あるバトミントン部員について-1
いつも遅刻ギリギリで学校にくる俺にしては珍しく、今日は時間の余裕を持って登校していた。朝早くの校舎には人影がまばらにあるだけで休み時間のような騒がしさはない。
早めに登校している人は相当真面目な人か、部活動に参加している人かの2択だろう。昔は家が近い人が早めに来ているのかと思っていたのだが、むしろ学校の近くに住んでると登校時間がギリギリになるらしい。
曰く、頑張って走れば間に合うことが多いからギリギリまでゆっくりしていることが多いのだという。だから部活に参加するわけでもなく教室の前にいる人は逆説的に家が遠いのだろう。家から距離が遠いのにいつも遅刻しかけている俺は例外である。
眠気が治らぬまま下駄箱から北校舎、教室とは反対方向の校舎へと向かっていく。2階まで登って渡り廊下に来たところで、俺はそこにある教室のドアへと手をかけた。
その教室には『図書室』というプレートが掲げられているが、それは少しくすんでおり文字も掠れて薄くなっている。どこか古さを感じさせるようなプレートを横目にドアを開けば、あいもかわらず薄暗い空間が広がっていた。
「…お、陰険少年くんじゃないか。」
「いたんですか、先輩。」
朝日が差し込んでもなお廊下よりも暗い空間から、軽快にこちらを呼ぶ声が聞こえる。そちらを見れば例の一人称ボクのチビ先輩がテーブルスペースに座っていた。
「ていうか陰険少年ってなんですか…」
「そのままの意味だよ。君は陰険で、ボクよりも年下だろう?だから陰険少年。安直だが悪くないネーミングセンスだと思っているよ。」
「冗談でもそういうこと人に言うのはダメですよ。」
「ふむ…君のことを真剣に陰険だと言っているんだけどね。」
「なら余計ダメでしょ。」
おちゃらけた様子もなく真剣な眼差しでチビ先輩はこちらを眺める。
「陰険少年がダメなら…ボクは君のことをなんと呼べばいいんだ?」
「いや普通に苗字で呼んでくださいよ。」
「苗字か…しかしだ、ボクは君の名前を聞いていないぞ。」
「…あれ、そうでしたっけ。」
先輩と初めて会った日のことを思い出す。会議室から菜名宮のタブレットを回収し、帰ろうとした時にこのチビ先輩に拉致られたはずだ。ノルマのために図書室で本を借りて…
「そういえば名前伝えてないですね。ていうか俺も先輩の名前よく考えたら知りませんし。」
「君はボクのことをずっと先輩、としか言ってないからね。」
チビ先輩も何かを思い出すように考える仕草をとっている。おそらくこの前のことを振り返っているのだろう。
「…ふむ、このまま互いの名を知らないと言うのも不便だし改めて自己紹介をしようか。」
チビ先輩はしばらく考え込んだ後、手に持っている本を机の上にパタンと置くと、その手を自分の胸元に当てる。
「ボクの名前は加羅基 瑠奈だ。瑠璃色の奈良では基本的に阿修羅を加える。反対から呼んでくれればボクの漢字になる。」
「すみません、意味不明すぎるんですけど。」
「確かにボクの漢字は難しいからね。しかしだ、声で聞くのは難しくとも文章上で読み取るのはそんなに複雑でもないだろう。君はそっちでボクの漢字を理解すればいい。」
「…いや何言ってるんですか?」
先輩の言っていることの意味がわからず首を傾げる。マジでこの人の言葉がわからない。
加羅基 瑠奈 この名前を復唱してみたが、普通に考えて漢字がすぐに思い浮かぶはずがないだろう。
「そういう君はなんと言うんだい?」
「俺は2年の篠末です。」
「しのすえ…どんな漢字だい?死んでしまう直前かな?」
「死の末、ではなく篠笛の篠のほうです。」
「ああ、失敬。ボクは文字として君の名前を読むことができないから間違えてしまったよ。」
瑠奈先輩はまた意味不明なことを言いながらフッと笑うと、先ほど机に置いた本をまた手に取った。
「それでだ、篠笛くん。」
「篠末です。日本製の木管楽器じゃないです。」
「すまないね、塩漬けくん。」
「だから篠末です。定数ダメージを与える岩タイプの技じゃないです。」
「ああ、そうだったか。二の腕くん。」
「肩と肘の間にある体の部位じゃないです。ていうかこれいつまでやるんですか…」
「すまないすまない、君のツッコミが鋭くてついやってしまったよ。」
マジでなんなんだこの先輩…
「それでだ、陰険くん。」
「もうそれはただの悪口でしょ。」
「でもこの表現であれば君のことだとわかりやすいだろう?」
「…いや、もうそれでいいですよ。」
相変わらず意味不明な呼び方で俺を呼ぶ先輩にもう指摘するのもめんどくさくなり、先輩の方を振り返る。
「改めて今日、ここに訪ねてきたのは本を借りにきたのかい?」
「ええ、この前借りてた本を返すついでにですけど。」
瑠奈先輩に連れられてこの教室を訪れたのはちょうど2週間くらい前だった。
普段出勤していた司書さんのうちの一人が辞めてしまい、利用者が少ないことを含めて図書室が閉鎖される案が出たのを瑠奈先輩は拒否していた。
図書館の利用者が一定数を超えなければ閉鎖してしまうという条件を守るために、瑠奈先輩は図書室の利用者を探していたのだ。学校指定のものではないタブレットを持っていることをバラさないという条件の代わりに、俺は先輩のために毎週図書室を利用する約束をしていたのだ。
実は先週にも図書室を訪れたのだが、その時には瑠奈先輩の姿はなく代わりにこの学校の司書らしき人と数人の利用者がいたのだ。その時に借りた本を返すために今日俺はここを訪れており、今に至るというわけだ。
「へえ、芥川龍之介に志賀直哉とはなかなかいいチョイスじゃないか。」
「適当に選んだだけですけどね…」
最初に来た時に借りた太宰治の作品が意外と面白く、同年代に活躍していた作家の作品も気になっていたために戦前の作家の作品を借りていたのだ。これまでラノベや現代小説しか読んでこなかったが、案外こういったのも悪くなかった。
「やはり彼らや太宰のように、卑屈な感情を持つ登場人物に肩入れしているのかい?よくよく考えれば君にはお似合いの作品かもね。」
「…それは否定できないですね。」
「ははっ、やはり君のような性格の子には刺さるのか。これはまた面白い知見を得られた。」
「俺は加羅基先輩のことがまた嫌いになりましたよ。」
あまりにもバカにしてくる、というか痛いところをついてくる先輩に対して文句を垂れるが、先輩はどこ吹く風でこちらを見ている。
