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凍結惑星シェフィル  作者: 彼岸花
第六章 恋する乙女達

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恋する乙女達08

 果たして、どれぐらいの時間逃げ回っただろうか。

 数十分は走り、数時間歩いていたとアイシャは思っている。けれども、ひょっとすると怪物に追われているという恐怖心が生み出した錯覚かも知れない。時計も恒星もないこの星で、正確な時間を知る術はない。

 なんにせよ逃げ続けたアイシャは体力の限界を迎えていた。アイシャの手を引くシェフィルも、体力をかなり消耗しているのだろう。走る際のフォームが、何時もより不安的になっているようだとアイシャは感じた。このまま走り続けても、徒歩より少し速い程度の速さしか出せないだろう。


「ふぅ……! はぁ……アイシャ、一旦此処で休みましょう」


「う、うん、分かった……」


 シェフィルからの提案を、疲れたアイシャが否定する訳もなく。

 倒れ込むようにシェフィルは膝を付き、アイシャもまた倒れた。

 無数のトゲトゲボーが、今もアイシャ達の周りには茂っている。倒れた瞬間、トゲトゲボーの棘が身体を撫でて幾つも切り傷を刻んだが、疲れ切った今のアイシャは気にもしない。なんとも風情のない棘だらけの景色であるが、小さな虫の気配を無数に感じられた。少なくともあの恐ろしい怪物は近くにいない証……だとアイシャは思いたい。

 なんにせよ今は疲労回復が最優先だと、アイシャは全身から力を抜いた。シェフィルも体力と失った片手の回復に集中しているのか、しばらくは話どころかアイシャの顔も見ない。ただただ力を抜き、全力で余計なエネルギーを使わないようにしている。

 これほどの疲れだと、以前までのアイシャなら一時間は立てなかっただろう。しかし今のアイシャは、数十秒も休めば疲労感はかなり取れた。流石に全力疾走は出来ないが、頭は冴えてきている。普通の会話ぐらいは問題ない。

 まだまだこの星の生物としては未熟なアイシャでも、それだけ回復出来たのだ。シェフィルならばもっと回復している筈である。

 それでもシェフィルが中々話してこないのは、話したくないから――――いや、上手く話せないからなのだろう。


「あ、あの、アイシャ……」


 だからこの言葉を絞り出すのにも、シェフィルとしてはさぞや頑張ったに違いない。


「……うん。なぁに」


 優しく、なんでもないように、アイシャは聞き返す。

 シェフィルは顔を赤らめ、おろおろし始めた。元気だったら、跳び上がって逃げ出したかも知れない。しかしいくら優れた回復力があっても、まだそこまでの体力は戻っていないのだろう。一旦押し黙るだけで、シェフィルは逃げようとしない。

 それは時間としては僅かなものだったが、シェフィルが冷静さを取り戻すには十分だったのか。視線はこちらから逸らしていたが、顔だけ向けたシェフィルはぽつぽつと話し出した。


「ご、ごめんなさい。私が、傍にいなかったばかりに、あんな危険な目に遭わせてしまって」


「そんな事、気にしてないわよ。シェフィルの方こそ、怪我は大丈夫? 手を千切っていたし、目もやられていたみたいだけど」


「これぐらい問題ありませんよ。目は既に再生してますし、腕ならそのうち生えてきます。多分一眠りすれば細めの手になっていますよ」


 そう言ってシェフィルは自身の手を見せるように、アイシャの前で構える。手首の辺りで千切ったそれは、今は小さな突起が生え、傷口が塞がっていた。目も、見たところ普段通りの姿形になっている。

 相応のエネルギー消費はあるにしても、もう治りかけている。シェフィルの再生力は知っていたつもりだが、こうして直に見てようやく安堵出来た。ホッと、アイシャの口からため息が漏れる。

