第五十八話「JDAの影とタイムリミット」
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第五十八話「JDAの影とタイムリミット」
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翌朝七時。
渉が第八層の最終整備に入ろうとしていた時、スマートフォンが鳴った。
石倉からだった。
「佐藤さん、大変なことになりました」
石倉の声が、いつもより低かった。
「JDA上層部が、品川の工場解体工事を今日に繰り上げました」
渉の手が止まった。
「今日?」
「一時間後に重機が入るそうです。私は昨夜まで知らされていませんでした。明らかに、こちらの動きに気づいて……」
「田中に連絡します」
◆
田中に電話した。
二コール目で出た。
「佐藤さん、今工場の前にいる。さっきから変なんだよ。工事業者が早朝から来てて……」
「重機が入る。工事を止めてください」
「止める? どうやって」
「点検中です、と言ってください」
「俺、関係者じゃないよ?」
「山下解体工業の元従業員です。床下の設備の点検中です。それだけ言えば、一時的に止まります」
「……わかった。やってみる」
◆
電話を切った渉に、勇馬が「どういう状況ですか」と聞いた。
「地上の工場が取り壊されます。その前に田中が地上側の装置を動かさないと、同期ができない」
「あとどのくらい時間が必要ですか、こっちは」
「ボルト三本と、接続端子の最終確認です。早くて四十分」
「田中さんが四十分、時間を稼げれば」
「そうです」
勇馬がバッグを持った。
「やりましょう。急ぎます」
◆
第八層に降りながら、石倉に折り返した。
「石倉さん、書類で工事を止められますか」
「……やってみます。品川の装置は当初の調査記録に含まれているはずです。文化財的な扱いで一時停止の申請を……やります。時間を稼ぎます」
「何分持ちますか」
「申請の処理が通るまで最低三十分。但し、上層部が直接指示を出している場合は……確実ではありません」
「それで十分です。お願いします」
「……佐藤さん」
「なんですか」
「今回、現場の判断を優先します。本部に反旗を翻すことになりますが……それが正しいと思います」
渉は少し間を置いた。
「ありがとうございます」
「現場に恥をかかせるような仕事はしたくない、ということです」
◆
地上では。
田中がバールを一本持って、工場の入口に立っていた。
重機のオペレーターが「何してるんですか、そこをどいてください」と言った。
「床下の点検中です。元従業員として、設備の安全確認が完了するまで待ってもらいたい」
「そんな話は聞いていません。工程通りに……」
「JDAの管理設備が入ってます。勝手に壊したらJDAとのトラブルになりますよ。それでもいいですか」
オペレーターが無線を取り出した。
上に確認する間、田中はバールを持ったまま動かなかった。
手が震えていた。
でも足は動かなかった。
◆
地下では。
渉が第八層の調整装置の前に戻っていた。
残りのボルト三本。
ガストーチを点けた。
炙る。トーチを消す。ソケット。
ぎぎぎ……パキィッ。
一本。
「あと二本」と勇馬がカウントした。
二本目。
炙る。トーチを消す。
今回は少し時間がかかった。二回炙った。
ぎぎぎ……パキィッ。
二本。
◆
地上で田中のスマートフォンが鳴った。
石倉からだった。
「田中さんですか。JDA施設管理部の石倉です。今から工事一時停止の申請書を送ります。現場の責任者に見せてください」
「わかりました……!」
三分後、スマートフォンに書類が届いた。
田中は重機の前まで走って、オペレーターに画面を見せた。
オペレーターが読んだ。
無線を使った。
また待った。
田中は息を止めていた。
◆
地下で渉が最後のボルトを炙っていた。
「田中から連絡は」とメイが聞いた。
「まだです」
「間に合いますか」
「わかりません。急ぎます」
ガストーチを消した。
ソケットを当てた。
ぎぎぎぎぎ……。
抵抗が強かった。
渉は腰を落として、全体重をかけた。
ぎぎぎぎぎ……パキィッ。
外れた。
「……外れました」
「全部外れましたか」とメイが聞いた。
「全部です」
◆
その瞬間、スマートフォンが振動した。
田中からのメッセージだった。
「石倉さんの書類が通った。工事が三十分止まった。急いで」
渉は立ち上がった。
「接続端子の確認をします。三十分で終わらせます」
勇馬が「言われたことを全部やります」と言った。
「ありがとうございます。行きます」
◆
管理センターの事務室では、石倉が電話を持って廊下を歩き回っていた。
本部から電話が来た。
「石倉、何を考えている。誰の許可で工事停止を……」
「現場の判断です」
「現場の判断? お前の権限は……」
「現場の安全確認が完了していない状態での工事は、規約上、私の権限で停止できます。条文を読んでいただければ」
上司が黙った。
「三十分後に再開できます。それ以上は求めません」
また沈黙。
「……三十分だ」と上司が言った。
「ありがとうございます」
石倉は電話を切って、壁に手をついた。
手が少し震えていた。
でも、口の端が上がっていた。
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〈第五十八話 了〉
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【次話予告】
接続端子の確認完了。
「田中、準備はできましたか」
「できてる。手が震えてるけど」
「俺もです。いきましょう」
地上と地下で、同時にレバーに手がかかった。
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【あとがき】
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第五十八話、お読みいただきありがとうございました。
三つの現場が同時に動く回です。地下の渉、地上の田中、事務室の石倉。それぞれが自分のできることをやっている。
石倉について。今回の彼は「現場の判断を優先する」と言いました。47話で「収益の話」を持ってきた男が、ここで「現場に恥をかかせたくない」と言う。人間は変わる。正確には、最初から「現場を大事にしたい」という気持ちがあったのだと思います。それを阻んでいたのは組織の論理で、渉の仕事を間近で見て、その論理の優先順位が変わった。
田中がバール一本で工事業者の前に立つ場面。彼は渉ほどの技術者ではない。でも「佐藤さんが急いでいる」という一点で、足が動く。それが田中という人間の強さです。
石倉の「口の端が上がっていた」というラストは、彼なりの誇りを表現したつもりです。
(作者)




