第九話 招待状
エディアスが部屋を出てから暫く経った。しかし、一向に戻ってくる気配はない。
先ほどからずっと、リッテが人魚姫について語っている。とても楽しそうに話すので、止めることもできないでいた。
「セレンお姉ちゃんって、綺麗な瞳をしてるね。」
「そう?自分で見たことがないからわからないわ。」
「海みたいな青がとっても素敵!人魚姫さまも青色の瞳をしていたんですって!」
確かに、自分の姿をしっかり見たことがなかったかもしれない。海には、姿を映すものが存在しないから。
(それに、私はその人魚姫の末裔なんだけど……)
「ねえ、セレンお姉ちゃん。人魚に会ったことはある?」
「ないわ、会っていたとしても記憶が……」
「でも、あの鱗は人魚のものでしょ?」
「そうだけど……」
自分の尾ひれから剥いだ鱗です。
なんて言えるはずもなく……
嫌な記憶が蘇る、人魚の話。それを聞かされ続けた私は、もう限界だった。
何故、人間は人魚に憧れるの?どうして対等に扱ってくれないの?
人間が紡ぐ話は、何故悲しい部分を美談にするのだろうか。
そもそも、人魚姫が幸せになったかどうかなんて誰も知らないのに。当事者の人間は、寿命で空へ還っているはずだから。
「セレンお姉ちゃん?」
急に黙った私を見て、不思議そうに首をかしげるリッテ。そんなリッテに張り付けた笑顔を向けて、私は一つ質問をした。
「……人魚姫は、幸せになったと思う?」
「うーん、私は幸せだったと思うわ。でも、それは誰にもわからないことなのよ。」
「そうね、幸せは人それぞれだもの。」
だけど、私は幸せを永遠に知ることはないだろう。
そもそも、幸せになる資格があるのだろうか。
復讐が終われば海へ帰る身なのだ、人間の物語に私の居場所はどこにもない。
__コンコン。
扉を叩く音で、私は我に返った。
「戻った。」
こちらへ歩み寄るエディアスは、眉をひそめていた。まるで、私と初めて対面したときのように。
「リッテ、中庭で遊んできたらどうだ?」
「えー、まだセレンお姉ちゃんと一緒がいい。」
「大切な話があるんだ。」
「はぁい……セレンお姉ちゃん、またあとでね!」
少し不服そうにしているリッテだが、エディアスの真剣な顔を見てしぶしぶ部屋を出た。
「さて、俺たちは契約結婚をした。」
「そうですね、利害一致の関係です。」
「……先ほど、従者が書状……いや、招待状を持ってきた。」
「招待状、ですか?」
招待状……皇国の政治にまつわる人物からだろうか。
それならば、従者が直接エディアスに持ってきたのも納得できる。
中々口を開かないエディアスの様子に、迷いがあることを感じ取った。
「私なら、大丈夫です。何でも言ってください。」
「……王国から、生誕祭の招待だ。」
マグロが頭に衝突した時のような感覚がした。
もし、そこがファンシュバキア王国ならば。王子に会って復讐ができるかもしれない。
心底憎い、裏切り者に。
「その、お、王国とは……」
「ファンシュバキア王国の、イリオス王子の生誕祭だ。」
私の喉から空気が漏れる音がした。
これは逃せられないチャンス。しかし、欲を出しすぎてはエディアスに疑われてしまう。
「その生誕祭、私は同行できますか?」
震える声でそう尋ねると、エディアスはため息をついた。
「そのことなんだが……イリオス王子が女を紹介すると言っている。」
「ですが、形式上は私と結婚しますよね?」
「それで困っているんだ、体調がよくない君を連れて行くわけにもいかない。」
「でも、エディアスが困るのは嫌です。だからこそ同行したいんです。」
私は眉を下げてエディアスを見上げた。もちろんこれは、同行するための演技だが。
リッテの恩人である私の頼み、断るわけにはいかないでしょう?利用するのは少し心苦しいが……
「……わかった。だが、無理はしないように。」
エディアスが折れて、私が同行することを了承した。
__これで、直接会える可能性ができた。
「完璧な妻を演じると約束します。」
「もう一度言うが……無理は禁物だからな。」
「はい、わかっています。」
「パーティーは明日だ、しっかり休んでおいてくれ。」
そう言ってエディアスは部屋を出ていった。
***
その日の夜、私は中々眠れずにいた。
ベッドに横になっても、頭に浮かぶのはファンシュバキア王国の名と、イリオス王子のことばかりだった。
(明日、会えるかもしれないのよね。)
胸の奥で波が立つ。
期待と憎しみ、不安と__ほんの僅かの恐怖。
それらを感じては、呼吸が乱れた。
深呼吸をしてから、再び目を閉じる。それから、自分に言い聞かせるように頭の中でこう唱えた。
『私は、復讐するために人となり、今ここにいる。』
そうしていつしかやってきた眠りは、酷く浅いものだった。
◇◇◇
目を覚ますと、部屋の大きな窓から柔らかい光が差し込んでいた。
悪かった体調も、昨日より幾分か楽になっている。
(今日は、生誕祭。)
私の心がざわざわと騒いでいる。
