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凍結惑星シェフィル  作者: 彼岸花
第一章 凍える星の姫君
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凍える星の姫君09

 何処にいるのか。シェフィルは全意識を集中させ、『気配』の居場所を探ろうとした。

 だが、全く見付からない。恐らくシェフィル達が警戒したのを察知し、相手側も全力で気配を消しているのだろう。しかしこの状態を維持するためには、一歩たりとも身動きは出来ない筈だとシェフィルは読んでいる。動けば振動などが発生し、気配がなくとも居場所を感知されてしまうからだ。

 即ち現在は膠着状態。こちらが隙を見せた瞬間、その『気配』の主は何かを仕掛けてくる可能性が高い。逆に警戒し続ければ、相手は諦めるかも知れない。

 今必要なのは一瞬たりとも弛めない警戒心。


「ねぇ! 何があったか教えてよ!」


 なのにアイシャは、周りの警戒よりも疑問の解決を求めてきた。正直鬱陶しい。シェフィルは無視するように、アイシャから視線を逸らす

 直後、ぞわぞわとした悪寒が背すじを駆け抜けていく。

 失敗した。本能がそれを直感する。何を失敗した? 理性が『原因』を理解しようとするが、先に身体が動く。振り向くように、アイシャの方へと視線が再び向いた。

 それだけで答えは得られた。

 アイシャの背後にいた、一体の獣が全ての答えだ。


「(やっぱり、ガルル!)」


 シェフィルは、自分が与えたその獣の名を頭の中で叫ぶ。

 体長一・三メートル。シェフィルより一回り小柄な体躯の持ち主だ。身体は真っ白な体毛に覆われているが、毛は太くごわごわとしたもの。触ったところで気持ちよくはないだろう。

 身体付きは酷く貧相なもの。二本足で立ち、二本の腕を持つ所謂人型であるが、その太さが引き締まった体躯であるシェフィルの半分ほどしかない。おまけに手足は捻れており、ざっと四回転している状態だ。尻尾は生えておらず、扁平な足の裏で地面を踏み締めている。胴体と腕が異様に長く、足が短いのもあって、人間であるシェフィルから見ると『奇形』感が強い。手の先にある三本の指は極めて鋭く、爪というよりも槍のようだ。

 何より顔立ちは、もう人間とは似ても似つかない。細長い獣的な(ふん)(目より前の部分を指す言葉)を持ち、大きく裂けた口の中にはシェフィルの指よりも長い牙が何本も生えていた。そもそも口は左右に開き、人間とは全く異なる構造をしている。目も硬質なレンズ状の複眼が、左右と中央の計三つ存在していた。


「ガルルルル……!」


 そして力を滾らせる身体、そこから発せられる電磁波の音――――これが、シェフィルがこの生物に『ガルル』の名を与えた由来だ。

 ガルルはこの星に生息する動物の中でも、極めて凶暴な肉食獣である。死肉には一切口を付けず、生きた生物だけを襲う生粋の捕食生物。仕留めた獲物を喰らっている時を除いて常に興奮状態にあり、満腹でも下手に近付けば攻撃してくる強い攻撃性を持つ。

 自分よりも大きな獲物にも躊躇なく襲い掛かるが、決して無謀な行いではない。それを可能とするだけの戦闘能力を有している。無闇矢鱈な攻撃性の高さは、得意分野(戦闘力)を活かして生存競争を勝ち抜くための合理的性質と言えるだろう。

 そんな生物がアイシャの背後に現れた。一体なんのために?

 考えるまでもない。殺し、その血肉を貪り食うためだ。


「ちっ!」


 舌打ちしながら、シェフィルは即座に手を伸ばす。アイシャの腕を掴むと、アイシャがその事に反応するよりも前に引っ張り……自分の背後へ向けて投げる。

 アイシャの身体は数メートル先まで転がっていく。今頃彼女の心は驚きに包まれているだろうが、その顔を拝む余裕はシェフィルにはない。

 獲物をすんでのところで奪われたガルルが、怒りをぶつけるように自分を次の獲物に定めているからだ。実際には怒りではなく、最も近い『生物』を標的にしているだけだろうが。


「ガルァッ!」


 ガルルは捻れた腕を素早く伸ばす。

 この時、ガルル達は腕の捻れを利用する。捻れを解すようにして、回転の力も生み出すのだ。更に指先をキッチリと揃えつつ、指先さえも捻って『槍状』にする。

 そのまま勢いよく前に突き出せば、獲物の肉を回転で抉る、恐るべき凶器の完成だ。普段ならば躱す事など訳ない速さなのだが、アイシャを後ろに投げ飛ばした事で体勢を崩した今のシェフィルには回避行動が取れない。

 ガルルの指先が、シェフィルの右肩の肉を抉る。皮膚と筋肉だけでは止まらなかった指先はそのまま直進し、ついに骨まで到達


「がぁっ!」


 した瞬間、シェフィルは左腕を伸ばした!

