聖国への道
瞼を開くと黒い獣の姿となった猫又が、隣で丸くなっていた。
(こういった姿はとても妖には見えないが)
小さな頭に手を乗せ額の辺りを指でなぞり、背中に触れ尾までを何度か優しく撫でる。
(気の強い猫又は庇護など求めはしないだろう)
望むのならば拒むつもりはないが、こちらから踏み込むには躊躇われる。
恐らくは近付くほどに離れようとするはずだ。
寝具から出て服を着替え、武器や防具達を身に着けていく。
猫又は未だ寝ているようだが、悪いがこのまま連れて行かせてもらう事にする。
腕に抱えながら街を歩いていると、昨日助けた男が前方から歩いて来るのが見えた。
「お、昨日ぶりだな、奥さんは居ないのか?」
彼は猫又の事を完全に妻であると認識しているようだが、一々訂正する意味も無いだろう。
「今は眠っている」
「おいおい置いてっちゃって良いのか?……そうだ、昨日借りた金返すぜ、ありがとな」
「ああ、依頼は無事終わらせたようだな」
受け取った金を一先ず袋に入れておく。
「おかげさまでな、俺しばらくここで頑張ってみるわ」
「そうか」
「アンタはどうするんだ?」
「私はすぐに聖国へ向かう予定だ」
このまま道なりに進めば、明日には到着が出来るだろう。
「そっか、がんばれよ!」
「ふ、互いにな」
手を上げて別れ、馬車の元へ向かい荷台に猫又を置く。
「まだ寝ているのか」
『とっくに起きているわ馬鹿者め』
どうやら宿からここまで運ばされていたようだ。
獣が起きているかどうかの判断はまだ難しい。
「余程私の腕の中が心地よかったか」
『違うわ!』
轅をくぐり馬車を押して街を出発した。
――――
「これは……」
聖国へ続く道を走り続けていると、不意に妖刀が小さく震えだした。
馬車を端に停め轅を乗り越え、妖刀の柄に手を掛け周囲を注意深く探る。
『どうした』
猫又は感じ取っていないのか、両足を前方にやって身体を伸ばしている。
「妖の気配だ」
『妖だと?……何も感じぬぞ』
余程力の弱い相手なのか、妖刀だからこそ感知したのか。
未だ妖刀は震え続けている。
ふと、視界の端に空間が歪む瞬間が映った。
その歪みは段々と大きくなり、その中心に小さな闇が生まれた。
『闇の靄……』
闇は少しづつ拡大していく。
それと共に妖刀の震えも増していく。
そして、広がった闇の中から緑の身体が飛び出し、地面に転がった。
「緑の身体、妖か」
緑に染まった全身の皮膚は独特な粘液を帯びており、頭には平たい物が張り付き顔には嘴が伸びている。
『水辺のない平原に放り出されるとは、哀れだな』
水辺に生息する人型の妖。
「この者は『河童』か」
『ああ』
さらに二人、三人と闇の靄から落下してくる。
『み、水……、皿が……乾く……』
「水か」
荷台にある水樽の蓋を開け容器で水を救う。
『おい、助けるつもりか』
「そうだ」
倒れている河童達の頭上の平たい皿のような物に水をかけ、それを何度か繰り返す。
『無駄なことを、周囲に水辺など無いだろう』
「このまま進めば大きな橋がある、そこまで連れて行く」
『お節介め……』
そうして水を掛け続けていると、河童達が勢いよく上体を起こした。
『ぶはーーーー!』
『死ぬところだったべ!』
(現状、危険性は感じない)
桶を戻し水樽の蓋を閉め、河童達の前に立つ。
不意に、起き上がった河童の一人と目が合う。
『あ、アンタが助けてくれたべか?』
「ああ」
『いやー、助かりました、儂らもうすこしで死ぬとこだっただよ』
気性も穏やかなように見えるがこの者達も妖だ、油断はしない方がいいだろう。
『……ここ、どこだべよ?』
『儂ら川辺で日光浴し過ぎて、干からびかけとったべ』
後ろの河童達は混乱した様子で周囲を見渡している。
「ここはお前達が居た地とは異なる世界だ」
『異なるっていうのは地獄って事だべか?』
