侵略的祖先種11
眩い閃光が、遥か彼方から撃ち込まれる。
その眩さは今まで見た事もないほど強烈で、遠く離れていたシェフィルでさえ視界が塗り潰された。余波で撒き散らされた電磁波の悪影響で生理機能が阻害され、身体も動かなくなってしまう。
【……ぬぅ】
背中からこれを受けた母は、貫かれる事はなかった。身体に展開した量子シールドが閃光を防いだからである。だが、マールの時とは違い余裕ではないのか。母の身体が僅かに前のめりとなる。
まるでそれを好機と捉えたかのように、母を襲う閃光は輝きを増す!
威力も上がったようで、母は更に大きく体勢を崩す。ついには触手達の先から黒い光が消えた。ただし全てではない。一本だけ、未だ煌々と先端を輝かせている。
その一本から撃ち出された電磁波ビームは、閃光が飛んできている方へと正確に向かう。目標に命中したのか、遥か彼方で大爆発を起こす。
閃光が止んだのは、そのすぐ後の事だ。
【成程。これは、好ましくありませんね】
閃光がなくなり、体勢を立て直す母。傘状の頭部は振り向く動作もしないが、無数にある目はしかと背後を見つめる。
電磁波ビームにより出来た巨大な爆発。シェフィル達なら跡形も残らない現象の中から、ゆっくりと姿を現す生物がいた。
マールだ。
ただし今まで母と戦っていた個体とは違う。今まで戦っていた個体は未だ母の前にいて……何より、これまで戦っていた個体よりも身体が大きい。ざっと一メートルはあるだろうか。白い体毛には焦げ目一つなく、あれほどの大爆発の中にいながら殆どダメージを受けていない。
「ムキュムキュー!」
そいつが姿を見せるや、今まで母と戦っていた個体は甲高く鳴きながら走り出す。
母の横をすり抜け、マールが向かった先は新たなマールの下。二体は並ぶや、共に母の方を向く。
小さなマールは何かを伝えるように身体を揺らす中、大きなマールは激しい闘志を露わにしていた。感情なんてろくに持ち合わせていない筈だが、シェフィルは『怒り』をひしひしと感じる。
何故こんなにも怒りを露わにしているのか? 合理的なこの星の生物に、同種相手に仲間意識を持っている種など殆どいない。むしろ餌や資源を巡るライバルであり、割と仲が悪いのが普通だ。群れで暮らす生き物にしても、互いを利用し合っている関係に過ぎず、誰かのために怒る事などしない。
その中で例外があるとすれば、ただ一つ。
「ひょっとして……親子?」
「え? ……ええっ!?」
シェフィルの呟いた思い付きに、アイシャが驚きを露わにする。しかしこの思い付き、シェフィルとしては確信に近い。
原種返りだろうと繁殖は行う。強ければそれだけエネルギー消費が激しいので、どの程度の繁殖力があるのかは不明だが……繁殖行動自体は可能な筈だ。原種返りした遺伝子を引き継ぐ以上、子供もまた原種返りになるのは自然である。親子共に原種返りだとしても、なんら不思議はない。
そして子を連れて逃げるという選択肢を選ばなかったからには――――この母親は、戦うつもりなのだ。ここまで圧倒的な強さを見せ付けていた、シェフィルの母と。
【シェフィル。逃げなさい】
「か、母さま!? で、でも……」
母からの指示。しかしこれを素直に聞けるほど、今のシェフィルは子供ではない。
マール達はこの星の生物であり、故に合理的である。
子供が殺されるとしても、勝ち目がないのであれば躊躇いなく見捨てる。何故なら無理に守ろうとしたところで、子供も自分も殺されてしまうのがオチだから。仮に自分の命と引き換えに敵を倒したとしても、子供が未熟ではその後生き残る可能性は低い。
だったら次の子供を産み直す方が良い。今此処で死ぬよりも、その方がより多くの子孫を次世代に残す事が出来る――――その合理的選択をしてきたモノの末裔が、惑星シェフィルの生命だ。余程奇妙な突然変異体でない限り、この合理的選択を行う。
つまり戦いを挑んできたマール達は、母相手に『優位』に戦えると確信しているのだ。それも五分五分なんて分の悪いものではなく、相当な勝率の筈。何しろトゲトゲボーを食べて穏やかに暮らすマール達には、わざわざ母を殺すメリットなんてないのだから。
そしてマール達の思考は全て演算で行われている。1+1=2の要領で導き出された『予測』には願望も自信もなく、淡々と計算された結果だけが基準。故に正確で、誤差は殆ど生じない。
母の敗北は、ほぼ確実だ。
【あなたがいても足手纏いです。私一人の方が効率的にやれます】
それは母も分かっているのに、シェフィルを逃がす事を優先する。
シェフィルは言い返そうとして、しかし口を噤む。母の言う通りだ。自分がいたところでなんの役に立つというのか。やれる事と言ったら、マール達にろくなダメージも与えられないのにうろちょろするぐらいなもの。不快感を与えるのが精々だ。