 心配事の一つがなくなり、アイシャの中では残り一つとなる。

 ――――シェフィルが今、どんな気持ちなのか知りたい。


「……ねぇ、シェフィル。どうして、このところ私の事を避けるの。怒らないし、責めてもいないから、教えてくれない?」


 答えは分かっている。だけどシェフィルの口から聞きたい……そんなアイシャ自身の気持ちもあって、シェフィルに理由を尋ねる。

 シェフィルは赤い顔を俯かせ、必死に考えているのか目をあちこちに揺れ動かす。しばらくして出てきた声は、酷く自信のない、弱々しいものだった。


「わ、分からない、です。何故か、アイシャの事を見ると……」


「見ると?」


「む、胸が、苦しくて。頭の中、が、熱くなって、訳が分からなくなって……」


「それで逃げちゃう?」


 アイシャが訊き返すと、シェフィルはこくんと頷いた。

 思っていた通りの状態。シェフィルの答えに、アイシャは特段驚きを覚えない。

 驚いたのは、その後シェフィルが掴み掛かるようにアイシャに迫ってきた事だった。


「アイシャ! 私は、何か変なのでしょうか!? いえ、きっと変です! 病気かも知れません!」


「お、落ち着いて、シェフィル。それは病気じゃ」


「わ、私、どうしてこんな……アイシャと、もっと普通に、話したいのに、なんで、なんで……!」


 話すうちに感情が昂ぶってきているのか、言葉が途切れ途切れになる。シェフィルの目が潤み始め、気持ちがコントロール出来ていないと察せられた。

 落ち着いて、と言葉で宥めるのは簡単だ。実際アイシャもまずは呼び掛けたが、しかし今のシェフィルにはその言葉を聞く余裕がないのだろう。目を潤ませ、何故だと問う姿に何時もの冷静さはない。こんな状態で言葉を掛けても、理解なんて出来やしない。

 どうすればこちらの言葉が届くのか。考えてみてもアイシャには答えが分からない。

 そう、頭では分からないが――――身体は勝手に動き、シェフィルを優しく抱き締めていた。

 抱き締められた瞬間、シェフィルは驚いたように身体を強張らせる。抜け出ようとしてかしばし身体をもぞもぞと動かしていたが……やがて大人しく、アイシャの胸元に顔を埋めた。両手をアイシャの背中側へと回し、自らアイシャに抱き着いてくる。

 何も語らず、ただ抱き締めるだけの時間が流れていく。

 しばらくして落ち着きを取り戻したのか、シェフィルはアイシャの身体に埋めていた顔を横にした。話せるようになった口から、か細い言葉を発する。


「……落ち着きました。今までで、一番」


「うん。このままなら、話も出来る?」


 尋ねてみると、シェフィルは無言でこくりと頷いた。その意思表示があれば十分。アイシャは出来るだけ落ち着いた、優しい声を意識して話す。


「シェフィルは、さっきまで、どんな感じだったの」


「……アイシャの顔を見ると、胸が、きゅーって、なっていました。顔が熱くなって、頭の中もぐちゃぐちゃで。だけどアイシャの近くにいないと、アイシャの事ばかり考えてしまって……戦っている時もです。アイシャが何処にいるのかばかり考えて、ちゃんと集中出来ませんでした。頭も身体も、変になっています」


 淡々と、恥ずかしげもなく語る言葉は、シェフィルの本心なのだろう。

 彼女はその想いをなんと呼ぶのか知らない。だからこそ抱いた気持ちは『全人類』の中で最も純粋な、人間本来の想いに違いない。

 それに対し、元とはいえ文明人である自分が、文明で使っていた呼び名を与えてよいのだろうか。こんな使い古された言葉で、人間本来の心を型に嵌めてしまって良いのか……尊いものを見付けてしまったような気持ちが、アイシャの胸の奥底から込み上がってくる。しかしアイシャは抱いた気持ちを強引に脇へと退けてしまう。

 今は自分の胸の中で落ち着いている、けれどもつい先程まで泣いてしまうほどに苦しんでいた少女。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 言うまでもない。シェフィルより尊いものなんて、今のアイシャには何も思い付かない。心の呼び方? 人間本来の心? そんなもの、どうだって良い。

 センチメンタルな気持ちを優先して、彼女に『答え』を与えない方が余程我慢ならなかった。


「そっか……苦しかったわよね、訳が分からなかったわよね。大丈夫。それはおかしな事じゃないわ。私だって、今も同じ気持ちよ」


「アイシャもなのですか? ……はっ!? やはりこれは伝染病!?」


「違う違う。そんな物騒なものじゃないから」


 早とちりするシェフィルを宥めつつ、アイシャは一旦シェフィルを自分から離す。

 シェフィルは、やはり怖がっているような表情に見えた。尤も彼女は伝染病を怖がるような、軟な精神の持ち主ではない。怖がっているのは、自分の中にある感情の方だろう。

 その恐怖を、これから消すための言葉を伝える。

 ――――きっと、これを言ったら今まで通りの関係ではいられない。

 頭の片隅で聞こえた声に引き留められ、アイシャは一瞬息を詰まらせる。戯言であれば無視も出来たが、この言葉に関して言えばその通りだ。言ってしまえばもう、今まで通りではいられない。

 だからどうした。

 シェフィルが苦しみから解放され、新しい生き方が出来るのに、何を躊躇う必要があるというのか。


「それはね、恋っていう感情よ」


 ついにアイシャは、シェフィルにその言葉を伝えた。


「……コイ?」


「そう、恋。前に教えたでしょ? 愛になる前段階の気持ちって。もしくは、もう愛になってるかもだけど」


「アイ……アイ? アイぃ……!?」


 アイシャの教えた事を反芻するように、何度も何度も言葉に出し、その度にシェフィルは顔を赤くする。

 愛。初めてシェフィルと出会ったあの日に伝えたもの。人間が『繁殖』するために必要だと、あの場を凌ぐために伝えた出まかせだった言葉。けれども結果的に、正しかった考え。

