穏やかな日々03
「……………獲物、捕まえられませんでしたね」
「……………捕まえられなかったわね」
トゲドゲボーで作った自宅の前にて、シェフィルとアイシャは俯せに倒れながら今回の成果について確認し合った。
大物狩りの結果は失敗。
出会わなかった訳ではない。他のオオトゲイモを見付けたり、以前死闘を繰り広げた捕食者ガルルの若齢個体と遭遇したり、ダイオウアカタマ(体長一メートにもなるアカタマの近縁種。腹部末端にある有毒の玉が小さい事以外はアカタマにそっくりな、丸くてずんぐりとした体躯の六脚生物)に接近したり……ざっと三時間ほどの間に、最初に出会ったオオトゲイモを含めると四体の大型生物と出会えた。
遭遇した生き物はどれも狩ろうとした。選り好みなんてしていない。手加減だってしていないし、本気で知略を巡らせている。
それでも仕留められず、全て逃げられてしまった。
「野生動物の狩りは成功率が五割あれば高い方って、地球では言われているけど……この星の生き物はその比じゃないわね」
「ですねー。獲物の種類によって成功率は全然違いますけど、今の私達みたいに食べ応えのある大物を狙う狩りなら一割あれば良い方だと思います」
ちゃんと調査した訳ではないが、この星で生きてきた経験からシェフィルはそう語る。
成功率一割。これは捕食者が下手くそなのではなく、喰われる側が極度に進化した結果だ。捕食者は当然獲物を食い殺すが、これは言い換えれば「逃げられなければ死ぬ」という『淘汰圧』――――進化の方向性となる。獲物達は様々な能力を用いて天敵から逃げようとし、結果的に有効だった能力の持ち主が生き残る。
すると次世代の獲物達は、この優秀な能力の持ち主の遺伝子を引き継ぐ。捕食者は頑張って(優れた捕獲能力を進化させて)獲物を捕まえる。だが、それを生き延びた獲物はもっと優秀な逃走能力の次世代を生む。これを延々と繰り返す。
今生きている獲物達は、この苛烈な生存競争を生き延びた種の末裔。何億年、何十億年もの間捕食者から逃げ続けた遺伝子なのだから、簡単に捕まえられる訳がない。
加えて今の時期は、特に狩りの成功率が低くなる。何故ならこの時期に生まれる個体は感覚器や身体機能が発達しており、逃走能力が高くなっているため。トゲトゲボーという『食料源』が豊富なため、繁殖力だけでなく身体能力にも多くのエネルギーを割く事が出来るのだ。これにより捕食者からより高確率で逃げられるようになり、効率的に子孫を増やす事が出来る。
この星に適応した捕食者であれば、同じく身体能力を発達させて対抗しているが……人間であるシェフィル達に、この星の季節に適応した変化はない。単純に獲物達がより的確に逃げてしまう状態なので、中々捕まえるのが難しい。
「(別に、生きていくだけならそれでもなんら問題はないのですが)」
例え獲物に逃げられても、ちょっと歩き回ればすぐに次の獲物が見付かるだろう。獲物達がどれだけ巧妙に隠れていても、偶々見付かってしまう不運な生物が後を絶たないぐらいには個体数が豊富なのだから。トゲトゲボーが生み出す『資源』はそれを成し遂げるほどに膨大なのである。
十回に一回しか狩りに成功しないという事は、十回獲物を見付ければ一回ぐらいは成功するのだ。捕食者にとって重要なのは、確実に獲物を仕留める事ではない。餓死する前に、次の獲物を手に入れる事である。どれだけ成功率が低くとも、死ぬ前にお腹を満たさればそれでなんら問題はない。
そして今回シェフィル達は高々数時間の狩りで四回も大物に遭遇した。もう数時間も探し回れば、確率的には一体ぐらい仕留められるだろう。十数時間で一体、自分より一回り小さな生き物の肉が手に入るのだ。生きていくには十分な量である。この星の環境に『完璧』な適応をしているとは言い難いシェフィル達であっても、狩りで消費するエネルギーよりも食事で得られるエネルギーの方がちゃんと多い。
しかし空振りに終わった時の虚無感や不安は、この採算には含まれていない。これらの感情に合理的な意味はないが、人間の心はそこに意味を見出しがちである。例えシェフィルであっても、だ。
「……イチャイチャ時間が途切れ途切れになるのは難だけど、やっぱり小型種をご飯にする方が良くない?」
アイシャが提案した、安定したやり方を選びたくなる気持ちはシェフィルにも理解出来る。