 左腕はガルルの顔面を掴む。そのまま一気に押し、張り手によって突き飛ばす!

 いくら身体能力に優れるといっても、ガルルはシェフィルよりも一回り小さい。体重は相応に軽く、突き飛ばすような攻撃は効果的だ。ガルルの身体は数メートルも吹っ飛んでいく。

 とはいえダメージはあまり大きくないようで、軽やかに体勢を立て直して着地。即座にガルルはシェフィルと向き合う。


「ちょっと! 何をし、ひっ」


 その一連の攻防が終わった直後に、アイシャが投げ飛ばされた事への文句を言う。尤も、肩から血をぼたぼたと垂らすシェフィル、そのシェフィルと向き合う猛獣ガルルを見た途端、強気な言葉は途切れてしまうが。


【シェフィル。どうしますか?】


 母が尋ねてくる。

 どうするか。細かな選択肢はかなり多いが、大まかに分ければ三つの行動がシェフィルの脳裏に浮かぶ。

 一つは戦ってガルルをぶちのめす事。この選択肢は、あまり合理的ではない。ガルルは獰猛かつ危険な捕食生物。いくら体格ではシェフィルが上回るとはいえ、ガルルの鋭い爪や牙は、シェフィルの拳よりも高い攻撃力を誇る。攻撃面ではガルル側に分があり、食い殺される可能性は十分ある。勝ったところでガルルの痩せた身体では大した肉は得られず、メリットは少ない。

 もう一つの選択肢は、アイシャを囮にする事。ガルルはアイシャを狙っていた。恐らくシェフィル達の中で一番弱そうな個体を狙ったのだろう。ガルルは攻撃的な生物であるが、決して合理性は失っていない。だから『食べ物』を与え、シェフィル達が戦う意思を見せなければ、ガルルの攻撃を回避する事は難しくない筈だ。

 最後は、母に頼る。母は基本的に自らの遺伝子を分け与えたシェフィルの味方であり、シェフィルの繁殖相手となり得るアイシャの(完全ではないにしろ)味方でもある。しかも母はシェフィルよりも圧倒的に強い。母が臨戦態勢を取るだけでガルルは一目散に逃げ出すだろう。

 どの選択肢が良いか? 考えた時間はほんの一秒にも満たない。即答に等しい早さで、シェフィルは母に答えを返す。


「母さまはアイシャを連れて離れてください! 私がこいつをぶちのめします!」


 選んだのは、一番目の選択肢。

 繁殖相手を切り捨てる二番目の選択肢は論外だとして……合理的に考えれば、三番目の選択肢が最適なのは言うまでもない。自分は危険を犯さず、アイシャは守れて、何より確実だ。

 おまけにシェフィルはガルルとまともに戦った事がない。何しろ危険かつメリットのない相手だ。戦ったところで損しかないのだから、可能な限り戦闘は避けていた。ガルルの方も積極的にシェフィルを襲う事など滅多にしない。確かにガルルは自分よりも大きな獲物にも躊躇なく襲いかかる気質の持ち主だが、自分よりも大きな生物を好む訳ではないのだ。小さく、確実に仕留められる獲物がいれば、そちらを優先して狙う。だから今まで戦わずに済んでいた。ガルルの性質については、これまでの人生で遠目に観察していたものぐらいしか知らない。

 情報不足に加えてリスクが高い。こんな選択肢を選ぶ合理的答えはない。

 しかしシェフィルの『本能』が囁く。

 ()()()()()()()()()()()、と。


「(あんな話をしていなければ、母さまに頼ったんですけどねぇ)」


 アイシャには伝えきれていないが――――ガルルは美味しいのだ。少なくともウゾウゾよりは。

 『不味さ』を生み出すためにも特殊なタンパク質などが必要で、生成に資源やエネルギーを使う。しかし当然ながら、この不味さというのは食べられて初めて発揮する性質だ。つまり食べられなければ意味がない。

 ガルルは強い捕食者であるため、天敵は少ない。よって身体を不味くする必要はなく、むしろ不味さのために使うエネルギーを繁殖に転換した方が子孫繁栄の面では合理的である。そのためガルルの肉はタンパク質や脂質本来の味わいがあり、この星の生物としては『美味』なのだ。

