悪鬼断ち
『ブオオオオオ!!』
日の沈んだ森の中腹、激しい衝突音と軋みが木々の合間を抜け響いていた。
『ブオオオオオ!』
『ブオオオオオ!』
太い四肢を持った大型の二足魔物が巨木に身体を打ち付けては威嚇するように雄叫びを上げる、その度に二本の牙で締まりきらない口から粘液性の高い涎がこぼれ落ちていく。
下手な岩よりも頑丈な生きた巨木でさえも、度重なる一撃に悲鳴を上げ始めていた。
「畜生……」
「なんでこんなことになんだよ!」
「……魔力を流す事に集中して、出来るだけ木を長持ちさせるの、そうすればきっと助けが来る」
「ほんとかよそれ!」
かつて魔物が住処としていた穴の中では、三人の若き冒険者が身を寄せ巨木の根に魔力を送り続けていた。
『ブオオオオオ!』
「……!」
強い衝撃と共に何かがバキリと折れる音が響き、厚く塗り固められた土壁が僅かに崩れる。
「こんなんじゃ!とてもじゃねえがもたねえぞ……!」
力の無い左腕を地べたに垂らした剣士が、汗を流しながらも無事な方を木に押し当て魔力を流し続ける。
「なんだってここにオーク共がいるんだろうなあ、あいつらは奥地の中でも洞窟に住んでるらしいのによ」
もう一人の剣士は半ば諦めながら巨木に魔力を送り続ける、その膝下には半ばで折れた諸刃の剣だった物が転がっていた。
「あんなブヨい身体つきで斬った剣のほうが折れるってどうなってんだよ、これ滅茶苦茶高かったのに……」
「解剖図を見たことがあるから知ってる、オークはとても頑強」
「じゃあ言ってくれよ!」
「私は逃げる事を提案した、聞かずに攻撃を仕掛けたのは貴方」
「う……!」
剣士は無表情で詰めてくる魔術師にいたたまれなくなり視線をそらし、魔力操作に没頭しようとする。
だが、それを阻止するかのような途轍も無い衝撃が木を襲い、操作を中断させられてしまった。
「なっ、なんだ!」
『ブロオオオオオオオオオオオン!』
鼓膜を付くような、心臓に響くような雄叫びが響き渡り、反響した音が巨木を揺らす。
「うぐっ、クソ、耳が痛え……!」
魔術師の少女は無機質にも見える表情を僅かに暗くする。
「……木の命が尽きた」
「それってどういう意味だ!」
「時間切れということ」
状況は絶望的、正に最後の砦と言えた巨木の命は尽き、含まれていた水分が急速に失われていく。
『ブロオオオオオオオン!!』
そして、鼓膜が潰れそうな雄叫びと共に衝撃が響き渡り、巨木が打ち砕かれた。
「……っ!」
砕けた巨木の隙間から覗き込んできた魔物は、単なるオークでは無かった。
「オークキング……」
巨木を打ち砕いた魔物の正体はオークの巨大個体、オークキングであった。
「どうなってんだよこの森……!」
『ブボボ……!』
オークキングは獲物を見つけたと興奮した様子で鼻を鳴らし、周りのオーク達を威嚇しながら木を手で引き千切っていく。
「木に魔力を流せば応援が来るまで耐えられるんじゃないのかよ!」
「それは間違ってない、でもこの魔物は別」
「もう手は無いのか……」
単なるオークの群れであったなら、魔力が尽きるまでは巨木の命を持たせることは出来た事だろう。
「……一つある」
「なんだ!」
「私がここに残って魔物を引きつける、比較的傷の軽い貴方達は逃げられる」
「置いてけって事かよ!」
「もう時間が無い、オークキングの腕が届く瞬間に最大限の魔術を打つ、その間に逃げて」
魔術師は杖を構え魔力を練り上げていく。
そして、広げられた巨木の穴からオークキングの太い腕が伸ばされる、その瞬間に魔術師は魔力を解き放った。
「『ディスティク・ストーム』」
「うわ!」
魔術師を中心に魔法陣が展開され、猛烈な旋風が巻き起こり剣士2人を吹き飛ばし、オークキングの身体を僅かに持ち上げながら裂傷を付けていく。
風の膜に覆われ無傷で地面に着地した剣士の一人が振り返ろうとしたのを、もう一人が腕を掴んで走り出す。
「見てる場合じゃねえだろ!無駄にすんな!」
「クソっ!」
僅かな魔力を振り絞り加速力を上げ、剣士達は迫るオークの群れを振り切っていった。
――
(残った魔力量は中級が一回分撃てる程度、さっきの効きを見る限りオークキングは倒せない)
もしもの為にと首から下げていた短剣の鞘を引き抜き、目を固く閉じて切っ先を喉元に当てる。
(お母さん、お父さん、ごめんなさい……)
心はやけに落ち着いていた、それは死を受け入れているからだろうか。
だからか、先程まで喧しくない続けていたオーク達の声が聞こえなくなっていた。
僅かに違和感を感じ瞼を開くと、動きを固めたオーク達が一点を見つめる様子があった。
オークキングだけは気づいていないのか、傷付いた身体怒りに震わせながらゆっくりと近づいてきている。
(何かが、近づいてきている……?)