加えて、大きな生き物と戦うのは反撃を受けるリスクもある。狩りで狙う獲物は基本的に大人しい種であり、攻撃的な身体の構造 ― 鋭い牙や爪など ― を持っていない事が多い。しかし大きな身体はそれだけで武器であり、自衛用の棘や攻撃手段を持つ事もある。今回狙ったオオトゲイモだって、あの跳躍で体当たりをしてくれば十分大怪我に繋がるだろう。相手によっては、反撃が致命傷に至る可能性も否定出来ない。
小型種相手なら『万が一』を想定する必要はない。何時命を失うか分からない自然界で暮らすなら、よりリスクの低い方を選ぶのが合理的だ。得られるメリットが大して変わらないなら尚更である。
ただ……
「……今の時期だと小型種集めにも、リスクはありますけどね」
「リスクって、効率の事? それはもう仕方ないじゃない。全ての問題が解決する万能策なんてないでしょ」
シェフィルがぽつりと一人ごちると、アイシャはそう反論してくる。
そういう意味ではない。リスクとは、命の危険があるという意味だ。そしてこのリスクは、決して大物狩りと比べて小さいとは言い切れない。
けれども言葉で説明しても、アイシャは納得しないかも知れない。今のアイシャなら反発するという事はないだろうが、ちゃんとは理解しない可能性がある。
それは今後、この星で生きていく上でよくない理解の仕方だ。
「ま、良いでしょう。今回は小型種でお腹をいっぱいにするとしますか」
「ええ。近場で済むのは楽で良いわねー」
能天気なアイシャの、楽観的な言葉。
シェフィルは敢えて何も言わず、トゲトゲボーを掻き分けながら二人の家へと帰るのだった。
……………
………
…
小型種狩りに費やした時間は、凡そ三時間。
大物狩りのため歩き回ったのと大差ない時間を費やし、小さな虫達を山盛りになるまで集める事が出来た。一見して十分な成果であるが、よくよく見れば問題も多い。
トゲトゲボーで作った自宅の前に座り込みながら、虫の山を見下ろすアイシャも気付いたのか。眉間に皺が出来ていた。
「……なんか、前よりも虫の大きさが小さくない? 原種返りが現れる前ぐらいは、もっと大きかったと思うけど。アカタマも見付けたけど、前に見たやつと比べて半分ぐらいの小ささだし」
トゲトゲボーで作った籠(柔らかな種を徹底的に潰し、取り出した繊維で編んだ)の中を蠢く小型種達。どれも体長数ミリ程度しかなく、五センチを超えるような『大物』は殆どいない。
アイシャが小さいと思うのも致し方ない状態だ。そしてこれが単なる勘違いや偶々ではない事を、シェフィルは長年の経験から知っていた。
「ええ。夏になると小型種は大きさが一回り以上小さくなるんですよ。勿論例外はいますけど、殆どがそうなりますね」
「あ、そうなんだ。でもなんで? トゲドゲボーが大きく伸びて、餌が豊富になったら身体を大きくした方が得じゃない? 天敵に襲われ難くなるし、ライバルも蹴散らせるし」
「身体を大きくしたら、その分成長に時間が掛かるじゃないですか。小さくなってより早く成熟し、子孫を多く残す方が合理的です」
惑星シェフィルの生物は、個体の生存を重視しない。『自分の遺伝子を繋ぐ』ではなく『自分の遺伝子を増やす』のが行動の指針だ。
小さくなれば天敵に食べられる数も多くなるが、それ以上に世代交代を早められればより多くの子孫を残せる。個々の死はどうでもよく、遺伝子を増やす事だけを追求していく。無論大きくなる事にも利点があり、その利点(より多くの子孫を残せる)が小型化より多ければ、大きくなるよう進化するだろう。結局のところ生き方次第なのだが、惑星シェフィルの環境・生態系では小型化の方が有利な事が多い。
そしてこの小型化が、人間にとって厄介な事態を引き起こす。
「……あと、その、言い難いんだけど」
「あー、分かってます。種類がパッと見で選別出来なくて、手当り次第に捕まえましたね? 私も同じですから安心してください」
不安そうにしていたアイシャの言葉を遮り、シェフィルはあっけらかんと答える。一瞬安堵したのかアイシャは花咲くように笑ったが、すぐに全然笑えないと気付いて顔を顰めた。
小さな生き物は分類が難しい。
大きな生き物であれば、見分けは付けやすい。例えば足の付根に棘があるだとか、背中を覆う甲殻の縁が反り返っているとか、口器の大きさだとか。様々な違いをハッキリと視認可能だからだ。
