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菜名宮六乃の革命日記  作者: 冬月 木
あるバトミントン部員について
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あるバトミントン部員について-2

昼休み明けの授業が終わり、クラスは喧騒に満ちていた。


「やっと終わった…」


「眠たかったわ。」


クラスのあちこちからそんな声が聞こえる。さっきの授業、あまりにも眠かったからな。結構な人数が夢と現実を行き来していたはずだ。


ただでさえ考えることが少ない世界史の授業というのに加え、さらに担当が声の小さいお爺さん教師と言うのも眠くなる理由の一つだろう。


かく言う俺も授業の半分くらい意識がなかった。なんやかんやでこの授業いつも起きているはずなんだが、今日はなんだか睡魔に勝てなかった。


おそらく昼休みに神経を張り詰めすぎたのが原因だろう。あれで疲れるってところがコミュ症曝け出してる。


疲れ切った体を少しでも休めるため、俺は頭を机に乗せ手を机の上に乗せる。いわゆる寝たふりポーズだ。寝たふりと言っても実際は目を休めるだけで効果があるらしいし意外と休めてるような気がする。


後何より、約1名を除いて他の人から気にかけられないって言うのが大きい。いわばこれは他の人から俺の存在を限りなく見えなくする術みたいなものだ。


あるいは他者との間に大きな壁を作るATフィールドとも言える。この体勢を取る事で俺は安心して休み時間を過ごすことができるのだ。そもそも元から気に掛けられることがないっていうのはなしで。


「いやあ…やっぱ世界史かったりいわ。」


「お前開始5分で寝てたもんな。」


「ちゃんと話聞いてあげないと小畑先生が可哀想だよ。」


「いや廉斗真面目かよ。」


「一応これでも優等生だからね。」


「かぁー、そりゃそうだな。」


寝たふりのポーズをとってすぐ、クラスの中心で男子数人が雑談に興じているのが聞こえた。ざわざわとあたりで雑談が起こっている中でクラスの中心かつ声が大きいため、一際その会話が耳に入る。


その中にはおそらくクラスで一番人気の男子、というかリア充の化身である竹内がいる。謎に爽やかなあの声は間違いなく竹内のものだ。なんか女子がキャーキャー言ってる時だいたいあの声聞こえるし。


「世界史って案外面白いよ?戦争がなぜ起こったりしたのかとか、昔と今の違いとか比べたりするの楽しいし。」


「いやそれ廉斗だけだべ。俺にとって世界史は地獄以外の何者でもないから。」


竹内の周りにいるであろう男子…モブAでいいか。がなんかそんなことを言っている。


「小畑が何言ってるかよく聞こえないし。あんなん寝るしかないっしょ。」


また別のモブBがAに呼応するように続けた。多分二人とも授業寝てたんだろうな。


おそらくほとんどの奴にとってあの授業は眠たくなるのだろう。授業が始まって5分くらい経った瞬間、急激に謎の睡魔が襲ってくるからな。多分あれは先生が全体催眠の魔法を使ってる。じゃないとあんなに眠くなる理由がわからない。なんなら今でも眠たいし。もう寝るか。


中央で雑談に耽っている連中の言葉に耳を当てるのをやめ、いよいよ睡眠体制に入ろうとした時だった。


「さっきの授業起きてたってマジ?」


ふと聞き覚えのある声がさっきの方向から耳に入った。昼休みに散々聞いた少し大きい女子の声、大橋佳苗の声が、そちらの方向から聞こえる。


「あんな眠くなる授業、よく起きてるね。」


「その感じだと佳苗はまた寝てたの?」


「うん、最近疲れてたしよく眠れたわあ。」


竹内が笑いを含みながら聞くと大橋は強く頷いた。


「意外とあの授業面白いのに。」


「それは嘘でしょ。先生の言ってること呪文にしか聞こえないよ?ねえ、雫。」


「…うん。正直、何言ってるかわかんないよね。」


大橋と竹内が雑談している方向から今度は佐川の声が聞こえる。そういや二人ともバトミントン部だったっけ。多分仲がいいんだろう。


「広崎くんとかさっきの授業、爆睡してたよね。ふと見たら寝ちゃってて、笑っちゃった。」


「え…見てたの?バレてないと思ったんだけどな。」


佐川のツッコミにモブBが反応する。モブBの名前広崎っていうんだな。多分今日の夜くらいには忘れてる。


「むしろ廉斗が異常なんだよ。普通はあれ寝るもんでしょ。」


「普通じゃないって。」


「眠くなっちゃうのはわかるなあ。あの授業なら大体みんな寝てるんじゃない?」


「寝てない奴でも大体他の授業の課題やってるか、他教科の宿題してるかの2択でしょ。あんな授業真面目に受けてるの、廉斗くらいだべ。」


モブAが茶化すようにいう。さっきから気になってたがお前語尾おかしくない?だべってなんだよ。お前実は東北出身だったりすんの?休み時間にずっとたべだべ言いながら駄弁ってるっていうギャグだったりすんの?モブAの名前、だべでいいや。


「多部くんもさっきの授業ほとんど寝てたでしょ。隣からいびき聞こえてきてたよ。」


「え、それマジ?恥ずすぎだべ。」


佐川がそんなことを言うと、今度はモブAが反応する。


モブAの苗字、まさかの多部。休み時間中にたべたべ言いながら駄弁る多部ってもはや狙ってるだろ。偶然とかいうレベルじゃねえぞ。たべっていう苗字はともかくだべなんて言う語尾の奴そうそういないからな。


「あのいびき、卓のだったの?めっちゃうるさかったよ。」


竹内が多部に突っ込みを入れる。


「授業中にちょっと聞こえた、んがってやつ。あれ卓だったんだ。」


「起きてるみんなくすくす笑ってたよね。」


大橋と佐川が笑いながら竹内に続く。


「え、そんなことなってたの?」


多部が困惑したように言った。それを聞いて小さな笑いが起きる。


「安心しろ、卓。俺は聞こえなかったぞ。」


「康太…」


モブB、多分広島的な名前のやつが多部に呼びかけた。こっから見えないがポンっと肩を叩いているようなイメージが脳内再生される。


「それ、広崎も寝てただけじゃね?」


「確かに。」


大橋がそんな突っ込みを入れると、先ほどよりも大きな笑いがクラスを覆い込んだ。


それと同時に俺はふと我に帰る。よく考えたら俺何してるんだ?なんでクラスの奴らの雑談に寝たふりしながら耳を傾けてるんだ?よくよく考えなくてもやばいやつじゃね?


…いやあれだから(言い訳開始)。元々興味なんて全くなかったけど、さっき会議室にいた佐川と大橋があのグループにいたからだ。菜名宮が昼休みの時何かが考え事してたから、俺が協力できることを探して二人の会話に耳を澄ましてただけだから。


つまり俺がやってたことは盗聴でも何でもなくただ菜名宮の手助けしてただけだ。


…なんでこんなことやってんだ?誰にも聞かれてないのに、一人で誰に向けてでもなく言い訳をしてるって事実の方が虚しくなってきた。ふと我に帰って自分の行動を見つめ直すの結構あるあるだと思う。

…寝るか。少し頭の中で思案して、結局その結論に辿り着く。俺はほんの少しだけ聞こえる喧騒を少しずつシャットアウトしていく。


しかしキーンコーンカーンコーンというチャイムの音が、外界の音を隔絶しようとした耳に響き渡った。


結局一睡もできなかった俺が、次の化学の授業で朝顔先生のチョークを額へとモロに食らうことになるのはまた別の話である。




キーンコーンカーンコーン。もうこの学校に入って何度目かわからないチャイムを聞きながら俺は教室を出ていく。


クラスや廊下では部活の準備をしている連中や雑談しているグループがいくつかあり、何も変わり映えがないような放課後の景色がある。おそらく何も変わってないように見えるのは俺だけなんだろう。


毎日なんとなく見ている、俺が変わっていないと思っている景色も本当は少しずつ変化しているのかもしれない。目の前で雑談している他クラスの男女グループはもしかしたら2年生に入るまでは赤の他人だったのかもしれない。


あるいはクラスで騒いでいる部活の連中も最初は仲が悪かったのかもしれない。きっと目の前に見えている景色が本質的に全く変わらないことなんてあり得ないのだろう。景色も、人も、物も、感情も、全て時の流れと共に形を変え存在している。俺はその変化を目にしていないだけである。


本当は前とは全く違っているはずのものを、しかし俺はその変化を知らないために、変わっていないと断言しているだけにすぎない。


だが仮に目の前に見える景色が実は変化していたとして、俺はその様子を見たいかといえばノーである。


クラスの人間関係も、誰に恋人ができたかなんてのも、誰と誰が仲が悪いかなんてこともどうでもいい。俺から見れば全部一緒で、何も変わり映えのない景色が目の前に見えるだけ。


人間一人一人にそれぞれが主人公の物語があるとして、俺は誰かの物語の主要キャラクターになんてなる気はないし、その物語の読者になりたくもない。


例え登場するとしても俺はクラスメイトBくらいがちょうどいいし、神の視点で人の物語を読むことなんて興味がない。俺に深く関係のある奴の物語ですらどうでもいいと思っている。目の前の名前も覚えられない他人の話なんてどうでもいい。絶対的に変わらないものなんてこの世には存在しないというその事実さえ理解していればいいのだ。


なんて馬鹿らしいことを考えていたんだろうか。気づけば俺は目的の場所である文化棟4階に辿り着いていた。


相変わらずところどころはげていてボロい、見た目が変わらないドアをガララと開けば、いつも通り菜名宮は会議室の席に座りタブレットを眺めていた。


「…やっぱまだいた。」


「やあ、タキ。来たんだね。」


「結局授業受けなかったんだな。」


俺がため息を付きながら目の前に座ると、菜名宮は机に建てていたタブレットの電源を切りこちらを向く。


「ちょっとね。」


「どうせ昼のことだろ。さっきはなんもないとか言ってたくせに…」


「あそこで何か考えてるっていえば、タキはそんなの後にしろって言うじゃん。小言を言われるのは性に合わないんだよ。」


「そもそも授業受けねえのがおかしいんだよなあ。」


どうやら菜名宮は根本的に授業を受けるつもりがなかったようだ。おそらく先の昼休みの件について菜名宮なりに気になることがあったのだろう。


昼休みが終わる直前に見せていた思案するようなあの顔は、菜名宮にしか見えていない何かを見ているものだった。


それは時たま見せるいつも通りの表情であり、そして大抵、俺がいつも通りではない世界、非日常の世界へと連れ込まれるタイミングに菜名宮がしている顔だ。


あの顔を見た時点で多少嫌な予感はしていた。どうせいつも通り俺の平穏を壊してくるのだろうと。こいつは多分また俺の日常を潰してくる。それに慣れてしまった自分も自分で馬鹿らしい。


「なんで昼休みに俺を同席させたんだよ。別にあの場所にいる必要なかっただろ?」


「え?そんなの簡単だよ。いきなり私が友達を連れてここで話を始めれば、タキが困り果てるかなぁって思ったからだよ。結果としていい反応見れたし。」


「お前なあ。」


昼休みの終わりに時間が無くて聞けなかった、放課後わざわざ会議室3に立ち寄った理由である質問をぶつければ、目の前の革命家はおどけたように笑う。


こんなところでもふざけ倒す菜名宮に思わず呆れてしまった。


「…嘘だな。」


「…」


そう言って菜名宮を見つめれば、その顔からスッと笑顔は消え去る。ずっと見つめていれば引き込まれそうになる瞳を、しかし目を逸らすことなく合わせ続けた。


決してその瞳は揺らぐことがなくただ一つのものを見続けているのだろう。先ほど笑った時も、そして今もその目だけはずっと変わっていない。


「お前はよく俺を馬鹿にしたり、困惑させて楽しむことはある。ただ俺の事なかれ主義を意味もなく邪魔するような奴ではない。まあ定期的に休みの日を奪ってはくるがそれは別だ。お前は多くの人間にとって背景でしかない俺を、無理やり表舞台に引っ張り出すなんてことはしないだろ。」


菜名宮は基本的に俺の扱いは雑であることが多い。いつも暇そうだからと勝手に連れ出すこともあれば、自分のやらかしを俺との共犯に塗り替えようとする所もある。はっきり言ってやめてほしいことばかりだ。


しかし菜名宮は決して人間関係の外で迷惑をかけることはない。大体こき使われたり煽られたりするのも俺と菜名宮の二人の時だけか、あるいは朝顔先生なんかのごく親しい人との間でだけだ。


俺が名前すら知らなかった関わりのないクラスメイトの前で、晒し上げにするなんてことは絶対にしない。こういう所はしっかり区切りをつけてるから馬鹿にされても怒るに怒れねえんだよな。


