街歩き2
「エリック様……?!」
私は驚きの声を上げて彼を見た。彼も同様、目を丸くしながら驚いた表情を見せている。
エリック様。
黒い髪に綺麗な金の瞳をした、美しい男性である。
「セルマ様、どうしてこのような所に……? 何か用事でもあったのですか」
「ええーっと……」
「それに、護衛もつけずにお一人で。危険ですよ」
「……実は」
今日はウィルフレッド様との「デート」として街へやってきたこと。
だが、なぜかそこにはヴィオラ様も同行しており、私との、というよりかはヴィオラ様とのデートになっていたこと。
そして二人についていきながらもふらふらと周りを見渡していたら、いつのまにかはぐれてしまっていたこと。
諸々の事情をエリック様に言うと、彼はひどく驚いた顔をしていた。
「あはは、間抜けですよね私ったら……。ちゃんとお二人の姿を見ていないから……」
からからと自嘲するように笑った私に対し、エリック様は苦々しい表情をするばかりだ。
そして、「セルマ様」と私の名を呼んだ。
「お二人とはぐれた……、それは、ヴィオラ様、もしくはウィルフレッド様が、わざとやったことなのではありませんか?」
「……え」
思わぬ言葉に目を見開くしかない。
「ウィルフレッド様は街へ行くのなら、愛するヴィオラ様とお二人で行きたかった。ですが、ご当主様方のご命令で、セルマ様を連れて行かなければならないことになった。だから、偶然を装いあなたとはぐれて、ヴィオラ様と二人っきりのご状況を作った……。その可能性も、あるとは思いませんか」
「…………!」
言われてハッとした。
そうだ。いくら人が多いとはいえ、意識していればはぐれる、なんてことはないはず。
でもそれが、わざとやっていたことなのだったとしたら……。
「……すみません。憶測の域を出ないことを言いました。差し出がましかったですね」
エリック様が謝るのを、私は「いいえ、そんな!」と止める。
「大丈夫です。……恐らく、そうなんだろうなと。今思いましたから」
「! セルマ様……」
「ウィルフレッド様は、よほど私が邪魔なようですね。うふふ、ヴィオラ様との空間に入っているのですから、当然のことなのですけれど」
もう乾いた笑いしか出ない。わざと撒くほど私が嫌いか、あの人は。
それなら最初から、私との「デート」になんか来なきゃよかったのに。
まぁ、こうなっては仕方がない。
それなら、私は「私なり」に、今この瞬間を楽しむことにしよう。
「エリック様、先ほどはぶつかってしまい、大変申し訳ありませんでした」
エリック様に深々と頭を下げる。
「え、い、いえ、俺は大丈夫です。ですが、セルマ様、あなたはこれからどうするので……?」
「せっかくの機会ですから、街を見て回ります」
そう云うと、驚きの声を上げるエリック様。
「ええっ! お、お一人でですか?! 危険ですよ!」
そうかもしれない。でももう決めたことなのだ。
折角街に出てきているのに、このまますごすごと帰るのは勿体無いにも程がある。置いて行かれたこんな私にだって、街を楽しむ権利があるはずだ!
「大丈夫です。これでも地味っこを自称しているので!
うまく平民になりすませられると思います!」
「いや、そのお姿では無理でしょう……! ……あの!」
「?」
肩を掴まれそちらを振り向く。
そこには必死な顔をしたエリック様のご様子が。
「俺も、同行しても構いませんでしょうか?」
「え? でも、何か他に用事があるのでは……」
「いえ、今日は非番でして。適当に街を歩こうと思っておりましたので、丁度よかったです。よければ街をご案内しますよ」
「でも……」
「お願いします。俺が、セルマ様についていきたいのです」
そこまで言われてしまえば、断る術は私にはなかった。
こくんと頷けば、明るくなった彼の笑顔と目が合う。
不覚にも少しどきりとしてしまった。
……最近、見ていたのは誰かさんの不機嫌そうな顔ばかりだったから。
「では、行きましょうか」
「はい!」
*
まずはエリック様おすすめのケーキ店に行った。
エリック様は意外にも甘いものがお好きなようで、ここにはよく通っているらしい。リーズナブルで、しかも美味しいという!