地獄とは向こうの世界における、死後に魂が送られ罪を償わされるという場所だ。
「現世だ、それがもう一つあると考えればいい」
『……よく分かんねえなあ』
『なあ』
言葉を操れはするが、特段賢くは無いのだろう。
『そうだあんた、ここら辺に川はあるかい?』
「残念だが、周囲に川は無い」
『どうすっぺ!このままじゃ死んじまう!』
『この世の終わりだー!』
河童達が頭を抱え膝を付き、絶望している。
乾燥に弱いらしい彼らにとっては、長くここに留まる事は命の危機に瀕する事なのだろう。
「この道をずっと歩けば川がある、お前達が望むならばそこへ連れて行こう」
『ありがてえ!』
『是非お願いしますだ!』
河童達は荷台に乗り込み座る、その側では猫又が不快そうに此方を睨んでいた。
馬車を押して走り出す。
「お前達、人を襲って食ったことはあるか」
『そんな恐ろしい事しないべ!』
『んだんだ!人なんて食ったら陰陽師と侍に殺さるべよ!』
「そうか」
彼等は人間を恐れているようだ、そしてここを向こうの世界だと未だに勘違いしている。
これならば川まで連れて行こうと問題はないだろう、陰陽師がいないこの世界で増長しようとも、魔術が扱えるならば抑え込める筈だ。
――
『川だべーー!』
『これで生き延びられるべ!』
しばらく走り続け前方に川が見えてくると、荷台の河童達が騒ぎ出した。
『喧しい奴らだ、これだから田舎者は……!』
猫又は河童が荷台に乗り込んでからというものの、永遠と愚痴愚痴を吐き続けている。
自分も妖だというのに、余程彼等とは合わないらしい。
『ウヒョーー!』
『ありがてえ!』
川のそばに停めた馬車の荷台から河童達が飛び込んでいく、そして浴びるように川の水を飲み泳ぎ回る。
『っち、漸く降りたか……』
泳ぎ回っていた河童達は川から此方を見上げると大きく手を振る。
『見知らぬ妖怪さんありがとよー!』
『命の恩人だべー!』
『いつかお礼するべよー!』
そして河童達は川のそこへ消えていった。
やはり初対面の妖には人間では無いと思われているようだ、
『おい』
「どうした」
不満そうな声に振り返ると、猫又が尻尾で荷台を叩いていた。
『奴らの名残を消せ、不愉快だ』
「名残?」
視線の先を見ると河童が纏っていた粘液が、荷台の表面に張り付いていた。
「確かにある程度の乾燥は防げそうだ……」
刀を吹くための紙を懐から取り出し、荷台に着いた粘液を拭き取っていく。
「お前もあのように放り出されたのか?」
『……気付けば森の中だった、あのような無様は晒していないがな』
誰を何処に飛ばすのか、この世界に飛ばして何をさせたいのか、目的が未だ何一つ分からない。
血霧童子や猫又のように一人で送るのもいれば、狸のように群れを纏めて送り込む事もある。
大天狗の軍勢を山ごと異世界に送り込まれる事態まで起きているとなれば、限界が何処まであるかなど考えようもない。
「……」
『おい、いつまでここにいるつもりだ』
「……そうだな、先へ進もう」
答えを導き出そうにも材料が足りていない、この事は頭の隅に置きまずは妖刀を優先すべきだ。
――
辺りが暗くなり始めた頃、他の邪魔にならないように荷馬車を道の端に停める。
「今日の所はここで夜が明けるのを待とう」
焚火を起こし水と食材をいくつか刻み入れた鍋を置き、荷台に屋根を作りすぐに眠れるよう備える。
不意に、妖刀が震え出した。
『おい』
「ああ……」
今度は猫又も感づいている、つまりは妖怪の類で間違いないということだ。
焚き火から小鍋を離し、妖刀を掴み周囲を目を凝らしていると、黒い靄が幾つも現れ始めた。
「……っ」
それと同時に、世界が赤に染まっていく。
『おい、上を見てみろ』
猫叉の声に従い空を見上げる。
「赤い星……」
一際大きく輝く空の星が、血のように赤く染まっていた。
「不吉な」