しかし小さな生き物だとこれが難しい。体長一センチの生物を観察した時、足先に幾つ爪があるのか、腹部体節が幾つあるか、胸部と頭部の境目にくびれがあるか、模様がどんなものか……人間の視力でこれらの特徴を把握するのは困難だ。おまけに手放しならシャカシャカと動き回り、摘めば指が邪魔で全体像が見えない有り様。一匹一匹、じっくり観察する事すら満足に出来ない。
これで種類が数十種ぐらいならまだ良い。だが母曰く、夏を迎えたこの地域に生息する体長二センチ以下の種は、ざっと十五万種いるという。夏になる前と比べて、多様性は数倍に膨れ上がっている。ここまで種類が多いと外見だけでは全く区別の付かない種というのも珍しくない。実際、そういう種を分類する時は生殖器など、体内構造を比較する必要がある。それを『一目』で識別出来るのは、電磁波から相手の体内まで透視出来る母の一族ぐらいなものだろう。ついでに言うと頻繁に新種が現れるので、未知の種が混じる事も割とあり得る。
そしてなんだか分からない種を食べる訳にはいかない。その生物自体が有毒の可能性もあるし、食べているものが猛毒かも知れない。迂闊に口にすれば命を落としかねないのだ。
「今回は私が選別します。アイシャは私が選んだものを見て、どれが食べられるか覚えてください」
「うん、分かった」
アイシャが集めた分の小型種を籠ごと受け取り、目の前に置くシェフィル。
籠の中で蠢く生き物は、芋虫やらなんやらと様々。同じような見た目をしているものも少なくない。
面倒臭くて、一纏めにしたくなるが……一匹ずつ捕まえ、目の前に持ってくる。暴れる生き物は適度に潰し、観察出来るよう落ち着かせてからじっと見る。
「これは食べられない。これも多分駄目。これとこれは食べられますね」
種を特定したら、食べられないものを外に捨てていく。アイシャが「勿体ない……」と言いたげな目で見ていたが、構わず除去していった。
気持ちは分からないでもない。大物狩りのような命の危険はなかったが、それでも三時間ぐらい探していたのだ。苦労して得た成果が次々捨てられていくのを、気分良く見ろというのは無理な話である。
しかしこれは二つの意味で仕方ない。
まず、シェフィルは『怪しい』と思った時点で捨てている。生物は形態により分類出来るが、その形態には個体差がある。
例えば有毒種よりも触角が短い無毒種がいたとしよう。では、触角が短ければ安全と断言出来るか? 答えは否だ。ちょっと触角の短い有毒種もいるかも知れないし、怪我などで触角が欠損している事もある。形態的特徴はあくまでも指標でしかなく、多様性があるからこそどちらか分からない個体は必ずいる。
だから安全だと断然出来ない個体は、問答無用で捨てている。「これぐらい平気だろう」という油断は、有毒種を口にする可能性を上げる危険行為だ。ここに妥協は許されない。
もう一つの理由は、そもそも小型種は有毒な種が多い事。小さな生き物には天敵が多く、尚且つ体格差=戦闘能力の差も大きい。逃げたところで無駄に終わる事が多いため、毒を溜め込んで食べられない状態になる方が効果的に身を守れるのだ。夏を迎え、天敵が増えれば尚更毒は有効な防御手段となる。故に見境なく捕まえても、その大部分は食べられない有毒種になってしまう。
更に小型種は、単純な有毒無毒だけで食用の判断をしてはならない。
例えば甲殻や繊維ばかりで、消化可能な組織を殆ど持たない種。これらは食べたところで死にはしないが、栄養にもならない。だが食べれば消化液を分泌するのでエネルギーを使う。つまり食べれば食べるほど、エネルギーを失うのだ。だからそういった種も、食べられないものとして除外しなければならない。
この二つの理由から、小型種の選別はかなり真剣にやらねばならない。観察のため感覚器をフル稼働させるので、エネルギーも少なからず消費する。
そして厳正確実にやるからこそ、大部分のものは食べられないと判定せざるを得ない。
「ふぅー……残ったのはこれだけですねー」
山盛りになっていた小型種のうち、八割以上をシェフィルは捨てる事となった。残ったものを二人で分けたら、片手に乗るだけの量しかない。
「……これだけ……」
「これじゃあ、お腹は満たせませんね。あ、料理します?」
「……流石に、小さ過ぎて無理よ。すり潰して肉団子にするにしても、個々の味が分からないから美味しくなる保証は出来ないわ。というかマゼマゼみたいな奴が生まれそうだから嫌」
