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第六話 夢想


「ねえ、見た!?船の上のあの人!」


「見たけど……」


「とっても素敵な人だったわ!あのプラチナブロンドの髪の毛、きっとどこかの王子よ!」


 カノン姉様は興奮した様子で私に話しかける。


 先ほどまで海面から顔を出して、二人で船を見ていた。すると、一隻の船が通りかかる。


 人間が騒いでいたので、きっと宴でもしていたのだろう。しかし、カノン姉様はその船が気になったようで、もっと近くでみたいと言い出したのだ。


「私、あの人と結婚したい……」


「無理じゃない……?だって、次にいつ会えるか……」


「いいえ、あの人が運命ならまた必ず会えるわ!」


 カノン姉様はその男に首ったけ。私の話なんか聞いてくれなかった。


 波は穏やかに揺れていて、月光が私達をほんのりと照らしていた。 


 __あれは、それから少し経ったある日のことだった。


 久々に海月の縦穴に行き、そこで睡眠することになった。私はなにも気にせずに寝てしまった。


 それが私の人生を、カノン姉様の人生を狂わせてしまったのだ。


「ん……姉様……カノン姉様?」


 隣で眠っていたはずのカノン姉様が、いなくなっていたのである。


 私はすぐに縦穴を飛び出して、周辺をくまなく探す。


 しかし、カノン姉様はどこにもいなかった。


 まさかと思い、海面から上半身を出した。すると、遠くに船が見えた。


 鱗が全て逆立つような、そんな感覚と共に背筋が震えた。あれは、プラチナブロンドの髪をした男が乗っていた船だったのだ。


 出せる最大速度で船へ近づき、甲板にいる人間の声に耳を澄ませる。すると、聞き慣れた大好きな声が耳に届いた。


「私と結婚してくれるんですか!?」


「うん、いいよ。きっと僕らは運命なんだよ。」


「嬉しい……!!」


 私の視点はぐにゃぐにゃと歪んでいく。声を聞きたいのに、耳鳴りが酷くなっていく。


 聞きたくない、そんなこと聞きたくない。


 でも、聞かなければ姉様の幸せへの出発を見送れない。


「……あれ、足、尾ひれは?」


 カノン姉様は甲板の上。もう一度、今度は下半身を注視した。


 白く滑らかな足が、二本あった。


(ああ、ついに私は捨てられたのか。)


 __違う、捨てられたわけではない。そんなことはわかりきっている。


 一緒に育ってきて、たった一人の家族を置いていくなんて。そう思っては、唇を噛んだ。


 カノン姉様はずっと、人間に憧れていた。


 だから、こうなることは必然的だった。


 それでも、認めたくはなかった。


 船を離れようとしたその時のこと。カノン姉様の言葉がやけに大きく聞こえた。


 静かな波は、この言葉を届けるために凪いでいるのかと勘違いしてしまうほど__残酷だった。

 

「愛しいセレン、ごめんね。またすぐに会えるから__」


 

◇◇◇


 

「ッは……」


 目を開けると、ベッドの天井が目に入った。


 嫌な夢を見た。私の感情をぐちゃぐちゃにかき回されるような、そんな夢。


(……だけど、嫌いになれそうにないの。)


 カノン姉様は、最後まで私のことを気遣ってくれた。最後に聞いた言葉は、しっかり私に届いていたから。


 だからこそ、私は姉様を裏切った王子が許せない。


 カノン姉様は、私に顔を見せることもなく、孤独と絶望に満ちた泡になってしまった。もう二度と触れることさえ許されない。


 私がベッドで黒い感情を渦巻かせていると、扉が叩かれる音がした。慌てて表情を作ってから、少し掠れた声で返事をする。


「セレン、体調は?」


「体調?元気です。」


「そうか……昨日、いきなり倒れたから驚いた。」


「倒れた……?」


 皇太子によると、リッテが回復したのを確認した私は倒れてしまったらしい。張り詰めていた気が解けてしまったのだろうか。


 その後、皇太子がこのベッドに運んでくれたらしい。まあ、一応感謝はしておこう。


「もし大丈夫そうなら、君が歩く練習を始めたい。」


「歩く練習……」


「この部屋は狭いし、廊下も人が多い。中庭の池の近くなら足場が安定している。」


「池……」


 その言葉に、胸が小さくざわついた。


 水を見ると、どうしても海を思い出してしまう。海水でなければ人魚に戻ることはないが……


「……練習します、歩きたいです。」


「わかった、今抱えるから少し待て。」


 ベッドの縁まで移動した私を、皇太子は軽々持ち上げた。だが、昨日と同じ横向きではなく、目線が地面と水平のままだった。


「あれ……」


 皇太子の腕に座るような体制で持ち上げられている。人間は横向きで他人を運ぶのでは……?


