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第十二話 揺れる心、歪む鏡

 


 馬車が静かに走り出した。聞こえるのは規則正しい車輪の音だけ。


 窓の外は火照ったような橙に染まっている。


 向かい合って座るエディアスと私の間に、言葉が交うことはなかった。


 先ほどまで、音楽と人の声で満ちていたというのに、それが嘘のように思える。


「緊張、したか?」


 不意に、淡々とした低い声が静寂を割った。


「少しだけ。」


「……王妃のことか?」


 図星を突かれた私は、数回まばたきをしてから小さく頷いた。


「……はい。」


「そうか、あまり気にしないでいいからな。」


 そう言ったエディアスの視線は、一瞬だけ窓の外に流れた。


 まるで、言葉の奥に何かを隠すように。


「でも……少し、寂しそうに見えました。」 


 あの時、エディアスの視線の先にいたのはレベリオ王妃だった。その隣には、私を見つめ続けていたイリオス。


 誰の表情が胸に引っかかったのかはわからないが……


 エディアスの表情が、憂いを帯びているように見えてしまった。


 馬車の揺れに合わせて、再び沈黙が落ちた。


「……ただの、昔の知り合いだ。」


 それだけ告げると、彼はそれ以上何も語らなかった。


 踏み込めない距離が、確かにそこにあったのだ。


「……ワルツ、楽しかったですね。」

 

 私は話題を変えるために、そっと言った。


「ああ。」


 帰ってきた返事は短いものだった。


 けど、その声は優しいものだった。


「君が笑っていたことが、嬉しかったよ。」


 一瞬、言葉の意味を理解するのに遅れてしまった。


 だが、理解した瞬間に、全身が熱を帯びていく。


「その……ありがとうございます。」


 視線がふと重なって、すぐに目をそらした。


 エディアスにも、言えない過去(こと)がある。


(それでも……私との時間が楽しかったって、言ってくれた。)


 その事実だけで、私は……


(いいえ、まだ満たされてはいけない。)


 私には、やるべきことがある。


 そのために、エディアスを利用するのだ。


 そんな私を知ってしまえば、彼は失望するだろう。


 全てはカノン姉様のため。私には、カノン姉様しかいないのだから。


 馬車は夕焼けの中を抜けながら、ゆっくりと宮殿へと向かっていた。


 

◇◇◇


 

「あ!おかえりなさい!」 


 馬車から降りて、玄関ホールの扉を開ける。


 すると、リッテが私達の方へ元気に駆け寄ってきた。


「ずっとここで待っていたの?」


「うん、だって早く会いたかったんだもの。」


 ホールの隅にはクッションと絵本が置いてあり、帰ってくるまでの間そこにいたことがわかる。


「セレンお姉ちゃん!ドレス、とっても素敵よ!」


 リッテは目を輝かせながら、花が咲くような笑顔でそう言った。 


「ありがとう、この髪飾りを選んでくれたのよね?」


「そうなの!本当に人魚姫さまみたい!素敵!!」


「リッテ、少し落ち着くんだ。」


 頬を染めて興奮しているリッテを、エディアスが止める。


 しかし、リッテは私の手をぎゅっと握ったまま離さなかった。


「だって、とっても綺麗なのよ?お兄様もそう思うでしょう?」


 突然話題を振られたエディアスは、ぱちぱちと数回まばたきをした。


「……とても、よく似合っている。」


 簡潔な言葉だったが、確かに柔らかさを含んでいた。 


「あれ?お兄様、照れてるの?」


「いや……はぁ。こういうことを言うのは慣れないからな。」


「確かに、よく一緒にいたのはレベリオお姉ちゃんだったものね!」


 高鳴っていた鼓動が、さらに速くなった。


「……そうだな。」


「ねえねえ、セレンお姉ちゃん!パーティーはどうだった?ちゃんと踊れた?」


「あ……転びそうになったけど、エディアスが助けてくれたわ。」


 笑顔を崩さないようにそう言うと、リッテは両頬を抑えて黄色い声をあげた。


「すごいわ!お兄様、王子さみたい!」


「大げさだ。」


 ぶっきらぼうに返しながらも、照れたように顔をそらすエディアス。


 そんな二人のやりとりを見ていると、とても微笑ましくなる。


 こんな時間がずっと続けば__


 そう思いかけて、小さく首を振った。


(人間になった理由を忘れてはだめ。)


「リッテ、そろそろ部屋に戻ろう。」


「えー、でもお腹が空いたし……わかったわ。セレンお姉ちゃん、また食堂で会おうね!」


 名残惜しそうに手を振って、リッテは世話係に連れられてホールの奥へと消えていった。


 再び訪れた静寂の中で、私はエディアスを横目で見る。


 アイスラベンダーの瞳と目が合った。


「あっ……」


 目が合ってしまったことが、なんだか恥ずかしかった。私はすぐに顔をそらして、場の空気を変えるために話題を振った。


「あの、楽な服に着替えませんか?」


「そうだな、セレンの部屋に侍女を呼んでおく。」


「ありがとうございます。」


「先に部屋へ戻っていてくれ。」


 エディアスはそう言うと、私に背を向けて歩き出した。


「__あのっ!」


 私は大きな声で、彼の背中に声をかけてしまった。


「その、今日はありがとうございました……!」


「……こちらこそ。」


 こちらに顔を向けたエディアスは__柔らかく微笑んでいた。


(笑ってる……)


 ホールに一人取り残された私。


 熱を落ち着かせるために、深呼吸をして胸に手を当てた。


 その時、彼女の顔が頭に浮かんだ。


 __レベリオ王妃。


 光のない瞳、震えた指先。


 そして__あの微笑み。


 彼女は何かを隠している。そんな気がしてならないのだ。


 理由のわからない違和感だけが、私の心の後ろ髪を引いていた。



◇◇◇



 明かりの灯っていない、暗い部屋。


 その部屋の大きな鏡の前に、銀糸のような髪を揺らして立っている女性が一人。


「__ああ、憎たらしい。」


 小さく呟いて、鏡の中の自分を見る。


 濃い紫色の瞳と目が合って、唇は弧を描く。


「イリオス……貴方は私のものなのに。」


 憎しみに体を震わせる見目麗しい女性__レベリオは、息を荒げながら拳を強く握る。


 イリオスを奪われた。セレン(あのこ)が憎い。


 __なのになぜ、胸がこんなに痛むの?


 鏡に映る私が、まるで別人みたいに見える。


 思考に霧がかかったように、頭がうまく働かない。


「ふー……ふーッ……あの子のせいで……!!」


 その時、一瞬だけエディアスの顔を思い出した。


 懐かしくありながら、どこか遠い子供の頃の記憶。


「そうよ、エディアスを騙してイリオスに近づこうとしてるんだわ。私から奪うために……そうに違いない!!」


 しかし、胸に残るのは説明のつかない空白。


 まるで、大切な何かを奪われているような__


 レベリオは一瞬だけ、怒りに燃えた顔を悲しげに歪めた。


 その理由は誰も、レベリオ自身でさえわからなかった。

 

 


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