星の継承者02
人類文明の宇宙船……『戦闘艦』の姿を確認したシェフィルとアイシャは、その後母に連れられ惑星シェフィルに帰還した。
母は【人類が降りてくればその時に対話を行います。それまでは自由に暮らしていてください】とだけ言い残し、姿を消した。宇宙に行く前に話していた通り、積極的に人類文明と関わるつもりはないらしい。母達の性格を思えば、そこに嘘は含まれていない筈だ。
シェフィルとしても、今更人間文明に触れたいとは思わない。一人で生きていた時は仲間が欲しいと思っていたが、あれは繁殖したいという本能の衝動あってこそのもの。アイシャという『つがい』を手に入れ、愛を知った今となっては他の人間なんてどうでも良い。
アイシャがどう思っているかは分からないが、母に何かを頼むような事はしなかった。彼女も、積極的に動くつもりはないのだろう。
かくして何事もなく時は流れ――――
「いや、何もなさ過ぎじゃない?」
唐突に、アイシャがそんな事をぼやいた。
ぼやいた場所は新たな住処こと旧アナホリの巣。地下に広がる巣穴の一室で、家畜であるマルプニの世話(餌のトゲトゲボーを潰す作業)をしていた時だった。
突然そんな事を言われても、シェフィルにはなんの話かも分からない。首を傾げ、これから『食材』となるマルプニ一匹を抱えながら訊き返す。
「何も、とは?」
「人間の船よ! ちょっと前に大船団が来てたでしょ!」
「……………あー、そう言えばそんな事もありましたねー」
アイシャに言われて、シェフィルは『以前』あった出来事を思い出す。
今の今まで忘れていたシェフィルを、アイシャは不服そうな眼差しで見つめてきた。アイシャとしては色々言いたいようだが、それならばシェフィルにも言いたい事がある。
「いや、そんな目で見ないでくださいよ。忘れても仕方ないじゃないですか……だって、もうかなり前の事ですし」
人類文明の船が現れてから、かれこれ数百時間は経っているのだ。アイシャもそこには反論せず黙る辺り、時間が経っている事には同意しているらしい。
具体的にどれだけ時間が経ったかと言えば、ざっと五百時間ほど。
アイシャが以前話していた人間の暦に換算すると、二十日以上経っているだろうか。それだけあれば、人類は何かしらの動きを起こすとアイシャは予測していたらしい。
確かに、何かあってもおかしくないとはシェフィルも思う。しかし実際には何も起きていない。そこから考えられる可能性は、主に三つ。
一つはあの船団の進行速度が遅く、まだこの星に辿り着いていないというもの。しかしこれは考え難い。シェフィル達が宇宙に出た時点で、人類の船団は惑星シェフィルから約五百万キロ圏内まで接近していた。そこで観測した際、船団が秒速百三十キロで航行しているのを確認している。五百万キロを秒速百三十キロで移動した場合、単純に計算すれば三万八千四百六十一秒で横断可能だ。時間に換算すれば約十時間半。いくら寄り道をしても、五百時間経ってまだうろうろしているとは思えない。
もう一つの可能性は、惑星シェフィルを無視して迂回しているのではないか。だがこれも考えられない。惑星シェフィルは人間からすれば随分奇妙な星だと、アイシャから何度も聞かされている。船団の目的がなんであれ、この奇妙な星を無視するとは思えない。あの時の船団は目的を優先して迂回するかも知れないが、後から調査隊を送り込むのが自然だろう。その調査隊が来てない以上、この考えも間違っていそうだ。
残り一つの可能性が。
「(この星を今も観察しているかも知れません。星に降り立たず、少し離れた位置から)」
これは考えられない事ではない。未知の土地にいきなり足を踏み入れるのは無謀というもの。まずはそこがどんな場所か、遠目に様子を窺うのが合理的である。
人間達は念入りに、時間を掛けて調査しているのではないか。そしてその距離は相当離れたものの筈である。
もしも近付いていれば、今頃この星に辿り着いている。人間にとっては不本意な形だとしても。
「まぁ、あの船の人間達は慎重なのでしょうね。アイシャと違って」
「……どーせ私は新しい星の発見にはしゃいで、迂闊に近付いた結果墜落した人間よ」
シェフィルがちょっと意地悪な言い方をすれば、アイシャは頬を膨らませていじけた。
人類文明の船がこの星に接近すればどうなるか。それはアイシャ、そしてシェフィルが乗っていた船の末路が物語っている。
墜落だ。この星は中核に潜む生物・起源種シェフィルの能力によりエネルギーを吸収している。特定周波数の電磁波だけ吸収され難いが、効率が悪いだけで吸収されない訳ではない。あらゆるエネルギーは『惑星シェフィル』の餌となってしまう。
