第十一話 王妃
会場に戻ると、人々は男女でペアになっていた。
音楽が奏でられ、いよいよワルツが始まる。
__のはいいのだが、私は踊り方を知らない。
「エディアス……私、踊れないです。」
「心配いらない、俺がエスコートする。」
「本当ですか?」
「ああ……だから、君に触れても構わないだろうか。」
一瞬、言葉が詰まった。
触れられても嫌な気持ちにならない、寧ろなぜか安心する。そんな気がしてならない。
この感情の名前は、何というのだろうか。
「構いません、よろしくお願いします。」
そう答えると、エディアスの手がそっと伸びてくる。
指先が触れ合い、熱を共有していく。
腰に添えられた手は、酷く優しいものだった。
「力を抜いていい。音楽に合わせて俺についてきてくれ。」
「わかりました。」
周りの人々の踊りに混ざり、私達もワルツを踊り始めた。
少しずつ回りながらステップを踏んで、エディアスの動きを追いかける。
(ワルツ、結構楽しいかも……)
チラリと横を見た。男女が幸せそうに笑みを浮かべ、くるくると華麗にターンをしている。
その時、私はバランスを崩してしまった。
ヒールの靴はやはり慣れない。足を踏み外してしまい、私は横に傾いた。
「__ッ大丈夫か?」
腰に添えられた手に力が入った。
ぐらりと傾いた体を、彼の腕が引き寄せた。まるで、波にすくわれるように。
エディアスに抱きとめられていると気づいた瞬間、頬にじんわりと熱が灯る。
「ご、ごめんなさい。」
「よそ見をすると危ない、俺に集中するんだ。」
胸元から伝わる彼の鼓動と、自分の高鳴る鼓動が重なって、私は息を詰まらせた。
不思議と、この距離が嫌ではなかった。
(私の鼓動、伝わってないよね……?)
何故こんなにドキドキするの?転倒しそうになったから?
なら、どうして__こんなにもエディアスが輝いて見えるの?
胸の奥がきゅっと締め付けられる。私は短く息を吐いた。
(私、変だわ。)
触れられるのが怖くない。寧ろ、心地よくて離れがたい。
私はしゃんと立ち直して、再びワルツを踊る。
ふと、彼の視線が私を捉える。
心配そうに細められたアイスラベンダーの瞳に、胸がざわついた。
「本当に大丈夫か?」
その声は、低くて優しい、穏やかな声だった。
そんな声を聞くだけで、胸の奥がじんと熱くなった。
「ええ、大丈夫です。」
__音楽がフィナーレに近づいていく。
エディアスに合わせてステップを踏む。クラゲが水中を揺蕩うように、ふわふわと。
最後の旋律が静かにホールに溶けていく。
名残惜しいほどの静寂の中で、私達はゆっくりと手を離す。
(あたたかい。)
触れていた指先も、私の心も。その温もりは、簡単には消えてくれなかった。
答えの出ない感情を胸に抱いたまま、私は小さく息を整えた。
「あの__」
「素晴らしいダンスでしたね。」
私が言いかけた言葉に被せるように、淑やかな女性の声が耳に響く。
「レベリオ王妃。」
「久しぶりですね、エディアス殿下。」
私達の前で立ち止まったその姿は、凛としていてどこか冷たい印象を受けた。
レベリオ王妃__イリオスの妻。
「その女性は……あぁ、妻になる予定の女性でしたね。」
「えっと……」
「挨拶は大丈夫です。イリオスから聞きましたよ、とても聡明な方なんだ、って。」
優しげな微笑みは、誰が見ても穏やかな女性に見えるだろう。しかし、その視線には温度を持っていないように感じる。
__私はどうして緊張しているの?
「お褒めの言葉をありがとうございます。」
私が口を開くと、空気が鋭く冷えた気がした。
「エディアス、貴方は変わったのね。」
「変わった、とは?」
「だって、私以外の女性が苦手だったじゃない。」
私の肩が微かに揺れた。
その言葉が棘のように残る。
「確かに、昔はそうだった__だが、今は違う。」
エディアスはレベリオ王妃から目を離して、私と目を合わせた。それだけで、私の頬に熱が集まっていく。
「不思議なんだ、セレンといると心が安らぐ。」
目元がきゅっと細められて、口角が微妙に上を向いている。
「それに、放っておけないんだ。そばにいないと落ち着かない。」
この感情の名前を知りたい。
カノン姉様やリッテから向けられる視線とも違う、その優しい眼差しは何なのだろう。
「……そう、いい人と出会えてよかったですね。」
「ああ。」
一瞬の沈黙のあと、この世で一番嫌いな声が耳に届いた。
「レベリオ、こんなところにいたのか。」
「イリオス。」
平静を保つために小さく息を吐き、痙攣しそうな口角を抑えて笑顔を保った。
「……何を話してたの?」
「セレンさんがエディアス殿下に"お似合い"だという話ですわ。」
「確かに"お似合い"だな。」
微笑みを崩さないレベリオ王妃、先ほどから私から目を離さないイリオス。
それから__レベリオ王妃を見つめる、エディアス。
(何故、彼女を見るの?何か、心残りでもあるの?)
その瞬間、レベリオ王妃の指先が、わずかに震えた。
しかし、すぐ優雅に組み直される手。
ほんの一瞬、何かを抑えきれなかったような__そんな表れのような気がした。
微笑んでいるが、王妃の瞳には光が灯っていないように見える。
これは__嫉妬?
いいえ、そんなはずはない。だって、彼女はイリオスの妻なのだから。
(この違和感は、一体なんなの?)
「エディアス殿下、私達は他の方に挨拶をしてきますので。」
「ああ。」
「では、ごきげんよう。」
レベリオ王妃はそう言うと、イリオスの手を引いて群衆の中へ溶けていった。
まるで、イリオスをこの場から遠ざけたいかのように。
「……そろそろ帰るか、リッテも待ちくたびれていそうだ。」
「ええ……そうですね。」
エディアスは神妙な面持ちで私の手を取った。
彼が今、何を考えているのかはわからない。
私が知らない過去のことを思い出しているのかもしれない。そう思うと、話しかけることができなかった。
たくさんの不安を抱えたまま、私達は会場を後にして馬車へ乗り込んだ。




