シェフィルの秘密10
……意識が戻る。
何故意識が一時的にでも途切れていたのか、シェフィルは自覚している。恐らく岩が落ちてきた際の衝撃、或いは破片が身体に当たった事が原因だろう。
身体はあちこちが痛む。それも時間が経つほど強くなっていた。全身くまなく、かなりダメージを受けているらしい。情報量が多過ぎていまいち自分の状態が把握出来ないが、恐らく骨折や圧壊が複数箇所で起きている。痛み自体は優先度の変更により『無視』出来るが、潰れた部位を無理やり動かしても大した力は発揮出来ない。
それと思考速度が明確に遅い。神経系の働きが鈍いのは、恐らくエネルギーが不足しているため。そのエネルギー不足の原因は、全身で感知している血液量の減少……つまり出血の所為だろう。視界が暗いのも目の情報処理が上手く働いていないから、というのもあるが、そもそも辺りが暗いようだ。
全体的に酷い傷を負っているが、この程度ならば再生可能だ。腕を切り落とされても、自力でくっつけられるのがシェフィルの身体が持つ再生力。故にシェフィルが真っ先に気にしたのは、自分の身体の安否ではない。
自分が抱きかかえて守ろうとした、アイシャの生存である。
「アイシャ、生きてますか」
「う、うぅ……なんとか……」
シェフィルが呼び掛けてみると、アイシャから呻きにも似た返事がくる。姿が見えないので断言は出来ないが、すぐに返事があったので致命的な怪我はないと考えて良さそうだ。
そして周りから、自分達以外の活動音は聞こえてこない。即ち下級戦闘体達はアイシャへの攻撃を取り止めたのだろう。
「(ひとまず作戦は成功ですね)」
シェフィルが考えた作戦は、端的に言えば『死んだふり』である。
巨大な大岩の下敷きになる事で、下級戦闘体にシェフィル達(厳密にはアイシャ)が死んだように見せかけたのだ。無論こんなのは小手先のやり方であり、多少知能があれば、死体を確認しておくぐらい事はしたかも知れない。だが下級戦闘体は本能で動く存在。使命感も目的意識もなく、攻撃対象が姿を消せばそれで良い。相手が姿を消した事の意味すら理解していないのだから。
そんなシェフィルの読みは、恐らく当たった。周りの様子は見えないが、ガンガン掘り起こすような音や振動は感じられないからだ。下級戦闘体達は今頃、アイシャがいなくなった事で停止している可能性が高い。
しばらくすれば攻撃指示は解除され、下級戦闘体は付近から撤退するだろう。そして指示がなくなれば、アイシャの姿を見ても再攻撃はするまい。『免疫細胞』に、細かな記憶力なんて必要ないのだから。
どうにか生存は出来た。
問題は、これからどうやって『生還』すれば良いかだ。
「(何はともあれ、まずは状況を把握しなければ)」
全身の痛みを低い優先度に設定。意識をクリアにしたシェフィルは、周囲の確認とアイシャの居場所をするため、周囲を見渡す。
まず分かったのは、自分達が今、崩れた天井の塊――――要するに大きな岩の下にいる事。
積み重なった岩の下であるため光などないが、岩が発する僅かな電磁波のお陰で全くの暗闇ではない。お陰で此処が、無数の岩が積み重なって出来た空洞の中だと分かった。立ち上がれるほどではないが、しゃがめば頭をぶつけない程度には天井も高い。
その岩の下で、頭を抱えて蹲るアイシャの姿も見えた。アイシャの身体には小さな石を除いて何も乗っておらず、ほぼ無傷なようである。顔こそ苦しそうにしているが、気分的なものだろう。
アイシャは岩の下敷きにならずに済んだが、これは彼女の幸運によるものではない。崩れてくる岩を前にして、シェフィルは恐怖や絶望で思考停止せずに観察を続けていた。そして人間離れした演算能力で岩が積み上がるであろう場所を予測し、身体を滑り込ませたのだ。計算通りアイシャが下敷きになるのは回避出来たので、シェフィルとしては安堵する。
……とはいえ、完璧に対応出来た訳ではない。何度も計算したが、一人分の隙間しか発見出来なかった。しかも速度重視で計算したため誤差が非常に大きく、確実に一人分の安全を確保するのが精いっぱい。
自分の安全までは確保出来ず、シェフィル自身は岩の下敷きとなってしまった。
「(上半身は比較的無事ですが、下半身が駄目ですね)」
全身のダメージを改めて、今度は念入りに解析。その結果、骨盤や足の一部が完全に潰れていると分かった。内臓の損傷も少なくない。両腕も、ちょっと骨にヒビが入っているようだ。
