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凍結惑星シェフィル  作者: 彼岸花
第七章 穏やかな日々

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穏やかな日々16

「いやー。一時はどうなるかと思いましたが、結果的に良い感じになりましたね」


「ねー」


 シェフィルがおっとりとした声で話し掛けると、アイシャもまた穏やかな声で同意した。二人は身を寄せ合い、互いの匂いを嗅ぐように顔を埋め合う。

 周囲を警戒せずいちゃつく二人は隙だらけだが、今なら天敵に襲われる心配はほぼない。

 シェフィル達は今アナホリの巣内、その一室にいるのだから。巣の中は実際に入ってみるまでシェフィルも知らず、自分達にとって快適な環境かどうか不安もあったが……暮らしてみた結果は、思った以上に好適な環境だった。

 まず巣の大きさがシェフィル達に合っていた。体長四十センチしかないアナホリよりもシェフィル達の方がずっと大きいが、巣を通る道の大半はシェフィル達が身を屈めずとも通れる広さがある。壁の表面も綺麗に加工されており、凹凸が殆ど見られない滑らかなものとなっていて、引っ掛けて怪我をする心配もいらない。

 恐らく、たくさんの個体が往復するため広く作られていたのだろう。何十という個体が忙しなく動くのなら、これぐらいの広さは必要だ。

 また通路には幾つも横道があり、その先には部屋があった。部屋と言ってもただ地面をくり貫いただけの空間だが、シェフィルとアイシャが一緒に寝ても余裕がある広さを有す。アナホリ達がどう使っていたかは不明だが、幾つかの部屋は中が清潔な状態(糞とかが落ちていない)だったため、寝室などに使われていたと思われる。それらの部屋はシェフィル達も寝床として使っていた。

 通路も部屋も拡張すら必要なかったのは、シェフィルにとっては予期せぬ幸運だ。


「(強いて欠点を挙げるなら、思っていた以上に暗い事でしょうか)」


 暗くとも電磁波が見えるので地下でも問題ないとシェフィルは考えていたが、しかし巣内は思っていた以上に暗かった。

 原因は、岩が放つ電磁波の少なさ。元々惑星自体がエネルギーを吸収しているので、岩の放つ電磁波も多少なりと吸われているとは思っていたが……思っていた以上に吸われていたらしく、巣内はかなり暗い。

 とはいえそれでも生活が出来ないほどではなく、特段問題なく暮らす事が出来ていた。問題なく暮らせるというのは、つまりアイシャと愛し合う事であり――――そして今はもう一つの作業が出来る事も大事である。

 その作業とは、危険を冒してでもやろうとした『畜産』だ。


「(もう結構時間が経ちますが、今のところ危険な気配が近付いてくる様子もありません。当分は、安心して良さそうですね)」


 目の前でもぞもぞと蠢く家畜ことマルプニ達。その姿を見て、シェフィルは微笑む。

 予想通り大きな天敵に襲われる事は(巣穴暮らしは既に二百時間ほど経過しているが)なかった。時折巣内に侵入してくるのは、体長数センチ程度の小型種ばかり。これぐらいなら流石のマルプニでも殺される事はほぼない。

 安全な環境に置かれたマルプニ達は、シェフィルの想定通り繁殖。今では二十匹まで増えた。ここまで増えれば、なんらかの要因でこの巣を放棄する事になっても何匹か抱えて逃げ出せる。つまりマルプニが一瞬で全滅し、畜産が途絶える可能性は大分低くなったという事だ。

 ……一回、天敵など関係なく全滅させるところだったが。


「まぁ、一時全滅するところだったけどね……誰かさんが私を何十時間も求めた所為で」


「うぐ。あ、あれはアイシャだって同じじゃないですか。私だけの所為にされても困ります」


「ふぐぅ」


 家畜であるマルプニのお世話を、巣暮らしを始めたばかりの時にすっかり忘れた事があったのだ。久方振りにアイシャを思う存分愛せると張り切った結果、危うくマルプニを餓死させるところだった。

 シェフィルもアイシャも、どちらも相手を愛し過ぎて色々問題が起きている。

 流石にちょっと改善した方が良いような気もするが……愛したい気持ちは抑えられない。理性ある『文明人』ならばそれでもと考えるだろうが、生憎シェフィルは野生人。本能的な衝動には何処までも素直に従うのが合理的だと、長い野生生活で学んできた。アイシャを愛したい気持ちが溢れ出すなら、溢れるがままに愛するのが適応的だと思うので止める気などない。