「…なんか最近鋭くなってない?からかい甲斐がないんだけど。」


「そんなもんあってたまるか。」


目の前に見えるのは詰まらなさそうにしている菜名宮の顔だった。やはり嘘をついていたようだ。


「まあ、タキの思ってる通り、困らせようとしたっていうのは嘘だよ。私はタキをからかいこそすれ、理由もなくタキの事なかれ主義を邪魔するような極悪非道人間ではないからね。」


「…それも嘘だろ。お前が極悪非道人間じゃなければ何なんだ。」


「あの場にタキを同席させたのには、また別の理由がある。」


こういう所な。また華麗にツッコミスルーされた。たまに俺の声が届いてないんじゃないかって思う時あるもん。よくスルーされるけど、被害者からすれば普通に傷つくからね?やめてほしい。


「じゃあなんで、無関係の俺をあの場に居させたままにした?」


スルーされたことに対して文句を言ったところで何も意味がないので諦めて話を進めることにした。


どうやら菜名宮はイタズラに俺をあの場に呼んだわけではないらしい。空気を読んで立ち去ろうとした俺を、少なくとも何かしらの意図があってあの場に呼んだままにしたのだ。


うーんと一拍置いた後、菜名宮は口を開く。


「部室荒らしって結構な事件だったんだよ。」


問いに対して返ってきたのは一見、答えになってないようなもの。


「タキは知らなかったみたいだけど、割とこの学校では問題になってるんだよ。捉えようによっては普通に犯罪だからね。内部犯でも外部犯でも大きな問題になるのは避けられない。」


「実際、警察沙汰になりかけたらしいな。」


「そうそう。部室を荒らされたのがバトミントン部ってのは知ってたから、あの二人から話を聞いてほしいって言われた時、事件のことってのは何となくわかるでしょ?」


「このタイミングでバドミントン部から相談、となればそのことってなるか。お前って人から相談受けること多いだろうし、慣れてるんだな。」


「流石に具体的な内容までは心当たりがなかったけどね。でも事件についてだろうなってのは推測してたんだ。」


菜名宮は掌をゆっくりとまるで大輪が開花するように広げた。視線はその花の方へと向けられている。


「残念ながら私が知っていることは現状何もなかった。だからタキを同席させたんだよ。タキって変なところで鋭いから、二人の話を聞けば何かに気づくんじゃないかなって。」


「つまり俺はお前に都合のいいように利用されたということか。」


「そういうことだね。」


「そういうことだねじゃねえんだよ。」


結局、菜名宮はいつも通り俺を振り回していただけだ。それは菜名宮自身のエゴではなく、明確な理由があってのものだったが、それでも振り回されたという事実は変わらない。いつも通り俺を非日常に誘い込む日常だったというだけだ。


「現にタキは犯人が同級生でない可能性を示唆してくれたじゃん。」


「あれは別に誰でも気づけたことだと思うけどな。多分お前も気づいてただろ?」


「私?別に思いつかなかったよ?」


確かに俺が同級生以外の犯人像を示した時、菜名宮は確かにというように小さく頷いていた。


犯人が内部犯だとして、あの2人に事件のことを聞いた時点で同級生以外の犯人の存在を考えていなかったのは嘘ではないのだろう。


「そもそも、多分タキはまた別のことに気づいてるんじゃないの?あの場所では言ってない何かにね。」


菜名宮は口元に笑みを浮かべる。それはまるで小さな子供が悪巧みをするような悪戯っぽい笑顔だ。


「何もねえよ。」


「ふーん、そうなんだ。」


菜名宮に表情を悟らせないため俺はそっぽを向く。

菜名宮は絶対納得していないような感じで、こちらの方を向いている。小悪魔とでもいうべきなのだろうか。ほんの少し微笑み、少し上目遣いで横から眺めてくる菜名宮を端的に表すならこれが最適だ。


「お前…本当に表情コロコロ変えるよな。どんだけレパートリーあんだ?」


「…レパートリー?」


「反応のパターンだよ。お前よくいろんな顔してるだろ?」


先ほど小悪魔的な仕草を菜名宮が見せた時によぎったふとした疑問だった。


いつも側で見てて思うことだがこいつは人の前で見せる表情があまりにも豊かすぎる。喜怒哀楽を表すものだけでなく時折見せる同級生とは思えない大人びた表情や、反対に守りたくなるらしい小さな子供が怯えたような表情。かと思えば急に不気味に笑ったりと、とにかく菜名宮は表情がコロコロ変わる。表情筋が多分めちゃくちゃすごいんだろうな。


「コロコロ変わるか…私ってそんなに表情豊かかな。そりゃタキみたいにずっと死んだ顔してるわけじゃないけど、そこまでバリエーションがあるってわけでもないよ。」


「死んだ顔って…確かに自分でも表情が乏しいことは自覚しているが、死んでるように見えるのか?」


「タキを学校で見かける時っていつも一緒の顔してるよ?コンクリートで顔埋められたんじゃないかってくらい。」


「それだと本当に死んでるな。そもそも、顔だけコンクリートに埋めてるってどんな表情だよ。」


顔をコンクリートに埋めている、ってのは正面から見ればただ灰色に塗られただけの壁な気がする。表情もクソもない。


「それに比べれば私に幾分表情があるのは確かだけどさ、表情豊かってほどではなくない?」


「お前、自分が八方美人であること自覚してないの?」


「八方美人…?」


俺の言葉に菜名宮は首を傾げる。しばらくしたのち何か閃いたように、手をポンと叩いた。


「ああ…タキ以外のみんなに見せている顔のことか。」


「逆にそれ以外何があんだよ。」


「話の流れ的にタキに見せてる方のことかと思ってた。」


「俺と他の奴でなんか違いがあんのか?」


「もちろんね。君に見せてるのは素かそれに近い表情だけど、タキが言ってるのは多分意図的に作ってる表情だね。」


「作った表情?」


「タキだって見たことあるでしょ?私が愛想笑いしてたり、大袈裟に困ったふりしたところ。」


「ああ…結構してるな。」


菜名宮に言われて思い出す。菜名宮は結構、本人の感情と乖離した表情を見せることがある。怒っているのに笑顔を見せていたり、あるいは悲しくもないのに泣いたふりをしたりすることがある。


「人間関係を円滑にするために顔って作れた方がいいからね。表情豊かなのは間違ってないよ。」


「さらっと恐ろしいこと言ってんな。」


すなわち時折嘘の感情を他人に見せているということだ。そんなことを意図的にやってるってなかなか怖い。


「恐ろしいなんて言ってるけど、割とそんなもんだよ。みんながみんな自分の本心を言葉にしたり顔に出しているわけないよね。人は嘘をつく生き物だよ。」


「…まあ、確かに。目視できるものが全部本当ってわけでもないしな。」


「タキは特に疑り深いから理解できるでしょ。」


「俺のことをよくお分かりで。」


「ずっと一緒にいるからね。それくらいはお見通し。」


人間関係において自分の感情を曝け出したり、表情に出したりすることが常に最善であるとは限らない。


クラスで聞こえるあの喧騒も、廊下で耳にするあの一見意味がないような会話の中にもきっと嘘は混ざっている。目の前に見えるものが全て真実なわけはないのだ。


多部の語尾もきっとそうなのだろう。あいつの語尾はわざとらしい思ってたけど、実際にクラスというコミュニティで生きるためのキャラ作りだったのだ。怒涛の伏線回収来たな。


「んじゃあお前が見せる豊かな表情も大体作り物か。」


「そりゃ全部じゃないよ?でもたまに嘘の表情を使うことはあるよね。」


「どんな時にそんな顔するんだ?」


「自分の心のうちを悟らせたくない時とか、本性を見せたくない時とか。タキだって人生で何回も嘘をついたことがあるはずだよ。」


菜名宮は両手の人差し指で口角を引き上げる。するとその顔には不恰好な笑顔ができる。それはなんだか、表情で嘘をつくことが多い菜名宮らしい顔である気がした。


「私ってタキより圧倒的に友達が多いから、その分偽物の表情を使うことが多いんだよね。タキと違って友達多いからさ。」


「はいさりげない俺へのディス。繰り返す必要なかっただろ。」


実際、俺はそもそも人と話さないから表情を作る機会が少ないのは本当なんだけどな。最近だと化学の宿題を忘れたのを注意された時、朝顔先生に気まずさを悟らせないため苦笑いしたくらいしか記憶にない。


その後何ヘラヘラしてるんだって耳をつねられたから記憶に残ってる。軽くつままれて捻られた程度じゃなくてめちゃくちゃ高速で引っ張られた。あの時はマジで耳ちぎれたかと思った。


「ていうか、ことあるごとに表情を作ろうとか考えてたりすんの?」


「まあ、いつもじゃないけど、距離感が微妙な人と話す時とかは割と多いかな。」


「はあ…めんどくさそうだな。」


「実際疲れるよ。周りの様子を見て空気感を読んで、っていうのはね。私はそういうの得意ではあるけどそれでもしんどいものはしんどい。」


菜名宮は両手をやれやれというように広げながら、ため息をつく。


意外と普段の菜名宮は周りに気を使って生きているようだ。…というより、場合に応じてといった感じだろうか。

菜名宮が学校全体の人気者である理由にその自由奔放さが挙げられる。誰に対しても引けを取らず、活発で明るく、圧倒的に行動力があり、何をしでかすかわからないという不思議な力が菜名宮を彩る魅力になっている。


ただ菜名宮が単純に多くの人に支持されるのは、何もそれだけが要因ではない。それとは別に菜名宮は単純に誰に対しても優しい人間だ。


決して別次元の人間というわけではなく、対等な視線で多くの人間と友達である。菜名宮が多くの人に好かれているのは、高嶺の花というよりはむしろ身近な友達として魅力に感じるという側面の方が強いのではないか。


ただのぶっ飛んだ面白い人間というだけでは大勢から好かれるということは意外と少ない。大抵そういう人は一部の人間に面白がられたり、あるいは馬鹿にされたり、妬まれたりする。


自分と違う世界にいる人を嫌う者はいつの時代も一定数いる者だ。今だとSNSで芸能人を叩いてる人なんかよく見るしな。


菜名宮は活動的な珍しい奴であると同時に、誰とでも友達であることで人気者になっている側面がある。そんな奴が人とのコミュニケーションに気を使うというのは至極当然なのかもしれない。


「その分タキといる時は楽だよ。表情とか空気感とか何も考えなくていいからね。」


「なんで俺の時は気を使わねえんだよ…」


「だってタキの前で何かやらかしても、そもそもタキは誰にも言いふらさないじゃん。友達いないし。」


「お前、さっきから人の痛いとこついて楽しいか?お前だけ対戦ゲームでもやってんの?」


「別に事実言ってるだけだよ。」


確かに対人のゲームだと相手の嫌がる行動をするのが正しいけど。格ゲーマーだったりするのかもしれない。


「それにタキといる時だけは変に気を使おうと思わないんだよね。」


「何で俺限定なんだよ。」


「だってタキだから。」


「何回も言うがそれ答えになってないからな。」


この構文使っておけば大体解決するとでも思ってるんじゃねえかな。だがどうやら嘘をついているわけではないらしい。


俺といる時の菜名宮は基本的に表情を作ることなく、素に近い状態で過ごしているのだろう。


…だからこそ俺は一つ気に掛かったことがあった。


「俺の前で飾ることがないってんなら、さっきのやつは何なんだよ。」


「さっきのって?」


「横で上目遣いしてたやつだよ。あれは確実に作ってた表情だろ。」


先ほど昼頃の件について話していた時に、隠し事をしているんじゃないかと詰めてきた時のあの小悪魔的な上目遣い。


あれは絶対に素の菜名宮じゃない。というかそもそも菜名宮はああいうことする人間じゃない。


「あの小悪魔ポーズのこと?」


「自覚あるのかよ…」


「もちろん。素であんな表情、私がするはずないからね。」


「そりゃそうか。…いや、じゃあなんで俺に見せたの?」


菜名宮は俺に対して表情を上塗りすることがない。ならなぜ、菜名宮はあんな仕草を取ったのか。


「え?そんなの決まってるでしょ。年頃の女の子が同級生の男の子に対して、わざわざ嘘をついてまで魅力的な自分を見せる理由なんて。」


菜名宮はまた先ほどのようにこちらを少し下から覗き込んでくる。ニカっと少しだけ口角が上がり、何かを期待してるかのように見える、少し揺れる瞳。

それは圧倒的に魅力的で、圧倒的な可愛らしさがある。得もすれば引き込まれてしまいそうな仕草だ。

そこから肩をトントンと小さく叩き、わからないの?と小さな声で煽ってくる。


妙に耳を燻るような甘い声。何も言い表し難い不可思議な感情が、胸の内から湧き出てきてしまいそうになる。


隣にいた菜名宮は少し俺から顔を離すと、ふふーんと小さな声で、そしてドヤ顔で言った。


「みんなに使えるかどうかの練習台だよ。」


「はあ、だろうな。」


…やっぱりだ。想像通りの理由に思わずため息が溢れ出る。基本的に俺に対して着飾らない菜名宮が、しかし俺に対して意図的に自分の感情と離れた表情を俺の前で取る理由なんて、どうせロクではないことだろうと思っていた。