魔力は感じ取れず、オークが警戒するほどの巨大の足音がするわけでもない、たが何者かがこの場所へ近づいているということだけは分かる。
(希望はまだある……)
その正体が人間である事だけを祈りながら、残る魔力の殆どを込め魔術を構築していく。
(理想は可能な限り効果が続いてオークキングを怯ませる魔術、なら)
幸いにして此方へ意識が向いているのはオークキングだけであり、他のオーク達は迫る何かを警戒して動こうとしない。
(絶好の機会)
「『ゲイル・ケイジ』……!」
オークキングを囲うように八つの魔法陣が現れ、そこから烈風が吹き荒れ空高くまで土煙を巻き上げていく。
風が土や小石を高速で持ち上げ茶黒い障壁を作り出し、触れたオークキングの身体を打ち付ける。
出血をするまでには至らない、だが細かい粒達が目や鼻、そして口に入り込んで行く。
『――――ッ!』
痛みに悶えるオークキングは顔を抱え、土風が直撃しないようにその場から横向きに飛び地面に倒れ悶える。
(想定よりも脱出が早い、でも間に合った)
枝葉の揺れる音と乾いたものがへし折れる音が段々と大きくなっている。
『ビギイイイイッ!』
突如一体が悲鳴のような雄叫びを上げると、オーク達は一斉に散らばり木々に身体をぶつけながら走り去っていく。
その直後、一人の男が木々の合間から飛び出し、オークキングと隔てる様に着地した。
(人間……?魔力が感知できない)
黒い髪、腕と脚だけに防具を付けた変わった装い、腰には二本の剣を差し背中には大きな弓を背負った青年。
「無事か」
「……右足が折れてる」
僅かに警戒心を抱きながらも、何処かを安心感を覚え思わず身体の力が抜けてしまう。
男は足を一瞥だけして周囲を見渡すが、この場には人間が二人とオークキングしか残っていない。
「他の者達はどこに」
「先に逃げさせた、足手まといになるから」
「勇気のある決断だ」
男が腰の剣に手をかけると、背後でオークキングがゆっくりと起き上がる。
その表情は怒りに満ちており、獲物を破壊し尽くすまで止まりはしないだろう。
オークキングは男を見つけると身体中の血管を浮かび上がらせ、咆哮を上げながら威嚇するように地面を叩き始める。
(すぐに飛び掛からない……、オークキングが人間を警戒している?)
人間とオークキングの間には隔絶された種族差があり、本来であれば見つけ次第飛びかかるだろう。
だがオークの群れは逃げ出し、オークキングも不要に近づこうとはせずに距離を保ち続けている。
「このような巨体であれば、挑みに来てくれるのだな」
不思議な事を呟いた青年の姿がぶれると、いつの間にかオークキングの背後へと立っていた。
その直後、オークキングの生首が地面に落下し、力の抜けた身体が前方へ崩れ落ちた。
青年はいつの間にか抜き身になった剣の刃を紙で拭うと、そっと鞘に納め此方に歩いてくる。
「足は痛むか?」
「魔力がのこっているうちは大丈夫、だけど歩けない」
「そうか」
青年は傍に片膝を着くと、袋から小瓶を取り出し此方に差し出す。
「連盟から受け取った魔力回復薬だ」
「……」
命の恩人とはいえ異性から受け取るのは僅かに躊躇ってしまう、幾ら相手が連盟員だとしてもこればかりはどうしようもない。
「やはり見知らぬ相手からは難しいか」
気分を害させてしまったかと考えたが、彼は表情一つ変えず小瓶の蓋を開けると、顔を上に向けて中の液体を少し口に垂らす。
「これで安全の証明はできないか?」
「うん」
首を横に振って否定し、小瓶を受け取って中の液体を一気に飲み干す。
(やっぱり美味しくない……)
昔から飲み慣れた魔力回復薬、故郷のそれよりは味も幾らかマシではあるのだが、どうしても甘みと苦みが混ざったような味には慣れることがない。
「ふう……」
「二人はどの方向に行ったか分かるか?」
「あっち」
「順調に進んでいれば森からは出られているか……、抱える為に身体へ触れるが構わないな」
「うん、お願い」
青年は背中と膝の下に腕を伸ばすと、表情一つ変えることなく身体を持ち上げた。
「あっ……」
思ったよりも視点が高くて、服を強く掴んでしまった。
「落とす事は無いと誓うが、そのまましっかりと捕まっていてくれ」
「うん」
青年は森の出口へと向かって歩き出した。
(なんだか、森が静かになった気がする)
この森には依頼や個人的な採集目的で何度か来たことがあるが、いつもは魔鳥の鳴き声や何かの遠吠えなどが聞こえていて、ここまで生き物の気配のような物を感じない事は無かった。
彼の表情は殆ど無いように見えるが、視線だけは何処か鋭く周囲への警戒を怠っていない事が分かる。