シェフィル達この星の生き物は、吸収される以上のエネルギーを生み出す事で生命活動を維持している。この星に来たばかりの頃のアイシャは、起源種シェフィルと関係ない存在だったため見過ごされた。しかし宇宙船が持っていたエネルギーは、問答無用で吸い尽くされている。結果、シェフィルやアイシャが乗っていた宇宙船は墜落した。
人類文明の戦闘艦も例外にはなるまい。ある程度この星に近付けば、容赦なくエネルギーを吸われる。エネルギーをなくせば星の重力に逆らえず、引き寄せられ……船は落ちるだろう。船が落ちてきたなら、人類と対話する旨の連絡が母からある筈。それがない時点で人間はまだこの星を訪れておらず、即ち一定の距離を維持していると考えるのが妥当だ。
とはいえ、この可能性にも疑問はある。
「しっかし、この星に何百時間も観察するようなものがあるとは思えませんけどねー」
そんなに時間を費やして、一体何を調べているのか、といったところか。
その疑問に答えてくれるのは、『人間』であるアイシャ。
「そりゃあ、何も分からないからじゃない?」
「何も、ですか?」
「うん。だってこの星、エネルギーを吸い取るでしょ? だから観測用の電磁波とか、返ってこないと思うのよ。というか私の時も星の運動とか、放出温度ぐらいしか分かんなかったし」
「ほへー。そうなのですか?」
「そうなの。地表面に生き物がいるって事さえ分からなかったわ。まぁ、私が使っていたのは民生品で、軍用の惑星スキャンなら何か分かるかもだけど」
「わくせいすきゃん?」
「星全体を調べる装置よ。内部構造とか成分比率、希少元素の埋蔵位置や埋没量、それと生物がいれば生息数や簡易分類も出来るわ。要するに、遠目からでも星の事が一瞬で分かる機械ね」
惑星スキャンの詳細を聞き、「ほぇー」と感嘆の声が漏れ出るシェフィル。一瞬で星全体の事を調べられる道具があるとは、やはり人類文明の技術力は高いと感じる。
……そうして意識すると、ふと気になってくる。
「そういえば人類文明がどんなものか、あまりちゃんと聞いた事なかったですね」
「ん? ……あー、まぁ、そうかもね」
アイシャは視線を天井の方に向けながら、シェフィルの言葉に同意する。
全く知らない訳ではない。今や様々な(確か三十六個だったか)星に移住している事、優れた技術を持っている事、一つの星に何百億どころか一千億もの人が暮らしている事、人々の生活にたくさんの資源を使っている事、そのため様々な星を調べて開拓している事……
いずれもアイシャから教わった事だ。しかしこれらは人類文明の情勢などの知識である。具体的にどれぐらい発展しているかなどはあまり知らない。
今まで接点がなく、好奇心程度の興味しか湧かなかった。だが今ではすぐ傍まで来ている(と思われる)存在だ。よく知りません、というよりは知識だけでもある方が『何か』あった時に対応しやすい。
それと、アイシャが昔暮らしていた『世界』を知りたい気持ちもある。愛を知らなければ、こうして尋ねるところまではいかなかっただろう。
「いい機会だし、ちゃんと話しておこうかしら」
「そうですね。是非、聞かせてください」
お願いしつつ、シェフィルは手に持っていたマルプニを引き千切る。
柔らかなマルプニの身体はあっさり真っ二つに。体液たっぷりのマルプニの身体は、断面からとろとろと液体が溢れ出す。食物であるのと同時に『飲み物』としても使える食材となった。
飲み物代わりのマルプニを、アイシャは特段躊躇いもなく両手で受け取る。じゅるじゅると汁を吸い、喉を潤し、くすりと笑ってから人類文明について話し出す。
「まず、文明の基本情報から。使われている暦は宇宙暦で、今は九〇六年。正確な日付はもう分かんないけど、年は間違いなく変わってない。宇宙暦は人類が初の地球外惑星への移民を行なった、西暦三三七七年に使われるようになった年号で、宇宙での共用歴になっている。地球だと今でも西暦が主流ね」
「……既に色々難しいです。うちゅーれきとかせーれきとか、よく分からないですし」
「まぁ、この西暦の一年目って宗教的な算出で、科学的な意味がある訳じゃないから、あまり気にしなくて良いわ。要するに人間の文明は、ざっと数千年の歴史があるって事」
話の出だしから理解を超えていて、呆けてしまうシェフィル。アイシャはそんなシェフィルにも分かるよう、情報を補足してくれた。
とりあえず、言われた通り人類文明は数千年続いているものだとシェフィルは理解する。
「現時点で三十六の惑星に入植済みで、環境改善などで今も移住惑星は増加中。十年後には更に十の星が人類のものとなる見込みね」
「凄い勢いですねぇ。そんな勢いで版図を広げているとは、大変羨ましい」
「繁殖第一の、この星の生き物的な考えねぇ……今じゃ私も若干同意しちゃうけど」
自らの遺伝子を増やす。
それがこの星の生命が抱く、根源的な衝動だ。大繁栄していると聞けば、本能的に羨ましくなってしまう。