 反省はするが後悔はせず。先の会話で感じたバツの悪さをあっさり忘れ去り、シェフィルは満面の笑みを浮かべる。


「兎も角、思った以上にマルプニも増えましたし、この調子なら夢のマルプニ三昧生活も現実味を帯びてきましたね……!」


「何よその生活。そんなにマルプニの味が気に入ったの? まぁ、確かに数は良い感じに増えているし、もっと増やせそうだけど……その分大変にもなるのよ」


 悦楽に浸るシェフィルだったが、アイシャから現実的な指摘が飛んできた。無論シェフィルとてそれは分かっているので、えへへ、と笑って誤魔化す。

 アナホリの巣での暮らし、そして畜産生活には、既に幾つかの問題が発生していた。

 まず畜産に対する労力の増加。飼育して分かったが、マルプニは意外と大食漢の生物だった。恐らく解毒に多くのエネルギーを費やす分、大量の餌が必要なのだろう。しかもその餌であるトゲトゲボーは、食べられるように柔らかな体組織を絞り出す一手間が必要だ。今はまだ二十匹しかいないのに、重労働になりつつある。これ以上増やすと、活動時間の殆どがマルプニの世話になってしまう。

 また、マルプニだけの食生活は栄養価が偏っている。これまでシェフィル達はあまり栄養バランスを考えた食生活をしていないが、それは狩りによって取れる獲物が意図せずとも毎度違うからだ。例えば冬明け直後にモージャの死骸ばかり食べていたが、それも春の進行と共に死骸がなくなり、別のものを食べる事を余儀なくされた。

 しかしマルプニは家畜であり、生産体制を整えればずっと食べ続ける事が出来てしまう。これでは栄養が偏り、身体機能に異常が生じかねない。時々狩りをして違う食べ物を摂取する必要があるだろう。一つの作業に集中出来ないのは非効率である。

 そして一番の問題は、アナホリの巣の『維持』が極めて重労働である事だ。


「(本来ならアナホリ達がこまめに整備して、形を保っているものですからね)」


 自然界は地形を破壊するもので溢れている。例えば土壌生物達は深度数千メートルの位置まで(深さによって生息する種は異なるが)生息し、動き回る事で土地を開墾していく。アナホリの巣があろうと関係なく横断し、少しずつ壁を穴だらけにしていく。

 また地上で大きな生物が闊歩すれば、その体重により地面が押し潰される。もしもアナホリの巣の上を歩けば、その分巣も変形するだろう。アナホリの巣が形を保っていられるのは巣の構造が『自重』、即ち道の上に積もっている土の重さを支えるのに適した形状をしているからであり、形が歪めば重さを支えられなくなる。

 放置すれば巣は段々と劣化し、いずれ崩落するだろう。

 故にアナホリ達は定期的に穴を埋めたり、歪んだ場所を直したりしていた。当然そのアナホリから巣を奪ったのだから、今度はシェフィル達がやらねばならない。

 しかし広大な巣は見回るだけで時間が掛かるし、修復作業を適当にやれば巣の形を歪めて却って事故を引き起こすので真面目にやらないといけない。おまけに人間の身体は地中の巣を直すのに適した形態ではなく、アナホリほど効率的には出来ない。時間も体力も相当奪われる。

 今は巣のごく狭い範囲だけ管理していて、後は放置している。これでどうにか生活圏だけは守っているが、マルプニの飼育数を増やすならいずれ管理する部屋数も増やさねばならず、部屋を増やせば管理の手間も増える。

 つまるところ現状あらゆる事柄に労働力が必要であり、そして足りていないのだ。アイシャが言っていた通り、多大な労力を費やさないと畜産が維持出来ない。確かにこれなら、安定はせずとも狩猟採集の方が楽ではある。これ以上の生産拡大は、シェフィル的にはあまりやりたくない。

