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凍結惑星シェフィル  作者: 彼岸花
第七章 穏やかな日々
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穏やかな日々01

 惑星シェフィル。

 全てが凍り付く星であり、野生が支配する世界。他の星の生物では生存すら儘ならない環境で、多種多様な生物が苛烈な生存競争を繰り広げている。そこに秩序は存在せず、あらゆる手段を用いて生命は生き残ろうとしていた。

 そして生存競争の勝者は、自らの遺伝子を増やす。

 増やす事に目的などない。「増えよう」とする遺伝子の方が、「増えたくない」遺伝子よりも数を増やせるから増えただけ。この星の生物が繁殖を最優先行動目標としているのも、そうした個体が多くの遺伝子を残せたからに過ぎない。あくまでも必然の結果であるが、故にこの星に生息する、特異な突然変異体を除いた全ての生物が持つ本能でもある。

 当然、母から遺伝子を受け継いだシェフィルもこの本能は備えている。それ自体は否定しないし、否定するものではないとシェフィルは思う。美味しそうな食べ物を見た時に感じた空腹を、隠す必要がないのと同じだ。

 けれども今シェフィルがアイシャを抱き締めているのは、そんな本能よりも、胸の奥底から止め処なく湧き出す愛しさが理由だった。


「アイシャ……アイシャぁ……」


 何度も何度も、愛しい人の名前を呼ぶ。

 シェフィルが抱いているアイシャは今、裸だ。顔だけでなく全身が赤らんでいる。真空故に掻いた汗はみんな揮発してしまったが、大気中なら今頃彼女の身体は頭から指先までしっとりと湿っていただろう。口をパクパクと動かし、呼吸を荒くしていた。

 大気がないのに呼吸を荒くしているのは、疲労状態に陥った時に人間が行う本能的行動だ。体力がすっかりなくなっているのか、喘ぐばかりであるが……潤んだ瞳と涎を垂らす口許が淫靡な魅力を放つ。

 尤も、涎塗れと全身が赤らんでいるのはシェフィルも同じだ。何分つい先程まで『繁殖行動』の真っただ中だったので。直径三メートルしかない、トゲトゲボーを組んで作った狭い『家』の中で随分()()()()()ものだと思えるぐらいには、今のシェフィルは理性が戻っている。

 しかしそれでもアイシャを抱き締め、優しく背中を撫でてしまう。これだけ触れ合っても、まだまだ求め足りない。

 合理的に考えれば、何もかもが無駄な行いだろう。実際、多くの生物種が繁殖行動後すぐに相手から離れる。次の繁殖のためにエネルギーを補充する必要があるし、交尾などで『物音』を聞き付けた天敵が集まる可能性も無視出来ない。

 何より一度交尾した相手と一緒にいても、新しい子孫は作れない。もう子孫は作り、後は卵なり子供なりを生むだけなのだから相手にコストを投じても無駄。その全てを次世代に費す方が合理的である。

 人間が一回の『交尾』で妊娠するとは限らないタイプの生き物である事を考慮しても、そう頻繁にする必要はない。無駄な交尾はエネルギーの浪費でしかなく、生存上の不利益だ。ましてや事が済んだ後、ただただ相手と抱き合うなんて非合理の極み。

 けれどもシェフィルにはこれらの行為が止められない。愛が、愛しさが、止められない。

 プリキュ達を打ち破ってからずっと、時間を忘れて、愛しい人を求めてしまう。


「シェフィルぅ……んん……んはぁ……」


 アイシャの方もシェフィルを求めてくる。熱い吐息を掛けながら、物欲しげな眼差しを向けてきた。

 こんなに疲れているのに、それでも愛してほしいのか。互いに愛を打ち明けてから、どんどんアイシャが可愛くなっているとシェフィルは感じてしまう。本当に可愛くなっているのか、自分がアイシャに魅了されているだけなのか……そんなのはどうでも良い。

 溢れ出す愛は止められない本能に変わり、再びアイシャを欲する。

 また繁殖したい。愛を伝えたい。本能が呼び起こされたシェフィルは、衝動のままアイシャの首筋にキスをする。優しいものではなく、吸い付き、貪るように獰猛なもの。


「んっ、はあぁ」


 アイシャの『答え』は艶やかな喘ぎ声。

 拒んでこない。むしろ誘うように身体をくねらせ、シェフィルに擦り寄る。それは彼女もシェフィルを求めているという事。この愛を抑える必要はない。本能のままシェフィルはアイシャとまた交わろうとした