「ちぇーっ。少しくらいドキドキしてくれても良くない?」


「誰がお前に心を揺られるんだよ。」


「はあ…やっぱりからかい甲斐がどんどんなくなってるよ。」


菜名宮は口先をとんがらせて、まるでつまらないというようにほっぺたを膨らませる。これはこれでわざとらしい気がするが、こっちは多分素だ。なんとなくそんな感じがした。


「第一、表情作ってるお前って俺から見れば違和感しかないんだよ。」


「違和感?」


「お前が愛想笑いしてる時とか大袈裟な反応してる時だ。そういう時、いつも変な感じするんだよな。菜名宮が菜名宮じゃないみたいでさ。」


「…ふーむ、タキにはそう見えてるのか。」


菜名宮はそう小さく呟いた後、何かを考えているようだった。しばらくの間をおいてまた口を開く。


「さっきの小悪魔のやつも?」


「お前らしくないと思ったな。なんか気持ち悪かった。」


先ほどの小悪魔のような仕草、あれを見せられた時、最初は少し心臓が揺れたが、すぐに心の中は違和感で埋められた。菜名宮の姿にそぐわないとどこか本能的に考えたようであった。


そう、とどこか納得したように呟くと菜名宮はまた椅子かから俺に背中を向ける形で立ち上がる。

背中越しにお腹より少し上で腕を組んでるのが見えた。


またしばしの沈黙の後、菜名宮はうんと一言呟き、そして半回転。その出立ちは菜名宮らしい堂々としたものだった。


「ならタキに対して嘘の表情を向けるのは控えようか。」


「なんだその宣言。」


「そのままだよ。これからはタキの前では、素の自分を曝け出すようにする。」


「今でも十分素だろ…」


「さっきみたいな表情を作るのを完全にやめるってことだよ。タキにはどうやら不服らしいし。」


菜名宮は片側の頬を吊り上げ、笑みを浮かべる。


「タキの前だけではありのままでいてあげるよ。」


「勝手にしろ…」


別に表情を作るのをやめろなんて言ったつもりはないのに、なんか変な宣言をされてしまった。

まあ俺にとって特に損にならなさそうなので特段問題はないし、勝手にしてもらえればいい。


目の前の菜名宮はいつも通りの自然な姿をしていた。




「どうせここに来たならさ、少し付き合ってくれない?」


会議室の一番奥、いわゆるお誕生日席と言われるところに座った菜名宮は、手元でシャーペンを振り回している。


付き合うって何にだ?嫌な予感しかしねえけど。」


「バトミントン部の部室荒らしについて少し調べたいことがあってね。ついてきて欲しいところがあるの。」


菜名宮は笑いながらこちらの方を振り向く。しかしその笑顔の裏には目には見えないが感じ取ることはできる、強烈な圧力みたいなものがある。


「断る…なんて選択肢をとったらどうなる?」


「そんなことわざわざ聞く?」


「いや怖えよ。」


菜名宮は笑っているが本心じゃない。先ほど俺の前で感情を隠すことはしないなんて言ったばかりだろ。嘘ついてるじゃん。


「まあ、タキが嫌なら別にいいけどね。」


菜名宮はそう言いながら視線を下の方へと向ける。いつも通り連れて行かれるの確定だろうなんて半分諦めの感情が浮かんでいた中で、菜名宮は意外な言葉を口にした。


「…お前にしては珍しいな。」


「珍しいって?」


「いつもの菜名宮なら俺に拒否するなんて選択肢与えねえだろ。お前はいっつも逃げる権利を奪ってくる。」


菜名宮が俺を連れ去る時は大抵、俺には拒否権がない。この前の雛城の件だってそうだった。


いきなり屋上に呼び出されたと思えば授業をサボってケーキバイキングに行くぞなんて言われた時にも、俺は気付けばそれについていくことになっていた。振り返ってみるとなかなかヤバいことしてるな。


こんなことは一度や二度ではない。今回もいつも通り、俺は菜名宮に半強制的に連れて行かれるのかと思っていた。


「…え?私、タキの事情をなんも考えていないそんな薄情な人間だったの?」


「逆に聞き返すけど自覚なかったの?」


「そんなんあるわけないよ。こんな清廉潔白で純粋な乙女なんてなかなかいないでしょ。」


「清廉潔白かはともかく、お前ほど捻くれてて中身が見えない奴はそういねえよ。そもそも、本当に純粋な奴は自分が純粋な人間って言わねえしな。」


人間は誰でも最初は純粋なものだ。そこから環境、周囲の人間などの色んな影響が重なることで人はだんだんと捻くれてくる。


人はそんな自分が歩んできた道を振り返ることで、自分が捻くれているのだと自覚をするのだ。自分が捻くれているという自覚があったとしてもその反対はない。何故なら純粋な人間は自分が純粋であるという前提を知らないのだ。


「ふーん、言うようになったねえ。」


「俺より捻くれている人間がこの世に存在すると思ってなかったからな。けど、お前は確実に俺よりひん曲がってるよ。」


「私の評価結構酷くない?少なくとも大体の詐欺師よりかは真っ直ぐだと思うよ。」


「んなわけねえだろ。事実を言ってるだけだ。」


はあと思わずため息が溢れ出る。菜名宮とこういった馬鹿らしいやりとりをすることなんて今に始まった事ではないが、それでもこいつが繰り出すジョークって絶妙に黒い色をしているのが気持ち悪い。


「…一応聞くが、俺に付き合ってほしいことってなんだ?」


「元々その話だったね。」


菜名宮は手元に置いてあったカバンの中から、タブレットを取り出す。この前地震の話をした時に使っていたそれと同じ、白いカバーがついたものだ。


「そもそもタキって、部室荒らしがどんな感じの事件かって知ってる?」


「全く知らない。というかそんなのが起きていたこと自体耳に入ってこなかった。」


「昼休みの反応的に知らなそうとはなんとなく思ってたけど、まさか本当だとはね。」


菜名宮はどこかため息混じりでそんなことを呟いた。


「部室荒らしって、結構大きな事件だったんだよ。一歩違えば普通にニュースになるような事件だからね。」


「まあ、全国はともかく地方の新聞とかなら記事になりそうだな。というか普通に考えて警察が入ってないのがおかしいくないか?」


部室荒らしなんて言葉だけでは、警察が介入するような一般的な犯罪、殺人や放火、窃盗なんかと比べればまだ優しいものに聞こえる。


しかし実際のところバトミントン部の部員数名が私物を壊されたりしている十分大きな事件だ。加えて教師が外部犯と判断したのなら、学校に対する不法侵入にもなり得るだろう。


「タキが事件を知らなかったのはそんなところもあるんだろうね。」


「そんなところって?」


「軽く調べた感じ、どうやら学校側はこの事件のことをあまり公にしたがらないみたい。うちって地元じゃそこそこ名の知れたとこだからね。それこそ私なんかが通ってるくらいには。」


「つまり余計な風を立たせたくないってことか。」


「断定はできないけどね。でも部室荒らしが起きたなんて知れ渡ったら、地域の人やそれこそ世間からどんな風に思われるかなんてわかったもんじゃない。だから警察を呼ぶことなく事件を収束させようとしているんだと思う。」


「はあ…ここの悪いところだな。いい加減世間体とか気にしなけりゃいいのに。」


うちの学校の人間はどうやら世間体を気にしすぎることがある。地域的に名前の知られた学校、それこそ周りにはこの学校を知らない人なんてそうそういないだろうと断言できるくらいの所だ。


変に事件を大きくして学校のブランドに傷をつくのを嫌っているのだろう。正直、別に全国区で見ればめちゃくちゃ有名な学校ってわけでもないし、そんなちっぽけなものにこだわる必要があるとは到底思えないんだけど。


…そんな変なプライドがなければ多分、あんなことも起こらずに済んだ。


「俺の耳に入ってないってのも、学校側が事件を大きく騒ぎ立てなかったのが関係してるってわけか。」


「まあそれでも、ここの生徒であるタキが知らないのは色々おかしいけどね。」


「基本的に興味ないからな。」


とりあえず先ほどの昼休みに疑問に思っていたことの一つは解消された。事件が何故そこまで大ごとになっていないかというのは単に学校側がそれを望んでいないかららしい。


朝顔先生あたりは反発しそうな気もするが、あの人も中々聡い人だ。多分自分の立場を理解して否定的な意見を出さなかったのだろう。本当社会人って辛そう。


「まあいいや。とりあえず部室荒らしについて軽く説明するからこれ見て。」


そう言って菜名宮は手元のタブレットをこちらに向け、その画面を指差した。そこにはこの学校全体の地図が表示されていた。


しかも単純に教室や体育館の場所が表示されているだけではなく、各教室の名前の下に『詳細情報』という文字がある。


「…これが今現在の学校の地図ね。」


「この『詳細情報』ってなんだ。」


「確認したほうが速いと思うよ。そこ押して。」


言われるままにタブレットに表示された地図のうち、最も近くにあった家庭科室のボタンを押してみる。すると地図の上にまるでメモ書きのような文字列が映し出された。


『・築年数:60年(学校設立時と同時期)

・改装年数:30年

・担当教員:河田先生』


…こんな風におそらく教室に関する情報が画面の上に表示されている。


「これには学校についての情報がある程度まとめられてあるんだよ。」


「このデータって学校内部の機密情報じゃないのか?なんでこんなの持ってるんだよ。」


「聞きたい?」


「いや遠慮しとくわ。」


「あらそう。せっかくいい機会だったのに。」


「なんでちょっと残念がってたんだよ。」


この話を深掘りすると、なんか碌なことにならなさそうな気がした。多分あんな聞き方するってことは少なくともまともなルートで手に入れたものではないだろう。


「事件が起きたのは先週の金曜日。明日は土曜日だから休みだと浮かれている子もいれば、明日も部活があるって嘆いている子もいる、そんな放課後の時だった。」


「いらないだろその前置き。」


「事件が起きた時のこととか、その時の現場の状況はさっき聞いただろうから省略しておくか。まず、事件現場は部室棟ってところ。」


菜名宮はタブレットの右端、地図で言えば北東側をトントンと指さす。体育館の奥側に部室棟と書かれた小さな建物があった。


「ここは各部活の部室が集まっている建物ね。タキも一回くらいは見たことあるでしょ。」


「ああ、入学してすぐ、学校見学した時に目にした。去年の時点で結構ボロかったことだけ覚えてる。」


逆に言えばそれ以降見かけていない。確かコンクリートでできた結構古めの建物だった気がする。高校に部活専用の建物があると聞いて驚いた記憶が朧げながら存在していたが、それ以外はなんもない。


「部室って言っても基本的にはただの荷物置き場だからね。要は部員が荷物を置く場所があったり、着替えをする場所って思ってくれたらいい。」


「そこまで広い建物でもなかったよな。」


「確か各部活のスペースは8畳くらいだったはず。まあ狭くはないけど、何か私物を持ち込んだりするにはスペースが足りないってくらいだと思うよ。」


菜名宮は部室棟の下に記された『詳細情報』というところを押す。


そこには築年数や改装された回数とともに、部屋の大きさが記されていた。どうやらこの建物は学校が出来た数年後に建設され、一度も改装は行われていないようだった。


「私が聞いた感じ、当時そこに荷物を置いてたのはバトミントン2年生の全員だったらしい。確かその日に休んでた子もいなかったと思う。」


「それってどれくらいなんだ?」


「9人。佳苗と雫も含めてね。」


「一運動部に所属してるっていったらそんなもんか。」


「最初に部室が荒らされたのを見つけたのは雫と佳苗の二人。部室を見た雫が、体育館にいた顧問を呼び出してすぐに部室は封鎖された。その時の状況はさっき二人が説明してくれてた通りだよ。」


確か佐川や大橋は、部員のカバンがロッカーから引き摺り出されて荷物がバラバラにされていた的な事を言っていたはずだ。二人が来るまで大ごとになっていなかったことも含めれば、その二人が第一発見者と考えていいだろう。


「その後すぐに教師数人が部室に入って中を調べた。バトミントン部はしばらく残ってたけど、それ以外の生徒はもう遅いから帰らされてたみたい。それで1時間くらいした後に後日詳しい調査をするってことでバトミントン部のみんなも帰宅、翌日にまた調査が入って、その時に外部犯であると断定されたみたいだね。」


「その調査って…学校がやったんだよな?どんくらい調査してたんだ?」


「多分荷物とかを軽く見ただけだろうね。事件が起きたその時に、部員は荷物を返してもらってたみたいだし。大ごとにしたくなかったんだろうとは思うけど、ちょっと杜撰ではあるよね。」