 とはいえ、美味しいだけで栄養価が高い訳ではない。わざわざガルルを狩るよりも、ウゾウゾを食べる方が安全かつ健康的だろう。

 実に不合理な判断だ。不合理だが……それでも『本能』が訴える。母の遺伝子がこんな判断をするとは思えないので、これはきっとシェフィルの中にある、人間の遺伝子からの信号だろう。アイシャの願い……美味しいものを食べたいという気持ちを叶える事は、自分の遺伝子を増やすために欠かせない行いに違いない。

 今のアイシャと繁殖する事は出来ない。だがいずれアイシャが死んで、蘇生した後には、繁殖のチャンスがある。その時に備えてアピールをしておけ、という事なのだろう。

 ならばやらぬ訳にはいかない。

 母から受け継いだ遺伝子が発する繁殖衝動は、自分の命を容易く賭けられるほどに強いのだから。


【分かりました。そうしましょう】


 シェフィルの気持ちを汲んだ、訳ではないだろう。されど母は反論を述べる事もなく、ただ一言で受け入れる。

 アイシャは母の後ろに隠れた状態で、不安げにシェフィルを見ていた。だからこそシェフィルは威風堂々とした立ち姿を取る。弱っているところ、なよなよした姿を見せるつもりはない。自分の遺伝子が如何に優秀か、この立ち姿一つで示す。

 果たしてそれがどれだけアイシャの本能に響いたかは分からないが、「頑張って」というか細い応援の言葉を聞ければひとまず十分。シェフィルは振り向かないまま、こくりと頷く。

 母に連れられる形で、アイシャはこの場から離れていく。ガルルの視線がアイシャに向いたのは一瞬。戦闘を仕掛けようとはしない。どうやら母(の一族)に喧嘩を売るつもりはないらしい。

 相手との実力差をよく理解している、極めて賢い個体だ。尤も、賢くない獣などこの星にはいないが。相手の実力も測れないような輩が生き残れるほど、この星の生態系は甘くない。


「(さぁ、どう出ますか? 私と真っ向勝負をしますか?)」


 まずは根本的な疑問。シェフィルの方が身体が大きい分、ガルルよりも力が強い筈だ。攻撃力では分があるとはいえ、ガルルもそれを気にはしているだろう。

 だからもしかすると、ガルルは安全を優先して退却するかも知れない。

 しかしその可能性は低いとシェフィルは考えている。ガルルの好戦的な気質を考えれば、このぐらいの体格差ぐらいならば確実に挑んでくる筈だ。それにシェフィルはアイシャを守るため、ガルルが繰り出した最初の一発を肩に受けている。大したダメージではないが、傷には違いない。肩の動きは鈍くなり、それは腕の動きを鈍らせる。

 シェフィルの戦闘能力は今、幾ばくか低下していると言える。むしろ今こそがチャンスであり、ガルルはそれが分からないほど馬鹿な種族ではない。

 おまけにガルルは極めて厄介な『能力』を持っている。


「ガルウゥゥ……!」


 それが正に今ガルルが披露した、姿()()()()能力だ。

 ガルルの身体を覆う白い体毛は、電磁波()を自在に乱反射させる事が可能である。この反射した電磁波の発射角度、更には周波数や出力を調整する事で、周囲の景色に溶け込んで姿を消す……これがガルルの使う『光学迷彩』の原理であると、シェフィルは母から伝え聞いている。

 この星には周回している恒星がないため、基本的に地上は極めて暗いのだが……それでも満点の星空という、宇宙の遥か彼方から飛んでくる光がある。だからこそ地上を『肉眼』で見る事が出来る訳であり、姿を眩ませるガルルの能力は極めて強力なものだと言えよう。

 特に、シェフィルにとっては効果的だ。

 他の生物ならば臭いや振動を感知し、ガルルの動きを正確に把握出来る種もいる。しかし人間として生まれたシェフィルの感覚器は、大部分が視力頼りだ。このため姿を消されると、途端に情報が不足し、居場所を把握するのが困難になる。

 一応歩いた際の振動や、活動時の電磁波を感知する事で大まかな場所は把握出来るが……先程の奇襲に反応した事で、ガルルもシェフィルがある程度の感知能力があると想定している筈だ。だからこそ息を潜め、可能な限り動かず、気配を消しているのだろう。そしてこちらが隙を見せた瞬間、死角から襲い掛かる算段に違いない。

