凍える星の姫君08
「いいぃぃぃぃやあああああっ! そんなの食べるとか無理無理無理無理ぃ!」
倒れていたアイシャはむくりと起き上がると、半狂乱の悲鳴を上げた。
船が跡形もなかった時よりも大きな声に、「そこまで嫌ですかね?」とシェフィルは思う。母も興味深そうに観察していて、アイシャの反応を予想外と思っているのだろう。
実際シェフィルとしても予想外だった。
どうしてアイシャはウゾウゾ――――大きな蛆虫を見た途端に倒れ、こうも拒絶感を露わにするのか。大きさや見た目からして、危険でもなんでもないというのに。
「何が無理なんです? これなら簡単に取れますし、量も集められますよ? 味だって今の時期ならマシな部類ですし」
「美味しい美味しくないの問題じゃないの! 虫じゃない! 蛆虫! 食べ物じゃない!」
「食べられますよ? ほら」
シェフィルは自分の捕まえたウゾウゾを、がぶりと噛む。
ウゾウゾの皮は薄い。歯を立てれば簡単に破れ、液状の体組織が吹き出すように溢れる。口いっぱいにどろどろとしたものが充満した。
皮越しに見える白い体組織は、独特な苦味を持つ。臭いも苦々しく、舌触りはぬらぬらとした粘液的質感。正直不味いとは思うが……他の獲物と比べれば遥かにマシで、とても食べやすい。今し方述べた通り美味しいとは思えないが、母曰くウゾウゾの身は栄養豊富らしい。幼い頃よくウゾウゾを食べていたシェフィルの身体は、今では身長百五十センチを超えるまで育ったので、確かに栄養は十分あるのだろう。
お腹を空かせたアイシャにとって、ウゾウゾはぴったりの食べ物の筈だ。だというのに何故アイシャは拒絶するのか? シェフィルには理解出来ない。
「ひぇぇええぇぇえぇ……」
何か『誤解』しているとではと思い実際に食べてみたが、何故かアイシャはますます顔を青くする。食欲は完全に失せているようだ。
しかし食欲が失せたからといって、身体のエネルギーが回復した訳ではない。食べなければいずれエネルギーが枯渇、即ち餓死してしまう。
元気な動きからして、アイシャの体力はまだまだ尽きそうにない。それに余裕がある時に食べ物の『選り好み』をするのは、シェフィルだってやる事だ。シェフィルだって出来れば美味しいものを食べたいのである。
されどそれは、いざとなればなんでも食べる事が出来るから言える話。アイシャはそのウゾウゾを拒んでいる。食べた事もないのに、だ。これではただのワガママ。そして選り好みとワガママは別物である。
そもそもにして。
「うーん。ですがアイシャ、あなたに捕まえられる生き物なんて、このウゾウゾぐらいしかいないと思うのですが」
「そ、そんな事ないわよ! 私だって、う、ウサギぐらいの大きさの動物なら、多分捕まえられるし」
「うさぎがどんな生き物かは知りませんけど、本当にあなたに捕まえられるのですか? 走って追い付けるぐらいのろまな生き物なのですか? そーいう生き物って硬かったり、毒があったりすると思うのですが」
シェフィルが率直に訪ねてみると、アイシャは「うぐっ」と一言呻いて押し黙る。どうやらその自信はないらしい。
思っていた通りの反応だ。
これまで見てきたアイシャの動きは、お世辞にも俊敏とは言えない。ハッキリ言って鈍いぐらいだ。身に纏っている宇宙服が重い所為もあるのだろうが、だとしても愚鈍が過ぎる。地面の中にいるウゾウゾぐらいなら捕まえられるだろうが、逆に他の生物の動きを追えるとは到底思えなかった。
加えて、つい先程アイシャはシェフィルを抱き締めてきたが……あまり強い力ではなかった。あんな非力さでは、大きな獲物の首をへし折る事は出来まい。あの弱さでも仕留められる生物は少なくないが、それらは大抵動きが速かったり、或いは毒がある事が多い。捕まえられない、食べられない獲物を仕留められる力になんの意味があるというのか。
他に難なく食べられるのは卵ぐらいなものだが、そんなのは卵を産む側の生物達も分かっている事。大抵の卵は見付かり辛い、または取り難い場所に産み落とされる。強くて危険な成体に守られている場合も少なくない。
アイシャではウゾウゾ以外の生物を狩れるとは思えない。なのにそのウゾウゾを食べないとようでは……
「飢え死にしたいのですか?」
脅すような言葉になってしまったが、起こり得る現実をシェフィルは突き付ける。
厳しい指摘を受けたアイシャは、一瞬大きく仰け反って怯んだ。顔も顰めっ面になる。ところがすぐに何か気付いたように目を見開き、不敵に笑う。
