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最終話(第百一話)「明日の点検」

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最終話(第百一話)「明日の点検」

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 第八層コア室に戻ると、石倉が待っていた。


 渉が作業着の汚れを拭きながら入ると、石倉は炉を見上げていた。その背中が、いつもより少し軽そうだった。


「渉さん。JDA理事会が、先代の功績を正式に認める方向で動き始めました。第九層の炉の名称は『山下炉』とすることに決まりそうです。先代の名を冠した正式名称です。」


「……山下炉、か。」


 渉はコア炉の前に立った。炉の唸りはいつも通りだった。しかし以前より安定していた。振動周期が、百十八秒から百二十秒に戻っていた。第九層の詰まりが解消されたことで、排熱効率が改善した証拠だ。


「先代はきっと、自分の名前が炉につくのは好まんだろうが。」


 しばらく炉を見つめた。


「だが、まあ——たまには名前がつくのも悪くない。先代の仕事が、ちゃんとここに残った証拠だ。」


 石倉は頷き、もう一つの報告を続けた。


「君には名誉技術顧問の称号が贈られる。報酬も発生する。ただし、会議に出る必要はない。現場にいるだけでいい。」


「それは前と変わらんな。」


「変わらない。山下さんが君に残したものと、基本的には同じだ。」



 石倉が去った後、渉は手帳を開いた。


 今日の作業記録の続きを書いた。


 「第九層炉・冷却機構清掃完了。浸透剥離法使用。詰まり解消後、炉の脈動が正常値に回復。第八層コア炉の振動周期、百二十秒に戻る。第一次清掃、完了。」


 書き終えて、次のページを開いた。


 白いページだった。


 ここに書くべきことは、これからも続く。



 数日後の休日。


 渉は都内の静かな霊園を訪れた。石倉が調べてくれた場所だった。武藤正信は理事解任からほどなくして病に倒れ、誰にも看取られることなく逝っていた。


 墓石は質素だった。


 渉は工具バッグから使い古したバールを取り出した。品川の解体屋時代から使ってきた工具だ。武藤の妨害があった時期に、自分で修繕して使い続けた一本だ。


「あんたが守ろうとしたものは、ちゃんと残っている。先代の意志も、第九層の炉も、これからも俺たちが守り続ける。あんたは悪役を演じた。そのおかげで、誰も真実に気づかなかった。それはあんたなりの戦い方だったんだろう。」


 静かな墓前に、バールを手向けた。


「達者で。あんたのことは、忘れない。」


 踵を返した。



 さらに数日後、渉は品川の古い倉庫を訪れた。


 田中がいた。


「おう、渉。また来たのか。」


 古い木箱を作業台に置いた。


「預かってほしいものがある。」


 箱の中には、渉が二十年間書き続けた手書きの作業日誌の全巻と、先代から受け継いでさらに加筆したマニュアル、第九層の炉の構造図と保守手順書が入っていた。


「もし俺に何かあったら、これを次の誰かに渡してほしい。小林って男が取りに来るかもしれない。あるいは、もっと別の誰かかもしれない。」


「……山下さんの時と同じだな。わかった。預かる。」


 田中は木箱を受け取り、倉庫の一番奥の棚にしまった。かつて渉が先代からの木箱を受け取ったのと同じ場所だ。田中は缶コーヒーを渉に差し出した。


「お前さん、変わったな。昔はただのガサツな解体屋だった。今はちゃんと師匠の顔になってる。」


「そうか。」


「ああ。山下さんも、きっと満足してるだろうよ。お前さんがちゃんと、次に繋いでいるのを見てな。」



 夜の第八層コア室。


 小林は仮眠室で眠っていた。規則正しい寝息が聞こえた。


 メイが静かに言った。


「渉さん。第九層の炉が正式に認められて、ダンジョンの管理体制は大きく変わりました。でも渉さんは、これからも清掃員のままなんですね。」


「そうだ。肩書きが何だろうと、やることは変わらん。炉を掃除し、詰まりを取り、記録を残す。それだけだ。」


 手帳を開いた。


 明日の点検スケジュールを書き込んだ。朝五時、第八層コア炉の点検。七時、第九層炉の遠隔モニター確認。九時、小林への技術指導。午後、第七層発電機の定期メンテナンス。


 最後の項目を書き終えた。


 手帳を閉じた。



 横になった。


 天井に、第八層の青い灯りが今日も変わらず揺れていた。


 第九層の山下炉も。第八層のコアも。第七層の発電機も。すべてがつながり、脈打ち続けていた。その鼓動が、渉の体に伝わってきた。百二十秒周期の、静かで確かなリズムだった。


 目を閉じた。


 明日も朝五時に起きる。点検を始めるために。炉の音を聞くために。ただ、それだけのために。


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           〈最終話 了〉

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        (完)


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【あとがき】

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 最終話をお読みいただきありがとうございました。


 武藤正信の墓前に渉がバールを手向けるシーンを書きました。渉は武藤を許したわけではない。しかし、憎んでもいない。ただ、あの男が身を削って守り続けたものを、渉もまた守り続ける。その意志の連続性を示す場面です。使い古したバールを手向けるのは、武藤への敬意ではなく、同じ現場で生きた者としての連帯の印です。


 品川の倉庫の場面は、先代から渉への継承が完全に循環した瞬間です。先代が品川の倉庫に渉宛ての木箱を残した。今度は渉が、次の誰かへの木箱を同じ場所に預けた。「先代→渉→小林(あるいは別の誰か)」という三代の継承が、この一場面で完結しています。


 最後の手帳への記録は、明日の点検スケジュールです。渉の最後の行動が「未来の仕事の準備」であることが、この物語の全てを語っています。彼は終わりを書いていない。次の始まりを書いた。


 「明日も朝五時に起きる。点検を始めるために。炉の音を聞くために。ただ、それだけのために。」


 これが佐藤渉という清掃員の全てです。


 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


                   (作者)

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