恋する乙女達01
原種返りとの戦いから、しばしの時が流れた。
地球の暦に換算すれば、大体一週間ぐらい経っただろうか。人間の感覚からすれば大した時間ではないが、この星の生態系にとっては変化を起こすのに十分な時間である。
シェフィル達が暮らす平原の環境も、変化を遂げた。
きっかけは原種返りを恐れて逃げていた、或いは局所的にだが『根絶』されていた種が戻ってきた事。特に大型のトゲトゲボー食の種が戻ってきた事の影響は大きい。トゲトゲボーにとって捕食者は無論脅威であるが、同時に適切な個体数調整の役割も担う。トゲトゲボーが喰われる事で、生き延びたトゲトゲボーはライバルに奪われていた栄養素を独占。より大きな身体へと育っていった。十分に成長したトゲトゲボーの大きさは高さ三メートルを超える。
巨大なトゲトゲボーが視界を埋め尽くす、トゲトゲボー全盛期――――冬や春ほど開始時期は厳密には定まっていないが、この時期を『夏』と呼ぶ。移ろう惑星シェフィルの季節の中で最も長く、最も生命に溢れる時期。そしてわざわざ季節を分ける事から分かるように、大きなトゲトゲボーが繁茂すると環境に明確な変化が起きる。それも二つ。
一つは小さな生物の個体数が激増した。トゲトゲボーは他の生物にとって餌以外に、住処という役割も担う。大きなトゲトゲボーはそれだけ身を隠せる領域が広く、穴を開けて内部に侵入するなどの方法でも潜む事が可能だ。適切な隠れ場所を見付けた小型種の生存率は高く、生き延びた親から大量の子が生まれるため、文字通り溢れるほど繁殖する事になる。
生態系内の物質量は一定(厳密に言えば惑星シェフィルでは違う。生物が無からエネルギーを生み出すため、物質総量は増えていく。しかしそれは長期的な話であり、数十〜数百年程度の短期的視点ではほぼ変わらないと考えて良い)である。小型種の総数が増えれば、その分他の生物の身体の材料となる物質は少なくなる。つまり中型〜大型種の総質量が春よりも減少。それらの生物種の大きさが季節によって大きく変動しない限り、個体数も相応に減っている。
そしてもう一つの変化は、移動が極めて困難になる事。
大きく成長したトゲトゲボーは非常に頑強だ。直径は五センチほどになり、硬さと柔軟さを備えた体組織はちょっとやそっとの事では折れない。これでは掻き分けて進むのも困難だ。挙句全身に生やす棘は強度と鋭さを増し、アカウゾの体液でも完全には防ぎきれない。
その身を頑強な甲殻で包むか、或いは耐刺性能に優れた表皮があれば無傷で森の中を進めるかも知れない。だが人間の身体にはどちらもない。獲物を探して動き回るのは、出来なくはないが、傷だらけになりながらになるだろう。致命傷には程遠いが、小さな傷が常に積み重なっていく。
二つを纏めると、食べ応えのある大物を狩るには長時間の探索が必要なのに、その移動でチクチクとダメージを受け続ける環境と言える。ちなみに地面から雪がすっかり消えている(トゲトゲボーや小型種に食い尽くされたのだろう)のも特徴だが、これは大した変化ではないので一旦脇に置いておこう。
この二つは人間からすると、以前よりもかなり生活し難い環境だ。とはいえ元々この星の生物ではない以上、その身が環境に適していないのは仕方ない。それにこれだけなら、今まで以上に一生懸命になれば乗り越えられるだろう。少なくとも一人は、十五年もこの星で生きてきたのだから。
……問題は、その年月の大半を過ごしていた『家』である洞穴が、跡形もなく消えてしまった事。心身へのダメージは増えたのに休める場所がない。凶悪な捕食者もゼロではないので、身を隠せなければ安心して眠れない。環境変化以上の苦難が、これからの生活を襲うだろう。
しかし悪環境をそのまま受け入れる必要はない。
人間は、何時だって知恵と技術で困難を改善してきた。勿論なんでも出来る訳ではないし、行いがしっぺ返しとして戻って来る事もある。だがトータルで大きな成功を遂げたからこそ、母星を旅立ち、勢力を広げる事に成功したのだ。
