第十話 生誕祭
「皇太子殿下だ、でも隣の女性は誰?」
「何故、女性が隣にいる?」
「見たことがない女性だわ。」
その場の人間は皆、ひそひそと憶測を語っている。
「セレン、俺から離れないほうがいい。」
「わかりました。」
エディアスと小声でそう交わして、私達は空いているスペースへと向かう。
(ああ、なんて汚らしい視線なのかしら。)
どれも、外見や肩書だけで私を判断している。やはり、人間とはそういう生き物なのだ。
すると、大きな声を出してこちらに近づいてきた人間が一人。周囲のざわめきがわずかに静まった。
「これはこれは、エディアス皇太子殿下ではありませんか。」
笑みを浮かべながら、私達の目の前で止まった男。
その男の髪色は__プラチナブロンドだった。
「イリオス王子、生誕おめでとうございます。」
(こいつが、こいつがカノン姉様を……!!)
「……生誕おめでとうございます。」
「今日は随分と目を引く方をお連れですね。」
「ああ、この女性は俺の妻だ。」
エディアスの一言で、会場が完全に静まった。
イリオスは一瞬だけ目を大きく開いたあと、私の方を見た。
目線が上から下に動いた。髪の毛から瞳、首元、ドレスへとゆっくり滑っていく。
まるで、品物を眺めるかのように。
「……なるほど、結婚式はいつなんです?」
「まだ決めておらず、近々行うつもりです。」
「そうですか、では楽しんでいってください。」
イリオスは私と目を合わせてから、ゆっくりとその場を立ち去っていった。
「大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。」
「……何か食べるか?」
「そうします。」
エディアスと一緒に、食事が置かれたテーブルへと向かう。エディアスに話しかけようとする人が近寄ってきたが、何故か誰も声をかけなかった。
テーブルには、さまざまな料理が並べられている。
(人間は、虚飾が好きなのね。)
見た目だけが美しい料理、無駄に飾られた食器の数々。この料理も、食べ残されて捨てられるのだろう。
ああ、なんて浅ましいのだろうか。
綺麗に盛り付けられた焼き魚を一口食べる。
やはり、あまり美味しく感じなかった。エディアスにもらったリンゴのほうがよっぽど美味しかった。
「……顔色が悪い、少し休むか?」
女性がまとっている、鼻が曲がりそうなほど甘い匂い。それが会場に充満していて、気分が悪い。
「……外の空気が吸いたいので、バルコニーにいますね。」
「一人で平気か?」
「平気です、ごめんなさい。」
私はエディアスから離れてホールを出た。
廊下をさまよい、途中使用人に道を聞きながらなんとかバルコニーまで来ることができた。
ここは会場より少し遠いので、人の声も届かない。
ため息をこぼしながら、私は空を見上げた。
雲一つない青空。まるで、純粋無垢だったカノン姉様みたい。
そんな姉様を汚し、捨てたのが__
「おや、奇遇ですね。貴女も休憩ですか?」
「……イリオス王子殿下。」
何食わぬ顔で私に近寄り、腰に手を添えられた。
「ああ、やはり美しい。」
「イリオス王子殿下……!」
「ね、エディアス皇太子はやめて俺にしない?」
ぞわりと背中が嫌悪で震えた。
「飾っておくには惜しい。俺なら皇太子より満足させてあげられる。」
吐息混じりの声でそう囁かれ、えずきそうになった。腰を撫でていた手は、だんだん背中を滑り下りていく。
私は一歩離れて、イリオスを睨みつけた。
「おやめください。」
「そんなに警戒しなくてもいいだろ?ただ綺麗だと思っただけさ。」
この男はどうしようもないということがわかった。
見え透いた嘘をつき、欲しいものは必ず自分の物にする。
その目は私ではなく、"価値"を見ていた。
「私は物ではありません、飾りでもありません。」
「へえ、強気な女性は嫌いじゃないよ。」
瞬間__腕を無理やり引かれて、私はイリオスに抱きとめられた。
「皇太子はさ、寡黙でつまらない人間だろ?どうせ放置されて終わりさ。」
「離して……!!」
「なら、俺のほうが__」
イリオスがそう言いかけたその時だった。
地を這うように低く冷たい声が、耳に入る。
「何を、している。」
コツコツと足音を響かせ、艶やかな黒髪を揺らして現れた彼__エディアスが私達を鋭く見下ろした。
「おっと、これはこれは皇太子殿下。」
「今すぐセレンを離せ。」
イリオスは私をゆっくりと離す。その瞬間、エディアスは解放された私を背に隠した。
「どういうことだ、イリオス王子。」
「少し戯れていただけですよ。」
「人の妻に手を出すなど、言語道断だ。」
「わかっていますとも。」
空気が震えているような感覚が私を包んだ。エディアスの圧がこの場を制している。
「ただ、人間とは思えないほどの美しさに目を奪われただけです。蝶は花に惹かれるでしょう?」
目の前の大きな背中から、静かな怒気を感じ取った。
「お飾りの妻にしてはもったいない。ですから__」
「それ以上口を開いたら、容赦はしない。」
鋭く刺すようなその言葉に、イリオスは言葉を詰まらせていた。
「飾りなどではなく、俺が惹かれたんだ。」
私は目を見開いた。
契約結婚に愛など存在しない、そんなことは私が一番よくわかっている。
だが、続きが聞きたいという欲が出てしまった。
息を呑み、次の言葉を待った。
「セレンは確かに美しい。だが、一番輝いているのは__情に深く、それでいて芯のある彼女の心だ。」
頭が真っ白になった。そして__知ってしまった。
エディアスが私を見る目は、違うのだと。
"契約結婚した妻"ではなく"私"のことを見ている。
この人は、他人を見かけで判断したりなんかしない。
「不思議なんだ。彼女と一緒だと世界に色がついたような感覚になる。」
「エディアス……」
「だから、誰の手にも渡さない。」
「……はは、本気なんですね。」
「当たり前だ。」
「……では、俺はこの辺で戻りますかね。」
イリオスはそそくさとバルコニーを去った。
残された私達の間に、沈黙が落ちる。
「……貴方は、ちゃんと私を見てくれていたんですね。」
「俺は、外面だけで他人を判断する人が嫌いだ。」
「ふふ……嬉しかったですよ。」
この言葉は嘘なんかじゃない。だって本当に嬉しかったから。
人間は皆、愚かで傲慢な生き物。
だけど、そうじゃない人もいるのかもしれない。
人魚の私、人間の私。
この体と心には、嘘がたくさんある。
(……もしも、ありのままを受け入れてくれたら?)
「エディアス。私、私ね……」
「何だ?」
「__ううん、やっぱり何でもないです。」
私の幻想をここで言うべきではない。だって、唯一彼とつながっているのは契約だけだから。
上辺だけの関係、それでいい。
「会場に戻れそうか?そろそろワルツが始まる。」
「もう大丈夫そうです、戻りましょうか。」
エディアスが私に手を差し出した。その上に手のひらを重ねて、私は微笑んだ。
どんな微笑みなのかはわからない。
だけど、きっと穏やかな笑みを浮かべているのだろう。
暗い海の底に、差し込む一筋の光のように。
私の心はわずかに温度を取り戻していた。