「ちょっとっていうか結構だろそれ。」


いくら金品が盗まれていなかったり人的被害がなかったからと言って、現場をそのままにせず無闇矢鱈に荒らすのはいいことではないだろう。


いくら事件を広めたくないからと言ってやっていいことと悪いことがある。本当にうちの学校はよく分からない。


「部員にとっては荷物がとりあえず返ってきたのは良いことだし、これに関してとやかく言っても仕方ないよ。」


「そりゃもう過ぎたことではあるけど…」


部室荒らしが起きたのも、教師によって現場の調査が行われたのも、もう数日も前の話だ。今更、事件の調査に対して不平不満を言ったっておそらく何も変わらないだろう。


「そんで、事件現場を目にした人は無暗に色んなところに言いふらさないようにって教師から警告がされて、今に至るって感じかな。」


「事件の概要はだいたいわかった。今の所、まあめちゃくちゃ変なところはない感じだな。」


外部犯云々の件で突っ込みたいところは幾つかあるが、それ以外は特に予想外の出来事はどうやら起きていないようだった。


「不可解な点というかおかしな点はやっぱり犯人だよね。教師たちは外部犯って決めつけたけど、佳苗が言ってた通り内部犯の可能性も十分あり得る。というより外部犯って決め付けたのはとりあえず事件を収束させようとしているだけな気もするからね。」


「犯人が内部の人間か、外部の人間か…そこが結局1番の問題点だろうな。犯人探すっていうならまずそこから確定させないとなんも進まねえだろ。」


「そう。今のままじゃ何にもわかんないから、情報を集めに行こうと思っていてね。」


菜名宮はタブレットについているペンシルをトントンと叩くと、体育館と書かれた文字の上にくるくると赤い丸をつけた。


「ついて来いって言ってたのはそのためか。」


「その通り。事件の解決のために、ちょっと力を借りたいんだ。」


「めんどくせえ。」


「タキは手伝ってくれないの?」


「だって俺バトミントン部の奴らと何も関係ないし、手を貸す義理もないだろ。」


確かに部室荒らしというのはなかなか大きな事件だろう。大橋や佐川の言う通り、被害を受けた本人たちにとっては辛いことかもしれない。


ただ俺は別に二人と仲がいいわけでもない。というかさっきまで大橋の名前すら知らなかった状態だ。あっちも俺のことを知らなかったわけだし、言ってしまえばほとんど赤の他人なわけだ。


「見ず知らずの人間を助けようと思うほど俺はお人好じゃない。というかお前ならともかく、俺が動いたところで意味ないだろ。」


「タキって冷たいんだね。」


「元々俺はそういう奴だよ…というか、菜名宮も事件に興味あったわけじゃねえだろ。」


「私が?何でそう思ったの?」


「さっき二人に対して『力になれない』とか言ってたじゃねえか。なんであんな風に突き放したんだ?」


先ほどの昼休み、佐川や大橋から事情を聞いた後に菜名宮はそんなことを言った。


「あの言葉には違和感しかなかったぞ…誰に対しても手を差し伸べるお前にしては珍しい。」


「…ああ、あのことね。」


菜名宮は手を顔の下に当てて、いつもの探偵が推理をしているときのようなポーズを取る。


「あれは…二人に私が動いていることを少し隠しておきたかったんだよね。」


「なんでだ?俺ならともかくお前が動くって知られても何も問題ないだろ。」


「あそこで私が二人を助けるよなんて言ったら、佳苗と雫はどうすると思う?」


「そりゃまあ菜名宮が動くってなれば、いろいろ助けてくれんじゃねえの?」


菜名宮は基本的に多くの人間から信頼されている。その圧倒的なカリスマ性、優しさ、行動力、全てが菜名宮という人間の魅力を引き立てる要因になっているのだ。菜名宮が部活荒らしについて調べるなんて言ったら、きっと二人は菜名宮を助けようとするだろう。


「そうだろうね。そしたら私が事件を調べていることもきっと広まるでしょ?」


「ああ、お前のことだし、ある程度噂になるだろうな。」


そう返しながらこの前の雛城の件を思い出した。確かにあの時も菜名宮が雛城について調べているという情報が出回っただけで、学校全体で少し話題になったくらいだ。それくらい菜名宮には影響力がある。


「でも二人は犯人が内部にいるかもしれないなんて疑っていた。仮に内部に犯人がいたとして、私が部室荒らしについて調べているなんて知れ渡ったら当然犯人の耳にも入ってくる。」


「色々と弊害は出てくるだろうな。…だから内密にしたいってことか?」


「その通り。もしそうなれば適切な情報が手に入らないかもしれないし、犯人がなんらかの妨害をしてくるかもしれない。一番心配してるのは、私が部室荒らしを調べるきっかけ…佳苗と雫が私に相談したことが漏れ出る可能性があることかな。そうなると二人に危害が及ぶ可能性もあるよね。」


「だからあの時、わざわざ力になれないなんて具体的に言ったのか。」


「二人には協力しないって姿勢を見せた方が安全でしょ?どうやら二人は周りの人も疑ってるみたいだし。」


菜名宮はあの一瞬でそんなことを考えていたようだ。相変わらず頭の回転が速い。


「…じゃあ部室荒らしについては元々調査する予定なのか。」


「私が逃げるはずもないでしょ。」


「それはそれでおかしいけどな。お前は直接被害を受けたわけじゃないだろ。」


「そんなの簡単、友達が傷ついてるなら助けたい、ただそれだけだよ。」


「はあ、そうですか。」


菜名宮はそう言って小さく笑った。その表情に悪意や嘘は見られない。本当に菜名宮は優しい人間のようだ。相変わらず俺は菜名宮を理解できそうにない。


そもそも俺に友人がほとんどいないということもあるが、他者のために自分の身を犠牲するなど俺にはおそらく到底できない。そこら辺は根本的に考え方が違うのだろう。


「とりあえず部室荒らしについては調査をするってことで…でも、それじゃ大橋や佐川に声をかけなかったのは失敗じゃねえか?」


「なんで?」


「あの二人を巻き込まなければ、確かに二人に危害が行く可能性も少ない。ただ手掛かりとかも少なくなるだろ。お前一人でどうにかなるのか?」


菜名宮はその言葉を聞いて、まさに待っていた、というようにまたにんまりと笑った。


「だからタキがいてくれると心強いんだよ。」


「いやだから俺関係ないって…」


「でもタキがいると心強いんだよ?」


「俺にメリットないじゃん。」


「それでも、タキがいると私にとっては心強いんだよ。」


「お前まさかそれでゴリ押すつもりか?」


「タキがいると心強いんだけどなあ。」


「だめだ話が通じねえ。」


菜名宮にとって都合の悪い言葉は時々こいつに全く届かなくなる。本当にずるいだろこれ。


「…タキがいてくれたらなあ。心強いんだけどなあ。」


「…」


「あーあ、タキが手伝ってくれたなら、きっと頼りになるんだけどなあ。」


「はあ…」


俺は思わずため息をついた。結局、またこうなるのか。


「わかったよ…俺の負けだ。別に忙しいってわけでもないし、少しくらいなら手伝うよ。」


「え!?ほんと?」


菜名宮はわざとらしくこちらを振り向き、とびきりの笑顔をこちらに向けてきた。


「お前…ほんとな。」


「いや別に、タキに無理強いしてるわけじゃないんだよ。嫌だったら全然断ってもよかったのに。」


「あの状況で断れねえだろ。」


菜名宮にあんなに説得されて(追い詰められて)、ノーと言える人間がこの世には多分存在しないと思う。四捨五入したら多分パワハラ。これが社会では蔓延してるのか。働きたくねえな。


「じゃあタキの承諾も得られたことだし、早速調査しようか。」


「承諾…」


俺のそんな呟きが菜名宮に届くことはない。結局、いつも通りの展開になるようだった。




ダーン、ダーンとボールが地面とリズムよくぶつかっている音が聞こえる。わー、わーと掛け声を出しながら、ネット越しにボールを打ち合っている体操服姿の男子が橋の方に見えた。


うちの高校の体育館はおそらく一般的にどの学校にも存在するそれとなんら大きさの変わりない、いたって普通なものである。


現在は放課後のため体育館を使う部活動が練習をしていた。体育館の半分をバスケ部が使用し、もう半分をさらにネットで区切ったスペースをバレー部が使用している。


残りの区画、入り口から一番左奥のところでバトミントン部は活動をしていた。限られたスペースのさらに半分をネットで区切り、ペアになってネット越しにシャトルを撃ち合っていた。


ここだけ見れば、なんら変哲のない光景に思えた。少なくとも数日前に部活荒らしがあったなんて言われても信じられないくらいには特に変わった所はない。いや、実際変わりないのだろう。


事件が実際に起こってからは数日経っている。被害者であるバトミントン部員も、ある程度事件直後よりはあまり深刻に考えていないのだろう。


あるいは心の中では不安や恐怖があったとしても、その気持ちを覆い隠してるのかも知れない。どちらかなんて断定することはできないが、俺には何の異常もないいつも通りの光景が見えた。


「みんな頑張ってるねえ。」


菜名宮はそう言いながら柵越しに体育館の下を眺める。俺と菜名宮は体育館の2階、いわゆるギャラリーに来ていた。


「お前は何目線なんだよ…」


数歩先を歩く菜名宮を前にため息が溢れ出る。


「…体育館に来たのはいいけど、ここで何するんだ。」


ずっと下の方を眺めている菜名宮に対し問いかける。すると菜名宮は視線を変えないままうーん?と呟いた。


「決まってるでしょ。バトミントン部のところに行って、部員に話を聞くんだよ。」


「は?」


そんな意外な言葉に対して俺は反射的に聞き返した。


「事件について調査するには、そうするのが一番手っ取り早いでしょ。」


「いやいや、確かにそうだけど。そんなことしたら絶対目立つじゃねえか。」


先ほど会議室にいた時に菜名宮は『自分が部活荒らしについて調べていることを知られたくない』なんて言っていた。理由は単純明快で、佐川と大橋に迷惑がかかる可能性があるからだったはずだ。


「お前がバトミントン部に行けば、部活荒らしについて調べていることが一瞬で学校中に広まるだろ。」


おそらく俺が想像している以上に、菜名宮の影響力というのは大きいのだろう。なんせ俺が知らない人間関係も当然多く存在する。ここでバトミントン部に調査をすれば少なくとも学校中、それ以上に広まる可能性がある。


「対策は考えてるから大丈夫だよ。」


「…ならいいけど。」


菜名宮はふっと顔を上げるとこちら側に振り返る。右手でOKサインを作っていた。


少し不安ではあるが、まあ菜名宮のことだ。何か有効な出立てがあるのだろう。


ギャラリーの端までくると体育館の舞台裏にたどり着く。カーテンで遮られて光があまり差し込まない暗い空間には、大量のボタンがある謎の機材やおそらく文化祭なんかで使われていたであろう看板が立てかけてあった。


「事件のことは実際に被害に遭った人とかその周りにいる人に聞いた方がいいでしょ。」


カンカンカンと高い音が鳴る階段を降りながら、菜名宮はこちらの方を向く。


「確かにそうだが…実際そんなことできんのか?」


「大丈夫、私知り合い多いし。多分タキの5000倍はいるよ。」


「俺を過小評価しすぎてるのかお前がおかしいのかどっちだ。」


「多分両方だね。」


「まあ、お前のことだから多少の当てはあるんだろうな。ただ本当にお前のことが広まることはないのか?」


もうぼっちを馬鹿にされることに抵抗感すら無くなってきた。辿り着いてはいけない境地に来ている気もするが気にしたら負けだ。


そんなことより、やはり菜名宮が動いているということが噂にならないかが心配だ。


「多分ね。」


「多分って…本当に大丈夫かよ。」


「なるようになるでしょ、人生ってそんなもんだし。」


「いきなり話を人生規模に持っていくな。」


階段を降りればすぐに舞台袖がある。菜名宮はそこから舞台の裏を反対側の舞台袖にたどり着く。それについていけば、すぐそばでバトミントン部の部員が数名練習に励んでいた。


端っこの方には先ほど会議室に来ていた女子もネット越しにラリーをしている。えっとあれだ、佐川じゃない方。陽キャっぽい奴。


そんな光景を横目に、その先には体育館の端っこで中腰になって練習を眺めている人がいる。手にはバトミントンのラケットが握られていた。


「梨乃亜先輩、こんにちは。」


菜名宮の呼びかけにその人はこちらを振り向く。


「ああ、六乃ちゃんか。こんにちは。」


梨乃亜先輩と呼ばれた人はその場に立ち上がると改めてこちら側を向いた。


その先輩は黒髪を肩まで伸ばしており、まさに運動部という爽やかな印象が特徴的な人だった。


「…そっちの子は?」


梨乃亜先輩は顔を傾けると後ろにいる俺の方を見つめる。


「私の友人のタキです。仲良くしてやってください。」


菜名宮もこちらの方を振り向くと俺の方へと手を差し出した。


「…どうも、篠末です。」


「へえ、六乃ちゃんの友達か。私は高橋梨乃亜。一応バトミントン部の部長をやっているよ。篠末くんね、よろしく。」


そう言いながら梨乃亜先輩は自然にこちらへと手を差し出してきた。その流れのままに俺はその手を受け取る。気づけば握手をしているような形になった。いやなんで?初対面の人と握手って西欧の文化じゃん。


