第一話 自立
海藻の森をかき分けて進んでいき、暗い洞穴の中に入る。
海の魔女は才色兼備だが、人見知りが激しい上に恐ろしい容姿をしているらしい。それに、攻撃的だそうだ。
薬を作ってもらえるならば、どんな人魚だって構わない。
「魔女さん、いませんか?」
「ヒッ、なんでここに……!!」
洞穴の突き当たりには、大きな釜と液体が入った瓶がたくさん。シーピクルスが淡く光っていて、頭上には触腕が……
触腕?
「わ、上に張り付いてる。」
「だ、だから何よ、文句でもあるの……!?」
「薬を作ってもらいたくて来たんです、話だけでも聞いていただけませんか?」
天井は思ったより高いようで、触腕以外は暗くて見えない。魔女のか細い声だけが洞穴に響いた。
「貴女はあたしに何を差し出せる?」
「差し出せるもの……ですか?」
「そう、たとえば……ロブスターを十匹……」
髪の毛やウロコを要求されるのかと思ったが、ロブスターを要求された。
どうやら、魔女はかなりグルメな人魚らしい。
「では、獲ってくるので待っていてください。」
私はすぐに洞穴から出て、海底の近くを泳ぐ。
ロブスターは移動するのが速い方だが、私たち人魚に比べたらとても遅い。
勢いよく捕まえて、すぐに締める。それを続けていると、あっという間に十匹集め終わった。
「あの、ロブスターを獲ってきました!」
私がそう言うと、天井から魔女が這い出てきた。
紫がかった不健康そうな肌に、魚の骨のような白い髪。妖しく光る真紅の瞳。
私には恐ろしくなんて見えず、妖艶さを感じるほどに美麗だった。
「ほ、本当に持ってきたの……」
「ええ、薬のためですもの。これくらいお安いご用だわ。」
「……食べてから薬を作る。それでいいかしら?」
「もちろん。」
魔女は大きく口を開けて、ロブスターをバリバリと殻ごと食べていく。
「おいしい……久々に食べたわ……!」
一匹、二匹……ロブスターはどんどん魔女の胃袋に入っていき、ついには全て平らげてしまった。
「あぁ、美味しかったわ……さて、何の薬が欲しいの?」
「人間になれる薬です。」
「……はあ、また人間になりたい人魚が来たわ。」
魔女は私のことを品定めするように、上から下までじとりとした視線を向けた。
「何か理由があるのよね?よほどのことじゃないと薬を作ってあげないから。」
魔女に理由を問われた私は、迷いなくはっきりとこう言った。
「泡沫の無念を晴らすために、復讐をしたいのです。」
「……抽象的でよくわからないわ、わかりやすくして。」
魔女は興味を持ってくれたのか、カノン姉様のことを詳しく説明している時も真剣に聞いてくれていた。
「なるほど、大体わかったわ……でも、復讐は何も生まないわよ。」
「わかっています。ですが、私の姉はそう簡単に泡になるような人魚ではありません。」
そう、きっと大きな理由があるはず。カノン姉様が絶望するほどの大きな出来事があったのよ。
だからこそ、私は真実があることを信じて、追い求めなければならないの。
海にいては、選択肢が限られてしまうから。
「お願いします、なんでも差し出せますから薬をいただけませんか?」
「……あたしの薬はね、アナタの先祖の頃よりも進歩したのよ。だから、代償も小さくなった。」
代償。その言葉に息を呑んだ。
人間になるには代償が必要。先祖も声を差し出して足を手に入れた。
予想はしていたが、何を差し出せば良いのだろうか。
「代償とは、何ですか?」
「……人間を愛せなくなること。愛を伝えてしまえば人魚に戻れなくなるわ。」
「では、愛を人間に伝えなければ、人魚に戻れるのですか?」
「ええそうよ、この薬は人間の状態で海に触れると、効力が切れて人魚に戻るからね。」
復讐を無事に終えたら、海に触れればいい。そうしたら、いつもと変わらない生活に戻れる。
人間を愛するはずがない、姉を奪われている私には憎悪しかない。
人魚であることが、こんなにも誇らしく思えたことはない。
「薬、作ってもいいのね?」
「はい、お願いします。」
「じゃあ、少し待っていて。」
魔女は壁のくぼみに並べられた材料を、長い触腕で次々に釜に入れていく。
サメの鋭い牙から始まり、ナマコの内臓、珊瑚の欠片……最後に魔女は自分の触腕を一つ切って、釜の中に落とした。