 直後、お腹からぐうぅ〜と音が鳴り響く。

 ……空腹を知らせる腹の音だ。音を聞いてから、シェフィルは自分が腹ペコになっていると気付く。

 腹が減るのは必然だ。何しろ今、シェフィルが『雄役』をしているのだから。

 この星の生物は基本的に雌雄同体で、普通に繁殖すればどちらも受精してどちらも子供(大抵は卵)を生む。そうすれば自分だけ、または相手だけ子を生むより、単純に自分の遺伝子を二倍に増やせて『得』だ。雌雄を分けた方が効率的(各々の役割に適した形態になれる)だが生存競争が激しい、つまり長期間生き残る可能性が低いこの星では、短期的に多くの子孫を残す方が適応的なのである。

 シェフィルとアイシャもやろうと思えば二人とも妊娠可能である。しかしアイシャ曰く、人間の出産と子育てはとても負担が大きいらしい。経験を積んだなら兎も角、いきなり二人もの子供を育てるのはかなり大変だとか。また、アイシャとしては「女子の役」がやりたいらしい。

 そうした様々な事情を勘案し、今回はアイシャだけが雌役をすると話し合って決めた。ちなみに雌雄の切替は『気分』で可能だ。

 ともあれ雄役となったシェフィルの役割は、自身の遺伝情報を雌役であるアイシャに送り込む事。遺伝情報を含んだ『配偶子』の生成にはそれなりの(子を腹の中で育てるよりは安いとはいえ)コストが必要である。一回だけなら大した消費ではないが、今のシェフィルのように何回も何十回もしたら……当然消費するエネルギーは増大していく。

 腹が減るほど愛した、と言うとシェフィル的にはちょっと誇らしいが、それはそれとして空腹は死活問題だ。消費した分のエネルギーを補給しなければ、何時かは干からびてしまう。


「あのー、アイシャ。ちょっとお腹が空きましたので、食事にしたいのですが」


「えぇー……あんなキスして、その気にさせた癖にぃ」


 一旦中断する事を申し訳なく思いながら伝えると、アイシャは甘えながら続きを求めてくる。艶やかに媚びる声、潤んだ瞳、皮膚から発する情熱的な体温が、シェフィルの中の繁殖本能を呼び起こす。

 正直、今の空腹なんて後回しにしてアイシャを愛したい。

 愛したいが、どうにか理性(と「さっきしたんだからもうやらんで良い」と主張する本能)でその気持ちを抑え込む。長くたくさん愛するために、短期的な愛は我慢するのが『合理的』だ。

 それでもアイシャが真剣に求めてきたら、合理的判断なんてかなぐり捨てていただろう。しかし今のアイシャは半笑いだ。なら、半分ぐらい冗談の筈である。或いはさっさと腹を満たし、たっぷり自分を愛せと言いたいのか。

 半ば自分の願望を混じっている事は、シェフィル自身も自覚している。だがそこまでアイシャとの気持ちに差もないだろうという想いもある。さっさと腹ごしらえをして、思う存分アイシャに愛を注ぎたい。

 幸いにして食べ物は家の中にある。この前倒したプリキュの肉だ。仕留めたのは一体だけとはいえ、二メートルもの巨躯から得られた肉や骨は大量にある。ここ最近ずっと家に引きこもり、ずっとアイシャを愛していられたのもこの肉のお陰だ。襲われた時には恨みしかなかったが、今となっては感謝しなくもない――――


「……ん?」


 等と考えながら家の中を漁っていたシェフィルであるが、その手がぴたりと止まる。

 ない。

 探しているのに、肉が何処にも見当たらない。

 プリキュは体長二メートルもの大型生物。引き締まった身体はそれなりに高密度の肉で形成されており、体重はざっと百キロ以上ある。硬い不味いを考慮しなければプリキュの身体に食べられない部位はないので、百キロ以上の肉と換算して良い。

 確かに自分達はよく食べる。身体能力が高く、星のエネルギー吸収によって凍え死なないよう活発な代謝をしているからだ。それにウゾウゾなど小さな生物があちこち、頻繁に齧っていく。だから存外すぐになくなるとは思っていた。

 だがそれでも数日分はあった筈。なのにどうして何処にもプリキュの肉がないのか。

 ……シェフィルは合理的なので、すぐに理解する。

 数日分の肉がないのは、既に数日が経過しているから。そう考えるのが最も妥当だろう。つまりシェフィル達は数日間、延々と愛を語らいながら交尾し続けていたのだ。しかも数日経った事に今まで気付かないほど夢中になって。