「君が孤独な人間というのは間違いのないことだろう?ボクも同じようなものだし。」
「先輩ってサラッとすごいこと言いますよね。」
「別に君を貶しているつもりはない。ただボクは君のことを分析しているだけだよ。」
「…悪意がなさそうなのがなあ。」
「うん?」
基本的に友人がいない俺は、わずかな知り合いにそのことを結構バカにされることがある。特に菜名宮とか菜名宮とか菜名宮だ。
瑠奈先輩もまたあいつと同じように俺が孤独であり、卑屈であることを何の遠慮もなく刺してくるが、あいつとは違ってその言葉に悪意のようなものは見えない。
あくまでも事実として、個性として受け止めているとでも言うのだろうか。孤独であることを『個人の性質』として言っている節があるのだ。
瑠奈先輩は俺から本を受け取ると、カウンターの奥に向かって返却処理を始める。どこか上機嫌そうに見えるのは、図書館の利用者が増えていることに対して嬉しさを感じているのかもしれない、なんて勝手な想像をしていた。
「加羅基先輩って結構思ったことをそのまま相手に伝えるタイプですか?」
「ボクがかい?」
「ええ。」
返却処理を終えた本をカウンターの向こうで整理している先輩は、何か考え事をするような表情を浮かべていた。
「確かに空気を読めないタイプの人間かもしれないね。」
「いや…別にそこまで言ってないんですけど。」
「ボクのことを気遣ってそんな言い方をしてることくらいわかるさ。ただボクは残念ながら、周りに合わせて行動できるタイプじゃないことは自覚しているから。」
瑠奈先輩はカウンターから顔を覗かせると、机に置いてあったであろう本をいくつか手に取り、俺の方へと見せる。
「今月のおすすめ本だよ。陰険くんに合わせていくつか取り揃えているから好きなのをとってくれ。」
「…また先輩チョイスですか。」
「もうすぐ朝礼の時間だからね。何万冊とある本の中から君好みのものを今から選ぶ暇はないだろう?だから代わりにボクが事前にピックアップしたものから選ぶのがいいんじゃないか?」
先輩はほら、と壁際の時計の方を指差す。おおよそ朝のチャイム5分前…いつも俺が登校してくるくらいの時間を指している長針は、かっ、かっと無機質な音を立てていた。
「…じゃあ、この二冊で。」
「了解。」
手元にある十冊程度の中から、適当に目についた、戦争について書かれた歴史書と江戸川乱歩の小説を選んだ。
「はい、返却期限は2週間後だけど、まあ1週間以内に来てくれるとありがたいかな。」
瑠奈先輩は貸し出し処理を手慣れたように進めると、借りた二冊の本をこちらに差し出してくる。どうやら少し昔に出版されたらしい本であり、この前借りていた本よりも肌触りが少しざらざらとしていた。
「…1週間以内に来ないとどうなります?」
「タブレットについて生徒指導の先生に報告させてもらおう。」
「はあ、そうですよね。」
菜名宮が校則を破って持ち出しているタブレットのことについて、現状知っている第三者はおそらくこの先輩だけだ。
「君らの学年だと…朝顔先生とかになるのかな。確かあの人は生徒指導だっただろう?」
「あー…朝顔先生だけはやめていただけると。」
別にタブレットのことについてバレるのは最悪構わないが、朝顔先生に報告されるとなると話は変わってくる。あの人の説教なんて普段から飽きるほど聞いてるのに、それがさらに増えるとか流石に勘弁だ。
「その様子だと相当嫌なんだろうね。確かにあの人は怒ったら怖い人だし。」
「まあ…確かに。」
カウンターから戻ってきたら瑠奈先輩は苦笑いを浮かべながら、俺の方へと近づいてくる。手元には施錠用と思われる鍵をいつの間にか手にしていた。
朝顔先生に怒られるのは確かに怖いが、それ以上に普段から菜名宮の件について色々と問題を起こしているからという方の気持ちが強い。あの時間は俺にとっても、おそらく朝顔先生にとっても有益な時間ではないからだ。
だからまあ、タブレットについては隠しておいたほうが確実にいいだろう。
「それじゃボクは施錠をしてからここを出るよ。君も早めに教室に向かっておいた方がいいんじゃない?」
「あ…では失礼します。」
瑠奈先輩は廊下側の窓際へと向かうとカーテンをどんどんと開けていく。日中は誰も図書室を利用しないため、閉館準備をして鍵を返しておくのだろう。
俺はそんな先輩の姿を後ろに図書室を立ち去る。気づけば図書室の外はすっかりと騒がしくなっていた。
手元にある二冊の古びた本を改めて確認して、俺は教室を立ち去った。
「あちぃ。」
相変わらず人がいない昼頃の文化棟4階、太陽の光は前よりも確実に強く、廊下を照らしている。少し前は着心地が良かったこの長袖も今となっては蒸し暑く感じる。ここ数日で確実に気温が上がっているのが実感できた。
正直今すぐにでも脱いでしまいたい。脱いだらまず間違いなく通報されるけど。
俺は手元に弁当箱を持ちながらそんな文化棟を歩いている。かろうじて読める会議室3と書かれた薄いプレートを引っ提げる教室の前に立つと、ドアを開く。
「…相変わらずきったねえ。」
会議室3はいつもの通り埃臭かった。もうほとんど使われることがなくなったこの教室は、昔の体育祭や文化祭なんかで使われていたであろう大きな赤白のボールやカラフルなパネルが無造作に置かれている。昔の体育祭では大玉転がしやってたらしいし、それが捨てられず今も残っているんだろう。
手で口を軽く覆い、埃を吸わないようにしながら教室に足を踏み入れる。入って少し、通路が広くなったところで奥の方に菜名宮が座っているのが見えた。
「やあタキ、元気?」
「いたのかよ。」
「いつもここでお昼を食べてるから、そりゃあ今日もいるよ。」
「お前午前中、学校にきてなかっただろ。」
午前の授業中、後ろの席に菜名宮は座っていなかった。またサボりかと思ったが見慣れた光景だったため、そんな事はすっかり忘れていた。
「私が学校にいないのなんていつものことでしょ。むしろ今ここにいるだけでも褒めて欲しいもんだよ。」
「学校にいるのが普通なんだよ。…雛城も最近は真面目に授業を受けてるというのに、お前と言えば。」
サボることが当たり前だと言わんばかりにヘラヘラしている菜名宮を前に、教室にいた時に見かけたノートを真面目に取っていた奴のことを思い出す。
雛城芽衣奈、真面目であることを強要されていた元天才体操選手だ。菜名宮に諭され、本音を暴露し母親と仲直りをした。今では毎日学校に登校し授業をしっかり受けている。