対して母から見れば、シェフィルは曲がりなりにも味方であり、加えて自分の遺伝子を受け継いだ子。無下には出来ず、庇うような行動もあり得る。戦力にならない存在を守れば、その分不利になるのが道理というもの。
「な、なら、せめて一緒に逃げましょう! 体勢を立て直して、それから……」
【問題ありません。救援要請は既に出しています。それに、これは我々の役割です。逃げ出す事は許可されません】
どうにか思い付いた提案も、母は一瞬で切り捨てる。
母は合理的だ。マール達と同じく、この星の生命なのだから。思考は全て演算により行われ、あらゆる結論が正確無比な数値によって導き出される。
その母が言っている演算結果に反論の余地なんて殆どない事は、分かりきっている話。考えれば考えるほど、母の正しさをシェフィルは理解する。
それでも心の中で渦巻く、もやもやとした感情は晴れない。考えて、理解して、言葉にしたいが……すぐには纏まらず。
そうこうしている間に、マール親子が大きく口を開く。向こうはすぐにでも戦える体勢のようだ。何時、攻撃を始めてもおかしくない。
【仕方ありません】
母の触手が素早く、それこそシェフィルの目でも視認するのがやっとの速さで伸びる。触手はシェフィルのみならずアイシャにも巻き付き、二人を軽々と持ち上げた。
そして無造作に、シェフィル達を投げ捨てる。
「か、母さ」
「きゃああああああああっ!?」
母を呼ぼうとする声は、アイシャの悲鳴に掻き消される。空高く投げられ、どんどん母の姿が遠くなるも、飛行能力を持たないシェフィルではどうにもならない。
やれるのは遠ざかる母の姿を、見失わないよう視線を向ける事だけ。
故にシェフィルは母とマール二体が激突する瞬間を目の当たりにし、何も出来ないまま彼方へと飛ばされるのだった。
……………
………
…
「きゃああああああっ! きゃああああああぶびっ!?」
飛んでいる間ずっと悲鳴を上げていたアイシャは、顔面から雪に着地してようやく鳴き止む。
シェフィルは空中で体勢を維持していたため、足から降り立つ事が出来た。とはいえ飛ばされた高さと速さが凄まじく、シェフィルの力では抑えきれず。後ろ向きに転倒し、地面を転がっていく。
勢いが少し衰えたところで、地面を蹴って身体を浮かせる。どうにか立ち上がった体勢になるやすぐにしゃがみ、指を地面に突き立てて勢いを殺す。
「くっ……母さま!」
完全に立ち止まったところで、シェフィルはすぐに母の下に戻ろうとする。一体何百メートル飛ばされたかも分からないが、全力で走ればすぐにでも戻れる筈――――
「ま、待って!」
しかしそれをアイシャが止めた。
声だけの制止だったが、シェフィルは足を止める。そして鋭い眼光でアイシャを睨んでしまう。
反射的な行動で、理性的な考えなど微塵もなかったが……アイシャが怯んだように身を縮こまらせたのを見て我に返る。
冷静さを欠いている。
自分を客観視したところでシェフィルは一息吐き、気持ちを落ち着かせた。合理的に考えればすぐ分かる。アイシャを睨んだところで、自分が望む結果には結び付かない。アイシャを不快にさせるだけであり、今すぐ止めるべき行動だ。
「……すみません。少し、興奮していました」
「う、ううん。大丈夫。私にも気持ちは分かるから」
謝り、項垂れるシェフィルにアイシャはそう声を掛けた。しかしシェフィルは目を伏し、一層項垂れてしまう。
――――気持ちは分かる。
アイシャはそう言った。自分の気持ちを完全に読まれている訳ではないだろうが、恐らく当たっているとシェフィルは思う。
即ち、母を助けたいという気持ち。
なんと非合理的な感情なのか。母と自分の力量差がどれほど大きいかは、よく分かっている。母の助けになんて、どう考えてもなれない。むしろ邪魔なだけ。そもそも母が死んでも自分には関係ない。惑星シェフィルの生物にとって大事なのは、自分の遺伝子をより多く残す事。母が死んだところで、その目的を果たすのに支障はない。
合理的に考えれば助けに行くなどあり得ない。
どんな行動すべきかは理解出来る。そうすべきだとも思う。だが胸の奥がざわつき、身体の動きを止められない。母を助けたくて堪らない。
これもまた、人間の本能なのか。
「……どうしても、母さまの下に行きたくなってしまうのです。そんな事しても仕方ないのに」
どうにか自分を納得させたい。そう思って気持ちを吐露しても、揺れ動く感情は鎮まらない。むしろ一層強く心が震えてしまう。
……例え合理性を無視して、『感情的』に考えても、やはり母を助けに行くのは良い行動ではない。マール達とシェフィルの実力差は明白で、助けに行けば確実に殺されてしまう。それはとても恐ろしい、嫌な事である。加えてシェフィルを逃がそうとした、母にとっても好ましくない結果だ。母の『頼み』を叶えるためという意味でも、さっさと逃げる方が得策であろう。