 それを今、シェフィルは自身が抱いていると気付いた。顔がかつてないほど赤く染まり、目は右往左往している。けれどもアイシャから逃げ出そうとしないのは、自分の気持ちとようやく向き合う事が出来たからか。表情を見れば、恥ずかしげではあっても、怖がってはいないように見えた。

 アイシャはしばし口を閉ざし、シェフィルが落ち着くのを待つ。

 待っていればシェフィルの方から話し出すとアイシャは思っていた。その通り、少し落ち着きを取り戻したシェフィルはにこりと微笑みながら話す。


「そっか……これが、アイなんですね。この気持ちが……あの、アイシャ。一つ確かめたいのですが……アイシャも、同じ気持ちなのですか?」


「うん。そうよ。私も、あなたを愛してる」


「ふひゃ」


 シェフィルの口から珍妙な鳴き声が噴き出す。妙ちくりんな声に愛しさを感じてしまうのが、愛でなければなんだと言うのか。

 正直に伝えた効果は抜群なようで、シェフィルはまた目を回し始めた。けれども今度の混乱は長く続かない。続く訳がないとアイシャは思っていた。

 相思相愛だと気付いてあわあわするよりも、湧き出す嬉しさが上回るのに、大した時間など必要ないのだから。

 アイシャが予想していた通り、シェフィルはまたアイシャに抱き着いてきた。理性的、ではないかも知れないが、少なくとも自分の確固たる意志に従って。


「えへへ。なんか、凄く暖かい気持ちです」


「うん……私も、凄くいい気持ち」


 シェフィルに抱き着かれ、アイシャも抱き返す。そうして互いの温もりを感じ合い……しばらくして、アイシャが少し離れる。

 不思議そうに、シェフィルはアイシャの顔を見つめてくる。アイシャもシェフィルを見つめ返す。いや、正確には目を見ていない。

 アイシャが見ているのは、シェフィルの唇なのだから。


「シェフィル……」


 名前を呼びながら、アイシャは自分の顔をシェフィルに近付ける。

 人類の文化など殆ど知らないシェフィルは、最初キョトンとしていた。けれどもアイシャの顔が近付くと、一瞬酷く狼狽えた表情を見せ、けれども熱を帯びた視線を返すようになる。

 本能が求めているのだろうか。そうかも知れない。アイシャが今感じている衝動も、理性とは程遠いものなのだから。

 互いに求め合う二人は止まらず、自然と唇が重なる。

 以前食べ物を分けてもらった時とは違う、暖かい気持ちが込み上がってくる。衝動に身を任せたアイシャはシェフィルから離れず、シェフィルもまたアイシャから離れようとしない。

 どれだけの時間口付けを続けただろうか。時間感覚さえもなくした頃に、アイシャの方から唇を離す。

 表情を蕩けさせているシェフィルは、まだ物足りなさそうに見えた。けれども自分からそれを言わないぐらい、頭の中が愛の熱量で溶かされているのだろう。アイシャだってキスを止めたくなった訳ではない。

 ただ、キスでは足りなくなったから。もっとシェフィルが欲しいから。けれども今の気持ちで満ち足りているシェフィルからは、きっと言い出さないから。


「ねぇ、シェフィル……今から繁殖、しない?」


 アイシャは自分の言葉でシェフィルを求める。

 言われた瞬間、シェフィルは今まで蕩けていた身体が氷のように固まった。しかし全く冷めていない事は、密着している身体から伝わってくる熱量で伝わってくる。また視線が覚束なくなっているところからも、また頭が熱暴走しているのだろう。

 投げ掛けた言葉に対する答えはない。けれどもこれだけハッキリと見せ付けられれば、シェフィルもまた自分を求めているのだと分かる。愛だけでなく、繁殖相手としても。

 好きでもない人にこんな感情をぶつけられても、気持ち悪く感じるだけ。しかしシェフィルに求められる事を、アイシャは嬉しく感じた。彼女もまたシェフィルを愛しているのだ。

 だから、毛皮で出来た服を自ら脱ごうとしてみせる。

 そうすればシェフィルは一瞬戸惑い、続いて獣のような眼差しを向けてくる。獰猛さを剥き出しにした目付きを正直アイシャは怖さも感じたが、それ以上に奥底で光る野性味のある逞しさに惹かれてしまう。

 何より欲望のまま襲わず、堪えながらそっと触れてくる手に愛しさを覚えずにはいられない。

 もう一度口付けをしたアイシャとシェフィルは、本能と欲と想いのままに、愛を紡いだ――――

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二人とも、おめでとう(≧▽≦)
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