元々の性格が真面目だったことも相まって、授業態度はかなりいい。多くの奴にとって睡眠時間となってる歴史の授業も、昼休み明けの化学の授業も、雛城は前を向いて先生の話を聞いている。
というか雛城がしっかりしてるせいで相対的に俺が朝顔先生に注意されてる。隣のあの子はしっかり勉強してるから、あなたも勉強しなさいっていうやつだ。でもそういう人に限って不都合なことはよそはよそ、うちはうちって言うんだよな。本当に虫のいい話である。
「芽衣奈ちゃんと私は別人だからね。関係ないよ。」
「そうですか。」
雛城を確実に変えた菜名宮は、しかしずっと変わることなくいつも通り過ごしている。もう聞き飽きた菜名宮の理論に呆れない日はいつか来るのだろうか。
「それに午前中は用事があったからね。私が来れなかったのもしょうがない。」
「用事ねえ…何してたんだよ。」
「これの整理してた。」
菜名宮は椅子から立ち上がり、手に持ったタブレットを俺の方へと持ってくる。その画面には、「震災被害について」という文字が映し出されていた。
「…なんだこれ。」
「最近起きた震災による被害の規模とか、金額とか、被害者数とかを色々まとめたものだよ。」
「なんでまたそんなものを…」
「今朝、震災被害者についての特集を見てね。震災って復興には数年かかるらしいんだけど、その間は当然、ずっと支援が来るわけではないんだよ。最初の方は全国各地から物資が届いたり人手が来たりするけれど、半年もすればぴたりと止む。でも人が来なくなったからと言って復興完了したわけではもちろんない。」
菜名宮は手元のタブレットをすいーっとスライドさせる。次のページには横軸に「月日」、縦軸に「復興率」と書かれたいくつかのグラフが映し出されている。
「これは被災状況とか建物の復元率、いろんな要素から年月ごとの復興割合を数値化したグラフね。見たらわかるけど、震災発生数ヶ月後から急激にグラフの上がり幅が小さくなっているんだよ。」
おそらくグラフの縦軸の値は震災からどれくらい復帰したのかを表しているのだろうと推測できる。
菜名宮の言う通り、震災発生直後は急激に上昇していたグラフの値も、半年ほどすれば急に勢いがなくなりほとんど横ばいになっていた。
「震災から半年ほど経つと、極端にボランティアの人の数は減ってるんだよね。実際、半年も経っていればライフラインも復旧してある程度の仮設住宅もできるし復興してるとは言えるんだけど、元の生活に戻っているとは到底言えないんだよ。」
「そりゃ仮設住宅と実際にあった家じゃ全然違うだろうしな。」
「だから本当に復興してるとは言える状況ではないだよね。」
菜名宮はカチッとタブレットの電源を切り、カバンの中へとしまう。
「私にも何かできないかなって思って、色々調べてたんだよねえ。」
「それが今日休んでた理由か…でも学校サボってまでやることか?」
聞いてる感じ、一概に菜名宮が悪いとは言えない理由だった。実際震災の被害に遭っている人はいるのだろうし、そのことについと真剣に考えていたなら菜名宮を単純に否定するつもりはない。ただ別に放課後とか学校の休み時間でもできるんじゃないのかって考えてる自分もいる。
「震災被害者について朝のニュースで知ったんだよ。タキは知ってると思うけど、私は一度気になったことを有耶無耶にしたくない性格だからね。震災についてその時すぐに調べたかったから、学校を休む必要があった。」
「目の前のことを最優先か、お前らしい。」
「どうも。」
「褒めたつもりじゃないんだけどな。」
菜名宮は行動力の化身である。興味があることに対してはなんでもすぐに試したり、動いたりする。ただ考えるよりも先に体が動くというよりは、考えながら動くタイプなのだ。
きっとニュースの特番なんかで震災のことを取り扱っていたのだろう。興味を持った菜名宮は、すぐに学校そっちのけで震災のことを調べ始めたに違いない。いきなり授業サボってケーキバイキングに行こうとか言い出す奴だし、これくらいなんの不思議でもない。
だけどやっぱりサボりは違うと思うんだけどな。俺だって眠い目擦って学校来てるし、もう少し自分が高校生であるという自覚を持って欲しい。
「色々調べたんだけど、どうやら今週の土日にも近くの地震を受けていた地域でボランティアを募集しているみたいなんだ。」
菜名宮は鞄のクリアファイルから一枚の紙を取り出す。決して綺麗に整えられたわけではない、まさに手作り感満載のデザインが描かれたピンク色の紙には、ボランティア募集と大きく書かれている。菜名宮は紙を俺の前に差し出した。
「出来ることが何かないかと思ってね。少しでも力になりたいから、今週の土日はここに行ってくるよ。デートに誘おうって思ってたんならごめんね。今週は行けないよ。」
菜名宮はにこっと笑いこちらの方を振り向く。あいも変わらず愛想がいい笑顔だ。
「デートなんて誘うつもりなかったから大丈夫だ。」
「あら、そりゃ残念。」
「何が残念なんだよ。そもそも俺からお前を誘ったことなんて一度もないだろ。」
「…そうだっけ。」
「すっとぼけんな。いっつもそっちの方から誘ってくるだろ。しかもいきなりな。せめて予定くらい前もって伝えてくれ。」
この前のケーキバイキングもいきなりだった。教室に入ったら自分の席に果たし状が置いてあって、屋上に着いたらケーキバイキングにいきなり行こうと誘われた俺の気持ちも考えて欲しい。
「この前なんか一日サボったせいで、授業内容を取り返すの大変だったんだからな。」
「前もって伝えたらタキ断るじゃん。それにいきなり伝えた方が驚くかなと思ってね。私なりのサプライズだよ。」
「俺にとって悪影響しかないサプライズはやめてくれ。」
相変わらずの菜名宮の言い分に、思わずため息が溢れ出る。そんな様子を見て菜名宮は笑っている。
「多分止めることはないよ。タキの反応が面白いからね。」
「絶対そっちが本音だろ…」
「さあ?とりあえず今週の土日は私いないからよろしくね。」
「お前に用事ないから何も問題ないな。」
「んもー、タキって素直じゃないね。」
「うぜえ…」
菜名宮の態度に心からの本音が漏れてしまうが、本人が気にする様子はない。
菜名宮の行動力は相変わらずだ。今朝震災の復興状況を知ったばかりなのに、もう今週末には震災地のボランティアに行こうとしている。高校生でこの行動力を持つ人間がどの程度いるだろうか?
