エドガーも返す。
「また会おう」
ダリルも一度だけ手を上げた。
最後まで、何の勝負かは決まらなかった。
◇
北門の向こうには、緩やかな街道が伸びていた。
遠くには山。
その山を越えた先に、まだ見たことのない街がある。
リナが俺の隣へ並ぶ。
「鉱山都市かあ」
「楽しそうだな」
「楽しみだよ。セインは?」
「俺も」
「何があるかも知らないのに?」
「知らないからだろ」
リナが一度だけ瞬きをした。
それから笑う。
「それもそうだね」
知らない土地へ行く。
面白そうなものがあれば寄る。
金が減れば仕事をする。
旅を始めたときから、何も変わっていない。
昨日までは、ヴァレインへ向かっていた。
今日はもう、その次の街へ向かう。
「セイン」
「何だ?」
「今度、勝手に仕事へ申し込むときは?」
「先に言う」
「よし」
満足したらしい。
前の荷車が動き出した。
俺も歩く。
北へ。
山の向こうへ。
まだ何があるのか分からない、次の街へ。