それは此処、惑星シェフィルでも変わらない。
【成程。家を『建てる』という発想はありませんでした】
例えば今し方母が感心を示した――――建築という技術や発想は、惑星シェフィルでも役立つだろう。
母が見下ろす先にあるのは、トゲトゲボーで作られた『建物』。
建物と言っても木造家屋のような、多少なりとも文明的で立派なものではない。それどころか石器時代に見られた竪穴式住居ですらない。平野に生えるトゲトゲボーを切り倒し、伐採により開けた場所にそのトゲトゲボーをテントのような円錐形に積み上げただけ。
いや、積み上げたというのも厳密には違う。トゲトゲボーは地面から生えている状態なのだから。身体構造が単純なら、身体を細切れにされても問題なく再生するのがこの星の生物。トゲトゲボーも見た目通り単純な生き物のため、へし折ったぐらいでは簡単に再生してしまう。積み上げた状態から再生し、そのまま地面に再び根(トゲトゲボーに根はないが)を下ろしていた。
幸い直立姿勢に戻る事もなかったので、積み上げた時の円錐形は崩れていない。むしろしっかり地面に固定したお陰で、積み上げただけの時よりも丈夫になった。ただ、手足がないのに多少は動けるようで、高い場所に置いたトゲトゲボーは勝手に下りてきてしまい、高さがあまり確保出来なかったが。家の直径は三メートル近くあるものの、天井は地面から一・五メートルの近さにある。
しかもトゲトゲボーは勝手に再生するため、綺麗に製材しても数時間もすれば素朴なデザインに元通り。不揃いな板では隙間なく敷き詰める事も出来ない。お陰で『材木』の間から家の中を覗き込む事も可能だ。プライバシーどころか雨風を防ぐ能力もない……この星には雨風なんてないが。伐採により開けた土地にも早速新たなトゲトゲボーが生えており、いずれは森としてこの家を飲み込むだろう。
家としての品質は最低クラス。寝る以外の用途にはほぼ使えない。しかしこんな代物でも野晒しよりはマシだろう。少なくともトゲトゲボーだらけの地面の上で、身を隠せないまま寝るよりは。
この家の『建築者』であるアイシャも、母に見せる態度は謙遜ではなく少し自慢だった。
「まぁ、今まで洞穴で事足りていたならそうなるわよね。実際こんな掘っ立て小屋よりも山に作った穴の方が安全だと思うし」
【ですが簡易的であっても住処を作れるのであれば、生息環境を選ぶ必要はありません。それに巣を作る種は幾つかいますが、知能に優れる人間なら生息地に合わせて巣の材料を変えられるでしょう。ならば一般的な巣作りよりも、より適応性に優れる筈です】
「……流石ね。そこに気付くなんて」
『家』の役割は何か?
それは外敵や気象条件から身を守る事だ。今の人類社会では収入などのステータスを示すシンボルでもあれが、そんなものは副産物に過ぎない。
生物に詳しくない者の多くは意識もしない事だが、住環境もまた生物の個体数を抑制する一因だ。どんなに強大な生命体でも、住処がなければ生きていけない。高層ビルが立ち並ぶ大都会でキツネやシカなどある程度大きな生物がいないのは、餌だけでなく彼等が身を休める事の出来る草原などがないため。昆虫やネズミなどの小動物が住宅地で生きていけるのはその小ささ故に僅かな空間 ― 葉の裏や下水管など ― があれば生存可能だからだ。
しかし人間は違う。
知恵を持つ人間は、自分で住処を作れる。これにより洞窟などの自然環境に左右されず、理論上は何処でも暮らせるようになった。技術レベルが低いうちは建材のある地から離れられないという制約もあったが、運送技術が発展すればその縛りもなくなる。地球のあらゆる場所が、そして今では宇宙空間や他惑星さえも、人間の『生息可能圏内』となった。『料理』と同じように、『建築』もまた人類の繁栄に寄与した技術と言えよう。