 実に厄介だ。

 厄介だが――――予想通りであるなら、問題はない。


「(生憎、まだ奥の手を残しているんですよ)」


 シェフィルは目を閉じ、意識を研ぎ澄ます。

 集中力を高めて僅かな気配を探る……なんて方法ではない。そんな事で探れる程度の隠密能力なら、ガルルという種はとうの昔に滅んでいる。奴等もまたこの星の生存競争を生き延びたエリートであり、優れたハンターである事を忘れてはならない。

 必要なのは努力や根性ではなく、確かな論理(ロジック)

 その論理のためにシェフィルが行ったのは、体表面から僅かな『水蒸気』を発する事だ。これは人間の身体に備わっている発汗機能を応用したもので、発熱した筋肉を通す事で、水を加熱・気化させている。

 気化した水分はすぐに凍結してしまうが、ごく短時間であればシェフィルの身体の表面を漂う。即ち、それはシェフィルの身体を薄い大気の膜が覆うのに等しい。そして人間であるシェフィルの肌には、産毛と言える細く小さな毛が幾つも生えている。

 産毛は極めて優れた感覚器官。ほんの僅かな、大気の微かな変動も感知出来る。

 そう、右側面から迫ってきたガルルの動きで生じた、僅かな揺らぎだろうとも。


「ぬぅううああああっ!」


 渾身の力を込めた、大振りの一撃をガルルよりも先に放つ!

 姿を消していたガルルは、シェフィルの攻撃に対し即座に反応した。この星の生物に『驚き』なんてものはない。受けた刺激に対し即応し、臨機応変に行動を起こす。現実を一切のタイムラグなく受け入れる、という表現が一番適当だろう。

 透明化を解いたガルルは二本の腕を構え、シェフィルの攻撃を正面から防ぐ。胴体や頭に当てられなかったのは惜しいが、それで問題はない。

 シェフィルも端から良いところには当たると思っていないのだ。だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の力を込めている!


「ギッ……!」


 正面から防いだガルルであったが、その両腕は衝撃で大きく上に跳ねた。

 ここでようやく胴体がガラ空きになる。

 ここまで予測していれば追撃は可能。シェフィルは膝蹴りを放ち、ガルルの胴体に食らわせた。引き締まった筋肉に食い込む、生々しい感触は足技の成功を教えてくれる。


「ギッ、ガゥ!」


 感触通り、大きなダメージを受けたガルルは身体を前のめりに曲げた。

 それでも反撃のため腕を伸ばしてくるのは、流石獰猛な捕食者と言うべきか。指先は刃物の如くシェフィルの腕を切り裂いてくる。傷口は骨まで達し、腕の神経と筋繊維を幾つも切断していく。

 並の人間ならば、痛みで気絶してもおかしくない怪我だ。

 だがシェフィルは僅かに目を細めるだけ。母達この星の生物には『痛覚』がない。厳密には身体が受けた刺激を、全て数学的情報として処理する。腕の筋肉が切られたら、「腕の筋肉を切られた」とだけ認識するのだ。そしてそれだけ把握出来れば、身体の制御をする上で問題はない。

 母の遺伝子を受け継ぐシェフィルも、痛みなど感じない。怪我の状態は数値で把握。故に、怪我した腕がどの程度動かせるかも、正確に認識する。

 今正に傷付けられた腕を伸ばし、シェフィルはガルルの腕を掴む! 痛みがないから怪我を無視した、のではない。「怪我よりもガルルの拘束を優先した」結果である。加えてガルルを掴むだけの力も、数値上残っているため問題ない。身体を労らなかった事は同じでも、そこには合理的な理由があるのだ。

 だからこそ上手く掴めないなんて事はなく、シェフィルの手はガルルを拘束。離れそうになるガルルを自分の下に引き寄せ、追撃を加えようともう片方の手を振り上げた


「ッガルゥ!」


 が、ガルルの行動の方が速い。

 ガルルは即座に、自らの腕を切り落としたのだ。

 拘束され続ける事よりも、腕一本を犠牲にする方がマシと判断したのだろう。ガルルもまたこの星の生物。シェフィルと同じく痛みを感じないガルルは、自由になった身体で軽く跳び、シェフィルの顔面に蹴りを一発見舞う。

 片手は切り離された腕を掴み、もう片方は振り上げた状態。流石に防御が間に合わず、ガルルの蹴りはシェフィルの顔を直撃する。更にガルルは蹴りの反動を利用し、空中でくるりと舞いながら後退していく。


