ある不良生徒について-2
お昼休みになり、俺は事前に購買で買っておいた数個のパンを持って教室を出た。影なるもの特有の速歩きで、学食や外にお昼を食べにいく生徒の間をそそくさとすり抜けていく。
多分俺の存在を認識している奴はこの中に1/3もいない。この隠密スキルをもってすれば、俺の存在に気づくことは難しい。ただ影が薄いだけだろとかいうのは無しで。
俺の通う学校は校舎が北と南に分かれており、普段授業を受けている教室があるのは南校舎の方だ。北校舎には音楽室や美術室といった特別科目の教室が固まっており、文化部が活動していることが多いため、文化棟なんて呼ばれ方もしている。
誰もいない渡り廊下を歩いて俺は文化棟に来ていた。放課後ならば部活をしている生徒も多いためそこそこ盛んな文化棟だが、昼休みにはまるで人影がない。コトコトとスリッパと廊下が重なり、擦れる音がはっきり聞こえるほど静かである。
文化棟をしばらく歩くと、ある一つの教室が見えてくる。北側の校舎自体、普段授業をする教室がある南校舎に比べて使われる機会が少ないため、うすら汚れていることが多い。
そんな校舎の中でも、特に暗い印象を与える教室がある。会議室3と書かれているはずの、ほとんど見えなくなっているプレートがかかった教室のドアを俺は開いた。
中央に無造作に置かれた椅子と散らばったいくつかの机が並ぶ無機質な空間。レイアウトだけ見れば会議室をイメージできるが、しかしまるで使われているような形跡がない殺風景な場所に、座っておにぎりを頬張っている菜名宮の姿があった。
ドアが開く音を聞いたのか菜名宮はこちらを振り向いた。おにぎりを頬張った様子はまるで食事を溜め込んだリスのようにも見える。こいつを動物で例えた時に、リスかと聞かれれば絶対そうじゃないけど。
「そろそろこの部屋掃除しないのか?」
開口一番に俺は菜名宮に聞く。ほとんど使われている形跡がない会議室3は、現在菜名宮と俺が昼食を食べるために占有している。
ほとんど人が寄り付かないので、当たり前だがほとんど掃除もされない。そのために机の上や床が結構汚い状態なのだ。健康面に実害が出るほど汚いわけではないが、潔癖症の人間が見たら悶絶するくらいの汚さをしている。
「別にまだ気にならないし、いいかなあって。」
「気にならないとかの問題じゃないんだよなあ。掃除の当番お前だろ。」
「そうだっけ。」
「…はあ。またやっとけよ。」
とぼけているのか本心からの疑問なのか判別できない反応に呆れながら、俺は菜名宮の前の席に座る。
菜名宮の方はといえば、おにぎり片手にタブレットを覗き込み小難しい顔をしていた。
「日本人とアフリカの人じゃあ、識字率がまるで違うみたいだね。」
パンの袋を開けた時、菜名宮は突拍子もなくそう呟いた。その視線はタブレットの方から動かない。
「いきなりどうした。」
「今、各国の教育状況のグラフを見てて気がついたんだよね。アフリカとか他にも一部の国では、著しく文字を読める子供が少ないらしい。」
どうやら菜名宮は、アフリカの識字率に書かれたニュースを読んでいるようだ。iPadをスライドさせながら、時折眉を潜ませている。
「ほんといきなりだな。」
なんの脈絡もなくいきなりそんな話題を切り出した菜名宮に眉を顰める。
「アフリカじゃ、多くの地域で教育がまともにされていないから仕方がない。ほとんどの家庭は学校に子供を通わせるお金がないほど貧困で苦しんでいるし、そもそも子供が貴重な働き手となっているなら尚更学校に行かせようなんて思わないだろうな。」
「子供が働き手、ねえ。日本じゃ考えらんないな。」
相変わらずタブレットから視線を離さず、画面をしっかり見続けている。食事中に電子機器触るなって言いたいが俺も家ではよくしているのでなんも言えない。
「何をしようかな。」
手を顎の下に当てて、菜名宮はまるで探偵のように考える仕草を取っていた。
おそらくほとんどの人はこの言葉の意味が瞬時には理解できない。いきなり何言いだしているんだ、となるだろう。
ただ菜名宮とそれなりの時間を過ごしてきた俺はすぐにその意味を理解した。
「手っ取り早いのは現金の寄付か、教育資材を送るとか。現地でのボランティアなんてのもあるけど、お前が行くにしては知識も時間も足りないからな。」
「なるほど…なら教科書を送ろうかな。」
「あてはあるのか?」
「ない。けど準備するよ。どこに送るのがいいかも調べなくちゃいけないね。」
そう言いながら、菜名宮は手に持ったタブレットになにやら打ち込み始めた。
菜名宮という人間は、何よりも弱者のために行動する人物である。誰かが困っているのを見つけたらすぐに助けに行くし、困っている被害者がいればどんなに身を払っても解決しようとする。
