表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/12

第七話 波が揺れる

 


 皇太子は目の前に立って、私と両手をつないだ。それから、片方の足を後ろに動かした。


「前に足を動かすんだ、できるか?」


「う……えいっ!」


 私が足を動かした瞬間に、皇太子はもう片方の足も後ろに動かした。支えが遠くなったが、手をつながれているため離れることもできない。


「ほら、歩けた。」


「えっ?」


 皇太子は確かに後ろに動いた。なのに、先ほどと変わらない距離。私は一歩だけ、進むことができたことを知った。


「俺が引っ張れば、倒れないように足が動くと思った。どうやら正解だったようだな。」


 その言葉に、私は何故か嬉しくなった。

 

「その調子、一歩ずつ進むんだ。」


 皇太子が後ろに動いて、私もそれに合わせて前に動く。


 その動きを繰り返しているうちに、足を動かすという感覚が掴めてきた。


「皇太子殿下、一人で歩いてみたいです。」


「……大丈夫か?」


「うん、多分大丈夫です。」


 皇太子はそっと私の両手を解放する。そして、私は支えが無い状態で、同じように一歩進んでみた。


 草が踏まれ、朝露で足が濡れる。一歩、また一歩と進んでいく。


「見てください!一人で歩けてます!!」


 皇太子からの返答はなかった。だが、歩くのに慣れていないので前しか見ることができない。


 横で私を見る皇太子の表情がわからないのだ。


「殿下?私、歩けて……わっ!?」


 体が前に傾いて、視線は地面へと向いていく。


 転びそうになったことに気づいて、固く目を閉じ痛みを待った。


 __しかし、予測していた痛みは来なかった。


「ッ……危ない。」


 どくどく、心音が大きく聞こえる。


 皇太子は安堵したように息を吐く。その吐息が私の髪の毛を揺らした。


 この心音は__皇太子のもの?


 体が強張った。人間の体温が私を包んで、じわりと温めていく。


 上を向くと、皇太子の顔が近くにあった。彼はほんの一瞬目を見開いてから、視線をそらした。


 皇太子に抱きとめられたのだと気づいた瞬間、私は全身が熱くなった。


(こ、こんなの知らない!なんで顔が熱いの!?)


 男の人に真っ直ぐ見つめられるのは慣れていない。

心臓が落ち着かないのは、そのせいだと思った。いや、今はそうとしか思えなかった。


「……すまない、無事か?」


「は、はい。」


「……まだ慣れていないのだから、気をつけろ。」


 ぶっきらぼうな言い方とは裏腹に、私を支えている腕の力は優しいものだった。


(さっきの心音、本当に殿下のものだったの……?)


 いや、きっと私が転びそうになって焦っただけだろう。


 仮に私が人魚だとわかっているとして、肉が傷つけば価値が下がるから。きっと最初から、私自身のことなんて見ていないのだ。


 そう思わなければ、頬の熱を誤魔化せそうになかった。


「……あの、殿下。」


「何だ。」


「その……油断してごめんなさい。」


「構わない。」


 会話が続かない、途中で必ず切れてしまう。


(このもどかしい雰囲気はなんなの……!?)


 沈黙が続いており、池の水音と風に踊らされる草の音しか耳に入ってこない。


 皇太子はぎこちない動きで私を立たせて、一歩下がり距離をとった。


 __まだ、腕の感触が残っている気がした。


 それを意識した瞬間、胸の奥がきゅっと縮むような感覚がした。


 そのとき、私の視界はふわりと揺れ始めた。


「……どうした、大丈夫か?」


 地面が遠く感じる。皇太子の声もよく聞こえない。さっきまでの温かさが、どんどん遠ざかっていく。


「セレン!!」


 皇太子が私の名を呼ぶ声がした気がする。


 でも、声が出ない。力が入らない。


 耳に入ってくるのは、池の水音だけ。やけに大きく聞こえるそれは、私の頭に冷たく響いていた。


 体がふっ、と軽くなった。


 次の瞬間、視界が白く滲んだ。



◇◇◇

 


「レ……セレン……セレン!」


「う……殿下……?」

 

 ふかふか、ぽかぽか、心地良い。


 ベッドの上に寝ているのだと理解するのに、少し時間がかかった。


 体が熱い、寒い。息が苦しくて、視界が霞む。


「セレン、大丈夫……ではないか、体調はどうだ?」


「くるしい……」


「医者を呼んだ、もう少しの辛抱だ。」


(私、意識を失ってたのね……)


 頭がうまく働かなくてもどかしい。皇太子に迷惑をかけたことを謝ろうとしたが、口も動いてはくれなかった。


「体調がまだ万全じゃなかったのか?」


「ち……がう……」


「悪化したのか……」


 こんなに苦しいのは初めて。


 おそらく、人間の体に慣れていないせいで疲れが出たのだろう。ここ数日は気持ちの変化も激しかったから。


 ふわふわして、眠ってしまいそう。


 だめ、意識が朦朧として、なにもわからない。


「カノン……ねえさま……」


「ん……?それは誰の__」


「泡に……ならないで……」


 自分がどういう状態なのか、それすらもわからない。


「さびしいよ……」


 目からなにかがこぼれ落ちた。それを最後に、また夢の中へと意識が旅立ってしまった。

 


◆◆◆


「カノンとは、誰なんだ。」


 彼女はまたすぐに眠ってしまった。呼吸は浅く、額はとても熱い。


 聞き慣れない名前。泡、寂しい、いまいち意味が繋がらない言葉。


 病人が発する、意味を持たないうわ言。それなのに、胸の奥がざわついて落ち着かなかった。


 このことに触れてはいけない。なぜだかそんな気がしてくる、不思議な感覚。


「……とにかく、早く回復するといいんだが。」


 小さくそう呟いてから、彼女の手を優しく握った。



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