次いで服を弄るように触ると、小さな道具を取り出す。
それは以前、母を攻撃する時に使った武器――――中性子ビームを撃つ道具だった。母に向かって投げ付けた後、何時の間にか拾っていたらしい。
「だ、大丈夫よ! これを使えばどんな動物も倒せるわ!」
「……いや、母さまには効いてませんでしたし、爆発したら食べるところが残らないじゃないですか。そもそもそれ、途中から使えなくなっていましたよね。エネルギー切れで」
「ふふふ。この銃は原子変換炉が備え付けられているから、物質ならなんでも燃料に出来るの。あの時は補充する暇がなかったから切れちゃったけど、今はそこらにある氷で充填済みよ。爆発についても威力を調整すれば、首だけ吹っ飛ばす事が出来るわ。そして……」
「そして?」
「中性子ビームが効かない生物なんて、いる訳ないでしょ! コイツは例外よ例外!」
自信満々に、希望的観測を語るアイシャ。これにはシェフィルも呆けてしまう。
とはいえその言い分にも一理ある。シェフィルも『ちゅーせーしびーむ』なる攻撃の威力は目にしており、あのような一撃を受ければ簡単に死んでしまう。母は難なく耐えたが、アイシャが言うように例外と考えるのが自然だ。
しかも撃ち出した光は速い。母が指摘したように、武器を使う際の動作からなんとなく発射タイミングと射線は予測出来るが……どんな攻撃が来るか分からない初見であれば、当てられる可能性は高いだろう。
確かにこの武器を使えば、大きな獲物も簡単に仕留められそうである。わざわざウゾウゾを集める必要はなさそうだ――――
【いいえ、その方法には欠点があります】
シェフィルがそう考えていたところ、何時の間にかアイシャの後ろにいた母がそう指摘する。次いで母はシェフィルとアイシャが反応する前に、無数に生えている触手の一本を伸ばす。
そして素早く、アイシャが持っていた道具を奪い取ってしまった。アイシャが「あっ」という声を出したのは、道具を奪われて少し間を開けてから。
これだけ反応が鈍いと、その武器を使ってもやっぱり狩りは無理なのでは……とシェフィルが思ったように、アイシャもまた自分の無力さを察したのか。バツが悪そうに顔を顰めていた。
その顰め面が驚きへと変わるのに、然程時間は掛からない。
道具を奪い取った母は、他の触手を地面へとおもむろに突っ込む。すぐに引き上げた触手の先には、ウゾウゾの姿があった。触手を細長く伸ばし、ウゾウゾの身体の後方部分に巻き付いて捕えたのだ。
捕まえたウゾウゾを高く持ち上げた母が次に取った行動は、アイシャから奪い取った道具の先を向け――――中性子ビームを発射する事。
ビームの照射時間はたっぷり数秒。眩いビームの軌跡が、恐らくアイシャにもハッキリと見えているだろう。それがウゾウゾに寸分違わず命中している事も。シェフィルはアイシャが使った時と同じような爆発が起こると思い、咄嗟に掴んだアイシャを自身の背後へと回す。アイシャも恐怖したように身体を強張らせていた。
尤も、何時まで経っても爆発など起きなかったが。
「……あれ? 何も、起きませんね?」
【当然です。我々にはこの中性子ビームのような攻撃を吸収する性質があります。最初にこれを使用した時、そう説明した筈ですが?】
「……………えっ!? 我々って、この星の生き物全部って意味!?」
驚くアイシャに、母は【その通りです】と答える。これにはシェフィルも苦笑い。アイシャと同じ勘違いをしていた。
しかしながらこの手の『勘違い』は、母と一緒に暮らしていれば珍しいものではない。母達の種族が自他の呼び名を区別しない……シェフィルも母達も動物も、全部纏めてシェフィルと呼ぶ以上、会話中に出てきたシェフィルや我々という単語の範囲は、文脈で読むしかないのだ。
加えて母達は、基本的に自分本位の話し方をする。相手がどう考えているのか、誤解する可能性がないかという事をあまり考慮しない。これについては単純にやる気がないだけだが。齟齬なく伝達する必要のある話はとても丁寧に説明する上に、戦闘時の立ち回りなど相手の思考を読む必要がある時には極めて正確な予測を行うので。相手の気持ちを理解する能力はあっても、それを会話の度に使うのは面倒臭いらしい。
そして母達の種族間では、この曖昧な会話で全く問題なく意思疎通が出来ていた。恐らく電磁波の周波数帯などで細かなニュアンスを伝えているとシェフィルは考えている。母達はこの会話方法で問題など感じていないため、どれだけ指摘しても改善される事はない。