「切って大丈夫なんですか?」
「ええ。普通のタコは自分で触手を切ると、再生しないことがほとんどだけど。」
魔女は釜の中に落とした材料を、先端に岩を付けた長い流木で潰していた。何事もなかったように。
「それに、私の触腕には魔力がこもっているから。難しい薬とかにはよく使うのよ。」
「へえ……魔力、ですか?魔法が使える人魚なんですね。」
「まあ、それで商売してるからね……」
魔法は血を代償に奇跡を起こす力。私にはないものだ。
『魔法使いはね、血を捧げてしまえば大抵のことはできるのよ。』
そうおばあさまに教えられたことを思い出した。
「私も、魔法が使えたら……」
復讐するにあたってとても便利だろうに。
「あら、使えないの?」
そう言いかけたところで、魔女が私に話しかけてきた。私が話しかけてばかりだったので、少し驚いてしまった。
「はい、使えませんが……」
魔女の触腕が、一瞬だけ止まった。
「ふぅん、あたしの勘違いかしら。」
魔女がそう呟いた瞬間、釜の中からホタルイカのような小さな光が溢れ出した。それを見て、開きかけていた口を閉じた。
「さて、アナタの獲ってきたロブスターのおかげで、血液も復活したし……仕上げをするわよ。」
魔女が釜に手をかざすと、海水に血液が溶けていくように、禍々しい黒色が辺りに広がる。
「こ、これが魔法なんですか……!?」
「いいえ、制約を薬に付与するから、呪いと言ったほうがいいかしら。」
大量に血液を消費しているのか、魔女は苦しげな顔をしていた。そして、深呼吸をしてから詠唱を始めた。
『潮は満ちて、心は退き
人を想う温もりは
鱗の隙間より零れ落ちよ
我は歌う、されど愛せず
海に還れ、我が情よ』
辺りを染めていた黒色が、勢いよく釜の中へと吸い込まれていく。そして、瞬きの間に鮮やかな紫色に変わっていった。
「できたわ、はあ……疲れた。」
魔女が釜の中から取り出したのは、泡のように透き通っている球体。しかし、それはサーモンの卵のように小さなものだった。
「これを服用すれば、人間になれる。すぐに眠気がやってくるから、陸上で使うことね。」
「ありがとうございます。」
私は小さな球体を受け取って、魔女にお礼を言って洞穴を出ようとした。しかし、動き出す直前に呼び止められた。
「……どうか気をつけてね。」
人間になるために、魔女に薬を作ってもらった人魚はたくさんいるだろう。
しかし、そのほとんどが海に戻ってこなかった。
人間になった人魚の末路を、口酸っぱく教えられてきた。どの人魚も悲惨な結末を迎えてしまうらしい。
戻ってきた者は、ほとんどいない。魔女の声は少し震えていた。
復讐が無事に終わったら、ロブスターを持って会いに来よう。
「……また会いましょう、海の魔女さん。」
情が移ってしまったのだろうか、魔女を置いていくことに胸が痛くなった。しかし、これから復讐をするにあたって、感情はできるだけ抑えなければならない。
振り返ることなく洞穴を抜けて、砂浜のある方角へと向かう。
自由気ままに泳ぐ魚たちを見て、暫く海に戻れないことを思っては涙を流した。
だんだん底が浅くなってきて、海面から顔を出した。
前方のすぐ近くに、誰もいない砂浜が見えた。
私は全速力で泳いでいき、ついに砂浜に乗り上げた。
太陽の光に照らされた砂はとてもあたたかく、シーグラスがキラキラと輝いていた。
「……薬を飲まないと。」
私は手に握っていた薬を口に放り込んだ。しかし、すぐに溶けて味だけが口内に残った。
(甘くて、酸っぱくて、ピリピリする。)
「ッ……いっ……たい……」
私は自分の鱗を数枚剥ぎ、持ってきた瓶の中に入れた。
私の鱗。どんな怪我も、不治の病でさえ完璧に治してしまう代物。
昔、怪我をした時にカノン姉様が鱗を食べさせてくれた。すると、怪我はたちまち完治してしまったのだ。
その代わり、私は暫くの間声が出なかった。
そういった代償が必要だが、もしものときに役に立つだろう。これはおとぎ話の契約書のようなものだから。
これがあれば、私はまだ人魚としていられる。
鱗を剥いだ痛みで砂浜の上でうずくまっていると、だんだんと眠気が襲ってきて私は目を閉じてしまった。
砂の温度も相まって、すぐに意識は闇の中へと落ちていった。




