第五十五話「職人の選択、二つの品川」
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第五十五話「職人の選択、二つの品川」
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日誌の後半に、それはあった。
「第八層コアの調整装置は、東側の壁面に埋め込んである。ただし、地上側の装置は品川の地下に残したままだ。誰かが、向こうから操作する必要がある。品川側の装置の場所は、工場の床下、北側の基礎部分だ。今は廃墟になっているはずだが、装置は生きている」
渉はその一文を読んで、スマートフォンを取り出した。
◆
「もしもし、田中か」
「佐藤さん! お久しぶりです。どうしました、急に」
「一つ、頼みたいことがある」
「なんですか」
「品川の、山下の工場跡に行けるか」
少し間があった。
「……廃墟になってますよ、今。息子さんが手放して、今は更地の予定で」
「まだ建物はあるか」
「ギリギリあります。来月取り壊しと聞きました」
「今週中に行ってほしい。工場の床下、北側の基礎部分に、何か装置が埋まっているはずです」
「装置……?」
「見つけたら、触らないで俺に連絡してください。写真も送ってもらえると助かります」
「……わかりました。行ってみます」
◆
電話を切った後、渉は全員を集めた。
工房に、リーニャ、メイ、フィオナ、勇馬、ゴールド、バラム。
田所も来た。「なんとなく呼ばれる気がして」と言った。
渉は工具箱の上に、日誌を置いた。
「先代が残した記録を全部読みました。帰還装置を安全に使う方法が書いてあった。ただし、二つの条件があります」
◆
「一つ目。ダンジョン側の第八層コアの調整装置を、こちらから操作する。それが俺の仕事です」
「二つ目。地上の品川側にある対応装置を、同時にそちらから操作する。今、元同僚の田中に連絡して、装置を探してもらっています」
全員が静かに聞いていた。
「両方が同時に動けば、地上とダンジョンの圧力が均等になる。帰還装置を動かしても、坑道崩落は起きない」
メイが手帳を開いた。
「技術的な可能性は?」
「先代がここまで設計してた。可能なはずです。俺が直せないものはありません」
メイが少し間を置いて、頷いた。
「……協力します。調整装置の回路解析は私が」
◆
バラムが腕を組んだ。
「材料が必要になるだろう。リストを出せ。揃える」
「ありがとうございます。第八層の調整装置の状態を確認してから、リストを作ります」
「急ぎか」
「工場の取り壊しが来月です。それまでに動かせれば、と思っています」
「……一ヶ月か。きついが、やれないことはない」
バラムが立ち上がった。
「今夜から資材の確認に入る。何かあれば呼べ」
◆
勇馬が言った。
「俺は何をすればいいですか」
「第八層に降りる時の護衛をお願いします。また、田中が品川側の装置を見つけたら、操作手順を伝える必要があります。向こうに説明できる人間が必要です」
「俺が電話で説明するんですか」
「田中は機械のことはわかります。でも、こっちの仕組みを知らない。そこを橋渡しする役が必要です」
「……わかりました。俺がやります」
◆
リーニャが渉を見た。
「渉さんは……帰るんですか」
工房が、少し静かになった。
渉は少し考えてから答えた。
「帰れるかどうか確認します。それが今回の作業の目的です」
「帰れると確認できたら」
「その時に決めます」
リーニャが頷いた。
何かを言おうとして、やめた。
フィオナが小さく「それでいいんです」と言った。
◆
全員が、渉のことを見ていた。
渉は工具箱の上の日誌を手に取った。
先代の几帳面な字で埋まったノート。
それから、図面を一枚取り出した。
第八層コアの調整装置の設計図だ。日誌の最後のページに、折りたたんで挟んであった。
「今夜から調べます。設計図の解析と、必要な道具のリストを作ります」
渉はメイを見た。
「一緒にやってもらえますか」
「はい」
バラムを見た。
「材料の在庫を確認してもらえますか」
「やる」
勇馬を見た。
「田中から連絡が来たら、すぐ知らせてください」
「わかりました」
◆
それから夜通し、工房に灯りが点いていた。
渉が設計図を広げた。
メイが隣で解析を始めた。
バラムが材料リストを確認した。
勇馬がメモ帳に手順を書き写した。
リーニャがコーヒーを配った。
フィオナが「私は何をすれば」と言って、田所が「一緒に見守りましょう」と言った。
ゴールドが工房の外に立ち、庭を守った。
◆
夜中の二時頃、渉は設計図から顔を上げた。
「直せる」
一言だった。
メイが「やっぱりそうですか」と言った。
「先代の設計は、理屈が通っています。現代の道具で対応できます。時間はかかりますが、手順通りにやれば大丈夫です」
「どれくらいかかりますか」
「二週間から三週間」
「工場の取り壊しまでに間に合いますか」
「間に合わせます」
◆
バラムが「材料の目処が立った」と言った。
勇馬が「手順を全部書き写しました」と言った。
リーニャが「後は頼みます」と言いながら、目が赤かった。
渉は図面をメモ帳に挟んで、立ち上がった。
「今日は一旦休みましょう。明日の朝から動きます」
「佐藤さん」と勇馬が言った。
「なんですか」
「……絶対に、うまくいきますよ」
渉は少し間を置いた。
「機械は嘘をつかない。先代の設計が正確なら、必ずうまくいきます」
◆
全員が帰った後、渉は一人で工房に残った。
品川ナンバーを手に取った。
品川 530 あ 12-34。
先代が触ったはずのプレートだ。
渉はそれを、工具箱の上に立てかけた。
見える場所に。
作業中に、目に入る場所に。
工具を並べた。
インパクトレンチ。バール。ノギス。精密はんだごて。ラスペネ。パーツクリーナー。
全部、定位置に収めた。
渉は工房の灯りを消した。
外に出た。
夜の空を見た。
品川の地下に先代がいた現場と、今渉がいる現場が、薄い膜一枚でつながっている。
「……行くか、先代」
渉は呟いた。
明日から、本当の修理が始まる。
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〈第五十五話 了〉
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【次話予告】
田中から写真が届いた。
工場の床下。煤けた金属の塊。
渉はそれを見て、すぐに言った。
「生きてる。動かせます」
二つの品川が、動き始めた。
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【あとがき・第五十五話特別版】
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第五十五話、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
今回で、物語の第二幕が本格的に始まります。
第一幕は「渉がここの主になる」話でした。清掃員として来て、仕事をして、現場を守って、仲間を得た。第二幕は「渉が帰るための仕事をする」話です。ただし、帰ることそのものが目的ではない。「誰も傷つけずに、正しい手順で、先代が残した設計を完成させる」ことが目的です。
今回書きたかった画は「全員が図面を覗き込む朝」です。渉を中心に、それぞれ違うことをしながら、同じ方向を向いている。勇馬が手順を書き写し、メイが解析し、バラムが材料を確認し、リーニャがコーヒーを配り、フィオナと田所が見守り、ゴールドが庭を守る。
「俺のレンチはここにある」ではなく「全員のレンチが動き始めた」。それが五十五話です。
「機械は嘘をつかない。先代の設計が正確なら、必ずうまくいきます」という渉の言葉は、この作品全体の信念です。正確に作られたものは、正確に動く。正確にやれば、必ずうまくいく。渉はそれを疑わない。
品川ナンバーを「見える場所」に置くラストシーンで、渉の覚悟が伝わればと思っています。
引き続き、佐藤渉の現場にお付き合いいただければ幸いです。
(作者)




