第十四話 波紋
「うぅ……寝不足……」
昨日、色々なことが頭の中でぐるぐる回って、よく眠れなかった。
カノン姉様のこと、レベリオ王妃のこと、それから__エディアスのこと。
何かがある、でも確証はない。図書室で得られる有力な情報は、おそらく全て読んでしまった。
(……次は、直接接触を図るしかないかもしれない。)
そう考えながら廊下を歩いていると、正面から見慣れた背の高い影が近づいてきた。
「セレン?」
「あ……おはようございます。」
そう口にした挨拶は、自分でも驚くほどに覇気がなかった。
「……顔色がわるいな。」
「そう、ですか……?」
無意識に頬に触れると、いつもより冷たい気がした。
「昨夜、眠れなかったのか?」
「……少しだけ。」
エディアスは一瞬、何かを言いかけているように口を開き、それから小さく息を吐いた。
「無理はしないように。」
そう言って、私の肩にふわりと外套をかける。
ぐっ、と近づいた距離に、胸が小さく跳ねた。
「ちょうどよかった、話があるんだ。」
「そうなんですね。では、私の部屋で紅茶でも……」
「そうしよう。」
エディアスはそう答えたが、外套を私にかけたまま、すぐに距離をとることはなかった。
肩越しに伝わる手のひらの温度と、微かに感じる彼の息遣い。そんな近すぎる距離に、心臓の音が全身に響いた。
「……あの。」
何か言おうとして、言葉が喉に引っかかる。視線を上げると、アイスラベンダーの瞳と目が合った。
ほんの一瞬、互いに動けなくなる。
「……冷えるから、ちゃんと羽織っておけ。」
先に目をそらしたのは、エディアスの方だった。ぶっきらぼうにそう言い残して、早足で先を歩いていく。
(……冷えるどころか、とっても熱いわ。)
かけられた外套をぎゅっと握りながら、ゆっくりとエディアスの後ろを追いかけた。
◇◇◇
部屋に入り、ソファに向かい合って座る。私達の間に言葉が交うことはなく、侍女がティーセットを持ってくるまで沈黙が続いていた。
視線がぶつかるたびに手元を見る。そんな落ち着かない空間に、扉がノックされる音が響く。
「失礼します、紅茶をお持ちいたしました。」
「ありがとう、あとは自分でやるから下がっていいわ。」
「承知いたしました。」
侍女が部屋から出ていくのを確認してから、私はティーポットを持った。ソーサーの上に置かれたティーカップに向けて、ゆっくりと傾けていく。
手が震えて、今にもソーサーに紅茶を注いでしまいそうだ。
その時だった。
「危ない。」
エディアスがこちらに移動して、私の手首をそっと支える。
一瞬、ぴたりと動きが止まってしまった。
「あ、ありがとうございます。」
そんなぎこちないお礼をして、再びティーポットを傾ける。
エディアスが触れている部分だけ、じんわりと熱を持っている気がして、視線を必死にそらした。
「よそ見をするな。」
「ご、ごめんなさい。」
(怒られちゃった……)
次第に頬に集まっていく熱に気づかないフリをして、私は紅茶を注ぐことに集中する。紅茶の爽やかな香りが、張り詰めていた空気を和らげていた。
エディアスは先ほど座っていた位置に戻り、私が差し出した紅茶にミルクを入れていた。
私も、自分の紅茶に角砂糖を三つ入れる。
「……君は、甘い物が好きなのか?」
「え?あ……多分。」
人間の食べ物はどれも美味しいので、あまり好みを気にしたことがなかった。だが、思い返してみれば甘味のある物を好んでいるかもしれない。
「エディアスは、ミルクティーが好きなんですか?」
「ああ、一日一杯は飲む。」
ミルクが紅茶に溶けて、やわらかな茶色へと色を変えていく。エディアスはその一瞬__その色から私の方へ視線を移した。
「どうかしましたか?」
「……いや、何でも。」
けれど、気づいてしまった。その視線の先が、私の髪の毛にあったことに。
(ミルクティー、私の髪の毛と同じ色……)
胸がくすぐったくなって、むずむずする。それを誤魔化すように、私はカップに口をつけた。紅茶の温度がゆっくりと喉を通っていく。
けれど次の瞬間、エディアスの表情がわずかに引き締まった。
「……近々、王国の使節団が来るんだ。」
「使節団、ですか?」
「友好の名目でな。今回は文化交流も兼ねて、皇都で展示会を開くらしい。」
「展示会?いったいなんの__」
「詳細はまだ伏せられているが……珍しい蒐集品が並べられるそうだ。」
次に発せられたその言葉に、肩が小さく跳ねた。まるで、冷たい深海に閉じ込められたような感覚が広がる。
「使節団の中心人物は__レベリオ王妃だ。」
カップに震える指先が当たって、カチンと音が鳴る。
「いつ……いつ来るんですか?」
「三日後には到着するらしい。」
「三日後……!?」
__あまりにも近すぎる。
私は驚きのあまりに、大きな声を出してしまう。この前の生誕祭で、王国と皇国は交流をしたばかり。
なのに、こんな短期間でまた会うことになるとは思わなかった。
エディアスの顔をチラリと見やる。彼は顔を曇らせていて、王妃のことを考えているのは一目瞭然だった。
(また、あの作られた微笑みと対面しなければならないのね……)
雫が水面に落ちるように、私の胸の奥で確かに波紋が広がっていた。