例えばこうして貧困に悩んでいる人がいたとして、多くの人は「そんなことあるんだ」と関心を抱く程度だろう。一部の人は「何かできないか」と考えたりして、さらにごく一部の人は募金や支援なんかの方法を調べるかもしれない。俺だって多分、せいぜい何かできないかと考える程度だ。
ただこいつは違う。困っている人の存在を知れば、菜名宮はすぐに助けに向かう。例え自分の手が届かない場所でも、必ずどうにかして救い出そうとする。
菜名宮には考える時間など存在しない。困っている人がいればただ助けようと動き出す。それはもはや本能の域に近い。
菜名宮が多くの人に好かれる要因には、人のピンチに手を伸ばす優しさがあるだろう。いつも明るく思慮深い活発な少女は、普通の人よりも桁外れたヒーロー気質を持っている。
それだけではただの優しい人間である。目の前に助けを求めている人か、あるいは立場的に弱いものに対していつでも、すぐに手を差し伸べるその優しさは度が外れているとは思うが、この世にそんな人が全くいないわけではないだろう。
ボランティアや被災者支援に参加している人なんて、全員ではないだろうが、それでも大半の人は心の中にある優しさからそんな活動をしているだろう。
しかし菜名宮が異常である所以は、少なくとも高校で多くの時間を過ごしてきた俺から見て確定的である、弱者に救いの手を差し伸べるという点だけではない。
「それにしても、どうして子供が働かないといけないような環境なんだろうか。」
「また唐突だ。…実際、難しいな。こういった問題は要因が多くて複雑だ。何も単純な理由でそうなってるわけじゃない。」
「パッと思いつくのは産業の格差、教育者の不足、貧困問題くらい?似たり寄ったりだけど細かく見ていけば違うよね。」
「大まかなのはそこらへんだろうな。先進国と比べれば何もかもが足りていない。」
「貧困問題にしろ教育者の不足にしろ、大概な問題だよねえ。根本的に解決することが必要なことばっかりだ。」
菜名宮はベッタリと頭を机の上に置き倒れ込む。漫画のキャラが、夏の暑さに打ちのめされて溶けているみたいな体勢だ。
「一朝一夕で解決できるなら、とっくにこんな問題は消えている。未だに残っているのはそういうことだろ。」
「どこが悪いかって言われてもパッと思いつくわけじゃないよねえ。強いていうなら人類の歴史が悪いかな。」
「スケールがでかすぎる。」
俺のツッコミに反応することもなく、菜名宮はタブレットをいじり続けている。というかさっきからこの子一度も目合わせてくれないんだけど。ずっとタブレット見ておにぎり頬張ってる。嫌われてんのかな。
とまあ、そんな冗談は置いておく。
先ほどから菜名宮は貧困に喘いでいる存在を救う方法を考えて、その原因を探していた。菜名宮六乃の異常性は、人間性は、そこにある。
菜名宮は立場の弱いものに寄り添い救おうとするが、それと同時に、絶対的に立場が弱いものが生まれる原因を、悪の存在を許さない。誰よりも誰かが理不尽な状態にあることを、意味もなく罰を受けることを許さないのだ。
その原因が何であろうとも牙を向ける。菜名宮のそんな行動は一見無茶苦茶に見えるものばかりだ。
こいつは絶対的な存在を疑うことにも容赦がない。
一見安泰に見えるグループでも、上手く運営されているように見える組織であっても、誰かが虐げられていないか、損をしていないかと疑念を持つ。
菜名宮は生まれながらにして何かに刃向かい、絶対的なものを疑い、争うモンスターである。
菜名宮六乃という人間を最も適切に表すなら、革命家という言葉が相応しい。常に弱者を救い、悪と戦い続け、悪い現状ならすぐに改善しようとする。その信念はもはや狂気の沙汰と思えるほどだ。
そうして俺は菜名宮という人間に何度迷惑を被ったかわからない。菜名宮の活動にどれほど巻き込まれたか…思い出すだけでで頭が痛くなってくる。この頭痛を理由に早退しようかな。
菜名宮は未だタブレットを覗き込んでいる。時計を見ると昼開けの授業がもう始まりそうな時間帯だった。
「早く教室戻ってこいよ。」
「はーい。」
俺は鞄を手に取って会議室の3を後にすしたり菜名宮は校内でも有名人ではあるが、菜名宮と俺の昼休みのこうした過ごし方はあまり知られていない。
おそらく昼休みが始まった瞬間、教室を出ていく菜名宮の姿は多く目撃されているだろうが、その後に教室をそそくさと出ていく俺の姿を認識してる奴なんて多分ほとんどいないからだ。
ていうか認識されてても「教室でぼっち飯はいたたまれないから別の場所行ってんだな」くらいに思われてると思う。だから別に泣いてなんか(ry
だがまあ、俺にとってはこの空間を知られないことは色々と都合が良い。そのために俺は菜名宮よりも早く教室を出る。
ヒューヒューと、春風がが窓を揺らす音がする。特別校舎だからだろう、窓の立て付けが悪くガタガタと時折聞こえてきた。
先ほどのタブレットを真剣に覗き込み、何かをずっと思案している菜名宮の姿を頭に思い浮かべる。やはりあいつは異常だと改めて思った。