アイシャも同じ気持ちになるのは当然の事。そして本能でもなんでも、愛する人と同じ気持ちなのは、シェフィル的にはとても嬉しい。
……しかしアイシャは違うのだろうか。何やら思い詰めたような、素直に喜んでいるようには見えない表情になっていた。
「アイシャ、どうかしましたか?」
「ん? んー……そう、ねぇ。ちょっと不安があって」
「不安ですか?」
「人間がここまで大繁栄を遂げた理由は、分かる?」
不意に問い掛けられ、シェフィルは一瞬キョトンとする。ただ、答えられない問いではない。正解に繋がる情報は、今までアイシャと暮らしてきた中で色々と聞いてきた。
「えっと。星の環境自体を作り変えて、自分達の生活に適したものにしているんですよね?」
「その通り。そしてそこに暮らす生物を、全て資源として使う。利用価値がなければ絶滅させるし、価値があっても安価な生産方法が分かれば絶滅か家畜化。徹底的に環境を支配して、自分達の生活圏に組み込んでいるわ」
全ての資源は『有限』だ。何かが栄えるという事は、他の何かから奪い取っている事に他ならない。
生物のいない星を開拓したなら、誰も使っていない資源を得ただけである。だがそこに生命がいたなら、そこで人類が繁栄すればするだけ、そこにいた生物の利用していた資源を奪う事になる。食べ物を家畜や農業で得るとしても、それらを育てる土地もまた『資源』である以上、奪っている事に変わりはない。
そして人間の数が何百億も増えた頃には、元々いた星の生物は一掃されてしまう。当然環境も激変するが、今の人類なら気象コントロールは難しい事ではない。自分達に好適な世界を維持し、全てを略奪しながら悠々と暮らすだろう。
「だから、もしも人間がこの星に来たら……」
「あー。星の生き物を絶滅させて、自分達のものにしようとするかも知れない、と?」
「……うん。あなたと一緒に生きるって決めたのもあって、この星を人間達に好き勝手されたくないのよ」
アイシャの不安を聞いて、成程とシェフィルは思う。シェフィル的には生物の絶滅や繁栄に善悪などなく、人間がこの星の生物を絶滅させてもどうとも思わないが……『思い入れ』ぐらいは理解出来る。
それにこの星の環境が作り変えられてしまうのは、正直不愉快だ。ただし思い入れ云々ではなく、自身の生存率低下を懸念している。酸素がないと生きていけない、気温もある程度ないと生存出来ない人間に適した環境が、自分にとって適しているとは限らない。
シェフィルは人間であるが、人間の繁栄自体は望んでいない。求めているのはあくまでも自分の遺伝子の繁栄だ。人間が増えても、自分の子孫が増えないのなら、そんな環境は望んでいない。
アイシャも望んでいないのなら、もしも人間がこの星を変えようとした時には『排除』もやむなしか――――
「まぁ、ぶっちゃけ人間がこの星に定住するとも思えないけどね」
そこまで考えたところで、アイシャは話の前提をひっくり返してきた。割と真面目に決意を固めていたシェフィルは、少しの批難を含めた眼差しでじとっとアイシャを見つめる。
「えぇー……来ないのですか?」
「だって定住には全く向いてないんだもの、この星。いるだけでエネルギーを吸われるから発電所なんて動かせないし、大気がないから作らないとだし、恒星がないから熱源も必要だし」
「……なら、心配しなくても無視されるのでは?」
「いや、無視はされないわ。こんな変な星、見逃す訳がない。必ず調べようとする。だから人間がこの星に干渉するとしたら、移住とかじゃなくて」
人間達がこの星に何をするつもりなのか。アイシャの考えを聞こうとしたが、それを確認する事は出来なかった。
【アイシャ。迎えに来ましたよ】
突如やってきた母が、アイシャの話を遮ったのである。
以前と同じく身体を巣穴に捻じ込んだ姿で現れ、アイシャのみならずシェフィルもちょっと引く。とはいえ二度目の光景にあれこれ騒ぎはしない。交尾中でないという事もあって、アイシャもまた冷静だった。
「うわ、また出た……というか、迎えって何?」
【以前頼んだでしょう。人間との対話が必要になったら、あなたに仲介をお願いしたいと。その時が来たので迎えに来たのです】
「……えっと、それって、つまり……」
アイシャの都合など構わず用件を話す母。アイシャはそれで『何』が起きたのか察したようで、言葉を詰まらせる。
シェフィルにも母が言いたい事は理解出来た。しかしアイシャのように戸惑いはしない。
【人間達の乗る船の一つが、恐らくはエネルギー切れにより墜落しました。生存していた乗組員の保護は完了しています。あなたには以前頼んだ通り、人間達との対話をお願いします】
自分達の乗っていた船がそうだったように、この星の『能力』から逃れる事は出来ない。
故に人間達がこの星を観察する限り、何時か事故が起きるのは必然なのだから――ーー




