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第十九話 信じる



 階段の上から見下ろすその姿は、まるで舞台を観客として見ているかのよう。歪められた紫色が、私を貫くように見据えた。


「皆様、どうかお静かに。」


 よく通るその声で、辺りの人々のどよめきを止めた。銀糸のような髪を揺らしながら、王妃は淡々と告げる。


「何がいけないと言うのでしょう、私達人間は、昨日食べた命の上に立っています。」


 __王妃は無表情だった。


 先ほどまでの恍惚とした笑みが嘘のように、何も感情が宿っていない表情をしていた。


「そんな利用されてきた人魚を、綺麗に飾って残すのです。」


 再び、群衆の怒号が響く。しかし、それでも王妃は止まらなかった。


「海で朽ちて誰にも知られず消えるより……人々の記憶に残る方が、ずっと幸福ではなくて?」


 その一言に、群衆がざわめいた。王妃の意見を肯定する者もいれば、怒りを見せて否定する者もいる。


「それとも皆様は、見えない場所で死ぬ命ならどうでもいいと?」


 誰も、言い返さなかった。私でさえも、言い返す言葉が見つからなかった。それほどに、説得力があるように聞こえた。


 なら、このどこかズレた感覚は?言葉は正しい形をしているはずなのに、そこには命がない。


 まるで__用意されていた台詞をなぞるような、淀みのない言葉だった。


 そんな中、納得しかけた群衆を震え上がらせたのは、エディアスだった。レベリオ王妃を鋭く見つめ、威圧的な態度をしている。


「……今すぐに展示会を中止する。」


 エディアスはそう言い放ったあと、群衆に解散するよう命じた。皇太子からの命令に背くことはできないので、皆が散り散りに去っていった。


「あら、中止になってしまったわ。」


 完全に人がいなくなったところで、レベリオ王妃が階段の上から降りてくる。私達の目の前まで足音を鳴らして歩いてきた。


「王妃、さすがにあの展示と発言は許容し難い。」


 そう言われた王妃は、眉一つ動かさずに言い返す。


「……昔のことは覚えてる?」


 その言葉だけで、エディアスが酷く動揺した。王妃の視線はエディアスだけに向かっている。


「あの日、私を捨てたのは貴方なのよ。」


「捨てたわけでは……!!」


「なら、泣いている私をどうして抱きしめてくれなかったの?初めて出会った時のように。」


 私の頭の中で、とある推測が浮かんでくる。


(いや、そんなはずは……)


「エディアス。貴方は私に同等の感情をくれなかった。勝手に私を助けて、連れて行ってと言ったら離したじゃない。」


 私はエディアスを見上げた。アイスラベンダーの瞳はゆらゆらと揺れていて、吐く息は小さく浅い。


(エディアスは……昔、王妃を裏切った?)


 レベリオ王妃の発言、エディアスの動揺。それらが裏切りを物語っているように見えてしまった。そんなことをする人ではない、そう思っていたのに。


「俺は……」


「"選択を誤った"だなんて思ってる?私は貴方を一生許さないから。」


 そう言って片手を振り上げた王妃。


 __パチン。


 空気が凍った。


 頬がじくじく痛む。私は、エディアスと王妃の間に立ち、平手打ちをくらった。


「なっ……!?」


「王妃が許さないと言うのなら、私が代わりに信じます。」


「セレン……」


 そう__彼は、絶対に間違った道を征くことはない。私がそう信じられるのは、彼に触れて、感じて……たくさん知ったから。


「傷ついた命を見せ物にする人よりも__黙って誰かを守ろうとする人を、私は信じます。」


「……でも、貴女は何も知らないでしょう?口を出せない立場ではなくって?」


「確かにそう。私は何も知りません。」


 私は王妃の瞳をはっきりと見据えた。たとえ、喉が震えるほど怖くても__大切な人が傷つくのは、もう嫌なの。


「ですが……この人は故意に裏切ったりなんかしない。」


「でも、次はきっと貴女よ。」


「……それでも、私は信じます。だって彼を__」


「セレン、もういい。」


 エディアスの声で、私達は動きを止めた。彼はくしゃりと顔を歪めていた。まるで、涙をこらえているように。


(あれ……私、何を言いかけたの?)


「それ以上は、言わなくていい。」


「あら、言わせてあげたらいいのに。」


 そう言った王妃が、鋭く私を睨んだ。大きなサメを前にしたような威圧感が私を包む。


「ねえ。その言葉の責任、とれる?」


 息が詰まった。全身が恐怖に震えるのを、必死に抑え込んだ。私が声を絞り出して反論しようとすると、エディアスが私の前へ出た。


「責任なら、俺が取る。」


 すると、レベリオ王妃の表情が一瞬崩れた。まるで命が宿ったようなその一瞬を、私は見逃さなかった。


「違う、エディアス、あ……私は……イリオスが……」


 人間には聞こえないであろう小さな声は、人魚の私に届いてしまった。これは__王妃の葛藤なの?


 私が戸惑っている内に、また王妃は無表情に戻った。


「そこの護衛、王妃を王国へ強制送還しろ。」


「え?いや、しかし……」


「俺からの命令が聞けないのか?」


「っ……承知しました。」


 エディアスは、近くにいた王妃の護衛を半ば脅す形で動かした。護衛は王妃をエスコートしながら、迎賓広場を去っていこうとする。


「……同じ顔をしてるわ。」


「え?」


「あの時の__私と。」


 王妃が、私の顔を見てそう言った。しかし、その意味は汲み取れなかった。


「奪われる側の気持ち、いつか分かるわ。」


 私にそう告げて、どこかに停めてあるであろう馬車へと向かっていった。私とエディアスは広場に取り残されたまま、暫く動けなかった。


 一瞬の揺らぎ。彼女もやはり『人間』だ。感情を隠しているだけの、ただの人間なのだと理解した。


 私達だけになった広場には、どこかおどろおどろしい風が吹き抜けていた。



◇◇◇



 馬車の中は静まり返っていた。外の雑音が嘘のように聞こえない。レベリオはそんな車内でただ、俯いていた。


「失敗だったね。」


 ふと、聞こえた声。


 レベリオが目の前を見ると、向かいの席にはいつの間にか、男が座っていた。黒い手袋、微笑んでいるのに目は笑っていない。


「予想よりも早く止められた。」


「想定内よ。」


 レベリオは男から目をそらし、窓の外を見ながらそう答える。


「混乱は起こした、十分でしょう。」


 男はその答えに対し、小さく笑った。


「でも、君は感情を出しすぎた。」


 再び、車内が静まった。レベリオの眉が微かに動く。


「名前を、呼びかけそうになったね。」


 指先が震える。気づかないフリをしたまま、変わらず外を見続け返答をする。


「気の所為よ。」


「いいや。」


 男はレベリオの方へと身を乗り出した。


「君の心は、まだ"彼"に向いている。」


 その瞬間、紫色の瞳に揺らぎが走った。


「君が愛しているのは、エディ__」


「違う。私が愛しているのはイリオスだけよ。」


 間髪入れずにそう答えたレベリオ。暗記した言葉のように無機質な声で。


「……うん、正しく言えた。」


 男は満足そうに頷く。その言い方はまるで、調律を確認するようだった。


「君は、もう大丈夫だ。」


 レベリオの表情から、色が消えた。


「次はもっとうまくやろう。」


「……次は?」


「もちろん。」


 男は優しく微笑んだ。


「皇妃。彼女の心を壊そう。」


 

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