そもそもボランティアに行くと簡単に言っているが実際は結構ハードルが高い。特に金銭面は顕著だろう。移動費、現地での宿泊代、食事代、ボランティアは大抵そこらへんは自費出費になる。震災地はボランティアの出費を負担できるほど金銭的余裕を持っていないことが多いからだ。
諸々含めれば多分2日間で俺の小遣いの1年分は余裕で飛ぶんじゃなかろうか。当然菜名宮もそのことは理解しているのだろう。
まあ菜名宮ならその程度の金額、大したことはないんだろうな。この前のケーキバイキングも後から調べてわかったことだが結構いい値段をしていた。
それを3人分、なんの造作もなしに払うのはやっぱり菜名宮だから出来ることだ。後で菜名宮に金返したがあれのせいで今月は本当に財布がすっからかんだ。特に金を使う予定もないしいいんだけど。
金銭的問題も加味して、しかし行ってくると断定した菜名宮はやっぱりおかしい奴だ。
人類を不平等に作った神を恨みつつ机で食事を取っていると、ふとガララと入口の方から物音がした。
「ん?」
物音の方に視線を向けると建て付けの悪いドアが半開きになっている。またガララと音を建てて今度はドアが完全に開いた。
「うっわ、何ここ…埃くさい。」
「こんな部屋、あったんだね。」
ドアの奥側には二人の女子生徒の姿がある。左側にいる女子は背中まで伸びた黒髪に、少し着崩された制服を着ている。右側の女子は、ショートとボブの中間くらいの髪を後頭部でくくっている。少しオドオドとした表情から気弱な印象を受けた。
横に並んでいることからわかるが、二人には結構身長差があることがわかる。左のやつは女子の平均より結構上なんじゃなかろうか。反対に、右の女子生徒は結構小さめである。胸元についたリボンの色的におそらく同級生だろう。
というか、多分同じクラスの奴だな。なんか見覚えがある。たまに教室の後ろで、ガヤガヤ騒いでる集団の中にいた気がする。右側の奴の名前は確か佐川とか言ったはずだ。家が宅急便やってる人。
「…来たかな。」
菜名宮は二人の声を聞くと立ち上がる。そうして入口の方へと駆け寄っていった。
「やっほー!雫、佳苗。」
「おっ、六乃じゃん。やっほー。」
「本当にこんなところにいたんだ…」
菜名宮が二人に手を振ると、佳苗と呼ばれた左側の女子が手を振り返す。反対に佐川は驚いたような反応で周囲をキョロキョロと見渡していた。
ああ、思い出した。こいつクラスの陽キャグループの中でも結構喋る方の奴だったような気がする。
…なんでここにクラスの奴が来るんだ?会議室は学校の中でもほとんど立ち寄る生徒が少ない所のさらに奥にある教室だぞ?俺の昼休みを支える場所がなぜバレた?
いきなり現れた訪問者の方に視線を向けると、左側の女子がこちらを振り向き、ふと目が合った。
「え、誰。」
そして俺を見て、驚いた表情と共にこの一言。
「…」
一応クラスメイトなんだけど、全く認識されてなかった。マジで初対面って感じの反応してる。
まあ俺の方も名前は知らなかったし、そもそも菜名宮が声をかけるまで誰か分かってなかったからどっちもどっちだ。
左側の奴が向ける視線はどこか懐疑的だ。言葉にはしてないが、なんでここに知らない奴がいるの?って頭の中で言ってる。俺からしたらお前がなんでここにいるんだって感じなんだけどな。多分被害妄想してる。
「…あ、篠末くんじゃん。同じクラスだよね?」
菜名宮とちょうど重なって見えなかった佐川が、こちらを覗くとそんなことを言う。名前を呼ばれたことに対して思わずびくっと反応し、体が震えた。
「へえ、タキのことを知ってるんだ。珍しい子もいたもんだね。」
「ああ、だいぶ珍しいな。希少種だ。」
「…思ってた反応と違う。」
「実際、俺のこと知ってる奴なんてほとんどいないだろ。いつも教室だと一人で過ごしてるし。」
俺のことをちゃんと認識してるのなんて、クラスの半分もいないと思う。多分見かけたことはあるけど、名前が思い出せないなんて奴が大半だろう。
「なんで篠末くんがここにいるの?」
左側の女子がより眉を顰めて俺の方を向く。
逆にあなたたちがなんでここにいるの?とは到底言えなかった。こちらのことを向く佐川と、佳苗と呼ばれた女子からなんか陽のオーラを感じたからだ。歯向かったら負けというか何を言っても俺が悪者になるしかない雰囲気を肌で感じ取った。
「タキは大体、ここでお昼ご飯食べてるんだよ。」
「タキ?」
「ああ、そこにいる男子生徒のことね。」
「へえ、そうなんだ。」
なんかすごいこの場所に居ずらい。いつもクラスで端っこの方しか空いていない、あの絶妙に押しのけられてる感じの空気感になってる。左側の女子からの視線とか本当に怖いもん。なんでこっち見てくんの?俺なんも悪いことしてないよ?
