第六十一話「違和感の正体」
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第六十一話「違和感の正体」
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同期が完了した翌朝。
渉は一人で第八層に降りた。
誰も連れなかった。
メイには「最終確認をします」と伝えた。それだけだった。
◆
調整装置の前に立った。
インジケーターは全点灯のまま。数値は安定している。メイが昨夜確認した時も「問題なし」だった。
渉は装置に手を当てた。
温度を確認した。
かすかに、温かかった。
稼働中の装置だから当然だ。しかし渉には、この温度の「質」が気になった。
均一ではない。
左下の角が、他より少しだけ高い。
◆
点検ハンマーを取り出した。
装置の外装を、端から順番に叩いていった。
コン。コン。コン。
均一な音が続く。
左下の角に近づいた。
コン。
音が、わずかに濁った。
渉は同じ箇所をもう一度叩いた。
コン。
やはり濁っている。ごく微細な差だ。メイの感知スキルでは出なかった差だ。
「……ここだな」
◆
渉はしゃがんで、左下の角に手を当てた。
指の腹を、外装に押しつけた。
じっと、感覚を集中させた。
三十秒後。
「熱い」
指先に、微細な熱が伝わってくる。
「温かい」ではなく「熱い」。装置全体の温度より、確実に高い。
ベアリングだ、と渉は思った。
内部の回転機構のベアリングが、何らかの理由で摩擦を起こしている。
◆
渉はノギスを取り出した。
外装の変形がないか計測した。
〇・〇三ミリ。
わずかな膨らみがあった。
熱で金属が膨張している証拠だ。
渉はメモ帳に書き込んだ。
「場所、左下角。熱源:内部ベアリング疑い。変形:〇・〇三ミリ。数値上は正常域、物理的には要確認」
◆
地上に戻って、メイを呼んだ。
「計測結果を見てください」
メイがメモを確認した。
「……数値上は問題なかったですが」
「数値が出る前に、物理的な変化が始まっています」
「どういうことですか」
「ベアリングが熱を持っている。このまま帰還装置を起動すると、起動時の振動でベアリングが焼き付く可能性があります」
「焼き付くと……」
「同期が途中で切れます。さらに最悪の場合、装置全体に過負荷がかかって、先代が警告した崩落が起きる可能性がある」
メイが固まった。
「……それは、帰還できないということですか」
「今の状態では、安全に起動できないということです」
◆
メイがタブレットを開いた。
「もう一度、深部の感知を試みます。もっと精細なスキルを使えば……」
「感知で数値が出ない変化を、俺の指が感じています。感知スキルが間違ってるんじゃなくて、感知できる精度の問題です」
「……それは」
「魔法のセンサーが『正常』と言って、俺の指が『熱い』と感じる時は、指の方が早く気づいています。それだけです」
◆
勇馬が来た。
「状況を聞きました。どうするんですか」
「ベアリングを確認します。外装を一部外して、内部のベアリングの状態を直接見ます」
「また解体ですか」
「必要な範囲だけです」
「……手伝います」
「ありがとうございます」
◆
第八層に三人で降りた。
左下の外装パネル、ボルト八本。昨日外したのと同じ手順だ。
炙る。緩める。外す。
四本目を外した時、勇馬が言った。
「渉さん、内側から音がします」
「聞こえますか」
「カチ、カチ、って。小さいですが」
渉は手を止めた。
耳をすませた。
確かに、微細な打音が聞こえる。
「……ベアリングが既に傷んでいる。接触摩耗の音です」
「それは……深刻ですか」
「深刻です。でも直せます」
◆
残り四本のボルトを外して、パネルを開いた。
内部に、直径十五センチほどのベアリングが見えた。
表面に、微細な傷が走っていた。
金属疲労の跡だ。
渉はそれを見て、少し目を細めた。
「……二十五年か」
「何ですか?」とメイが聞いた。
「この装置が作られてから、二十五年以上経っています。先代が設計した時は正常だった。でも時間が経つと、金属が疲れる。それだけのことです」
「治せますか」
「ベアリングを交換すれば治せます。問題は、この規格のベアリングがここにあるかどうかですが」
渉はノギスでベアリングの径を計測した。
メモに書いた。
それをバラムに送った。
◆
三分後、バラムから返信が来た。
「……在庫にある。スクラップから取れる」
「何個ありますか」
「三個」
「助かりました。明日、持ってきてもらえますか」
「持っていく。ついでに聞く。何があった」
「金属疲労です」
「……先代の設計が、時間に負けたか」
「負けたわけじゃないです。先代の設計通りに動いて、先代の想定通りに疲れただけです。次の担当者が直す前提で作られていたんだと思います」
バラムが返信するまで、少し間があった。
「……そうか。明日、持っていく」
◆
その夜、工房で渉は図面を広げた。
ベアリング交換の手順を書いた。
必要な工具のリスト。作業時間の見積もり。確認項目。
全部書いた。
書き終えて、渉は少し机に背を預けた。
先代の設計は正しかった。
ただ、時間がかかりすぎた。
先代が来てから、渉が来るまで。
その時間の分だけ、機械は疲れていた。
「……俺が来るのが、もう少し早ければよかったな」
誰にともなく、呟いた。
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〈第六十一話 了〉
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【次話予告】
ベアリングの交換作業が始まった翌朝。
第八層への通路に、見慣れない装備の集団が降りてきた。
JDA上層部の武装作業チームだった。
「この装置を接収します。全員、退いてください」
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【あとがき】
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第六十一話、お読みいただきありがとうございました。
「数値vs感覚」という対比を、今回は「〇・〇三ミリの変形」と「ベアリングの熱」で描きました。
メイの感知スキルは正確です。ただ、感知できる解像度には限界がある。渉の指先は、その限界の外側にある変化を感じる。これは「魔法より職人が優れている」という話ではなく、「それぞれに得意な領域がある」という話です。渉自身、そう言っています。「感知スキルが間違ってるんじゃなくて、感知できる精度の問題です」。
「カチ、カチ」という音を勇馬が聞き分けた場面。彼はここで、渉に言われる前に自分で気づいた。これが打音検査の訓練の成果です。先生が何も言わなくても、弟子の耳が動いている。
「俺が来るのが、もう少し早ければよかったな」というラストの一言。渉は先代を責めていない。ただ、もっと早く来て一緒に仕事ができれば、と思っている。それが渉の先代への気持ちです。
(作者)