不意に視線がぶつかるとその鋭さは消え、どうしてか直視できず目を反らしてしまう。
彼は此方が怖がらない様にとても気遣ってくれているということはかなり前から分かっている、けれどどうしても。
(慣れない……)
異性とここまで距離の近くなった経験がなく、どうしても緊張してしまう。
故郷を出てから異性と組む経験は何度もあった物の、自身の性格が災いしてか一定以上の親しさになる事は無く、今組んでいる二人とも依頼関係以外では特に会話をすることも無い。
「身体は痛むか?」
「大丈夫、街まで魔力は持つはずだから」
「そうか、何かがあれば遠慮せず言ってくれ」
「うん」
彼は私と同じで口数が多い方では無いようだが、何かを感じるとこうして言葉を掛けてくれる。
人付き合いにも慣れているのだろう、それが少し羨ましく感じてしまった。
――
「重くない?」
自分の体重は同じ背丈位の人達よりは軽い方だと自覚しているが、それでも人間を抱えてずっと歩いているなんて辛くは無いのだろうか。
「何も持っていないかのようだ」
「良かった」
彼は汗の一つも流しておらず、疲労の色もまったく見せない。
「もうすぐ森を抜ける」
結局オークキングの危機を脱してから一度も魔物を目にしなかった、こんな現象は生きてきて一度も見たことがない。
オークが戦闘を放棄して逃げ出し、オークキングが最大限の威嚇をして抵抗さえも出来ずに首を落とされた。
(何者……?)
只者では無いことだけは分かる、だが今まで見た強者達はみな魔力が溢れ出ていた。
だが彼からは全くと言っていい程になにも感じ取ることができない、極めし者は一切の魔力感知が出来なくなると言われているが、まさか彼がそれに値する者なのだろうか。
「魔物の鳴き声がする、少し速度を上げるぞ」
言葉の後に景色の流れが速まるが、身体に伝わる衝撃に変わりが無い。
(魔物の鳴き声……)
耳を澄ましてみると僅かにだが高めの吠える声が聞き取れた、彼は今両手が塞がっている状態だ、何時でも援護が出来るようにしなければ。
「痛みを抑えることに集中していてくれ」
心を見透かされたような言葉に、思わず身体が強張る。
「どうして……?」
「恐らく戦闘にはならない」
意味がよく分からない、だが彼の雰囲気にら無理矢理納得させられるだけの説得力があった。
「見えたぞ……!」
彼の視線を覆うと引き手のいない馬車とそれを囲う四足魔物の群れ、そして荷台の上で剣を振るう仲間の二人がいた。
「少し揺れるぞ」
その言葉の後に身体に僅かな衝撃が来て、小さな石が魔物に向かい直撃し出血させた。
『ギャウンっ!』
厚い毛皮に覆われているにも関わらずだ。
魔物達は僅かな混乱の後此方に身体を向けるが、やはりオーク達と同じようにその場から逃げ去ってしまった。
「おーいこっちだー!助けてくれー!」
荷台に乗った仲間の一人が両手を振って存在感を示す。
「あの二人で間違いないか?」
「うん」
「そうか」
彼は緊張を解いたのか、初めて笑みを見せる。
「……」
その表情を見ているとどこか気恥ずかしくなるというのに、どうしてか視線を外すことが出来なかった。
――
「あんた連盟の救援か?よくあのオークの群れを切り抜けたな、オークキングも居たってのに」
荷台に少女をゆっくりと降ろし、袋から瓶を二つ取り出して置く。
「近頃魔物に嫌われているようでな、戦わずして無事助けることが出来た」
「んな竜じゃ有るまいし……」
剣士の一人が肩を竦めて笑う、この様子ならば大丈夫だろう。
「その二つの瓶は連盟から支給された魔力回復薬だ、彼女も既に補給している」
「悪いな、助かった」
「ありがとよ」
「そういやこれはあんたの荷馬車か?」
「そうだ」
「悪いな、勝手に上がっちまって」
「気にしなくていい、それで身を守れたのなら持ってきた甲斐があったと言うものだ」
轅を乗り越え取っ手を掴む。
「ん?アンタが押してくのか?」
「正気か?人間三人だぞ……」
「力と体力には自信がある、それと積んである食糧は好きに摂ってくれて構わない」
荷馬車を推し進め、怪我人に衝撃が及ばないよう路石注意しながらゆっくりと加速していく。
「おいおいマジかよ」
「……なんか色々とがアレじゃねえか?」
「気にするな、私はそこらの魔物よりも速い」
「いやそういうことじゃねえんだけど……、まあいいか……」
『オーク』
高さ 2.5m~3m
全身をまず3センチの硬い皮膚が覆い、その下を分厚い脂肪、さらに筋肉、太い骨と続いている。
魔法や知能以外の全てに置いて、人間の完全上位互換と言えるだろう。
暴食かつ悪食であり、オーク以外の目につく者を積極的に襲い喰らおうとする。