 いくらなんでも夢中になり過ぎではないか。呆れ果てたところで過ぎ去った時間と、食べた肉及び消費カロリーは戻ってこない。

 思考を切り替え、現実の問題と向き合う。


「……あのー……アイシャ、ちょっと問題が起きました」


「んー? なぁに?」


 純粋な、それでいて蕩けた声で、アイシャが訊き返す。潤んだ瞳と赤らんだ顔色が、シェフィルを欲情させる。

 なんかもう、難しい事は後回しにしてこのままもう一度アイシャと交尾しちゃおうかなー……という堕落的思考も過ぎるが、空腹(本能)からストップが掛かる。アイシャが欲しくて堪らない『理性』を、生命の危機という名の合理性が抑え込む。

 はぁ、とため息を一つ吐く。それから改めて、シェフィルはアイシャと向き合う。


「……もう食べ物がありません」


「……はい?」


「ないです。欠片一つも」


「え? え?」


 本当の事を伝えると、色っぽさは何処へやら。アイシャは呆けた表情を浮かべながら、先程までのシェフィルと同じく辺りを見回す。

 それで肉片の一つでも見付かればまだ良かったが、やはりアイシャにも食べ物は発見出来ず。


「え、待って。私ら一体どれだけ、その、繁殖行動してたの?」


「……私も時間の計測を忘れていたので分かりませんが、百時間以上は確実かと」


「中学生バカップルでもそこまで盛らないわよ!?」


 チューガクセイなるものがどんなものか分からないシェフィルであるが、愕然とするアイシャの顔を見れば、どうやら普通の人間的にもかなりよろしくない事らしい。

 野生生物としても好ましくない。食べ物の事を忘れて繁殖したら、飢餓により死んでしまう可能性が高まる。繁殖行動は子孫を作るために必要な事であり、惑星シェフィルの生物的には次世代が生まれるなら死んでも問題はないが……人間は生まれた子を育てる生物だ。生んだ後もしばし『繁殖行動』は続くため、考えなしに繁殖して死ぬのは好ましくない。

 おまけに自分達が見舞われている問題は、食べ物だけではない。


「そんな訳で一旦食べ物探しをしたいのですが……」


「そ、そうね。うん、食べ物を探しましょ。流石にそのぐらいの分別はあるわよ、まだ」


 最後に付け加えた言葉に不安を醸しつつ、アイシャは家から出ようとする。食べ物は家の外に広がる世界、自然界にしかないのだから当然だ。

 しかしアイシャは、立ち上がろうとした動きでぴたりと止まる。次いで、ギギギと音が聞こえそうな鈍い動きでシェフィルの方を見遣る。

 アイシャが何に動じているのか、シェフィルはとうに把握している。シェフィルとしてもちょっと戸惑ったが、数十時間もあればそうなっていても仕方ない。

 何分、今シェフィル達が暮らす家の建材ことトゲトゲボーは、まだ生きているのだから。


「……家の材料であるトゲドゲボーが成長繁殖して、出口が塞がりました」


「……どうやって、外に出るの?」


「そりゃまぁ、家を壊していくしかありませんね。もう出口と壁も見分けが付きませんし、何処でも良いかと」


 「ひょえ〜」と可愛らしさと情けなさたっぷりの呻きを漏らしながら、アイシャは素手で家の壁ことトゲドゲボーを掴み、へし折る。

 勿論トゲドゲボーは棘だらけなので掴んだ手は穴だらけになり、アイシャは少し痛がるように顔を顰めていた。しかしそれだけ。痛がっていても仕方ないとばかりに、動きを止める事もしない。

 迷いない手付き。この星に来たばかりの頃のアイシャなら、きっと触れてすぐに手放していただろう。成長したと言うべきか、繁殖行動を経て『母親』らしい頼もしさが本能的に出てきたのか。どちらにしても、逞しくなったものだとシェフィルは感心する。

 その逞しいアイシャと愛を育むためにも、頑張って獲物を捕まえなければ。

 未だシェフィルの中にはアイシャを愛し足りない気持ちがあるものの、それを上手く狩りへの意欲に昇華する。やる気十分。大きな獲物を仕留めてやると意気込む。

 尤も、それが簡単に出来るほど惑星シェフィルの生態系は甘くない事を、シェフィルは嫌というほど知っているのだが……

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