第三話 皇太子
「全く、歩き方を忘れるってどういうことよ。」
「だって、わからないの……」
「見つけたのが私じゃなかったら、人拐いに遭っていたかもね。」
フォルティは私を背中に乗せて、小言を言いながら歩いていた。太陽が真上に昇っていて、頭のてっぺんが温かい。
(人間がいっぱい……)
歩く人、走る人、話す人。たくさんの人間が生活をしている。あれは何だろう、赤くて丸いものを人間が食べている。
気になるものがたくさん。
私が周りの観察をしている間にも、フォルティはどんどん進んでいく。
「フォルティ、皇太子はどんな人?」
「殿下を付けなさい、不敬罪で処刑されるわよ。」
「……皇太子殿下って、どんな人?」
フォルティは立ち止まって、少し間を空けてからこう答えた。
「とても、恐ろしくて優しい人。」
「怖いのに、優しい?」
「そう。」
フォルティは皇太子について話し始める。かなり大切な情報を得られそうだ。
「殿下はね、すごく強いの!私がどれだけ頑張っても勝てないのよ!」
「強いから怖い?」
「いいえ、殿下は寡黙でお硬い人なの。だけど仲間思いなの!ギャップがあるでしょ?」
ギャップ……とはなんなのかわからないが、心を開いた人間には情が深いらしい。
しなやかに懐へ入り込むことができればいいが……一筋縄ではいかなそうだ。
「私、殿下と仲良くなれる?」
「えっ、うーん……難しいかもね。」
「そっか……」
「あっ、でも、私がきちんと紹介するから!記憶を失ってて孤独よね!安心していいわよ!」
私が声のトーンを落としたからなのか、フォルティは慌ててそう言った。"記憶喪失の私"のことを心配しての発言だろう。
人間は優しい個体もいる。フォルティを見てそう思い、小さく首を振った。
(いいえ、まだ信じてはいけない。情を持つのが一番危険だから。)
そう、復讐が失敗するリスクをできるだけ減らす。そのために、私は孤独に戦う。
改めてそう決意していると、フォルティが急に止まった。どうしたのか聞く前に、向こうから話し始めた。
「ほら、離宮に着いたわよ。」
「離宮?」
「ここは皇国じゃなくて王国でしょ?別荘みたいなものなの。」
大きな門、大きな建築物。どことなく厳かな雰囲気を感じて、フォルティの背中に顔を埋めた。
「どうしたの?」
「大きいから、緊張。」
「建物が?あはは、大丈夫よ。」
海にも大きな建物はあるが、地上の建物よりも全体的に丸い。可愛らしい。
皇太子のことを聞いたからだろうか、心臓が締め付けられるような感覚がして、少し不安になってしまった。
「戻ったよ!!」
フォルティは分厚い木でできた扉を開けてから、辺りに響くほどの大きな声を出して叫ぶ。
すると、コツコツと音が聞こえてきて、誰かがこちらへ向かってきているようだった。
「遅い、会議がもうすぐ……」
目の前の階段を降りてきたのは、背の高い男性であった。
チョウザメの卵のように輝く黒髪。スラリとした体躯。
「フォルティ、誰を背に乗せている。」
低い声が響いて、切れ長のまぶたからアイスラベンダーの瞳がこちらを覗いている。
「殿下、これには訳がありまして……」
「はぁ……お前、こちらへ来い。」
フォルティが殿下と呼んでいるということは、この人間が皇太子で間違いないだろう。
私はフォルティの背中から降りて、地べたに座り込んだ。皇太子はそんな私のことを鋭く睨みつけて、海底火山が噴火したような声で話す。
「こちらへ来いと言っただろう、早く立て。」
「で、殿下、この者は浜辺で倒れていまして……」
「フォルティ、自分ではなす、大丈夫。」
私は青白い顔で焦っているフォルティにそう言って、皇太子に向き直った。
「あの」
「黙れ、今すぐここを出ていけ。」
ヒヤリ。
首元が冷たくて、痛い。
「……え?」
「殿下……!!」
剣を首に立てられた。そう気づいた瞬間に、私の心臓は速度を増してドクドクと鳴る。
声にならない小さな声と、荒い吐息を喉からひねり出した。
(怖い……けど……!!)
ここで引き下がるなんてできない。私には復讐という使命がある。
思考を巡らせて、打開策を必死に考える。しかし、どの策も斬られておしまいだろう。
浜辺で倒れていたことをフォルティが言ったのにもかかわらず、私に剣を向けた。
__皇太子は、情ではなく"理"で相手を斬る。
そんな冷酷な人間を前にして、どうすれば私は生き残れる?
「立て、そして二度と顔を見せるな。」
「……皇太子、殿下。私は記憶がないのです。」
「だから何だ。」
「私は、殿下のことも、貴族のことも、なにも知りません。ですが、必ず役に立ちます。」
そう、本当に何も知らない。地位もなければ信用もない。
しかし、私には武器がある。
「なので、提案があるのです。」
皇太子に向かってはっきりとそう言った。皇太子は私を見下ろしながら薄ら笑いを浮かべる。
「俺に提案するとは、頭がおかしいのか?」
「いいえ、記憶がない以外は正常です。」
私の武器は三つ。
人魚の中でも整っていて、皆の目を引いていたこの美貌。それから、どんな傷でも病でも治せる鱗。
そして、性別。
私は女で、皇太子は男。
本当は、こんなことに使いたくない。それでも、生き残るためには武器を活用しなければ。
王族が、正体不明の女を側に置く理由。それは一つしかないだろう。
「__皇太子殿下、私と結婚しませんか?」




