プロローグ
キーンコーンカーンコーン。いい加減聞き飽きたチャイムは今日も教室に響き渡る。珍しく朝の号令前に来ていた俺は、しかしいつも通り自分の席に座って寝たふりを決め込んでいた。
中心で集まり、何やら雑談をしていたらしいクラスの連中数人はチャイムを聞くと、ほんの少し名残惜しそうに各々の席へと戻る。
いや、名残惜しそうとかいったが嘘だ。あいつら自分の席に座ってもまだ雑談してやがる。お前ら全員席が隣ってわけじゃないだろ。体を前のめりにして遠くの奴らと話そうとするんじゃない。マジで間にいる奴が不憫だぞ。特に陰キャだったら余計きついしめちゃくちゃうざい。学生の本分は勉強だろ?席に座ったらちゃんと前向けよ。
脳内でそんな戯言を垂れ流すが、当然口には出さない。心の中でそう思っても当然言わない方が吉だ。もし今の本音をぶつければ、今の平穏がなくなるどころか俺の高校生活は台無しになる。というか人間的にあまり良くない。
俺はカーストが下なのだ。ならば上に立っている奴らとわざわざ関わりを持つ必要もない。人類みんな仲良くしようとか根本的に不可能なのだ。どんな人間でも価値観や趣味が合わない人はいる。そんな奴らとは無理に関わりを持つことなく、見知らぬ他人同士として過ごしていればいいのだ。
俺は友達を作っていないんじゃなくて、クラスに価値観が合う奴がいないから友達が出来ないだけだ。つまり俺はぼっちではない。完璧な方程式が成り立ったな。
…なんか心の中で考えて寂しくなってきたので、俺は考えるのをやめて本格的に寝る体制に入った。1時間目は化学だし寝てても多分先生が起こしてくれる。
「はよ、篠末。」
「…ん?」
辺りがいい感じに静かになり、眠れそうになってきたタイミングで、近くから声が聞こえる。
今俺に話しかけてきた?クラスにそんな奴いねえぞ?人間違えてるんじゃねえか?
一瞬日野谷かと思ったが、あいつはさっき教室の前の方で竹内のグループの奴らと雑談しているのが見えたから違う。なら本当に誰なんだ。
「…来たのか。」
人間違いであることを指摘しようと顔を上げると、俺のちょうど横には一人の女子が立っていた。少し派手な髪色とシワひとつない綺麗な制服を身に纏っている。
少し前に屋上で出会った時と同じ格好をしていた雛城芽衣奈がそこにいる。
「その反応失礼じゃない?毎日学校には来てたんだよ?」
「教室にはいなかっただろ。」
「確かに、なら初めましてかな?」
雛城は口元に手を当ててくすくすと笑う。今の件のどこが面白かったのか俺にはわからない。
「教室に来たってことは、授業受ける気になったのか。」
いつも屋上にいた雛城が初めて教室に来ている。正確に言うテストの時なんかは来ていたらしいが、俺が知らないのでノーカンだ。この理論でいくとクラスの半分が不登校になる計算だがそんなこと気にしなくていい。
「まあね。母さんとあの後色々話したり、自分で考えたりしてやっぱり学校には来た方がいいって思ってね。」
「…授業受けるのは真面目なことにカウントされないのか?」
少し皮肉っぽく口にするが、雛城が表情を変えることはない。
「菜名宮の言う通りなら真面目なことなんだろうけど、そもそも私高校生だからね。授業くらい受けていた方がいいと思ってさ。」
雛城はよくよく考えれば当たり前のことを口にした。菜名宮のせいで感覚鈍っていたが、普通に授業サボるのって悪いことなのだ。
「それに私の人生を彩るものが、不真面目なこととも限らないって菜名宮は言ってたよね。とにかくもう一回いろんなことやってみようかなって。今度は真面目なことも、不真面目なことも。」
雛城は決して希望に満ちているような表情をしているわけではない。ただ普通の、暗くはない程度のものだ。しかし以前屋上で出会った時の全てが退屈そうな、無に近いように見えたものよりはずっとましに思える。
明るくも暗くもない顔をした雛城が学校に来ている。おそらく今まででは考えられなかったことで、しかし今からは当たり前になっていくかもしれない光景だ。
「そうか、頑張ってくれ。」
雛城は自分の中で一つの結論を出したのだろう。真面目なことも不真面目なことも、いろんなことをやってみて体操に変わるものを探しだす。
人間常に真面目でも、あるいは反対に不真面目である必要はない。そう考えたのだ。
もう以前のように何に対してもやる気を見出せないような雛城の姿はそこにはない。雛城は確実に前に、前に進んでいる。
その原因を作り出した張本人は、しかし後ろを振り返ってもその姿はない。
「そういや菜名宮来てないのか。確か篠末の後ろだったよね。遅刻?」
雛城が菜名宮の席に振り返って不思議そうに尋ねる。
「…多分ズル休みだ。」
「普通に遅れてくる可能性もあるんじゃないの?」
「いや、ないな。あいつは登校2時間前にくるか、学校に来ないかっていう奴だ。もし仮に来たとしても、多分午後からだろうな。」
「そうか…やっぱり菜名宮は菜名宮か。」
雛城はどこか納得したように頷いた。能天気で自分中心に動く菜名宮は、やはり今日も学校に姿を見せない。
だが、それがあいつらしい。今もおそらく自分が正しいと信じて疑わないことのために、マイペースに動いているのだろう。菜名宮は誰よりも不真面目で、しかし誰よりも誠実だ。
「本当に、わからない奴だよ。」
俺がそう呟くと、何故かまた雛城は笑った。