 ただ、労働力不足を解決する案はある。


「うーん。まぁ、労働力に関しては解決策がありますが」


「え? あるの?」


「はい。人手が足りないのですから、増やせば良いのですよ」


「きゃ!?」


 シェフィルはおもむろにアイシャを押し倒す。不意打ちという事もあって、アイシャは殆ど抵抗も出来ず倒された。

 最初アイシャは押された事に驚いたような顔をしていたが、シェフィルの本能を剥き出しにした顔を見て察したのだろう。優しく微笑みながら、頬を赤らめ、目を潤ませる。


「もう、余裕が出来たと思ったらすぐなのね。このスケベ」


「すけべというのがどういう意味かは分かりませんが、暇があれば愛する人を求めるのは仕方ない事でしょう。それとも、アイシャは私と繁殖するのはまだお預けで良いですか。私との子供、まだ欲しくないですか?」


 答えを聞く前に、シェフィルはアイシャの服に手を掛けて脱がし、露わとなった胸元に口付けを行う。

 たった一度のキス。

 けれどもその一回で、アイシャは身体をぶるりと震わせる。口からは熱い吐息が漏れ出し、顔だけでなく肌も一気に朱色に染まり出した。そしてその熱を帯びた身体を、逃がすどころかシェフィルに押し当ててくる。


「んぅ……意地悪……」


 挙句、口から漏れ出た批難の言葉は、責めるどころか求めているようにも聞こえて。

 本能のままシェフィルはアイシャの身体を啄み、滑らかな肢体を撫で回した


【また交尾ですか】


「ほぎゃあああああ!?」


「ごふぅ!?」


 途端声が聞こえてきて、それに驚いたアイシャがシェフィルに膝蹴りを放った。か弱いアイシャの攻撃とはいえ、腹に膝蹴りとなればかなり痛い。シェフィルはごろごろと地面を転がっていく。

 どうにか痛みを堪えて顔を上げれば、そこには母の姿があった。

 そう、母だ。体長十メートルはある母が……シェフィル達がようやく通れる通路の中に、ぎゅうぎゅう詰めの状態で。母の身体は柔軟なため狭い隙間にも苦もなく入れるのだろう。にゅるにゅると動き、頭と触手をシェフィル達の方に出す。

 割と歪な姿に、シェフィルでもちょっと引く。アイシャなど声が出ないのか、口をパクパクさせていた。勿論、これから繁殖しようという時に割って入られた驚きも多分に含むのだろうが。


「か、母さま……久しぶり、ですね……ごふ、げふっ」


【ええ。ようやく少し時間を作れました。あなた達は繁殖に勤しんでいるようで何よりです。私としても、私の遺伝子が増えるのは好ましく感じます。まぁ、ほんの三時間前にもしていたのに、またやる意味はないと思いますが】


「み、見ていたならもっとタイミング選びなさいよ! 何もしてない時とか!」


【残念ですが私が時間を選べる状況にありません。それとあなた達、暇があるとすぐ繁殖行為をしていますから、タイミングも何もないと思いますが】


 茹で上がったように顔を赤くして批難するアイシャだったが、母からの指摘で言葉を詰まらせる。反論出来なくなる程度には自覚があるらしい。

 羞恥心などないシェフィル的には「別に母さまなら交尾中でも襲われないのですから続けても問題ないのでは?」としか思わないが……アイシャとしては不服なようだ。シェフィルが脱がした毛皮の服を、いそいそと着込んでしまう。前も母が来ただけで交尾を止めてしまったので、今回もそうなるだろう。

 ここで無理に求めてもまた蹴られるだけ。シェフィルは愛については一旦頭の片隅に移し、母の方を見遣る。

 忙しさの合間を見て、わざわざ来たのだ。それなりの要件があるとシェフィルは思っていた。そしてその考えは的中する。


【まぁ、いいでしょう。それよりもアイシャに重要な話があります】


「へ? 私に?」


 思った通りの話の切り出し方をする母。まさか自分に用があるとは思わなかったようで、アイシャはキョトンとしながら母と向き合う。シェフィルも母の話に耳を傾けておく。

 二人が話を聞く体勢になった事を見るや、何時もと変わらない淡々とした口調で母は話し出した。


【はい。どうやらこの星に無数の宇宙船が接近しているようです】


 『重大』なんて言葉では、到底足りないような内容を。


「……………え? え、宇宙……え?」


【我々の観測では、総数五十隻程度。全長二百六十メートルで統一されています。材質は鉄を主成分にした合金であり、恐らく人類文明によって作られたものと思われます】


「待って待って。情報量が多過ぎる! 頭の整理が」


【以前からちょくちょく来てはいたのですが、いずれもシェフィルから一千万キロ以上離れており、こちらを観察しているだけだったので無視していたのですが】


「来てたの!? え、なんで教えてくれなかったの!?」


【言う必要もないでしょう。しかし今回は既にシェフィルから五百万キロ圏内に入り、なおも接近しています。今までと違う行動です。この忙しい時期だけに正直全船撃ち落として存在自体をなかった事にしたいのが私的な見解ですし、そのような行動を起こしてもシェフィルも気にはしないでしょう。ですが巨大な文明相手に事を荒らげるのも得策ではありません。そこで文明の主がシェフィルに降り立った際には穏便な対応、端的に言えば対話をする事となりました】