「すぅ……はぁ……」
深呼吸をして、朝の瑞々しい空気を吸い込み、ゆっくりと吐く。すると、少しだけ心が軽くなった気がした。
「セレン様、お目覚めになられていますか?」
扉が控えめにノックされて、落ち着いた女性の声が聞こえた。
「入って大丈夫ですよ。」
「では、失礼いたします。」
厳格そうな侍女がたくさん部屋に入ってきて、皆それぞれ荷物を抱えている。
「洗面器です、顔を洗いましたら支度を始めます。」
そう言った侍女は、ベッドの縁に座る私の前に水の入った桶を出してきた。
(水……)
決して水が嫌いなわけではない。ただ、海が恋しくなってしまう。
しかし、ここで私が渋っていても事が進まないので、仕方なく水を顔につけた。
「では、ドレスを着付けます。どの色がよろしいですか?」
侍女たちがそれぞれドレスを持って、ズラリと横に並んだ。
「青色のドレスがいいと思っていたんだけど……」
「かしこまりました、青のドレスに絞りましょう。」
青系統のドレスを持っていない侍女が、横並びの列からどんどん抜けていく。
最終的に残ったのは、ふんわりしたドレスと体のラインに沿うようなドレスだった。
「うーん……こっちの、細いほうにするわ。」
「かしこまりました。」
私が選んだのは、深い青のドレス。
胸元から腰にかけて緩やかに体の線に沿い、裾だけが波打つように広がっている。
侍女たちが私の周りを囲み、ドレスを着せていく。
「次は化粧をして髪型を整えます。」
人魚のときは服を着ることがなかったので、違和感がものすごい。それを我慢しつつ、私は椅子に座らせられた。
「……え、これは誰?」
「はい?セレン様ですよ。」
目の前には、私と同じ髪の色をした女性がいた。
「なんで私がいるの?」
「これは鏡です、目の前の姿を映すんですよ。」
「不思議……」
水面を見た時よりも鮮明な姿に、少し照れくさくなった。
鏡の中の自分を見ると、瑠璃色の瞳と目が合う。
(確かに、海みたいかも……)
「はい、目を閉じてください。」
瑠璃色の瞳をじっと見つめていたが、侍女の言葉で我に返った。
言われた通りに目を閉じていると、顔にこそばゆい感触が。
「ふふ……くすぐったいわ。」
甘い粉?を顔とまぶたにつけられて……同時に髪の毛をいじられる。
最後に、唇に何かを塗られてから『完成です』と言われた。
恐る恐る目を開くと、そこにはまるで彫刻のような私が映っていた。
「……この人、本当に私?」
「はい、とても麗しい姿になられましたね。」
「化粧って……すごいのね。」
髪は綺麗にまとめられていて、青い飾りが付けられている。
(あら、よく見たら……ヒトデ?)
「髪飾り、気に入られましたか?皇女様が選ばれたものなんですよ。」
「リッテが?」
「セレン様は人魚姫さまみたいに綺麗だから、この髪飾りにしてほしい。と……」
リッテがどんな姿でそう言ったのか、簡単に想像できてしまった。
「ふふ、気に入ったわ。リッテはセンスがいいのね……お礼を言っておいてくれると助かるわ。」
「皇女様に伝えますね。」
そんな話をしていると、扉が二回ノックされた。
「セレン、支度は終わったか?」
エディアスの声が聞こえてきて、『入ってどうぞ』と返事をした。扉が開かれて、エディアスが部屋に入る。
「セレン、そろそろ時間__」
私を見た瞬間、大きく開かれた目。息を呑み、時が止まったように固まるエディアス。
「ど、どこか変ですか……?」
「いや、寧ろ……何でもない。」
「それならよかったです、では……参りましょうか。」
「そうだな、馬車へ向かおう。」
侍女たちにお礼を言ってから、私はエディアスの後ろをついていった。馬車までたどり着くと、御者が乗るのをサポートしてくれた。
「すごい、本当に馬が引っ張るんですね。」
「あとで褒美をやらないとな。」
揺れる車内で、何の意味もない会話を続ける。
そうでもしないと、胸の中が凪ぐ様子を見せなかったから。
***
無事に会場にたどり着くことができた。馬車を引いていた馬を撫でてから、ファンシュバキア城の中を歩いていく。
「ヒールは辛くないか?」
「歩きにくいですが、大丈夫そうです。」
「……そうか。」
エディアスは何か言いたそうにしていたが、口を閉じて前を向いた。
長い廊下を進んでいくと、次第に人の声と音楽が大きくなっていく。
(もう、戻れないのね。)
復讐のための一歩。
それから、人間の世界に踏み込む一歩。
会場に近づくたびに大きくなる憎悪を抑え込んで、私はエディアスを横目で見る。
「行こうか__お手をどうぞ。」
「ええ、ありがとう。」
扉が開かれて、シャンデリアのまばゆい光が降り注ぐ。無数の視線が私達に突き刺さる。
ここが人間の世界__社交界なのね。
華やかで美しく、眩しく、そして__残酷な場所。
(待っていなさい、イリオス王子。)
胸の中で、熱を帯びた憎しみが静かに、確実に燃え上がっていく。
私は微笑みを顔に張り付けたまま、復讐の舞台へと一歩踏み出した__