「一応気をつけてるけど、汗臭かったらごめんね。」


「ああいや、大丈夫です。」


なんだかこの人、距離の詰め方というか会話のテンポが独特だ。俺みたいな奴だと瞬く間に乗っ取られてしまう。


梨乃亜先輩は俺と握手していた手を離すと、再び菜名宮の方へと向き直った。


「それで、私に何か用があるのかな。」


「少し相談したいことがあってちょっと来ました。」


「…相談ねえ。六乃ちゃんの相談って、嫌な予感しかしないんだけどなあ。」


梨乃亜先輩は首を少し傾げる。斜め上へと視線を移し何かを考えているようだった。


梨乃亜先輩の口元は緩んでいる。一見爽やかな表情も、どこか作られている雰囲気が感じられてなんだか不気味に映る。俺の気のせいだろうか。菜名宮に向ける視線は、少なくとも好意的なものとは言えなかった。どちらかと言えば菜名宮を警戒している、あるいは呆れているようなものだ。


それに対して菜名宮は満面の笑みを浮かべていた。時たま見せる明らかに作られた笑顔だ。俺にとって不気味にしか見えないそれを顔に貼り付けていた。


一瞬空気が完全に凍った。まるで時間が止まったとさえ錯覚する、凪のような空間が広がる。


「まあいいよ。相談には乗ってあげる。」


「ありがとうございます。出来れば人気がないところがいいんですけど大丈夫ですか?」


「…わかった。少し場所を移そう。着いてきてくれるかな。」


梨乃亜先輩は足元に置いてあったタオルやネットをまとめて手に抱えて、こちらの方へと向かってくる、


俺たちを追い越したところで梨乃亜先輩は後ろを振り返り、自分の方へと手招きをした。


菜名宮はあいも変わらずニコニコしたまま、梨乃亜先輩の後をついていく。


「ほら、タキも来て。」


「わかったよ。」


…何だこの空間、怖すぎるだろ。なんで菜名宮と梨乃亜先輩は睨み合ってたんだ?明らかに梨乃亜先輩は菜名宮を良く思っていなかったし、菜名宮は表情を作っていた。


マジであの一瞬、空気が凍ったかと勘違いしたんだけど。なんであんなに気まずい感じになってるの?あんな風になるきっかけあった?


二人の間に流れる微妙な空気感に気まずさを感じながら、二人の後を追っていった。




「ここなら人は来ないと思うよ。」


梨乃亜先輩の後を追ってついたのは、体育館の裏側だった。辺りには人影がなく、建物の影になっているせいかほんの少し薄暗い。


「確かに安全そうですね。話聞かれる心配もなさそうです。」


「…こんな場所でしか話せないことかあ。」


菜名宮は作為的で魅力的な笑顔を貼り付けたまま、梨乃亜先輩の方へと向き直る。


体育館の裏側って基本的に告白場所かリンチされる場所かの2択だよな。今の菜名宮と梨乃亜先輩の空気感なら圧倒的に後者なんだけど。リンチというよりかは喧嘩かもしれないが。


体育館の裏側に来ても菜名宮と梨乃亜先輩は向き直ったまま動かない。まさに睨み合いという言葉が相応しい、あまりにも気まずい時間がおよそ十数秒流れた。


「…んで、相談事って何?六乃ちゃんの相談っていい思い出がないんだよねえ。」


「先輩に少し聞きたいことがあるんですよ。」


「聞きたいこと…もしかして、先日の部活荒らしのことかな?」


「そうですね。私たち今、それについて調査しようとしているんですよ。」


「調査って…本当かい?」


「ここで嘘をつく意味はないでしょう。」


「私をわざわざ読んだ辺り嘘ではないんだろうけど…また随分すごいことをするもんだね。」


梨乃亜先輩は驚いたような表情を浮かべている。

実際、バトミントン部の部員でもないただの生徒が警察沙汰になる可能性のある事件を調査しているということ自体異常だ。


「もしかして君は巻き込まれた太刀かな。」


ふと梨乃亜先輩がこちらに視線を向ける。


「まあ、そんなところです。」


「なるほど、君も苦労しているんだね。」


俺が菜名宮に巻き込まれている立場だと伝えたわけではないのに、梨乃亜先輩は一瞬にしてそんなことを見抜いた。菜名宮から話を持ちかけられた瞬間事件についてだと当てたのを含めて、この先輩ははかなり察しがいいのだろう。


「部室荒らしね…あれはひどかった。部室に置いてあった2年生全員の荷物がぶちまけられてたんだっけ。」


「結構凄惨な事件だとお聞きしましたよ。」


「六乃ちゃんはその辺の事情詳しそうだから…何があったかなんて聞きに来たわけじゃないんだろうね。」


梨乃亜先輩の視線はある程度の事情を察しているようなものだった。この先輩もまた、菜名宮をある種信頼しているのだろう。


「…多分だけど、部室荒らしに関しては君たちの役に立てないと思うよ。」


「どうしてですか?」


「事件が起きた時、ちょうど進路相談会があったんだ。事件が起きた時もずっと講堂にいたんだ。」


梨乃亜先輩は足元にある石をげっ転がした。それはカンカーンと軽快な音を立てて、排水溝へと落ちていく。


「そもそも私は事件現場を見ていない。事件についても、伝聞情報で知っただけだからね。」


そういえば事件が発生した日、3年生は講堂で進路相談会なるものが行われていたはずだ。


大橋の話では3年生はほとんどそれの影響で部活には参加していなかったそうだ。事件が起きた後、現場を目撃していたバトミントン部以外は早々に帰宅させられていた。


きっと梨乃亜先輩も部室を目にしていない。実際のところ、現場を目撃したのはほとんど1年生か2年生だろう。


「だから、私が部活荒らしに関して答えられることは多分ない。残念ながら力にはなれないんじゃないかな。」


「いえ、大丈夫です。先輩が事件のことを知らなくても問題ありません。」


「…は?」


「私が聞きたいことはたった一つです。」


菜名宮の言葉に梨乃亜先輩は呆気に取られていた。かくいう俺も、おそらく梨乃亜先輩と同じ顔をしている。しかし菜名宮はそんなのを気にした様子もなく言葉を続ける。


「部室荒らしについてどう考えていますか?」


菜名宮は先輩と対峙して初めてアルカイックスマイルのような笑みを崩し真剣な表情を浮かべると、そんな意味不明な質問を投げかけたのだ。


「…どう考えている、とは。」


「そんな難しいことではないですよ。梨乃亜先輩が部室荒らしについて、どんな風に考えているか聞きたいんです。」


菜名宮はまた先ほどのような作為的な笑みを浮かべる。今の所表情差分2つしかないんだけど。予算少ないゲームの立ち絵差分じゃん。


「私がどう考えているかなんて聞かれてもな。なぜそんなことを質問する?」


「決まっています。先輩の考えが聞きたいからですよ。」


「???」


梨乃亜先輩の頭の上に、はてなマークが3つ浮かんでいるのが見えた。あんな意味不明な質問をされたら、そうなるのも分かる。


正直、俺も菜名宮の質問の意図を理解できていない。状況的に梨乃亜先輩が部室の様子を知らないのはおそらく本当だろう。というより嘘だとしたらすぐにバレることをわざわざ言う意味がない。だからこそ菜名宮の質問は全く意図がわからない。


「私は何を君に教えればいいのかな。」


「ただ単純に、部室荒らしについて被害を受けた部長がどう考えているかってのを知りたいだけです。それ以外は何も。」


「…ふむ。私の意見を知りたいんだね。」


そんな風に梨乃亜先輩は呟くが、頭の上に浮かんだはてなマークは全く消えていなかった。


先ほど挨拶をした時に、梨乃亜先輩は自分のペースに巻き込むのが得意なタイプの人間だとなんとなく察した。他人と会話をする際に自分のペースに相手を巻き込み、自分を主体として話を進める。きっと交渉術なんかが上手い人なのだろう。


そんな梨乃亜先輩が今は菜名宮のペースに引き込まれている。先輩自身が混乱しているのはおそらく自分のペースを乱されていること、あるいは菜名宮のペースに引き込まれているのを自覚していないのかもしれない。一つ言えるのは今回は菜名宮が間違いなく主導権を握っているということだ。


「なんで先輩の意見を知りたいのか、理由の説明くらいしとけよ。」


「ああ、確かに。だからあまり伝わってなかったのか。」


それはそれとしてそもそも菜名宮の質問の意図が伝わっていなさそうだったので、俺は菜名宮の肩を叩いてそんな風に呼びかけた。


菜名宮は頭だけこちらを振り向くと納得したように頷く。そうしてまた梨乃亜先輩の方へと振り返った。


「自分の所属している…というより、自分が部長を務める部活の後輩達が何者かによって被害を受けた、そんな状況で部長が何を考えているかってことが事件の調査を進める上で必要だと思ったんですよ。」


「いや意味わかんねえよ。必要か?それ。」


わざわざ困っている所を助けるために菜名宮が梨乃亜先輩に投げかけた意味不明な質問に対する説明を促したのに、それすらも意味不明だった。何で部長の意見が事件の調査に必要になるんだ?


色々と思考を巡らせてみたが、俺には全くもって見当がつかない。


「はあ、なるほどね。」


しかし質問を受けた当の本人の反応は俺が予想していたものとは大きく違っていた。梨乃亜先輩はどこか呆れたようにふっと息をつくと、唾が悪そうに苦笑を浮かべる。


どうやら梨乃亜先輩には、菜名宮の言葉の意図が伝わったらしい。いや何でわかるの?もしかして暗号のやり取りでもしてる?


「…どうやら、私は思った以上に君には好かれていなかったのかもしれないね。」


「そんなことないですよ。私は梨乃亜先輩のことが大好きですから。」


「なるほど…これが今までみんなが味わってきた気持ちなのかな。なかなか堪えるものだ。」


「堪えるって、別に先輩を追い詰めてるわけじゃないですよ。」


「きっとこれは因果応報ってやつだな。やっぱり六乃ちゃんは恐ろしいね。」


梨乃亜先輩はまたこちらを振り返る。梨乃亜先輩は苦笑し、菜名宮は笑顔のまま二人は睨み合う。

またも絶妙な時間が数秒流れた。めちゃくちゃ居心地が悪い。今すぐにでも帰りたい。なんかわからんけど二人だけで通じ合ってるしなんか意味わからんこと言ってるし何で俺こんなとこにいるの?


「可愛い後輩の頼みだ。それくらいは答えようか。」


「ありがとうございます。」


梨乃亜先輩はよっとなんて呟きながら、近くの花壇に腰掛ける。菜名宮よりもずっと高い、それこそ俺よりもほんの少し高いくらいの身長を持っている人だ。脚を組むだけでまるでモデルのように様になっていた。


「正直な気持ちを話せば、私が感じているのは憤りと不安だよ。」


梨乃亜先輩は下を向いて腕を組みふっと息を吐く。

…本当に様になるなこの人。冗談抜きで俺が人生で今まで見てきた人の中で1位2位を争うイケメン度合いだぞ。俺の100倍は余裕である。0に何かけても0とかは傷つくからなしで。


「同じ部活でもう一年近く一緒にいた後輩達だ。それなりには思い入れがある。…部長として、先輩として、後輩たちが被害にあったことに怒りを覚えているよ。」


梨乃亜先輩の声は静かでしかし迫力があった。…見かけによらず、いや実際は見かけ通りと言うべきなのか。案外この先輩は後輩のことを大切にしているのだろう。沸々と溢れ出るオーラが梨乃亜先輩の感情を表していた。


「しかも事件が起こったのは大会の直前だった。まあそこまで重要な試合ではなかったものの、もうすぐ最後の大会も近い。そんな大事な時に部室を荒らすような輩のことなんて許せるわけがない。」


「確か夏の大会が始まるのは、後1ヶ月後くらいでしたっけ。」


「そうだよ。今日でちょうど残り20日だ。部員の練習にも熱が入っている。」


「最後の大会って言うのは?」


俺が梨乃亜先輩に質問を投げると、梨乃亜先輩は眉を顰めながらこちらの方を向いた。


「次の夏の大会で3年生は引退するんだよ。勝ち進めばその分長くなるが、負ければそこで終わりだ。そんな時期だから部活もみんな真剣に取り組んでる。今練習しているのもほとんどが大会に出る3年生だ。」


そういえば先ほど体育館を見た時に練習をしていたのはおよそ10人程度だった。2年だけで9人いるバトミントン部にしてはやけに人数が少ないと思っていたが、あれはおそらくほとんど3年生なのだろう。


何も夏の大会を迎えるのはバトミントン部だけではないはずだ。バスケ部もバレー部も、同じ時期に大会を控えているだろう。そんな時期に限られたスペースを大会直前の上級生が使うのは当たり前なのだろう。