「(逃がしません!)」


 シェフィルは打撃の反動で後ろに倒れそうになる身体を、強引に身体を前へと押し出す。前傾姿勢になるや地面を蹴って跳躍。ガルルへの肉薄を試みる。

 そして力いっぱい上げた足で、空中で回っていたガルルの背中を蹴ろうとした。

 しかしガルルはこの蹴りを、身体を捻る事で回避。更にシェフィルの足を蹴る――――否、足場にして跳躍を行い、また勢いを付ける。跳んでいく速さはシェフィルの駆け足よりも速く、これは流石に追い付けない。

 十分な距離を確保したところでガルルは着地。だが休憩を挟むつもりはないらしく、力強く地面を踏み込む。


「ガルアァッ!」


 その踏み込みの力で、シェフィルへと突進してくる!

 シェフィルも止まらず走り続けていた。急速に接近するガルルに対し、拳を振るう。片腕を失った今のガルルならば、拳の一撃を受け止めきれまい。

 だが、ガルルは攻撃を避けようとしない。

 避けないどころか、頭から拳目掛けて突っ込む。しまった、と思った時には一手遅く。


「ガフッ!」


 ガルルは大きく開いた顎で、シェフィルの拳に噛み付いた! 左右に開く口の内側にはびっしりと鋭い歯が生えており、それらがシェフィルの皮膚を突き刺す。

 そもそも顎の力が強烈だ。手の骨を余裕で噛み砕き、粉砕してくる。普通の人間ならば、痛みに泣き叫ぶ以外の事は出来なくなるだろう。


「ふんッ!」


 シェフィルは間髪入れずに、頭突きをお見舞いしてやったが。

 狙いはガルルの頭。手に噛み付いているガルルはこれを躱せず、シェフィルは渾身の一撃をお見舞いしてやった。シェフィルの頭にも反動があるが、頭の一部が陥没したガルルほどのダメージはない。


「ガフルァアッ!」


 尤も、ガルルの方も見た目ほどのダメージはないようだが。

 ガルルは手を咥えたまま大きく頭を振り回し、シェフィルの身体を浮かせた。そして地面目掛けて、叩き付ける!

 強烈な一撃を受け、全身に衝撃が走るシェフィル。それでも地面に倒れた体勢から両足を折り曲げ、さながらジャンプでもするように同時に伸ばして、ガルルの胸部を蹴り飛ばしてやったが。

 流石に両足キックの威力をそのまま受け止める訳にはいかないと考えたのか。ガルルは口を開いてシェフィルを解放。打撃の威力で後方に飛ばされつつ、両足で地面を踏んで衝撃を逃がす。

 数メートルと離れたところで、一旦ガルルは立ち止まる。シェフィルも立ち上がり、ガルルと向き合う。


「ガルルルルルルル……」


「……やりますね」


 互いに睨み合うシェフィルとガルル。未だどちらも闘争心を失わず、逃げる素振りを見せない。

 いや、見せられないと言うべきか。

 シェフィルとガルルの実力は今、拮抗している状態だ。そんな中で背中を見せたら、追われ、攻撃を受けてしまうだろう。逃げるという行為も、ただがむしゃらにやれば成功するものではない。相手が怯んだ時、或いは動きが止まった時でなければ失敗に終わる。そして失敗した時には大きな隙を晒したも同然。手痛い一撃を受け、一気に不利となるだろう。

 だから自分からは逃げられない。なら、相手が逃げた時は?

 ……逃げた相手の背中に攻撃すれば、大きなアドバンテージを得られる。この拮抗状態から、一気に自分にとって有利な状態へと持ち込める筈だ。勿論そのまま逃がして戦いを終わらせるのも一つの手だが、この戦いで消費したエネルギーを補充したいという気持ちもある。ガルルを一気に仕留め、肉を得る方が合理的だろう。

 だからシェフィルから逃げ出す事は出来ない。そしてガルルも同じように考えているだろう。だからガルルも逃げ出さない。

 双方、逃げられない。合理的な判断をした結果、双方が相手を殺さねばならない状態に追い込まれている。

 果たしてガルルにとってそれが望ましいかは不明だ。しかしシェフィルにとっては望むところ。

 この戦いに勝って、美味しいものを振る舞って、アイシャと繁殖したいのだ。相手を逃がすなんて、そんな展開は望んでいない。

 仮に負けて死んだとしても、問題ではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「(この考えは、母さまの遺伝子由来でしょうねぇ)」


 止まらない繁殖の衝動。

 それに突き動かされるように、今度はシェフィルの方からガルル目掛けて突撃を行うのだった。

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