「…邪魔なら出てくけど。」
俺はそそくさと食べかけの昼ごはんを鞄の中にしまう。居ずらい場所からはとっとと撤退するのが吉だ。このような状況では基本、俺みたいなタイプの奴に居場所はない。
カースト上位集団にカースト最下層どころかそもそもピラミッドから外れてるレベルのやつが勝てるはずないのだ。俺が撤退した方が上の奴らにとっても俺にとってもメリットがある。
「まだ出てかないで。」
「え、なんで。」
「ちょっと理由があってね。」
「いやもう出ていきたいんけど。俺場違いだろ。」
「タキはどこでもいないのと同義だから一緒だね。」
「授業受けていないお前にだけ言われたくはねえよ。帰っていいか?」
「まあまあそう言わずにさ。そこに座っといてよ。」
菜名宮はその場にいるように促すジェスチャーをする。
なんでここに残らないといけないの?俺関係ないでしょ?さっきからなんだこいつって向けられる視線が痛いし本当に帰りたい。
そんな心の内での悲痛の叫びは届くはずもなく、菜名宮は二人の方へと振り返る。
「とりあえず二人も部屋の奥来てくれる?」
「…わかった。」
女子生徒二人は部屋の奥側、つまりこちら側にやってくる。なんでこんな奴がいるんだって思われてるんだろうな。左側の女子から向けられる懐疑的な視線が辛い。いやほんとマジでやめてくれ。
「そこ座って〜」
菜名宮は俺と反対側の席を指差し、二人を誘導する。そして当の本人は俺の横の席をガラッと引くと、そこに座る。
「俺いても邪魔なだけだろこれ…」
どうみても困惑している女子二人を前に思わず独り言が溢れ出た。でも実際めちゃくちゃ微妙な空気感が漂ってる。
実際菜名宮と俺は知り合いであり、おそらくこの二人は菜名宮の友人であるのだろう。ただ知り合いの知り合いといきなり同じ空間に入れられて、はい仲良くしましょうって言われて出来るわけないよな。よほどのコミュ力を持つ奴か単純に何も考えてない奴じゃない限り無理ゲーだろ。
視線をチラッと菜名宮の方から二人に向ければ、左側の女子はやっぱりまだ状況が飲み込めていないようだった。お前誰やねんって絶対言われてる。
対して佐川の方は意外にもあたりを見渡して物珍しそうにしていた。俺の存在も気になるが、それ以上にこの部屋のことの方が気になっているようだった。こんな埃臭い部屋、実際は何もないんだけどな。
「んで、二人の要件ってなんのことだっけ。」
「ああ、今日がちょっと相談事があって…」
「あー、うん、部活のことでちょっと六乃に相談したいんだけど…」
左側の女子は、そう言いながらまたもこちらの方へと視線を向ける。
俺は一瞬で状況を察した。この視線、あれだな。菜名宮に相談事をしたいけど、見ず知らずの俺がいて大丈夫なのかって思ってるんだろう。
菜名宮も同じことを感じているようだった。にっこりと笑顔を浮かべながら、俺の肩をトントンと叩く。
「タキのことなら気にしないで。佳苗が名前を覚えてなかったみたいにクラスでは基本的に空気だから、居ても居なくても変わらないよ。」
「お前やっぱりひどいよな…人のこと空気っていうのなかなか強いぞ。」
「あ…うん。空気、か。そうなんだ。」
「やっぱり困惑してるじゃねえか。」
佐川も大滝も気まずそうな表情してるし、俺はただただ不快な気分になる。誰も幸せになってないぞその言葉。
「それにタキは友達少ないから、変に噂が広まる心配もないよ。」
「よくこの空気感で追撃できたな。」
1回目の煽りで微妙な空気感になったのに、突っ走るの逆にすげえよ。普通ならやめとこ…ってならない?もはや尊敬すら覚えるわ。
「あ…うん、それならいい、のかな?」
「大丈夫だよ。」
なぜか佐川の方は納得していたようだった。本当に大丈夫か?菜名宮の謎理論でただ丸め込まれてるだけだぞ?
佳苗と呼ばれた女子はあまり納得がいってなさそうな表情をしているが、これ以上追求する気はないようだった。
「それで結局、話したいことって何?」
「ああ、部活のことなんだけどね。」
菜名宮は再度手を合わせ、二人の方を向く。その言葉に目の前の女子二人もまた菜名宮の方へと向き直った。どうやら二人はもう俺を気にしない方針のようだ。いや気にしろよ。それはそれでちょっと寂しいじゃん。
今すぐにでも帰りたい空気感の中、口を開いたのは左の方の女子だ。菜名宮の言葉に対し、どこか張り詰めたような表情を浮かべている。
そうして少しの沈黙の後、そう切り出した。
「…六乃ってさ、この前の金曜に運動部の部室荒らしがあったのって知ってるよね?」
「知ってるよ。バトミントン部の部室がメチャクチャにされていたやつでしょ?」
「そうそう。多分、各クラスにも不審者情報とか配られてたよね。」
うちの学校には、グラウンドの近くに各運動部が自由に使える並んだ建物がある。2階建てのアパートみたいな感じで、そう大きくはない建物だが各部活がちゃんと使えるくらいの大きさはある。部室というのはおそらくそこだろう。
「私と雫はバトミントン部だったから、まるっきり被害に遭ったんだよね。」
「ありゃりゃ…そうだったんだ。」
「…篠末くんは知ってた?」
ふと俺の正面にいる佐川が、なぜかこちらへと質問を投げかけてくる。
「全く知らん。」
「あ…そうなんだ。」
会話終了。会議室に沈黙が走った。佐川が気まずそうな顔をしている。本当になんでこっちに振ったんだ。普通に俺以外の奴らで話を進めておけばよかったのに。
そもそもよく考えれば部室荒らしって結構大きな事件のはずだ。それを知らないって実は結構やばかったりする?