……勿論、家が建ったからといって個体数が勝手に増える訳もない。技術が進歩すれば試験管ベビーなども可能となり、現在の人類ならばそれこそ母体を必要とせず子供を作り出せる。だが基本的なやり方は昔から変わっていない。
【これならいくらでも子孫を増やせるのに、まだ繁殖する気はないのですか?】
つまり繁殖行動である。
何時もなら、ここでアイシャは感情的に拒否していた。ところが今の彼女は、ボッと火を噴きそうな勢いで顔を赤くする。母から逸らした顔に浮かんでいたのは、拒否感ではなく羞恥のそれだった。
「あ、あの、まぁ、その、えと」
【シェフィルの傍にいた時、あなたシェフィルにコイをしたと言っていたではないですか。コイはアイの前段階との事ですから、今なら繁殖可能なのでは?】
「ちょ、あの時の話、聞いてたの!?」
【はい。出力次第ではありますが、我々はその気になれば数千キロ離れた位置の電磁波を感知出来る検出器官を持ち合わせています。あの時のあなたは相当大きな電磁波を発していたので、恐らく一万キロ離れていても検知出来たかと】
「ひょえええええ……」
あの時の『告白』を全部聞かれていたと分かり、アイシャは更に顔を赤くする。その場に蹲り、頭も抱えてしまう。
それでも否定はしない。したくない。
反射的にでも否定してしまったら、あの時の言葉がその場凌ぎでしかなかった事になりそうだから。
感情に任せた叫びだったとはいえ、嘘を言ったつもりはないのだ。体裁だとか性別だとか価値観だとか、全てくだらない。此処は常識なんてない自然界。やりたいようにやるのが正しく、本能のまま動くのが正義である。
地球の暦に直しても、アイシャがこの星で暮らしてきた時間は一年どころか半年にも満たない。しかしアイシャはすっかりこの星に適応し、考え方も変わっていた。自分の身体に組み込まれた母の遺伝子の所為かも知れないが、自分の『意思』には違いない。
今の自分は、シェフィルを愛している。
……ここまで吹っ切れたのは、あの告白がきっかけに違いないのだ。自分の行動で自分の気持ちを切り替えたのに、今更何を躊躇っているのか。
「ま、まぁ、うん。聞かれていたなら、誤魔化さないけど、そうね。確かに、私はシェフィルが好き。好きになっちゃったわ。愛って意味で」
【なら繁殖はしないのですか? 繁殖可能になったのであれば、早いうちに交尾を済ませておく方が合理的でしょう。何時までも生存出来るか分からないのですし】
「こう……!?」
直接的な(しかし人間にとっては逆に『暗喩』かも知れない)言葉を使われ、アイシャは更に顔を赤くする。恥ずかしさが高まった所為か、声も詰まってしまった。その恥ずかしさを誤魔化すように、今では胸の辺りまで伸びた自分の赤髪を指で弄る。
ただ、母の言う事も分からなくもない。
ここは厳しい野生の世界。家を建てたり料理を作ったりして生存率を高めても、決して危険はゼロにならない。死はとても身近で、今この瞬間、大型捕食者に襲われて死ぬ事も十分あり得る。『冬』の寒さに脅かされる事もあれば、食べ物を得られない事もある。実際アイシャは何度か死にかけたし、シェフィルに守られていなければ死んでいただろう。次の一月後も間違いなく生きているかと問われたら、アイシャには頷く事が出来ない。
生きているうちに子孫を残す。子孫さえ作ってしまえば、万一自分が死んでも遺伝子は後世に残る……生物にとって基本的な生存戦略だ。勿論子育てに適した時期などは考えるべきだが、今は生物が豊富な夏の時期。待てば待つほど『冬』の訪れが近くなる事を思えば、今すぐ子孫を作るのが合理的だろう。そこはアイシャも納得する。
何より、やぶさかではない。
恋心を明かしてから、シェフィルと子供を作る事への抵抗感はアイシャの中から殆ど消えていた。むしろ望んでいると、アイシャは自身の衝動を理解している。恐らく自身の中にある母由来の、惑星シェフィルに暮らす生物の遺伝子が影響しているのだろう。なんにせよアイシャにはやる気があった。