「だと思いました。とりあえずこれを食べて休んだら、また捕まえに行きませんとね。今回と同じぐらいの量を」
調理により美味しく、そして食べやすく出来ないなら、不味くても量を取るしかない。だが量を捕まえたところで、やはり八割ぐらいは食べられない。
この方法でも、シェフィル達は生きていける。確実性という意味では大物狩りより上なのも間違いない。
だが全く余裕がない。延々と食べ物探し、選別し、嫌々ながら食べたら少し休んですぐに食べ物を探す……ずっとこれを繰り返す。アイシャを愛する云々以前に、交尾する余裕すらあんまりない。
夏を迎える前までであれば、小型種を狩るのは良いやり方だった。だが今やそんな時期ではない。生態系の状況が変わり、最善の生存戦略が変化した事で、シェフィル達も適応を強いられる。
夏を迎えたこの地で人間が快適に行きていくには、多少取り逃がすリスクがあっても大物を狙うしかないのだ。
「とりあえず、これ食べたらまた大物探しに行くとしましょうか」
「うん……うげぇ、まっず」
食べられるとシェフィルが判定した生き物(体長一センチほどの多脚甲殻生物)を口に運び、顔を顰めながらアイシャは味の感想を言う。
シェフィルも摘んで、味見のため一匹だけ食べる。それはノボリウゾという、トゲトゲボーの上を這いずり回るウゾウゾに似た外見の生物。体長一センチほどで、如何にも蛆虫のような姿だが……噛めばじゃりじゃりと砂を噛むような歯応えで、しかも舌に何かが突き刺さる。
噛んだ際の圧力に反応し、体組織がガラス化する性質があるのだ。食べられない事はなく、身体も小さいのでそこまで被害も大きくないが、普通に口中が痛くなる。消化不良も引き起こし、栄養価は食べないよりはマシ程度。そして味は激烈に苦い。舌が焼けるような感覚に陥るほどだ。ついでに体液に含まれる揮発性成分はアンモニアと似た(だけど数十倍は強烈な)刺激臭を持つ。飲み込んだ後も胃から上ってきて、何十分も鼻を突き刺す。
こんなノボリウゾさえ、『美味しさ』で順位付けをすればマシな方なのが今の時期の小型種。食料が豊富故に苛烈となっている生存競争を生き抜く、強く逞しい種の力と言うべきか。
「……………」
「……………」
もぐもぐじょりじょりじゃりじゃり。
シェフィルもアイシャも無言で小型種を摘み、食べていく。アイシャが料理で食材を美味しく調理してくれるようになってから、久方振りに味わう激烈に不味い食べ物だ。アイシャが意気消沈してしまうのも仕方ない。
むしろギャーギャー文句を言わない事を、アイシャがこの星の環境に適応した証として喜ぶべきか。少し前までのアイシャなら、一口食べる度に悶えただろう。だが今は淡々と、僅かに手の動きは鈍いが食べている。
着実に、アイシャは成長している。
「(そういう意味では、私は成長どころか退行してますね)」
対する自分はどうかと自問し、シェフィルは自嘲する。
アイシャとのお喋りがなくて、食欲が全然湧かないのだ。
食べなければ体力を使う大物狩りに行けない。大物狩りをしなければアイシャと愛し合えない。だったらさっさと食べてエネルギーを回復させるべき。
愛し合う事自体が合理的かはさておき、やるべき事はハッキリしている。なのにそのために必要な行動が、気分的の問題で中々進行しない。これが非合理でなければなんだというのか。
アイシャがかつての自分に近付いていくのと同じように、自分はかつてのアイシャに近付いている。
……それを問題どころか嬉しく思うのだから、手の施しようがないとシェフィルは思う。気持ちを切り替え、パクパクと不味い小型種を食べていく。尤も、それでもふつふつとアイシャへの想いが昂ぶり、ちらりと視線を向けてしまう。
アイシャは今日も可愛い顔をしていた。
していたが、もう一つの変化にも気付く。妙に真剣な表情を浮かべているのだ。確かに物凄く不味いので笑顔にはならないだろうが、真剣な顔で食べるほど現状は切羽詰まっている訳でもない。
アイシャは何を考えているのだろう? 考えてみるシェフィルだが、さっぱり分からない。
想いが通じ合っているから心も通じている、なんて幻想を抱くほどシェフィルは愛を神聖視していない。考えたところで分からないのだから、食べ終わってもまだアイシャの様子が変なら聞いてみよう。そう思いながら、シェフィルは数匹の小型種を纏めて口の中へと放り込む。
今までの数倍はある不味さに眉を顰めてから、ごくんとそれを飲み干した。