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打ち上げの日に

 8月半ば、神島が企画したフェアが成功したことで打ち上げが行われた。

 最近は時代の流れで、電子書籍を購入して書店を利用しない客が増え、書店が潰れていく話はよく耳にする。

 そんな中でも、神島は独自の斬新なアイデアを捻り出し、見事にフェア対象の書籍を完売させた。

 毎度の如く、どこからそんな案が浮かぶのかと周囲を驚かせ、店長には一目置かれ、後輩には恐れられながらも僅かに羨望の目を向けられる。

 だからこそ、多少人に厳しく当たっていようと見咎められることはない。

 上機嫌の店長に肩を叩かれながらも、神島は笑顔を浮かべることなく、神妙な顔でグラスを傾けている。

 酒強いな。何杯目だろう。

 俺は運悪く神島の目の前の席に座る羽目になったため、神島を見る代わりに神島の前に増え続けるグラスの数を数えた。

 店長から解放された瞬間、神島はすっと席を立った。

 盛り上がっている周囲が全く気づかないほど、静かな離席だった。

 俺は無意識に、神島の行方を目で追う。

 足取りは確かだ。

「神島さんのこと、気になるんすか?」

 隣りにいた坂井が俺のコップにビールを注ぎながら、何気ない調子で訊いてくる。

「気になるって?」

 逆に問い返せば、坂井はあっさりと答えた。

「そういう意味で気になってるんじゃないすか?」

 口をつけていたビールが気道に入り、咳き込んだ。

「あれ、そうなんすね」

「いやいや。俺はむしろ苦手だから。あの目に見られると、身動き取れなくなる」

「あ。神島さん」

 坂井が、出入り口の方を見ながら言う。

 ぎくりとして恐る恐るそちらを見れば、神島が俺を射抜くような目で見ていた。

「っ……」

 文字通り身動きどころか、呼吸もまともに取れなくなった。

「神島さん、聞こえてたんすね」

 坂井は全く動じずに、神島に話しかける。

 こいつのこの妙に肝が座っているところは、時折物凄く羨ましい。

「……嶌崎」

 神島の目が、声が俺に照準を合わせ、今にも引き金を引こうとする。

「はい」

「話がある。ついて来い」

 逆らうという選択肢はなかった。立ち上がって神島の後に続けば、坂井が呟くのが聞こえた気がした。

「やっぱ、そういうことなんすかね」

 

 

「嶌崎」

 神島はわざわざ居酒屋から出ると、人気のない裏手まで来て立ち止まる。

「……はい」

 蛇に睨まれた蛙はこういう気分を味わうのだろう。もう、煮るなり焼くなり好きにしてくれとぎゅっと目を閉じた途端だった。

「お前に提案がある」

「てい……あん?」

 予想外の発言に、目を開けて神島を見上げると、相変わらず冷たい目をしていて、やっぱり直視できなくなって視線を外そうとした。

 ところが、神島は俺の顎先を掴み、強引に視線を合わせてきた。

「っ……」

 離してくださいとも言えずに、呼吸もままならないまま、神島の目を見返す。

 すると神島は、ふっと溜息を零した。

「そんなに怯えられたら、まともな話ができない」

「すみ、ません」

「謝らなくていい。お前は俺が苦手なんだよな」

「えっと……」

 そうです、とも違います、とも言えなかった。どう答えても怒られる想像しかできずに、必要以上におどおどしてしまう。

 そんな俺に苛立ったのだろう。神島はまた深く溜息を零すと。

 俺の顎先をさらに持ち上げて。

「えっ……んっ?」

 なんと、いきなり唇を重ねてきた。決して深くはなく、一瞬ほどの短いものだったが、俺の思考を停止させるには十分だった。

 何が起こったのか分からないまま、神島の目をぽかんと見れば、神島はふっと笑みを浮かべた。

「神島……さん?」

「どうだ、怖くなくなっただろ」

「怖くなくなった……って、え?」

 まさかそのためだけにそんなことをしたのか、と余計に混乱している俺に、神島は言った。

「さっきの話の続きだ。俺は次回のフェアの企画を考えているんだが、嶌崎、お前は俺の補佐をしてみる気はないか」

「補佐……ですか」

「考える猶予は1週間与える。……ああ。でもその前に、一つ課題があるか」

「課題……?」

「お前はもう少し、俺に怯えずに率直な意見を言えるようになるまではならないとな」

「それは、無理……」

「無理ではない。やる前から諦めるな」

「……はい」

「ほら。そこで正直な気持ちを言えない状態だから、きっとこのまま俺の補佐をしてもらっても駄目だな」

「すみません」

「謝る必要はない。……そこで、補佐の前にもう一つ提案なんだが」

 次は何が来るのかと構えた俺に対して、神島は無表情のまま、あっさりと言ってのけた。

「1週間、俺と親睦を深めないか」

「しん……ぼく、ですか」

 そんなことをしたところで、いや、そもそも親睦など深められるのか甚だ疑問だ。神島と、俺が?

 想像もつかないことを言われて微妙な顔をしていたのだろう。

 神島はまた俺の顎先を掴むと、顔を寄せてくる。

「かみ、しまさん?ちょっ、と」

 顎を掴んでいる手を払い除けようとするのも虚しく、既に触れるか触れないかの距離に来ていた神島は、低く囁いた。

「こういう意味だ」

 またキスをされる、とぎゅっと目を瞑った瞬間。背後から居酒屋から出て行く同僚の声が聞こえてきて、神島は俺から離れた。

「あれ?そんなとこにいたんすね」

 坂井が俺たちに気がつき、近づいてくる。

「神島さん、店長が呼んでましたよ」

「そうか」

 神島が向こうへ行ってしまった後、坂井は俺の顔を見て首を捻った。

「嶌崎さん、どうしたんすか?顔、赤いっすよ」

「えっ」

「酔った……とかではないすよね」

「あ、いや、酔ったんだよ」

 坂井は不思議そうな顔をしつつも、それ以上は追及しなかった。

 でも俺はそれどころではなく、いつまでもぐるぐると先ほどのことばかりを考えていた。

 神島さん、一体何であんなことを。

 追いかけて聞こうにも、他の人がいる前では聞けない。

 すっかりできあがった店長に絡まれている神島の背中を、ただ見つめる他なかった。

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