これら諸々の事情により、母やその同族達と話をする際は、その言葉の『範囲』は常に意識する必要がある。しかし慣れているシェフィルでもうっかり読み間違う事があるぐらいだ。アイシャが混乱するのも当然だろう。
「嘘でしょ……こんな、デカい虫にすら中性子ビームが効かないなんて……」
【理論上はこの星に生息する全生物種が耐性を持ちます。むしろエネルギー源となり、活力を与える事になるでしょう。実験をするのは自由ですが、私個人の見解を述べるなら危険を冒してまでやる事ではありませんね】
「な、なんなのよこの星ぃ……」
【そういう訳ですから、この道具は不要です】
アイシャが項垂れて意気消沈している横で、母は奪い取った道具を自分の身体に押し付ける。
そうすれば、アイシャが持つ唯一の武器は母の身体の中に取り込まれていく。
アイシャが母の行動に気付いたのは、道具が完全に身体の中に取り込まれた後の事だった。
「……ちょ、ちょおおおっ!? ななな何してんのぉ!?」
【不要な道具を処理しました。私も少々小腹が空いていたので、都合が良いかと】
「良くない! わ、私の武器を勝手に……!」
「まぁまぁ、落ち着いてくださいアイシャ。誰にも効かない武器なんて、邪魔なだけじゃないですか」
「それは! ……そうかも、だけど……」
シェフィルに宥められ、アイシャは段々と言葉の勢いを失わせていく。
実際、母の行動はアイシャにとってプラスに働くだろう。どうにもアイシャはあの道具に強い信頼を置いていた。母曰く中性子ビームが通じる生物はいないのに、いざ危険を前にしたらあの道具に頼りそうである。
そんな無駄な行動をしてしまうぐらいなら、さっさと捨てて身軽にした方が良い。余計な行動というのは、それだけで生存率を大きく下げるのだ。
……決して、母はアイシャの身を案じて道具を食べてしまった訳ではないだろうが。本当に不要だと判断し、自分の小腹が空いていたから食べただけに違いない。しかし結果的にアイシャのためになるのだから、シェフィルは母の内心にあれこれ言うつもりはない。
むしろこれはチャンスだ。
「はい、という訳でウゾウゾを食べましょうか」
アイシャが嫌がっていたウゾウゾを、シェフィルは改めて突き出す。
今度のアイシャは、少なくとも拒否はしてこない。頼っていた道具が役立たずと判明し、いよいよこれ以外に食べられるものがないと察したのだろう。
恐る恐る、アイシャはシェフィルの食べかけウゾウゾに手を伸ばす。
アイシャが掴むと、噛み跡の断面からぶちゅりと中身が溢れ出す。「うひぃ」と悲鳴を上げてアイシャは跳び退くものの、目は逸らさない。アイシャなりの覚悟はちゃんと決めているようだ。
アイシャは再び近付き、改めてウゾウゾを掴む。今度はしっかりと、ウゾウゾが蠢いても離さない。シェフィルが手放し、アイシャはゆっくりそれを手許に引き寄せる。液状の体組織は大分流れ出したが、ウゾウゾはまだ生きているため、全身をうぞうぞと ― シェフィルがそう名付けた由来通りに ― 蠢かす。その様相にアイシャは全身を凍り付かせた。
それでも身体は正直だ。再び腹の音を鳴らし、食べられるものを取り敢えず入れろ、と理性に指示を出す。
「ええい、ままよ!」
そう叫びながら、ついにアイシャはウゾウゾを口にした。
勿論その方法は齧り付いて、ではない。アイシャの身体は今、頭から足先まで金属の服に覆われている状態だ。顔も透明な被り物で覆われていて、これでは食べる事など出来ない。
一体どうするつもりなのかとシェフィルが観察していると、アイシャの服の一部、腕のところに五センチほどの蓋があったようで、そこがパカリと開いた。アイシャはウゾウゾの肉(と呼べるほど固くないが。半固形といったところだ)を指で摘んで毟り取り、服に開いた穴へと放り込む。
入れられた体組織は中でどうなっているのか? シェフィルが抱いた疑問に答えるように、アイシャの顔を覆う被り物の内側に、小さな『腕』が現れた。金属で出来た、太さ一センチほどの小さな腕。その先端に先程腕から放り込んだどろっとしたものが摘まれている。
アイシャは呼吸を整え、目に覚悟を滲ませる。そして勢いよく口を開けると、金属の腕はアイシャの口内にウゾウゾ肉を入れた。
「ん、んんんぅぅ〜……!」
きゅっと目を瞑り、顔を青くしながら噛むアイシャ。嫌悪感がありありと表情に現れていた。