これらも再生可能であるが、そのためにはエネルギーと資源、つまり食べ物が必要だ。崩落した岩の下にあるとは到底思えない。補給するためには、岩を退かして脱出する必要があるだろう。
しかし……
「(そりゃまぁ、動きませんよね)」
崩れた岩盤の量は、恐らく数十万トン。そのほんの一部だとしても、シェフィルの力でどうにか出来るものではない。とはいえ自力で退かせる程度の岩では、無数の下級戦闘体に「作戦完了」と誤認させる事は出来なかっただろうが。
さて、これからどうしたものか。あれこれと考えてみるが、此処でも妙案は浮かばない。足を引き千切りながら進めば抜け出す事は出来るが、その後どうすればよいか……
あれこれ考えていると、アイシャがキョロキョロと辺りを見回し始める。シェフィルと違い、今まで暗闇に順応出来ていなかったのだろう。ワンテンポ遅れて、周囲の確認を始めたらしい。
やがて岩の下敷きになっているシェフィルの姿を見付けて、アイシャはその目を大きく見開いた。
そして跳びつくように、シェフィルの下へと駆け寄る。
「シェフィル!? だ、大丈夫なの!?」
「あー、生きてはいますし、致命傷でもありません。ただ、すぐに抜け出すのは無理そうです」
泣きそうな顔をしているアイシャに、シェフィルは自身の状況を正確に伝える。
嘘偽りのない報告。アイシャは酷く動揺したように、顔を震えるように横に振りながら後退り。
だがそんな無意味な行動を戒めるように、突如ぱちんっと自身の頬を叩く。未だアイシャの目は泣きそうであるが、もう顔はそこまで気弱なものではない。
「待って! すぐに助けるから!」
続いて、シェフィルの上にある岩を退かそうとした。
……確かに下半身が使い物にならなくなったシェフィルよりは、アイシャの方が幾分力を出せるだろう。
だが彼女の身体能力は非力であるし、そもそも最低でも数百〜数千トンはある大岩を退かすのは、五体満足のシェフィルでも無理だ。加えてこの場は岩と岩の隙間であり、自由に動き回れるほどの空間はない。これでは十分な力を発揮出来ず、ますます大岩を退かすなんて不可能というもの。
思った通り、アイシャがどれだけ頑張っても岩はビクともしない。シェフィルからすれば当然の結果であり、これ以上頑張ったところでなんの意味もないのだが……アイシャは諦めない。
「アイシャ、これ以上やっても体力を」
「黙ってて!」
無駄に体力を消耗する必要はない。そう思い止めようとするが、アイシャは怒鳴るように話を遮る。
シェフィルが呆気に取られて黙る中、アイシャは何度も何度も岩を退かそうとした。だがどれだけ頑張ろうと、やっている事は岩と正面から格闘するだけ。
やる事が何も変わっていないのに、結果が変わる筈もない。アイシャの行動は無駄の極みである。合理的に考えれば体力を消耗するだけで、却って好ましくない行いだ。助けるにしろ見捨てるにしろ、今は何もしないのが最適解だろう。
けれども、どうしてなのだろうか。その無駄をシェフィルは切り捨てられない。
「……アイシャ、良いのです。今は体力の無駄遣いをすべきではありません。落ち着いてください」
事実を伝えれば良いのに、少し遠回しな言い方をしてしまう。
シェフィルに再び止められても、アイシャは変わらず岩を動かそうとする。やはり何も変わらない。段々と体力が失われ、やがて力尽きるように膝を付く。
「……ごめ、んなさ、い」
そして項垂れながら、アイシャは謝ってきた。
「何故謝るのです? アイシャは何もしてないでしょう?」
「何も、してないから……私、何も出来てない……助けてもらって、ばかりで……!」
「私がしたいからやっている事です。アイシャが気にする必要はありません」
「良いから早く抜け出しなさいよ! 私と子供、作りたいんでしょ!」
謝る必要がない事を論理的に説明したのに、アイシャは怒鳴るように否定する。本能を揺さぶろうとする言葉と雄叫びだ。
しかしそれで力が湧けば苦労はない。シェフィルには曖昧に笑う事しか出来ず、その顔がますます癪に触ったのか。アイシャの表情が強張っていく。涙を溢し、顔を赤くしていく。
感情のコントロールが出来ていない。理性が言動を制御出来ていない。傍目にも分かる状態だ。
故に。
「散々人に恋をさせときながら、勝手に死ぬんじゃないわよ!」
その言葉は、間違いなく本心からの言葉なのだろう。
シェフィルの論理的思考は、アイシャの心を理解する。恋という単語と意味についても、以前教わった。恋とはアイの前段階であると。
なら、アイシャは自分をアイしている?