「横向きじゃない……」


「……昨日は急いでいたから。」


 少しの沈黙のあと。皇太子がいきなり動き始めたので、上半身がふらついてしまった。


 安定した掴める場所を欲して、咄嗟に皇太子の首元にしがみついてしまった。


「ッ……おい。」


「あっ、ごめんなさい。苦しかったです?」


「……いや、安定しないならこのままでいい。」


「ありがとうございます。」


 皇太子は一瞬言葉を詰まらせてから、しがみつくことを許してくれた。


 私がふらついて落ちない程度の力で、皇太子の首元にしがみつき直した。


(あ、首は手よりも温かいんだ。)


 人間になっても私は体温が低いのだろうか、腕に触れる皇太子の首元が熱く感じる。


 心地良い。人間の体温を感じていると、安心する……


(やだ、私は何を考えて……!?)


 何故安心するなんて思ってしまったのだろう。人間は一番安心してはいけない存在なのに。


「動くぞ。」


「あ……はい。」


 皇太子は戸惑う私をよそに、コツコツと足音を鳴らしながら再び歩き始めた。


 部屋から出て廊下を歩いていき、外に出る。


 暖かい風、草の匂い、鳥の声。地上の美しいものを感じて、顔が綻んだ。


 しかし、池の水音を聞いた瞬間、私の心には雲が差しかかる。


「着いたぞ、ここが中庭だ。」


「……綺麗なところですね。」


 皇太子は私を草の上に降ろしながら、リッテについて話を始める。


「リッテも中庭が好きなんだ、小さい頃はよくここで一緒に遊んだよ。」


「そうなんですね、リッテは外が好き?」


「ああ。今日中に医者に診てもらって、平気そうならここで昼食をとるつもりだ。」


 私は息を呑んだ。いや、思わず呑んでしまったという方が正しいのかもしれない。


 言葉が一つも出てこなかった。


 きゅっと細められた目元、優しげに弧を描く口元。それらが太陽光に照らされていた。


 リッテについて話す皇太子が、とても綺麗に見えてしまったのだ。


(なんだ、綺麗に笑えるのね。)


 てっきり、怒った顔しかできないのかと思った。


「……どうした、変な顔をして。」


「変……!?やだ、私どんな顔して……」


 頬を抑えて先ほどまでの表情を思い出していると、小さな笑い声が聞こえた。


「ふっ……」


 皇太子は肩を震わせて、笑いをこらえているようだった。私の顔を笑うなんて、なんて失礼な人なの。


「……あぁ、すまない。歩く練習を始めようか。」


 一つ咳払いをしてから、皇太子は私にそう言った。


「よろしくお願いします!」

 

「では、失礼するぞ。」


 皇太子は片膝をつき、その上に私を乗せた。膝の上に腰を預ける形になる。


「まず……足を動かせるか?」


「む……ふんっ、ぐ……!!」


「……無理そうか?」


「すみません……」


 尾ひれと感覚が全く違う。無理に力を入れても、皇太子を蹴ってしまいそうだ。


(人間はこの足を自然に動かせるのね……ちょっとだけ尊敬するわ、ちょっとだけ。)


「仕方ない、俺が支えるから一度立ってみるか。」


「お願いします……!」


 皇太子は私の脇あたりに手を入れて、そのまま立ち上がった。同時に私も持ち上げられていき、一緒に立つことができた。


「わあ、高い!」


「そんな感想を言う人は初めて見た。」


「だって私、立ってる!!」


「はいはい、手を離してみるから気をつけろ。」


 皇太子は私から手を離していく。しかし、私は依然として立っている。


「一人で立ててる!!」


 草が足に当たってこそばゆい。まだ震える足を見つめながら、立てた嬉しさに声を上げた。


「君が倒れないようにするから、歩いてみよう。」



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