「いやほんと、ちょっと……」


【とはいえ我々は異種族との対話をろくにした事がありません。シェフィルは人間ですが、文明と触れ合わずに育ったため、日常会話なら兎も角高度な交渉技能は備わっていないと思われます。そのため人類文明出身であるアイシャに助言を頼みたいのです。もっと言うなら、そもそも本当に人類文明の船であるかも確かめたいというのもあります】


「ほんっと待って!? 何も理解出来てない!」


【おや、そうですか? では船団が見える位置まで連れて行きましょう。シェフィル、あなたも来ますか?】


 母の話を全く理解出来ていないのか、アイシャは酷く混乱した様子だ。そんなアイシャを母は連れていこうとしている。恐らく、ほぼ強制的に。

 シェフィルも今何が起きているのか分かっていない。しかしアイシャが連れていかれるのなら、自分も一緒に行きたいのが本心。


「はい。私も一緒に行きます!」


 シェフィルが元気よく返事をすると、母は二本の触手をシェフィルとアイシャに伸ばした。

 触手はシェフィルでも反応が間に合わない速さで動き、身体に巻き付く。アイシャがハッとしたように顔を上げたが、その時にはもう周りの景色が洞窟内から一瞬で変化している。

 周りに広がるのは、数多の星。

 星が見える事自体は、なんらおかしな事ではない。惑星シェフィルでも空を見上げれば、満天の星空が見えたのだから。しかし此度の星空は、今までと違い……()()()に見る事が出来た。加えて身体がふわふわと浮かび上がる。後は今までいた場所よりもかなり暖かだ。

 そして後ろを見れば、真っ黒な星が見えた。

 宇宙空間よりも黒い星だ。距離が遠い所為で小さな星にしか見えないが、これだけ黒ければ一目瞭然。そこが自分達の暮らしていた星――――惑星シェフィルだとシェフィルにも理解出来た。色が黒いのは、惑星を埋め尽くすように生えているトゲトゲボーなどの色合いだろう。

 即ち。


「こ、ここここ此処、宇宙ぅぅぅ!?」


 アイシャが叫んだように、此処は宇宙空間のようだ。


【はい。量子ゲートワープを用い、シェフィルから四百十万八千キロほど離れた位置にいます】


「生身の生き物を宇宙空間に連れてくんじゃないわよ! 死んだらどうするの!」


「アイシャ、落ち着きましょう。私達は宇宙に出たぐらいじゃ死にませんから」


 アイシャはわーわー騒ぐが、騒げるぐらい元気な時点で心配は無用だ。そもそもシェフィル達は宇宙よりも過酷な星で生活している。事実宇宙に出て『暖かい』と感じているぐらいだ。

 それでもアイシャ(普通の人間)にとっては、宇宙空間はどう足掻いても死ぬ領域なのだろう。中々騒ぐのを止めず。

 ……否。その行為を引き起こしたのは無理やり宇宙に連れてこられた怒りや恐怖、だけではないとシェフィルは直感した。アイシャの顔に出ている感情は、そんなどうでも良い事に対するものではない。宇宙についてあれこれ言っているのは、きっと他に根拠がないから。自分の中の本能を、上手く言葉に出来ないのだ。

 ではアイシャは何を怖がっているのだろう? シェフィルには分からない。しかしきっと……シェフィル(自分)が抱いている不安と同じものだと感じる。

 そう、シェフィルも妙な胸騒ぎがするのだ。予想もしない『変化』があると、根拠もなく思ってしまう。

 ――――後にシェフィルは思う。ここで抱いた予感は正しかった。根拠はなくとも、この星の生き物としての本能が未来を予測していたのだと。尤もそれを理解したのは全てが終わった時。

 惑星シェフィルの終焉が訪れた後なのだが……

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