星が赤く染まる時、それは魔物が最も凶暴化する時であり、何かが起こる兆候だとも言われている。
そして、闇の靄が弾け飛び、幾人もの赤い鎧が世界に現れた。
様々な角飾りが着いた兜、赤く塗り上げられた胴と、そして手に握られる一振りの刀。
皆一様に弓を背負い、一部の侍は十字の槍を構えている。
「無念に散った戦士は魂を囚われ戦場を彷徨うと聞くが」
侍の一人が弓を構え天に向かい矢を放つ、その放たれた一矢は甲高い音を立てながら空へと消えた。
侍達が一斉に武器を構え、此方を睨み据える。
「私の憧れた武士と刀を交える事が出来るとは」
妖刀に手を掛け姿勢を低く構える。
「なんたる幸運か」
一斉に放たれ迫りくる矢の雨を刀で切り払い、小手で打ち砕き、躱し突き進んでいく。
最初に飛び出してきた一人による十文字槍の突きを、地面に身体を滑らせる事で躱しながら、立ち上がる勢いと共に両腕と首を断ち切る。
切り離された部位から赤と黒の粒子が溢れ出し、妖刀の刃へと吸い込まれていく。
「すぅ……」
息を吸って走り出し、振り下ろされた刃に一撃を当てて軌道を横にずらし、刃を躱すと共にすれ違いざまに侍の胴を上下に分ける。
腹を狙って伸びる切っ先に刀身を合わせ、左に巻き取ることで刀を弾き飛ばし、がら空きに立った胴を逆袈裟に斬り払う。
一度刀を収め、振るわれた刀の根元に左裏拳を打ち圧し折り、侍の胸部を右拳で殴りつける。
鎧の砕けた侍が後方に居た者達を巻き込みながら吹き飛んでいく姿を見送り、一番近くにいる侍へ駆ける。
遠目から放たれる矢を躱し、砕き、接近した侍が刀を振り下ろす前に肘を掴み行動を防ぐ。
そのまま空いた右腕で侍の顔を掴み、弓を構えた一団の元へ走り出す。
仲間を盾にしたことで弓は効果が薄いと判断したのか、弓を背中に戻し刀を引き抜こうとしている。
侍の顔を解放し、右足で腹を蹴りつけ吹き飛ばし、妖刀に手を掛けながら追いかける。
「すぅ……」
地面を強く踏み込む。
(柳流剣術奥義『燕断ち一閃』)
空中で防御の姿勢を取った侍を抜刀斬りで刀ごと首を断ち切り、そのまま駆け出しながら顔の横に刀を構える。
先頭に立つ侍を一刀で斬り伏せその後ろに立つ者の首を飛ばし、背後に立った二人の胴を纏めて横薙ぎに断ち切り、距離を取ろうと後ろに飛んだのを後ろ足を蹴ることで追いかける。
上向きにした刀で胸部を貫き、上段に斬り上げながら兜までを切り開く。
「ふぅ……」
呼吸を整え、刀を構え直す。
いくら切り捨てようと侍は減るどころか、さらに数を増やしていた。
黒の靄もさらに数を増やし増援を呼び続け、赤の鎧で地を埋め尽くそうとしている。
(なぜ侍しか出てこない)
闇の靄は鬼や天狗、猫又や河童など様々な妖をこの地に呼び寄せていた。
だと言うのにその闇からは赤い鎧を纏う侍しか現れず、それ以外の存在が全く現れない。
「やはり、何者かの意思によるものか……」
何者かが何かを思いこの現象を引き起こし、異世界の存在をこの地に送り込んでいる。
この侍達にも意味があるはずだ、大量に呼び寄せる事で何か大きな事を起こそうとしている。
(だが今は、ただ斬り続けるのみ)
脚に力を入れ走り出そうとしたその時、青い炎の波が侍の軍勢を飲み込んだ。
『手こずっているようだな、我が手伝ってやろうか』
「猫又……」
巨大な黒い獣の姿となった猫又が青い炎を纏い、馬車の屋根の上で赤い星を背負っていた。
「馬車を燃やすなよ」
『燃やさぬわ!つくづく腹立たしい男だなお前は!』
赤い星は妖にも影響を与えるという事なのか、猫又が放つ妖気が通常の時よりも増している。
「援護を頼めるか?」
『……ふん、良いだろう』
猫又が馬車の上から隣に着地する。
『精々足を引っ張るなよ、燃やされたくないのならな』
近くに居るというのに熱を感じない、夢で見た通りならば燃やす対象を選べるのだろう。
「ああ、気を付けよう」