でも事件が起きたという一昨日から今日まで、一切俺の耳に入ってこなかったんだよな。情報の流通経路が少なすぎるのが明らかな原因だろう。仕方ないね。
「…その事件がどうしたの?」
またも微妙になった空気感を切り替えるように、菜名宮が二人に問いかける。気まずそうな表情をしていた佐川は、さっと菜名宮の方へと振り返った。最初からそうしとけよ。
「それがさ、荒らされていた部室の状況がちょっと変だったっていうか、おかしかったんだよ。」
「おかしかったって…そもそも部室荒らしってどんな感じだったの?」
「あ、まずそこから話すか。部室が荒らされてるってわかったのは、館での練習が終わって部室に戻った時なんだけどね。着替えるために私と雫がみんなよりも早く部室に戻ったんだよ。あれって何時頃だったっけ?」
「えっと、6時くらいじゃなかった?」
「そんくらいか。とりあえず、二人で部室に行ったんだよね。疲れたーって言いながらドアを開けたら、中にあったものがそこら中にぶちまけられてたんだよね。」
左の女子は手をビュンビュンと振るわせるジェスチャーをしている。一体何を振り回しているんだ。
「みんなの部活用品…タオルとか、鞄とかに傷が入っててさ、あと汗拭きシートとかも。とにかくいろんなものが無造作に散らばってたんだよ。」
「それは…すごいね。先生から聞いてたよりも結構ひどい感じじゃん。」
どうやら思ったよりも深刻な事件であるようだ。高校の部室に誰かが侵入して、中を荒らして回っている。場合によっては普通に警察が介入する可能性すらあるんじゃなかろうか。
「当然、私も雫もパニくっちゃっててね。私は中で起こったことがしばらく理解できなくて。雫が先生呼びに行く!って出て行った後もしばらく動けなかったんだよ。」
「佳苗、ずっと部室の前にいたもんね…」
二人は当時の状況を思い出したのか、少し表情が暗くなる。まあ自分たちがいつも使っている部室が荒らされたら、無意識に怖くなるのは仕方ないことだろう。その記憶がしばらく消えないのもまた。
「雫が先生を呼んできてくれた後、とりあえず部室は閉鎖された…これが大体起こったことなんだよね。」
どうやら部室荒らしは中々大きな出来事であったらしい。おそらくこれは学校規模で問題になってだろう。尚更なんで俺はこの事件を知らなかったんだろうか。
「他の子はただ荷物がぶち撒けられてただけで済んだんだけど…私と雫、あともう一人の女の子の荷物は特に傷が酷くてね。」
「結構ボロボロになってたなあ…」
「シューズとかラケットなんかは壊れちゃって買い直す羽目になったし、最悪だよ。」
「ラケットなんかズタズタだったよね。」
「それは…大変だね。」
菜名宮もまた目の前の二人を心配してか、労いの言葉をかける。実際、こんな事件が起きればトラウマものになる可能性だってあるだろう。特に菜名宮は二人と友達のため余計心配になっているのかもしれない。
「雫も色んなもの壊されて大丈夫だった?」
「いや、私は佳苗よりはマシだったよ。特に大事なものが壊されてたわけじゃなくて、まあタオルとか、色々入れてたポーチがぐしゃぐしゃになってたのはショックだったけど。」
「十分酷い目にあってるじゃん。」
佐川は遠慮しているが部室荒らしの被害にあったという点では、二人の被害にそう大差があるわけではない。…というか、実際自分が被害者になればおそらく俺が思っている以上にショックを受けるだろう、
主に精神的な意味で。自分が犯罪まがいのことを受けた、というのはそれだけで心にダメージを与えるものである。
菜名宮は二人を心配そうに見つめつつ、しかしどこか不思議そうに何かを考えているようだった。
「でも、別におかしいことはなくない?いやまあ、部室荒らしが起きたこと自体が変なんだけどさ。」
菜名宮はふとそんな疑問を二人に投げかける。
「私は部室荒らしが起こった後、みんなから聞いたよ。さっきの話を聞く感じ、実際ただ部室が荒らされていただけだよね?おかしいことはないと思うんだけど。」
確かに二人の話から特別変な事が起こった様子ではなかった。左の女子は『おかしい事』なんて言ったが、話を聞く感じだとただ部室に置いていた私物が、何者かによって地面にぶちまけられていただけである。
そもそもそんな事が起こっている事自体が不思議だと言うことを除けば、『部室荒らし』としては何もおかしくないのではないか。
「菜名宮さんは、部室荒らしに対して先生が外部犯って結論付けたのは知ってる?」
菜名宮の疑問に答えたのは佐川だ。それが正解だぞ。本来コミュニケーションを取る相手は俺じゃなくて菜名宮だ。
「体育の先生が昨日言ってたっけ。」
「うん。先生がしばらく調査して、外から侵入した人が部室を荒らしたって結論づけられたんだよ。私もそう思ってたんだけどね…」
「よく考えたら、おかしいことがあったんだよ。」
佐川は左側にいる女子の方へと視線を送ると、まるでパスを受け取ったかのように、左側の女子が続ける。
「おかしいこと?」
「さっき色んなものが床にぶち撒けられてたって言ったじゃん?でもさ、鞄の中身が何も盗まれていたかったんだよね。」
「それがどうかしたの?」
「だって変じゃない?誰の荷物も盗まれなかったんだよ?」
左側の女子が菜名宮に説得するように言うが、本人は状況が飲み込めていない様子だった。
「…外部犯だったら、金目のものを盗むんじゃないかってことだろ?」
俺が菜名宮に説明をすると、目の前の二人が一斉にこちらへと視線を向けた。
お前いきなり何やねんって心の中で言われてるような気がする。ていうかそんな視線が飛んできてる。菜名宮の察しが悪くてつい横槍を入れたが絶対入れない方が良かったじゃん。これからもう黙っとこ。
「ああ、そういうことか。」
「…そっちの男子の言う通りだよ。」
一言間を置いて、左側の女子が肯定する。
通常外部の人間が部室に侵入するとなったら、その目的は窃盗が大半だ。鞄の中に入れてある財布、一部の生徒が持っている腕時計等の貴重品、スマホ、あと運動部ならスポーツ用品とかもなのかもしれない。
部室荒らしをする奴は大抵そういった金になるものを探して盗むのが一般的、とまでは言えないがその可能性は高い。あとは女子のスポーツウェアとかを盗んで私物化する変態もいるかもしれないが、その可能性については言及しない方がいいだろう。とにかく外部犯が部室を荒らすのは盗難目的が多い。
だが今回の事件では全く何も盗まれていない。外部の人間が、学校の教員や警備員に見つかるリスクを背負ってまでただ部室を荒らすだけなんてことをするというのはいささか不自然である。
「…篠末、が言った通り、本当に外部犯なのかなあって思ったんだよ。」
俺の名前の後に一瞬間が開いた。うろ覚えの奴の名前出す時、自分の記憶が間違ってないか一瞬間をあけて確認する時のやつだ。
「佳苗の言い方的に外部犯とは思ってないように聞こえるけど。」
菜名宮は左側の女子の方を覗き込む。さっきの言葉から、本音を見抜いたようだった。それに対し左側の女子が見せた表情は微妙などこか苦虫を潰したようなものである。
「正直、そう思っているかで言えば半々だよ。先生が言ってる通り外部犯かもしれないし、そうじゃないかもしれない。」
「外部犯でないとしたら誰だと考えてるの?」
曖昧な返事をした左側の女子に対し、菜名宮はズバズバと切り込んでいく。相変わらず遠慮という言葉を知らないようだった。
「…」
左側の女子は菜名宮の言葉に対し黙り込むと、視線を隣へと移す。その先には眉を顰めた佐川がいた。
「雫と話したんだけどね。やっぱ同級生の誰かなんじゃないかなって。」
「同級生?犯人候補が内部犯ってなら、別に誰にでもできるんじゃないの?」
「消去法というか他に候補がいないんだよね。荒らされた部屋って、その時2年生しか荷物を置いてなかったんだよね。3年生は進路相談会があって部活にいなかったし、1年生は体育館前のロッカー使ってるから。」