「後輩たちも皆、私たちのために頑張ってくれている。そんな中であんなことがあれば、憤りを感じるのは当たり前だろう。」


梨乃亜先輩は誰に告げるでもなくまるで独り言のようにそんなことを言った。そこには確かな怒りが込められている。


「ただそれはそれとして不安を感じているという点もある。」


「不安、ですか。」


「ああ。」


菜名宮が尋ねると、梨乃亜先輩は視線を落としたまま返答する。


その表情は先ほどの怒りを露わにしていたものとは異なり、気持ちが沈んでいる様子が読み取れる。


「部室荒らしの犯人なんて、影も形も見えない。…今回は2年生だったが、次は私たちの番かもなんて考えると少し不安になる。」


「…先輩でもそんな風に思うんですね。」


「ははっ。篠末くん、だったかな?私だってただの高校生、君よりもたった一つ歳を重ねただけの幼い人間だ。見知らぬ事件の被害に遭うかもしれないと思えば不安になるよ。」


「体育館にいた時の梨乃亜先輩はそんな感情を持っているようには見えませんでしたよ。」


確かに先ほど体育館で見かけた梨乃亜先輩は明るく爽やかで、それでいてどこか怖い(俺視点)ような人だった。体育館のギャラリーから眺めていた時から感じていたが、バトミントン部の練習風景はまるで何もなかったかのようないつも通りの日常の光景に見えた。


「当たり前だろう六乃ちゃん。3年生にとっては最後の大会だ。全力で取り組んできた子ほど、夏の大会にかける思いは強い。かくいう私もその一人だ。」


梨乃亜先輩は手元を見ながらそんなことを呟く。その手はおそらく俺よりほんの少し小さいくらいの大きさだが、そこには無数の傷とマメがあった。


梨乃亜先輩の爽やかな印象とは正反対の泥臭い手元、それを見るだけで、梨乃亜先輩がどれほどバトミントンに対して真剣に取り組んでいたのかがわかる。


「それに部長の私が部室荒らしに怖がっている様子を見せれば、部員みんなが不安になる。バトミントン部のみんなには悪い影響を与えたくない。」


梨乃亜先輩の言葉には確かな想いが詰まっていた。部長としての自覚、あるいは先輩としての自覚だろうか。皆を不安にさせないために、堂々として振る舞い続ける。部活荒らしが起こっても皆に不安感を伝達させないために一番上に立つ人間が何事もないように振る舞う。


勝手な推測であり根拠なんてどこにもない。ただ部活荒らしがあったにも関わらずまるでバトミントン部が何事もなかったかのように練習しているのは、この先輩の努力の甲斐あってではないだろうか。


本人は不安だと感じているがそれを表に出さない。感情を見せないことで良い影響をもたらす。梨乃亜先輩は部員に対して嘘をついている。


それは自分のためでもなく、皆のため。部長という立場としてできることを最大限、この先輩はしているのだろう。


「立派ですね。」


「六乃ちゃんに言われると、煽られているようにしか聞こえないな。」


「煽ってませんよ。本心です。」


「さて、どうだかね。」


梨乃亜先輩はよっと立ち上がると、顔を左右に振って辺りを見回した。


「六乃ちゃんと篠末くんは、事件について調べているんだっけ。」


「ええ。」


「まあそうですね。といっても、今んとこ何にもわかってないですけど。」


梨乃亜先輩が俺の方を振り向く。この先輩の視線はやはり何かを隠している風にも感じられる。ただその表情は菜名宮を睨んでいた時の険しいものではなく、むしろ優しいと感じられるものだった。


「そうか。…頑張って欲しいなんて無責任な言葉を後輩達に投げかけるのはあまり好きではないんだけどな。」


梨乃亜先輩はもう一度菜名宮の方へと振り向くと、その手を、先ほど眺めていた側とは反対の手をそちらへと差し出す。


「どうかよろしく頼むよ。」


「はい、おまかせください。」


菜名宮はその手を受け取ると、ガッチリと握手を交わした。


「篠末くんもこの事件の解決に協力してくれるかな。」

そして、こちら側にも手を差し出してきた。


「まあ、出来るだけ善処します。」


「ははっ、期待しているよ。」


こちらへと差し出された手を、気づけば俺は握っていた。目の前の先輩は体育館の時と同じように爽やかに笑っている。少しでも気を許せば、瞬く間にあちら側のペースに引き込まれるのだろう。


ただこの先輩はきっと菜名宮のような極悪非道な人物ではないと、そう確信することはできた。


「さて、私はそろそろ部活に戻らせてもらおう。あまり部活を空けすぎると、皆に怪しまれるからね。」


時計を見れば体育館に来た時よりも結構な時間が過ぎていた。梨乃亜先輩は俺たちに背を向けると、体育館の方へと歩みを進めていく。


「梨乃亜先輩、一つだけ頼んでもいいですか。」


「どうしたんだい?」


菜名宮の言葉に梨乃亜先輩は視線だけを俺たちの方へとまた向けた。


「今日のことは秘密にしてもらえませんか?その方がたちにとっても、先輩にとってもおそらく都合がいいので。」


「それもそうか。六乃ちゃんの影響力を考えると、君たちが動いているのをあまり表沙汰にするのも良くないね。」


「わかっていただけたなら助かります。」


「可愛い後輩の頼みだ。断る理由もないね。…頼み事ってのはそれだけかい?」


「ええ。」


「承知したよ。じゃあまた会うことがあれば。」


梨乃亜先輩はまた体育館の方を向いて歩き出した。地面が排水溝の穴を閉じる鉄格子だからなのか、カンッ、カンッと梨乃亜先輩が一歩踏み出すたび、そんな甲高い音が響く。


梨乃亜先輩の前には大きな夕日があった。その光は先輩の後ろ姿を影に映し出す。その光景は圧巻の一言だった。


「かっこよすぎだろ。」


思わずそんな呟きが溢れる。自分よりもずっとかっこいい先輩の後ろ姿を目にして、俺は呆然と立ち尽くしていた。




「アー…」


リビングからまるでゾンビの呻き声のような不気味な声が聞こえたのは、俺が2階に登ろうとした直前だった。


「え、何?」


突然聞こえた、腐ったような声。いやに不快で耳に残り、重く、鈍い。ずっと聞いていれば吐き気を催してしまいそうになるそれは、心の底から恐怖心を煽る。


もしかして本当にゾンビ現れた?この世界でバイオハザード的な現象が起こったとでもいうのか?俺が気づいていなかっただけで、地球には人をゾンビ化させるウイルスが流行ってしまってたというのか?

まだ俺は感染していないだけで、周りの人はみんなゾンビになってしまったというのか?


「ア…ア…」


先ほどよりもさらに奇妙で、そして重い呻き声が聞こえる。ちょっと待って本当に怖い。


「…ゾンビか?」


この声は確実にリビングから聞こえてきている。奴は必ず中にいるはずだ…


もし本当にゾンビなら、すぐにここから退散する必要がある。俺は手元にあった懐中電灯を手にした。

いざとなったらゾンビに光を当てて目をくらませてその間に逃げよう。ゾンビに光が効くかわからないけどやらないよりマシだ。


ゾンビに見つかった時に、すぐに走れなかったら意味がない。服装を軽くする必要があると判断した俺は、上着を一枚脱ぎ去る。


「行くしかないか。」


いざとなったらすぐに逃げられるよう準備を万端にし、俺は覚悟を決めた。もし本当にゾンビがいたらすぐに逃げようそうしよう。


少し恐怖心があるが中にいるのがどんな奴か確認する必要がある。ほんの少し見てすぐ逃げよう。そんな映画なら最初に死にそうなキャラっぽい思考をしながら、俺は恐る恐るドアノブに手をかけた。


一瞬、ドアノブを握る手が止まる。自分でもわかるくらい汗をかいている。いざ目の前に対峙しようとして恐怖心が宿った。


「…ここで足を止めても仕方ない。」


しかしこのまま逃げるわけにもいかないのだ。俺は今度こそ本当に意を決して、ドアノブを捻った。


目の前に見えるのはいつもと同じのリビングの光景だ。荒らされた形式もなければ、血が飛び散っているなんてこともない。


ただ、なんら変わらないリビングの端、テレビの右側に机の上に頭を乗せて項垂れている南の姿があった。


「…」


「アー…」


先ほどと同じ呻き声を確かに今、目の前にいる南が発していた。


え、嘘?さっきのゾンビみたいな声の正体、南のやつなの?お兄ちゃんめっちゃビビったよ?ゾンビかと思ったんだけど?懐中電灯用意して服脱いで逃げる気満々だったよ?


「えーと、南?」


恐る恐るテレビの方を向いている南に声をかけると、目の前の項垂れた妹は小さな呻き声を発しながらこちら側を向いた。


「ああ…にぃか。」


「…どうした?」


南は今までに聞いたことのない、どこから出しているか見当もつかない低音ボイスで返事をした。


目の前の妹は今にも溶けてしまいそうなくらい絶望した表情をしている。マジで何があったらこんな顔になるんだよ。


「…」


南は俺の質問に対し返事をすることなく指を震えながら差し出した。それは机の方を指している。

指が示している方向に視線を移せば、そこには無造作に置かれた数枚の白い紙が置いてある。

机の上に置いてある白い紙を一枚取って裏返すと、そこにはボールペンで、漫画のようなレイアウトだけが描かれていた。


「締め切りに…間に合わなさそうなの。」


「…同人誌か?」


「うん。」


「えっと?つまり、同人誌の締め切りが間に合わなさそうだから死にそうになってるってこと?」


「…」


返答はなかった。この状況において否定をしないということは、とどのつまり正解だ。


いや怖すぎだろ。ゾンビ出たって本気で考えちゃったんだが?まさかあの声が同人誌の締め切りに苦しめられてるものだと思わないじゃん?


「…はあ。杞憂だったか。」


思わずため息が溢れ出た。なんかめちゃくちゃいらん心配をしたな。わけもなくどっと疲れてしまっ

た。


「本当にやばいんだよ!」


「何何何。」


突然、南が手で机をバンッと叩き立ち上がった。

普通にびっくりしたんだけど。耳キーンってなったぞ。


「シチュエーションを描くのは造作もないんだけどね!ストーリーが!思いつかないの!」


「机を叩くな…鼓膜破れる。」


「兄の鼓膜なんてどうでもいいんだよ!」


「お前…」


先ほどよりも大きな声で南は叫ぶ。バンバンバンと、先ほどの死にそうな状態よりも明らかに激しい動きで手のひらで机を叩いた。テンションの落差激しすぎて耳鳴りしそう。


「シチュエーションってことはつまりあれか。」


「そう、ベーコンレタスハムエッグサンドイッチ。」


「なんかちょっと多くねえか?」


今度はまた頭を机の上に置いて項垂れる。さっきからテンションが不安定すぎる。


どうやら南は同人誌が全く進んでいないことが原因であんな声を出していたらしい。腐っていたのはゾンビのせいでなく漫画だったというわけか。


南は今年に入ってから同人誌を描き始めた。元々好きだったらしいBLを自分でも描いてみたいという好奇心で、地域の集まりに自分の漫画をちょくちょく出しているらしいのだ。


締め切りというのは原稿の納期だろうか。よくわからんけどこの様子見ると結構やばいらしい。


「本当に…今回は余裕を持ってたはずなのに…いつのまにかこんな時期に…」


南はボソボソと先ほどのゾンビみたいな声で何か呟いている。はっきり言って普通に怖いし、初めて妹のこと恐ろしいと思った。可愛かったあの頃の南はどこに行ってしまったんだ。


「やばい…マジでやばい…」


「まあ、うん。がんばれ。」


ひとまず声の正体が南であってよかった。南に直接被害はないようだ。同人誌の締め切りがやばいのは自業自得だけど。


今にも溶けてしまいそうな南を背に俺はキッチンへと立つ。恐らくこの感じだとしばらく寝なさそうなので、飲み物でも入れてやろうかと思ったのだ。カフェインを摂取すれば、しばらくは起きてられるでしょ。


湯を沸かして箱に入ったパックから粉末のカフェオレを2つそれぞれコップに入れる。5分としないうちに電子式のティーポットがカチッと鳴り、お湯が沸いたことを知らせた。


コップにお湯をゆっくりと注いでいく。確かこのタイプの粉末には砂糖が入っているだろうから、他に何も入れなくていいはずだ。


2人分のカフェオレを作りリビングへと戻ると、先ほどと同じように絶望した表情でペンを握っている南がいた。


「原稿の進捗的に、徹夜コースか。」


「多分そうなりそう…」


「そっか、無理はするなよ。」


言いながら、南の近くにカフェオレを一つ差し出す。


「あ…にぃ、ありがと。」


南はちょっと驚いたようだったが、俺の方を一瞬振り向くとまたすぐに紙の方へと顔を向けた。


…どれ、しばらくはリビングにいてやるか。


自分の部屋でだらける予定を急遽変更し、俺は南の向かい側に座ることにした。




「ア…ア…ア…」


篠末家のリビングは、ゾンビの呻き声に包まれていた。先ほどから小一時間ほどが経過したくらいだ。また南が項垂れて死にそうになっている。机に全体重を預けてダラーンとしている。天日干しみたいだ。