論理的には理解出来た。なんら疑問を挟む余地もなく、これが正しいと確信している。それに訊けば、きっとアイシャは答えてくれるだろう。
なのに、どうして自分の頭は混乱しているのか?
「……ふぇ? え、ぇ」
混乱している、と自覚した途端、シェフィルの顔が真っ赤に染まる。血流の増加が、脈拍の強さから実感出来た。
身体が興奮状態になっている。何に興奮している? アイシャがようやく繁殖する気になってくれたから? そう考えれば辻褄は合う……筈なのだが、どうしてか『やる気』は微塵も起きず。
戸惑っていると、アイシャは再び立ち上がり、またシェフィルの上に乗った大岩を退かそうとする。二度目の挑戦をしたところで無駄に終わるのは分かりきっているのに、先程と変わらない、或いはそれ以上の必死さで岩を動かそうとしていた。
自分の身体の異変も訳が分からないのに、アイシャの行動も理解が出来ない。混乱が混乱を呼び、シェフィルは頭が回らなくなってしまう。
「なんで、そこまでして……」
「だから! アンタの事が、好きになってんの! 人の事散々誑かして! 私のする事を否定しないで、自分よりも私の事守って、それでこんな目に遭ったのに怒りもしないで……!」
好きだからと言われて、だけど罵られて。一貫性のないアイシャの言動にシェフィルは戸惑いを覚える。
けれどもそれ以上に。
好きだと言われてから、胸がバクバクと脈打っている。ただでさえ熱くなっていた身体が一層の熱を帯びていた。最早興奮を通り越して病状のようだ。熱さで頭も働かず、思考が真っ白に塗り潰されてしまう。
「(な、な、なん、なんです、これ?)」
好きだ、という言葉になんの意味がある?
意味などない筈だ。好きか嫌いかなど感情の発露でしかなく、自分の気持ちなら兎も角、他者の感情になんの意味があるのか。確かに嫌われるよりは好かれる方が良いとは思うが、これは群れを作る人間としての本能の筈。大体自分だって散々アイシャに言ってきた言葉だ。それを自分にも言われただけ。
なのに、好きだと言われただけで胸が締め付けられる。身体が火照って仕方ない。
もうシェフィルの口には力が入らず。黙るシェフィルの前で、アイシャは力を振り絞る。
「絶対に、死んだら、許さないんだからっ……!」
そして変わらぬ現状への、恨み言をぶつけられてしまう。
それに対し、シェフィルは何かを言いたかった。
言いたかったのに、言葉が出てこない。自分の感情を現すための語彙が見付からない。いや、そもそも自分が今抱いている気持ちがなんなのか、それすらも分からない。
自分の事なのに。自分の気持ちが分からないなんておかしい。胸がズキズキするのに、どうして嫌じゃないのか。
死にたくない。
それもただ死にたくないのではなく、知らないまま死にたくないと思った。この気持ち自体が理解不能な衝動であるが、今や生命の根幹である筈の生存本能より強い。死んだとしても、知らないままではいたくない。
「アイシャ、私――――」
必死なアイシャに届くように、シェフィルもまた必死の言葉で伝えようとした
刹那、シェフィルの身体を潰していた岩がずるりと動いた。
アイシャの努力の賜物か? アイシャは岩が動いた瞬間目を輝かせたが、シェフィルはそう思わない。努力だとか諦めない心だとか、そんなもので何かが変わるような状態ではないのだ。なのに変化が起きたという事は、なんらかの外的要因があったに違いない。
まさか下級戦闘体が瓦礫を掘り起こしたのか。アイシャに意識が向いていて、周辺環境の情報収集を怠っていたシェフィルにはその可能性が否定出来ない。もしこの予感が的中していた場合、岩の下敷きになった状態であの大群の対処をするのは不可能だ。
最早これまでか。最後まで生を諦めないシェフィルでさえも、此度ばかりはもう駄目かと思う。しかしその予感は盛大に外れた。
【ふむ。思ったよりも元気そうですね】
岩が浮くのと共に、聞き慣れた声がシェフィル達に話し掛けてきたのだから。