「進路相談会…ああ、講堂でやってたやつか。」
「そう、3年生はもう受験だから放課後、進路相談会とか講演会とかやってること多いんだよね。」
「たまたまかもしれないけど、2年生の荷物だけが荒らされてたんだよね。こんなことするなら同じ学年の人になるのかなあって思うんだよ。」
「確かに外部の人じゃなければ同級生の可能性が高そうだね。」
菜名宮は視線を下に移していつもの考える仕草を取る。どこか明後日の方を見つめているこの時は、その視線の先に菜名宮にしか見えていない何かがあるような、そんな錯覚に陥る景色だ。
「タキはどう思う?」
「なんで俺に振るんだ。」
「こういうのってタキの得意分野じゃん。」
「俺が得意なんじゃなくてお前がホームズに向いてなさすぎるだけだろ。」
菜名宮が探偵役とか絶対似合わないからな。こいつにはモリアーティ教授くらいがちょうどお似合いだ。
「確かに、私にホームズは似合わない。…して、ワトソンくん。君はどう考える?」
「なんで助手の方になってんだよ。」
「タキがホームズとかなんかのギャグ?」
「本当に人をおちょくるしか脳がないのかお前。」
その流れだと俺がホームズ役の流れだろ。なんでワトソンになってんだよ。いや別にワトソンのこと嫌いってわけじゃないけどなんか違うじゃん。
「…ホームズ?」
ふと横から、佐川じゃない方の呟きが聞こえる。そちらを振り返ると、二人が不思議そうな面持ちで俺たちを眺めていた。
しまった…つい、いつも通りの菜名宮とのやりとりをしてしまった。普段は喋らないのに、いきなり身内間だけで饒舌に話し出すのは周りの空気を読めていないので基本的に推奨されない行為だ。
しかし菜名宮の方は全く気にする様子もない。いつも通り堂々としている。
三度流れた微妙な空気感が流れる。俺はその空気感をリセットするために、んんっと咳をつき視線を斜め上方向に向けた。
「そうだな…強いて言うなら、犯人を同じ学年の奴に絞るのは間違ってるだろ。」
「それはどうして?」
俺の言葉に意外にも反応したのは左側の女子だった。なんだお前って感じで、こちらを睨みつけているような気がする。
なんか怒らせたか?とも思ったが、よく考えたらただクラスで普段話さない奴がいきなり口挟んできたらなんだこいつって思うわな。悲しいけど自己完結した。
「当時部室に荷物置いてたのは2年だけだった。だから同級生がこの時間帯を狙って部室を荒らした。…えーっと。」
「大橋佳苗ね。」
「ああ、大橋…は内部犯の場合、そう考えてるってことでいいよな?」
「まあ、そんなところかな。」
「なら、その考えが適切とは言えないな。」
「適切じゃないって…どうして?」
「仮に部室荒らしが2年をピンポイントで狙ったものだとしても、それが同級生の犯行だとは限らないだろ。後輩の態度に苛立っていた3年が起こしたのかもしれないし、1年が先輩のことうざいと思ってやった可能性もある。」
「なるほど…動機は誰にでもあるんだね。」
2年をピンポイントで狙ったという意見は間違っていないのかもしれない。実際、事件が起きた時に部室にあった荷物が2年の物だけというのは偶然と言うには不自然であるからだ。しかし、だからといって犯人が同じ奴とは限らないのだ。
「1年生はともかく、3年生が犯人ってことはないん
じゃない?その時って進路相談会があったでしょ?」
「あの集会は一応任意の参加形式だ。空気感的に全員参加しろって感じになってるが、多分出席までは取られないんだろ。誰か参加してなくても先生は気づかねえよ。」
「へえ、つまり3年生全員が不可能ってわけじゃないのね。」
「やろうと思えばいくらでも侵入できただろうな。」
半ば大橋の視線から逸れるように、俺は隣の方を振り向いた。佐川はこちらを睨むことがないので少しだけ心が休まる。
「なら、タキは誰が犯人だと思う?」
「そんなこと言われてもな…俺はあくまでも犯人が内部の人間だとして、同級生の可能性は低いだろって話をしただけなんだが。」
「そうかあ…」
菜名宮は残念そうにしているが、俺が犯人を絞ることすらできないのは当たり前だ。
俺は特段、推理やクイズの類が得意というわけではない。中学生くらいの頃に一時期ミステリーにどハマりして、まるで自分が名探偵であるかのように振る舞ったことはあるけど。
思えば当時の俺、だいぶ痛かったな。制服の襟を立てて常に顎に手を当てて何かを考えるふりをし、ただ探偵が飲んでいるイメージがあるというだけでコーヒーをよく飲んだりしてた。多分、側から見れば不審者にしか見えなかっただろう。
ミステリーにハマっていた当時ですら、ただの探偵もどきだった。俺は推理能力が高い名探偵でもなければ、特段頭がいい秀才でもないのだ。別のベクトルで飛び抜けた才能を持っている菜名宮とは、違う人種である。
「事件はいつ頃起こったのかはわかってるのか?」
「えっと…それがわかんないんだよね。部室に荷物を置いたのは4時くらいで、そこから誰も部室棟に行ってないらしいからさ。」
「…一人も行ってないのか?一応部室なんだろ。」
「基本的にあそこ、ただの荷物置き場だからね。部活の始まりと終わりにしか行かないんだ。」
「他の部活もそんな感じなのか?」
「多分そうだと思う。」
「つまり、怪しい動きをしている奴が目撃されること自体がそもそもないんだな。」
一応探偵のように事件の時系列について聞いてみるが、余計に謎が広まるだけだ。
流石にこんな情報じゃ、名探偵もどうにかできないのではないだろうか。
「そういや、なんで二人は私を呼んだの?正直、二人がさっきまで話してた内容から、私に話をした理由が思いつかないんだけど…」
思えばここに来てから大橋と佐川は、この前に起こった部活荒らしの詳しい件と、それについての二人なりの推理しか話していない。
事件は確かに深刻なものだが、わざわざ菜名宮に話すことの程でもないだろう。例えば菜名宮が事件の目撃者であったならば、まだ菜名宮と話す意味はあるがそんな感じもない。
菜名宮の言葉に、大橋はチラッと佐川の方を見る。そして一瞬のうちにまた菜名宮の方を再び向いた。
「ここにきた理由は、六乃が犯人に心当たりがないかなあって思ったからなんだよね。」
「私が?」
「六乃ってこの学校に知り合い多いし、部活荒らしの犯人のことも知ってるかもしれないって。」
ふうと大橋は一息つくと、また菜名宮の方を向く。
「それに私と雫は犯人が同級生って考えてたからさ、もし私たちの相談した人が犯人だったり、犯人と親しい関係の人の可能性を考えたら、なかなか周りには言いづらくてね。」
「菜名宮さんなら事件が起きた時学校にいなかったから、犯人じゃないだろうって思って相談しにきたんだよ。確か菜名宮さんって部活やってなかったよね?」
「フリーだよ。先週金曜だよね?…その時、夕方ごろはすでに学校にいなかったかな。」
まるでその時は学校が終わってすぐに帰ったみたいな言い方してるが、お前その日休んでただろ。俺に古典のテスト範囲と課題を任せてたの忘れてねえからな。
…と今すぐにでも菜名宮に突っ込んでやりたかったが、ここでいつも通りに行くとまたさっきみたいに変な目で見られることは明らかだ。菜名宮の行動に言いたいことはあるが、今は俺のほとんどない印象をマイナスにしないため、黙っておく。
すると菜名宮がこちらの方をチラッと覗いてきた。菜名宮は目の前の二人にはわからないくらいの自然な目配せでこちらをジトーっと見てくる。いきなり何?怖いんだけど。
よくわからない菜名宮の目配せに戸惑っていると、ふいっと菜名宮はまた正面を振り向く。なぜか菜名宮は少し不機嫌そうにしていた。
え、まさかツッコミ待ちしてたの?お前一昨日休んでたじゃねえかって言って欲しかったの?俺が何も言わなかったから機嫌損ねてるの?流石に意味わかんないよ?