しかしやる気がどれだけあっても、相手がいなくては意味がなく。
「あ、アイシャぁ……」
か細い声が、アイシャを呼ぶ。
振り返ってみれば、そこにいたのはシェフィルだった。
愛する相手が自分の名を呼んだ。それだけで、本来なら心臓が高鳴りそうなものであり、実際アイシャの心臓もトクンと僅かに波打つが……鼓動と呼べるほど強くはならない。
何分、トゲトゲボーの林の中に隠れていて、顔だけ出した状態にときめくほどアイシャは盲目になっていないので。
「……えっと、おかえり、シェフィル。その」
「え、獲物、捕まえました! ミミミです! はい!」
話し掛けようとすると、シェフィルは素早く腕を突き出す。トゲトゲボーの中でそんな動きをすれば傷だらけになってしまうが、シェフィルは自分の腕が血塗れになっても気にしていない。
そうまでして突き出してきたのは、ミミミという生物。
体長五十センチ。ミミミという名前は、耳のような柔らかな肉質突起が顔の左右に三つずつあるため。実際には触角に近い器官らしいが、長く伸びたそれは地球の生物であるウサギを髣髴とさせた。尤もウサギと似ているのは耳の形と長さだけで、身体はダンゴムシのようなずんぐり甲殻と無数の脚を持った形態なのだが。目はなく、口が左右に開く構造なのも虫に近い。
見た目はなんとも薄気味悪いが、食材としての味は(惑星シェフィルの生物としては)悪くない。再生能力も低く、勝手に蘇る心配がないのも好ましい。殻を剥ぐのが少々手間だが、手入れすれば皿や鍋などの食器・調理器具類として使えるため便利でもある。
魅力的な食材であるが、ずんぐりとした見た目の割に動きが素早い。甲殻には油分が多く、掴もうとしても滑るため手だけで捕まえるのは困難。突撃し、抱え込むようにしなければ捕獲は難しい。しかも頑強な甲殻を活かし、ミミミはトゲトゲボーの間に身を潜めている。捕まえるためには高速でトゲトゲボーの間に突っ込まねばならず、それなりの覚悟と労力が必要だ。
シェフィルがどれだけ苦労したかは、伸ばしている手や顔に付いた傷から分かる。それらの傷はすぐに再生するだろう。だが傷を負った時の痛みはある筈。
きっと自分のために、美味しい食材を捕ってきてくれた。そう思うと愛しさが込み上がり――――アイシャの手が掴んだのは、ミミミではなくシェフィルの手。
「ぴぴょおおおおおおっ!?」
直後、シェフィルが叫ぶ。悲鳴とも歓声とも雄叫びとも取れる、珍妙な鳴き声だ。ついでにミミミは手放した。
そして素早く逃げ出し、身を隠してしまう。隠すと言っても、アイシャの目の前に広がるトゲトゲボーの中であり、姿が見える程度には近くなのだが。精々顔をトゲトゲボーの中に埋もれさせ、視線を合わせないようにしている程度だ。
しかしシェフィルが自分の傍から、逃げ出すような勢いで走り出したのは事実。
【……何か問題がありましたか?】
シェフィルの行動が意味不明過ぎて、母が僅かながら戸惑いを見せる。
対するアイシャは、不敵に笑う。
あの反応、色々と心当たりがある。あそこまで派手なものではなくとも、小学校の男子がよく見せていたし、高校の女子にも見られた。この過酷な世界で十五年生きてきても、シェフィルの本質はやはり人間なのだ。それ自体は同じ人間であるアイシャにとって、微笑ましいとすら思う。
だが、それはそれ。折角自覚し、告白した恋心を無下にされるのは、面白くない。
アイシャはくるりと母の方に振り返る。普段超然としている母は珍しくキョトンとした様子で、何もかも分かっているのは自分だけ。僅かな優越感と昂った気持ちは、自分のしようとしている事を後押ししてくれる。加えてシェフィルが自分の事を好きなのは確定しているのだから、一切恐れる必要はない。
何より、アイシャはちょっぴり信じていた。
「まぁ、後は私に任せてよ。こう見えて焦らされると燃えるタイプなんだからね、お義母様」
恋する女は誰にも負けない、無敵の存在なのだと。