最初の方こそ南はペンを持ち原稿を書き進めていたが、だんだんと動きが鈍くなっていったかと思えばしばらくすると筆がピタッと止まった。その後はほとんどペンが進むことなく今に至る。


多分アイデアが浮かばないのだろう。先ほどからぶつぶつとあれはダメ、これも違うなんてよくわからんことを言ってたからそのせいでペンが進んでいないのだろうと思う。


…あと、南は自分が好きになったことに拘りすぎる傾向がある。一度興味を持てばとことん突き詰めることが多いのだ。


職人気質とでもいうのだろうか、南の異様なこだわりは小さい頃から今も続いている。こと同人誌に関しても、中途半端な作品にしたくないという思いが強いのかもしれない。


「少し休んだらどうだ?今にも死にそうだぞ。」


あまりにも南が辛そうにしているので、思わず声をかけた。さっきからマジで死にそうな顔してるし、多分このまま放置したらいつか溶けてしまう。


「休んだら…できない…作品が…」


「締め切りいつなの?」


「明日まで…」


「もっと早めにやっておけよ…」


南の異様なこだわりに関して俺は否定するつもりはない。南の個性であるし俺にはない特性だからだ。ただそれはそれとして、時間を逆算して動けと思うところもある。


「とにかく一旦寝るなりして休め。そのままダラダラと続けても意味ないぞ。」


「いや…でも…」


「お前も結構意固地だよなあ…」


南は割と昔から頑固なところがある。まるで同級生の誰かさんとそっくりだ。


ただこのまま続けさせると、本当にヤバそうな気がするのだ。昔からいろんなことに熱中してはその度に体を壊してきた経験があるし、今回もそうなりかねない。


「あ、ちょっと。」


だから俺は無理やりやめさせることにした。南の前に置いてあったペンを半ば奪い去るような形で手に取る。


「とりあえずちょっと休憩しろ。前みたいに体壊してもあれだろ。」


「ああ…」


南は手を伸ばして俺が持っているペンをなんとか取ろうとするが、全く届いていない。手のひらをフラフラさせてなんとか取ろうとしていたが、しばらくすると諦めたのか手を引っ込めた。


「休憩挟んでからもう一回やる方が効率いいから。それに今はアイデアが浮かんでないんだろ?」


「アイデアじゃなくてシチュ…」


「シチュー?カレーの亜種か?」


あのご飯をかけるかかけないかで一生論争が起きてるやつか?ちなみに俺はご飯にはかけない。ご飯とシチューって根本的に合わんだろ。牛乳入ってんだぞあれ。牛乳とご飯一緒に食べるのは小学生の給食までだろ。ご飯にかけて食べるやつは人外だと思ってる。


「ご飯にかけて食べるシチューじゃなくて、シチュエーションのことね。」


「ご飯にかけんの?」


俺の妹、人外だった。え、嘘?いつも家で食べる時かけてなかったよね?そう思い記憶を掘り返してみるが、そもそも最近家でシチューが出てきてない。多分最後に食べたのって小学生の高学年になる前くらいだ。


…もしかして俺と南で食べ方の違いによる戦争が起こらないように意図的に避けてる?


「え?にぃ、もしかしてご飯にシチューかけないの?」


「普通かけねえだろ…シャバシャバになるだけじゃねえか。」


「なんで!?あんなに美味しいのに。」


「絶対合わないって。カレーとはまた別もんだろ?」


「いやいやそんなことないから。ベストマッチだから。」


「いーや合わないね。牛乳にご飯かけて食べるのが美味しいわけない。」


「はぁー!?シチューと牛乳は別もんでしょ。にぃは絶対食わず嫌いしてるって。一回食べてみ?本当に美味しいから。」


「絶対嫌だね。頼まれても食べない。」


「なら今度、無理やりにでも食べさせてあげるよ。にぃにシチューご飯の魅力を伝えてやる。」


「なんの脅しだよそれ…」


南はどこか興奮しながらシチューをかけたご飯を食べさせようと決意していた。先ほどの死んだ様子とは一転して、活気にあふれたいつも通りの姿だ。元気なのはいいんだけど俺は絶対食べないからな。


南の目に何故か炎が見える気がするが、多分気のせいだ。あの目になった時は俺が何を言っても聞かないが、今回はそうでないことを願う。


ていうかそもそも母さんにシチューを作ってもらわないようにすればいいだけか。完璧だな。


「…って、なんて馬鹿らしい話してんだ。」


「馬鹿らしいって聞き捨てならないね。シチューにご飯は絶対かけるべきだよ。」


「いやそれはもういいって…このまま続けてたら日が明けるぞ。」


「私は徹夜で議論してもいいけど?」


「シチュー論争で徹夜とか誰も得しないだろ。」


南はいつも通り、まるで俺の妹とは思えないくらい明るい雰囲気になっていた。なんやかんや気力は多少取り戻したようで、先ほどまでの今にも死にそうな状態よりかは遥かに良くなっている。


というか南があんな表情するのなんて久しぶりだった。いつもうるさいからあんなに元気のない姿は珍しい。


「…学校、元気にやってんの?」


ふと気になったので一つ質問をすることにした。南の落ち込んでるというか、元気がない姿を見て、普段学校ではどのように過ごしているかが気になったのだ。


「え、何いきなり。」


「ちょっとした疑問だ。答えたくないなら別にいい。」


「…割と元気にやってるよ。部活も学校も普通に楽しい。にぃとは違って友達も多いし。」


「最後の部分いる?」


「だって事実じゃん。」


「もうちょっと言い方ってもんがあるだろ。」


事実は事実だけど言われたら悲しくなるんだよ。現実突きつけられるとちょっと心に来るものがある。


「まあ普通に楽しいよ。…あ、でも部活はもう引退が近づいているから、ちょっと忙しいかな。練習時間伸びたせいで、原稿書く時間なかなか取れなかったし。その結果今こうなってるんだよねえ。」


「そうか、もう引退の時期だもんな。」


「うん。後2ヶ月ないくらいかな。」


南ももう3年生だ。中学生は高校生より部活の引退が遅いといえど、よほど先に進まなければ大体1学期中には引退を迎える。そこで部活を終えて夏休みからは受験に向かって突き進むのが一般的な流れだろう。ハンドボール部に所属している南も、おそらく夏休みまでには引退するはずだ。


「そういや部活で思い出したんだけど、にぃにひとつ聞きたいことがあったんだよね。」


「いきなりなんだ?」


「確かにぃの学校って部室荒らしみたいなことがあったんだよね?ほら、一昨日くらいに。」


「ああ…あったな。え、お前事件のこと知ってんの?」


「そりゃあ知ってるよ。にぃの学校との距離は遠いとは言っても、地区で言えば同じだしね。部室荒らしが発生してるから不審者には注意しておけって先生に言われたんだよ。」


「そうなのか…」


俺の学校から遠く離れた中学生の、学校と全く関係のない妹ですら情報が耳に入るくらい今回の部室荒らしは結構大事になっているようだ。ならどうして同じ学校の俺は今日の今日まで知らなかったんだろうか。あまりにも情報網が狭すぎる。いや狭いというか多分穴が空きまくってるんだろうな。


「普通に犯罪行為の可能性もあるからね。外部犯って言われてたし、注意喚起くらいするでしょ。」


「ああ…そりゃそうだな。そうに決まってる。」


「どしたの?にぃ。」


「なんでもねえよ。」


「ふーん。まあいいや。」


南は訝しげな目で俺のことを睨んでくるが、深くは追及してこない。


「まあそれで、にぃがその部室荒らしに関して何か知らないかなぁと思ってさ。詳しい事情とか聞きたいんだよね。」


「何か知らないか…なんて言われてもな。俺は部活に入ってないからその時現場にいなかったし。」


部室荒らしに関して俺は全く当事者ではない。なんせ事件の2日後にその存在を知ったレベルだから、事件当日のことなんて何もわからない。


…いや、わからないというのは嘘だな。今日俺がその事件を知ったきっかけは、その詳細を知った理由にもなる。


部室荒らしの被害者である大橋と佐川の2人だ。現場の第一発見者である二人は、菜名宮に相談を持ちかけていたが何故か俺はそこに同席してたんだよな。本当今でもそこにいた理由がわからない。


そして被害を受けたバトミントン部の部長にもある程度話を聞いた。事件の詳細等に関して進展はなかったが、被害者やその周りの人が事件についてどんな感情を抱いているかも知った。やっぱりなんで俺が連れていかれたかわからないんだけど。


だがそのせいで俺は事件について知っている。なんなら当事者から話を聞いた分、だいぶ詳しい方ではないだろうか。


「ふーん、そうなんだ。何か知ってそうな感じしたけど。」


またも訝しげな目で南は俺の方を見ながら、そうして俺の心を見透かすかのようにそんなことを言った。だから俺の周りテレパシー使える人多いんだよ。なんで心の中わかんの?


「…何も知らねえよ。」


「本当に?」


「なんでそこで疑うんだ?お兄ちゃん悲しいよ。」


「疑う理由?そんなもの必要ないでしょ。」


「普通に必要だろ。何言ってんだお前…ていうか具体的な根拠はないのかよ。」


「なんとなくだよ。なんとなく、にぃが何か知ってそうな気がするんだ。」


南は机に身を乗り出し先ほどよりも近い距離で俺の目を覗き込んでくる。ただひたすらに、じーっと。

なんか圧力も感じる。後ろからゴゴゴって音がしてくる。怖いって、さっきとは違う意味で。


「…はあ、その通りだよ。ちょっと詳しいことは知ってる。」


結局、圧力に負けた。なんかどんどん距離近付いてくるし。南の体制今すごいことなってるよ?地に足ついてないし机の上で平泳ぎしてるみたいな体制になってる。机の上に乗るなって怒られるぞ?


「やっぱりね。」


南は納得したようにそう言うと体をひょいと元の位置に戻す。どういう原理で体動いてんだってくらい不思議な動きをしていた。多分同じことやろうとしたらお腹が悲鳴を上げると思う。


「部室荒らしってどんな感じだったの?」


「はあ…言ってもいいんかな。」


「言ってもいいってどういうこと?」


「なんかまあ複雑なんだよ。あんまり言いふらしてはいけないって言うか、秘密にしとくべきかもしれないかと思ってな。」


「あんまり第三者には詳細伝えたくないとかそんな感じ?」


「ああ、詳しいことを俺が知ったのも偶然だしな。」


「でも私ってにぃとは学校も学年も違う、事件とは全くの赤の他人だよ。私が詳しいこと聞いても特になんの問題もないんじゃないかな。」


「まあ問題にはならないか…一応言っておくが、他の人には言いふらすなよ。」


「わかってるよ。」


本人の言う通り今回の事件において南はただの部外者だ。うちから南の学校までは遠いし、おそらくうちの高校に知り合いがいるわけでもない。南は秘密を言いふらすようなタイプでもないし、伝えても問題はないだろう。


俺は南に事件の詳細についてを伝えることにした。




「へえ、そんな感じだったんだ。」


俺は今日の昼休みに部室荒らしにあった生徒が来たこと、菜名宮に事件のことを相談したこと、二人が同級生を疑っていたこと、そして梨乃亜先輩の所へ行ったことなんかを話した。詳しく話しすぎたかと思ったがまあ大丈夫だろう。


「事件に関してはな。当時の状況は被害者の二人が目撃してるし多分正確なもんだと思う。」


「結構ひどいね。部室に置いてあった荷物が練習中に無造作にぶちまけられるって。」


「少なくとも部員の奴らはそれなりに堪えてるだろうな。」


俺は加害者でも被害者でもなくただの第三者であるため何も感じないが、被害にあった佐川や大橋、他のバトミントン部の部員が受けるダメージはでかいだろう。実害という面でも、そうでないところも。


誰が何の目的で自分たちの荷物を無造作にぶちまけるようなことをしたのか。意図も理由も全くわからず、唯一わかるのはそこに確かな悪意があるということだけだ。姿のない悪意は被害を受けた者にとっては恐怖でしかないのだ。