その謳い文句に違わず、味はとても美味しかった。
頼んだのは普通のショートケーキだったが、生クリームが濃厚で、舌に乗せるととろけて消えてしまいそうなくらいだ。私は夢中になってケーキをぱくぱく口に入れた。
その様子を、お茶を飲みながらエリック様が優しげな表情で眺めている。
「どうですか、お味は。お口に合えばよいのですが……」
「そんな! とっても美味しいです、感激いたしました!」
「感激とまで言ってもらえるなんて、紹介した甲斐がありましたね」
ふ、とエリック様が笑みを漏らす。
……優しい時間だ。
(この前の、ウィルフレッド様とのお茶会とは大違い……)
あの時とは違って、ケーキもお茶も美味しい。お腹も痛くない。
(……すっごく、居心地がいいな……)
ウィルフレッド様がエリック様に変わったらいいのに、なんてバカバカしい考えを持ってしまう。
ただ、そのくらいお二人には違いがあるのだ。いつも不機嫌そうで怖いウィルフレッド様、いつも穏やかに微笑んでいるエリック様。
どちらが良いかと10人に問えば、10人とも同じ答えが返ってくるだろう。……多分ね。
「そういえば、お体の方は大丈夫ですか? 定期的に検診はしていますし、異常は出ていませんが……」
エリック様が問うてくる。
私は笑顔で「大丈夫ですよ」と返した。
「エリック様からいただいているあのお薬のおかげですね、人間の国に居た時くらいに元気なんですよ!」
「あはは、それはよかった。薬が効かない場合もありますからね、効いてくれてよかった」
「ええ、本当に……」
……一瞬、「薬が効かなければ故郷へ帰るのもやむなしと判断されたのではないか」という考えが頭をもたげたが、慌てて振り払った。いけないいけない、お医者様の前よ!
「? どうしました?」
「いいえ! なんでもありませんわ!」
心配そうな顔をされたところを食い込む勢いで話してしまった。
「と、とにかく、いつもありがとうございます。エリック様」
ぺこりと頭を下げると、エリック様はふふ、と笑いを漏らしながら、「いえいえ」と返してくれる。
「患者さんを元気にさせるのが、俺達医者ですから」
……そう言った彼の姿は、とても堂々としていて、格好良かった。
ケーキ店を出た後も色んなお店に入ったが、どれも楽しいものばかりだった。
可愛らしい装飾具がたくさんのアクセサリー屋、美味しそうなお魚がたくさん乗っている市場、綺麗な川が流れている橋……。
ウィルフレッド様とヴィオラ様にくっついているばかりでは分からなかったであろう、この街のたくさんの素晴らしさを、エリック様は優しい声でお話をしながら随時教えてくれた。
おかげでとても楽しい街歩きになったと思う。
「──あら? あれは……」
暫く経った後。
街の広場に出た辺りで、何かの催し物がやっていることに気が付いた。
エリック様が「ああ、あれは……」と説明をしてくれる。
「旅の大道芸人ですね。色んな街を回っては、特殊な芸を披露したりするんですよ」
「まぁ、色んな街を……」
確かに。芸者さん達が次々と舞台上に躍り出ては、それぞれの芸を披露している。
どれも素晴らしい腕前だ。
しかし、私が気になったのはそこではなかった。
「ということは、あの人たちは旅人なのですね」
「まぁ、そんな感じですね。……セルマ様?」
私はぼうっと舞台上を眺めた。
自由な演技。それにつられる、みんなの楽し気な笑い声。
(……いいなぁ)
「……私も……」
「え?」
「私も、いっそ旅に出られたら……」
そうすれば、毎日毎日、返って来もしない愛情なんていうものに期待することも、必要なくなるのだろうか。
こんな、必要とされているのかもわからない宙ぶらりんな状態で居続けることも……。
「セルマ様……」
「……はっ! い、いけませんね、感傷に浸っていては! ごめんなさいエリック様、何でもないんですの!」
必死に取り繕う。表情は歪んでいないだろうか。笑顔は、ちゃんと見せられているだろうか。
そんな私の頬に、突然、エリック様の掌がかかる。
え、と思い、見上げる私。
「…………」
酷く痛々し気な表情をしているエリック様がそこには居た。
一体どうしたのだろう、と私が何か言う前に、エリック様の口が開かれる。
「セルマ様……俺は──」
「セルマッ!!」
びくぅっ!! と全身が跳ね上がった。突然大声で名前を呼ばれたものだから、心臓がどっくんどっくん言ってるわ。
一体誰……。
「……あれ? ウィルフレッド様……?」
振り返った先に居たのは、これでもかというくらいに怒った顔をしている、ウィルフレッド様だった。