そして噛んだ瞬間、ぐぶっ、と頬を膨らませる。
ぱんぱんに頬を膨らませながら右往左往。目には涙まで浮かんでいた。しばらく藻掻き苦しみながら、どうにかこうにかごくりと飲み干し……ぶはぁ、と息を吐き出す。
「まっ……………ずぅ!」
そして思いっきり溜め込んだ言葉を、力強く発した。
「なん、なのよこれぇ!? 苦いし渋いし臭いし! というか飲み込んだ今でも舌に味がこびり付いて離れない! どうにか飲み込めたけど、危うく吐き出すところだったわよ!?」
「そんなに不味いですか? 私的にはそこまでではないのですが……好みの違いですかね?」
「好みの問題じゃないわよ! 全人類共通で不味いと太鼓判押すレベルで不味いわよ!」
真顔で叫びまくるアイシャ。その姿にふざけている様子はなく、本当に心から不味いと思っているらしい。
どうしてそんなに不味く感じるのだろうか? シェフィルが抱いた疑問は、母が答えを教えてくれた。
【恐らく、そう感じるのには二つの理由があります】
「二つの理由、ですか?」
【はい。一つは我々がそう進化してきたからです。食味のよい個体より、悪い個体の方が天敵に食べられ難くなります。ですので、より食べられ難い形質へと進化しました。ウゾウゾの場合だと味覚刺激性タンパク質を多く含んでいるため、非常に不快な味を感じる筈です。尤も、我々は数値で判定しているので、人間とは異なる感じ方をしているのですが】
「げほっ! げほっ! だ、だからって、こんな、不味く、なるなんて……!」
【もう一つの理由は、あなた達人間が美味しいものに慣れているからです。墜落した船の情報から察するに、あなた達人間は日常的に美味しいものを食べています。要するに舌が肥えているので、不味さへの刺激に過剰な反応しているのでしょう】
「なるほど〜。要するにアイシャの舌はワガママさんなのですね!」
「否定は、しないけど……なんか半分こっちの過失みたいに言われるのは著しく癪なんだけど……!」
母の説明に対し、アイシャは極めて不服そうに反論する。納得出来ない、というより本当に『癪』だから反発しているようだった。
「うう……正直もう二度と口にしたくない……というか食欲が全っ然湧かない……もう少しマシなやつはないの……?」
【シェフィルも言っていましたが、この種の味こそが比較的マシな部類のものです。大半のものはこれより不味い、というより刺激物や劇物に近い成分を含みます。私やシェフィルは問題なく食べられますが、あなたには飲み込む以前に、口に含む事自体が危険でしょう】
「そんなぁ……」
しかしいくら癪でも、美味しい食べ物は湧いてこない。母からバッサリと否定され、アイシャは力なく項垂れた。
無論どれだけ項垂れようとも現実は変わらない。
だが目にした者――――シェフィルの気持ちは少し変わる。あんなにへこたれた姿を見ると、何かしてあげたいと思えたのだ。負傷などで弱っている生き物に対し抱いた事のあるこの感情は、確か『同情』だったか。
「美味しいものも、あるにはあるんですけどねぇ」
その同情心から、そんな言葉が漏れ出してしまった。
「えっ。美味しいもの、あるの?」
【……あるにはありますね。捕獲は推奨しかねますが】
「ええ、まぁ、そうですね。捕まえに行く気はないです」
「えぇー、何よそれぇ。なんで駄目なのかぐらい教えなさいよ」
母はシェフィルの言いたい事を察し、やんわりと戒める。シェフィルも迂闊な発言だったと思い、自分の意見を撤回するが、アイシャは納得してくれない。
流石にこれは、期待させるような事を言った自分が悪いだろう。シェフィル自身そう思うので、自分からアイシャに説明を行う。
「簡単な話です。そもそも何故この星の生き物が美味しくないのかと言えば、天敵から狙われないためです。ですから……」
その説明も、途中で言葉を止めてしまったが。
話を聞いていたアイシャはこてんと首を傾げる。話の続きを待っているのだろう。だがシェフィルはこの先を言うつもりなんてない。
今は、それどころではないのだから。
「……母さま」
【ええ。います。気を付けなさい】
「え? いるって何が?」
アイシャは、キョロキョロと辺りを見回す。しかし視界内に広がるのは、地平線まで続く広大な雪景色のみ。ウゾウゾのような小動物の姿すら見当たらない。
シェフィルの目にもそう映っている。だからこそ警戒しなければならない。
肌でぞわぞわと感じる『気配』は、すぐそこにあるのだから――――