「犯人、捕まるのかなぁ。」


「どうだろうな。証拠があるかもわからんし、そもそも内部犯か外部犯かもわかっていない。このまま迷宮入りする可能性の方が高いんじゃないか?」


「犯人って言えばさ、バトミントン部の大橋さんと佐川さんは犯人を同級生って考えてたんだよね。」


「ああ、部室からは何も盗まれてなかったから、金銭面以外の目的で内部犯がやってたんじゃないかって言ってたな。」


「えーと、同級生に絞った理由は犯行が出来そうなのが2年生しかいなかったからだっけ。」


「1年生はロッカーが別の場所にあり、3年は進路相談会があった。それとそもそも部室には2年の荷物だけ置いていたから、同級生の犯行の可能性が高いんだってよ。」


まあ実際は他の学年にも犯行は可能であるし、同学年以外にも動機が生まれる可能性は十分あったのだが。


南は視線を明後日の方向に向け、何か考えているような仕草を取る。うーんと、先ほど同人誌のアイデアを考えている時と同じように唸っていた。


「犯人の絞り方、おかしくない?」


「おかしいって?」


「いやまあ、同級生に絞る理由はわかるよ?正しいかは一旦置いといて、その思考になる過程も納得できる。でも、なんで同級生『全員』なの?」


「…」


「荒らされたのがバトミントン部ならバトミントン部の誰かを疑うのが筋じゃない?他の部活がバトミントン部のことを嫌ってたならともかく、そんな話はなかったんでしょ?だったら部員の誰かがやったって考えるのが自然じゃない?別の部活よりも同じ部活の方が人間関係でゴタゴタは起きやすいでしょ。」


南はそう言いながら指で机をトントンと、まるで自分の考えを整理するかのようにゆっくり叩く。そんな南の意見に対し思わずため息が出てしまった。


「はあ、やっぱそうだよなぁ。」


「そうだよなぁって…にぃも同じこと考えてたの?」


「一応な。誰にも言わなかったけど。」


俺が昼休みに感じた違和感、そして放課後、菜名宮に問い詰められた内容、それが今まさに南が言ったことである。


何故か今日の昼休み、佐川も大橋も犯人像を同級生から更に絞ることをしようとしなかった。あの時間、犯行が可能な全員を容疑者と疑っているような物言いをずっとしていたのだ。


バトミントン部で起きた事件なら、真っ先に疑うべきは同じ部活の人間だろう。ベタな推理だが、内部犯がバトミントン部の部室を荒らしたのなら部活に対して不満を持っている誰かが部屋を荒らしたという動機が最も安直ながら最もしっくりくる。


漫画やドラマの世界でありがちな、実は身近に犯人がいたという展開は実際に起こりやすいからありがちなのだ。


「二人とも頑なに同級生とだけ言い続けていたからな。俺も変だと思ってたんだよ。」


「やっぱりそこおかしいよね。」


南と俺の意見は完全に一致していた。どうやら兄妹が色んなところで似やすいというのは本当のようだ。


「…にぃはなんで昼休みの時にそのことを二人に言わなかったの?」


「バトミントン部に犯人がいる可能性だよな。」


「言ってもよかったんじゃないの?」


「この推理って何も確証がないんだよ。俺と南は部内に犯人がいると思っているが、大橋と佐川はそう考えていなかった。この推理は俺の主観的な物だ。そんなもんをわざわざ言う理由もないだろ。」


「…まあ、あくまでも推測だもんね。」


そう、この考えに関してはあくまでも俺が考えているだけなのだ。佐川や大橋が内部犯について考えていないように、この推理が全員の共通認識であることなんてまずない。


「佐川や大橋が部内に犯人がいる可能性に絞らないのも、単純に俺と違ってそういう考え方をしてないだけかもしれないからな。」


根本的に人と人が完璧に分かり合えることなんてまずないのだ。俺は朝顔先生が何故結婚できないのか知らないし、菜名宮が何故いつも突飛な行動をするのかも知らない。同じ家にずっと住んでいる妹ですら、初めて今日ゾンビになった姿を見たのだ。


…これはちょっと別かもしれないな。


とにかくどれだけ親しかったとしても、必ず人には自分の知らない一面がある。


ましてや大橋や佐川とは今日初めてまともに話したのだ。二人がこの事件についてどう考えているかなんて到底知らない。思考がわからない相手に対し自分の考えを押し付けることはただの身勝手だ。相手と考え方が違う可能性があるのなら、自分の考えをわざわざ伝える必要もない。


「それに犯人が身内にいるって伝えるのは酷だろ。次の日からどんな感情で部活に臨めばいいんだよ。疑心暗鬼になりまくるぞ。」


よく考えなくても部室荒らした犯人がいるかもしれない状況で集中できないと思う。身近に犯人がいるかもしれないってビクビクしながら過ごすなんてあまりにも辛い。


「…」


俺の言葉に対して南は何故か目を見開いていた。


「どうした?」


「いや、にぃが他人にそんなに気遣えるんだなって思って。友達いないのにさ。」


「マジで失礼にも程があるだろ。お兄ちゃんも傷つくことはあるんだぞ。」


「ぼっちだから人のこと何も考えてないと思った。」


「どういう偏見だよ。全国のぼっちに怒られるぞ。」


いや、怒られることはないか…多分南の陽オーラに屈する人が大半だな。


「ていうか逆だ。ぼっちはむしろ周りに気を遣ってることが多い。」


「え、そうなの?」


「多分そこらへんの奴よりは遥かに空気読んでる、というか眺めている。」


ぼっち、コミュ症、陰キャ。ここら辺に分類される人間は意外と周りを見てることが多い。なぜなら周りに対して常に怯えているからだ。


肉食動物に目をつけられないよう気配を隠している草食動物と同じように、ぼっちもまたクラスのキラキラした奴の邪魔にならないよう、気を立てないようコソコソと動いている。


「歴然の力の差がある前で、リスクのある行動をするなんて、ただの自殺行為だよ。まあ何も言わず空気に溶け込んでるから、ぼっちであるんだけどな。」


「はえ〜」


自分の知らない世界のことに、南は物珍しそうに返事した。俺とは違い、友達が圧倒的に多くコミュ力が化け物みたいに高い南には縁のない話なのだろう。


本当にマジで俺の妹か?って思うことがあるくらい陽キャ。南とは結構似通っているところが多いと思うがここだけはマジで真反対だ。今世紀最大の謎である。本当に血の繋がった妹なのか心配になって来たな。


「こう見えても俺は色々周りを見て動いてるんだよ。南にとっては意外かもしれないけどな。俺は平穏な日常を邪魔されたくないからそれ相応のことはする。」


他人に無関心、いつも無気力、顔が死んでる。周りからは散々な言われようであるが、自分でもそう自覚はしている俺はしかし決して周りを見ていないわけではない。むしろ人とろくに会話しない分、他の奴よりも周りを観察してる時間は長い可能性すらある。


じゃあなんで人の名前覚えられないのかって言ったら単純に興味がないからだ。退屈な授業だと寝てしまうように、人は興味がないことを覚えるのが難しい生き物なのだ。だから俺が人の名前覚えてないのは仕方ない。


「平穏、ねえ。」


「…なんだよ。」


「にぃがはちゃめちゃなことが嫌いってのは知ってるけどさ、本当に平穏が好きなの?」


「は?」


そんな突拍子のない南の言葉に思わず耳を疑う。ただ南は飄々とどこか半笑いにも見える表情でひたすらこっちを見ている。


「だってにぃってさ、最近色んなことに巻き込まれてるよね?この前も学校サボってなんかしてたんでしょ?」


「そんなことあったな。」


多分、つい先日の雛城の件だろう。あの日帰りは朝顔先生に送ってもらったのだが、家に着いた時に南がすでに帰っていた。多分その時に先生から諸々の事情を聞いていたんだろう。


「高校に入ってからかな?にぃは忙しそうな時が増え

てるよ。少なくとも中学の時よりは圧倒的にね。」


「そうかぁ?別にあんま変わってないと思うけど。」


「側から見れば一目瞭然だよ。それににぃは高校生になって表情も明るくなった。」


「表情…この前言ってた、死んだ顔が少なくなったってやつか。」


「そう。決してポジティブじゃないけどネガティブでもない普通の顔ね。中学の時じゃほとんど拝めなかったSSRだよ。」


「普通なのかレアなのかどっちだよ。」


普通の顔がレアって言われてた中学時代、なかなか酷いな。この前常時死んでたって言われたし当時の俺どうなってたんだよ。


「今回の件も菜名宮さんが関わってるんでしょ?」


「そうだな。昼休みもあいつが隣に座ってた。」


「菜名宮さんが絡んでるとにぃの表情って明らかに変わるんだよ。今もそうだし。」


「いや、今は変わってねえって。」


「変わってるよ。」


言いながら南は口角を少しあげ、自分の指でツンツンと刺している。まるで俺が今笑ってるとでも言いたげだ。


「だって今もにぃ、少し楽しそうだもん。」


「…はあ?楽しそう?」


「なんというかね、小さな子供が初めておもちゃをもらった時みたいにワクワクしてる感じ。」


「つまり俺は小さい子供ということか?」


「そんなこと言わないでよ気持ち悪い。」


「ひどっ…シンプルに傷つく。」


流石に今のは酷い。お母さんにも言われたことないんだけど?殴られたことはある。俺がふざけまくって家の壁に落書きしまくった時だ。どう考えてもあれは俺が悪かった。


「あくまでも気持ちね。小さな子供みたいに、楽しそうにしてるってだけ。」


「楽しそう…ねえ。」


南は今度はにっこりと、さっきのような作り笑いではなくおそらく本心から笑った。


「にぃって本当は菜名宮さんといる時いつもワクワクしてるんじゃないの?」


「…」


ワクワクしてる、か。南が言ったその言葉が脳内で反芻する。菜名宮と居て暇であることはない。あいつが絡んでることは大抵めんどくさいことだし俺も時たまそれに巻き込まれる。いわば害悪スプリンクラーだ。それか台風。


俺が最も望む平穏という時間を、世界を、菜名宮はいつも壊してくる。それも時には過干渉でやりすぎだというくらいで。思えば出会って1年とそこらしか経ってないのに、遠慮がなさすぎるような気もする。


完璧に組み立てたはずの高校生活のビジョンは一瞬にして壊されたし、たまに土日の休みさえ潰してくることもある。菜名宮は俺にとっては破壊者でしかない。


そんな存在によって俺はワクワクしているなんて感情を浮かべるのか?確かに毎日が退屈ではない。少なくとも毎日無気力に過ごしてたあの頃よりはずっとマシだろうか。


ただ俺にとってそれはいいことなのかわからない。正直なところだるい時もあるし、菜名宮の呼び出しに応じない時も結構ある。


それでも菜名宮はずっと俺を勝手に巻き込んで、勝手に荒らして勝手に綺麗にしていく。菜名宮の現実的な理想主義は結構な頻度で俺に迷惑をかけてくる。


そんな自分にとって傍迷惑な存在と関わることが楽しいとは到底思えない。菜名宮にイヤイヤついていくことばかりも多いのだ。


うん、南の気のせいだな。多分菜名宮のイメージを美化してる感じだろう。まあ遠くから見る分にはあいつのやってることってキラキラしてるし、そう見えるのもわかる。


目の前にはまるで言い放ってやったぜ、と言わんばかりのドヤ顔をしている南の姿がある。自分で言うのもあれだが妹めちゃくちゃ可愛いな。シスコンと言われようともこの意見は絶対に曲げない。妹、最強。


ただそのドヤ顔の思惑は残念ながら違っているので、即座に訂正を入れる。


「楽しくはねえよ。むしろ辛いことばっかだ。」


「嘘だあ。絶対内心ではウキウキしてるよ。」


「本当だよ。勝手に自分の時間結構取られてんだぜ?俺だってゆっくりしたいもんなのに。」


「そんなこと言うけど、年がら年中暇人じゃん。」


「ぐっ…そうだけどさ。」


なんか今日異様に南のあたりが強い。ねえこれ反抗期ってやつ?ちょっと悲しいんだけど。


「それでもだ、自分が望んでもないことに結構な頻度で巻き込まれるんだぞ?南だって同人誌を描く時間を部活に取られてるじゃねえか。それと一緒だよ。」


「うぐっ…それは。」


「そういうことだ。決して楽しくなんかはない。

迷惑被りまくりだ。」


思わず手を広げ首を小さく振った。そう、菜名宮と関わることは俺にとって楽しいことではないのだ。ましてやワクワクしているなんてありえない。


「うーん、でもさあ。」


南はまだぶつぶつと何かいいたげにしているが、はっきりと口に出すことはない。


しばらく待ったが南からの返事らしきものは出てこなかった。


「まあ南がどう考えようと自由だけど、そこだけは間違えないでくれ。」


俺はコップを2つ持つとソファーから立って南に背を向けるように、キッチンに向かった。


「…ちょっと待って。そういや原稿全然進んでない!」


「あ、同人誌…」


そういや元々南は同人誌の締め切りがやばいって話をしてたんだっけか。すっかり忘れてた。


「うおお!今から徹夜するしかないじゃん。」


「まあ、とりあえず頑張れ。」


南の急なスイッチ切り替えに思わず苦笑いが浮かんだ。先ほどよりも随分と元気そうだ。


その日、深夜まで謎の呻き声が下の階から聞こえて来たせいで、全く眠れなかったのはまた別の話である。


誤字脱字等がありましたら、ご指摘いただけると幸いです。

(2025/9/21 一部修正)

(2025/11/03 一部修正)


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