よく見ると菜名宮は頬をぷくっと小さく膨らませていた。そんなに不機嫌になることでもないだろ。
そんな菜名宮の態度に、しかし大橋と佐川は気づくことなく話を続ける。
「んで結局色々考えて、やっぱり六乃に相談しようってなったんだよね。」
どうやら俺と菜名宮が謎のやり取りをしている間に話が進んでいたらしい。まあ大方、菜名宮に相談することになる経緯だろう。
「なるほど。事情はわかったよ。…でもごめんね、私はわかんないや。」
「そっかあ…」
「今回に関しては申し訳ないけど力になれなさそう。」
菜名宮は申し訳なさそうに、自分が力になれないことを二人に告げた。
…自分が力になれない。今、菜名宮はそう言ったのか?
「菜名宮さんが謝る必要ないよ。私たちも一か八かで聞いてみたってだけだから。」
佐川が菜名宮の謝る手を止めようとする。佐川もまた、菜名宮にいらない気遣いをさせたと申し訳なく思ってるのかもしれない。
「六乃でもわからないなら、他のみんなも知らなさそうかな。」
「あ、佳苗。もうこんな時間。」
佐川は壁に掛かっている古びた時計を眺めながらまた呟く。その言葉を聞いてスマホを確認すれば、画面には昼休み終了5分前の時刻が載っていた。
大橋はふぅーとため息をつくと椅子から立ち上がる。
「いきなり呼び出したのに付き合ってくれてありがとうね。」
そう言いながら大橋は椅子の後ろに回り込み、手元のそれを机の下に仕舞い込んだ。佐川もまた大橋の後を追うように立ち上がる。
「ごめんね菜名宮さん、お昼休みの時間を犠牲にさせちゃって。」
「全然いいよ。むしろ大変なのは二人の方だから。犯人、見つかるといいね。」
菜名宮は親指をグッと立てると、相変わらず人を惹きつけるような笑顔を二人に向ける。
「そうだね。また何かあったら連絡するよ。」
「じゃあ、バイバイ。」
「また教室で。」
大橋と佐川はそう言って、会議室3を後にしていった。
「…はあ、また大変なことが起こってんだな。」
ドアが閉まり切ってしばらく経ち、菜名宮と二人になった教室でふと言葉が漏れ出た。
うちの学校はそこそこ名の知れた進学校である。めちゃくちゃ頭がいいというわけではないが、毎年数人は日本最高峰の大学に行く人がいるくらいの賢い奴は賢いという学校である。
それ故にこの学校にはある程度のブランドというものもあるらしい。かくいう俺自身も、この学校はそこまで治安が悪くないだろうとは思っていた。
だがそんな学校でもどうやら野蛮なことは起きるらしい。俺にはなんの関係もないし他人事ではあるのだが、自分の通っている学校で起きた事件となればそれなりに現実味が湧く。
「…そうだね。大変だ。」
俺の呟きに菜名宮は遅れて返事をする。菜名宮は明後日の方向を向いて、どこか上の空であった。
「なんか思うとこがあんのか?」
「いいや、特に。お昼ご飯食べてちょっと眠くなってるだけ。」
「そうですか。昼寝をすると牛になるぞ。」
「大丈夫だよ。私って意外にも太らない体質なんだ。」
菜名宮の態度を不思議に思い、そんな質問を投げかけるが、菜名宮は視線を動かさないまま首を振る。
雰囲気からして絶対何か考えているに違いないが、おそらく追求したところで菜名宮はのらりくらりと交わすだけだ。
菜名宮が何を考えていようが個人の勝手である。俺はそれ以上掘り下げるのをやめた。
「…もう昼も終わるし、教室戻ってこいよ。」
スマホを見れば、時計は昼終了まで残り3分を切っていた。これはちょっと走らないとまずいか…
「はーい。」
菜名宮は何かを考えているのか、まるで空っぽな返事をする。絶対戻ってこないやつだろ。
まあ一度気になることがあれば、突っ走る菜名宮のことだし、おそらく先ほどのことについて考えている。菜名宮はしばらくここにい続けるだろう。
授業受けろなんて言っても無駄だと悟り、俺はカバンを持って会議室を後にする。ドアを閉める前に教室を振り返れば、相変わらず手を顔に当てて考え事をしている菜名宮がそこにはいる。
「結構ギリだ…やべえ。」
スマホに映し出された時刻は授業開始1分前だった。もうすぐ昼休みが終わる。
急いで会議ところ室のドアを閉め、温かい風が窓の隙間から吹く文化棟の廊下を小走りでかけて行った。
誤字脱字等がありましたら、ご指摘いただけると幸いです。
(加筆 2025/9/23)
(文章一部修正 2025/11/03)