どちらの面で考えても、母の下に行くべきではない。
そう何度も何度も自分に言い聞かせている。なのに、頭の中の衝動は消えてくれない。
「こんなのでは、この星で生きていくのに不適応ですね……アイシャも、呆れてしまうでしょう?」
『生物』として欠陥だらけ。これではアイシャに繁殖相手として見てもらえない――――シェフィルの中ではそんな気持ちが込み上がる。
「何言ってんのよ! 呆れる訳がないでしょ!」
ところがアイシャの反応は、シェフィルが思っていたものとは真逆だった。
予想外の返答に呆けてしまうシェフィルに、アイシャは肉薄するやその頬を両手で挟む。決して強い力ではない。なのにシェフィルは顔を動かせず、アイシャと見つめ合う形になる。
「母親が身を挺して守ってくれたなら、それを心配するのは人間として当然よ!」
そんなシェフィルの顔目掛けて、アイシャは力強く語る。
「で、ですがこんなのはあまりに非合理的で」
「非合理が何よ! 私達は機械じゃないのよ! 感情で動く事の何が悪いのよ!」
「何がって、それは……」
答えようとしたシェフィルだったが、その口は続きの言葉を綴らない。
非合理で何が悪いのか。
その行動により生存率が下がる事が『悪い』のか。死んだら自分の遺伝子を増やせないから『悪い』のか。自分の命を優先しないから『悪い』のか。
否である。
合理的に考えれば、自分の生命を優先する方が子孫を残せるのは間違いない。そして殆どの生物が、子孫を残せる本能を持ち、一切歯向かわずに従っている。しかしそれは『正しい』からでも、子孫を残さない事が『悪い』からでもない。子孫を残すのに役立つ本能を持った個体が、他よりも多くの子孫を残してきた結果だ。そこに善悪も使命もなく、ただ何かしらの結果があるだけ。
本当にやりたい事があるのなら、合理性など無視しても良いのだ。無論、それによって生じる不都合や損失はある。時として自分の命を失うだろう。だが分かった上でやるのであれば――――あらゆる選択に、間違いなんてものはない。
「……私が、母さまを助けに行って、良いと思いますか」
それでも同意を求めてしまうぐらいには、今まで本能に従い続けていたシェフィルは迷ってもいて。
「良いに決まってるでしょ!」
だからこそアイシャの、迷いのない言葉に少し驚きを覚える。
「アンタはお母さんの助けになりたい。そう思ったのなら、そうすればいいの!」
「で、でも、死ぬかも知れなくて」
「死なない!」
もしもを語れども、アイシャは微塵も怯まない。なんの根拠もない癖に、自信に満ちた眼差しだけで否定する。
そんな考えはシェフィルになくて、目を見開いたまま固まってしまう。動けないでいると、アイシャは更に強く頬を挟んで……ニッと愛らしく笑う。
「そりゃ、逃げたら絶対助かるわよ。でもそれをしたら、きっと一生後悔する。だったら行かなきゃ駄目」
アイシャの真っ直ぐな瞳と共に語られた言葉に、シェフィルの胸がどくんと跳ねた。
やらないと後悔する。
なんと非論理的な言葉だろうか。結果的に自分が生き残れるのであれば、他の損害なんて気に留める必要などないというのに。大体過去の事柄など、ただの経験や学習情報。損益を数値で評価し、損をしたなら次からはもっと上手くやれるようシミュレーションし、得をしたなら改善の必要はない。同じぐらい『得』をする選択肢が他にあるなら、状況に応じて使い分ければ良いだけ。後悔云々など、無駄な感情だ。
だけど、今のシェフィルは後悔したくない方を選びたい。
非論理的かつ非合理的。何もかも不適応で、子孫を残す上では好ましくない選択だ。ここまで分かっているのに母を助けたいと願うのは、自分が非合理で感情的な人間だからか。
なら自由に、人間らしく振る舞うだけだ。
「……ありがとうございます、アイシャ。お陰で覚悟が決まりました!」
「うん、頑張りなさい! あ、で、でも無理はしちゃ駄目だからね! 生きて帰ってきてよ!」
シェフィルが決意するや、今になって生きて帰ってこいと言ってくるアイシャ。そわそわあわあわして、今し方の発言を若干後悔しているようにも見える。
散々煽っておきながらそれはどうなんだ、と思わなくはない。
しかしシェフィル自身、命を賭すつもりはなかった。自分自身の生存は重視する。その上で母を助けに行きたいのだ。無理はせず、帰ってくる気満々である。
だからこそシェフィルは笑いながらこくんと頷いたのだが、アイシャはこれだけでは納得出来なかったのだろう。シェフィルの頬から手を退かしても、前に居座ったまま退こうとしない。
どうしたのだろうかとシェフィルが見ていると、段々アイシャの顔が赤みを帯びてくる。落ち着きなく身体を揺すり、視線をあちこちに泳がせ、しかしそれでもシェフィルの前から退く事はせず。
やがて何かを決意したような眼差しでシェフィルの目を見つめ、
「んっ!」
全身を強張らせながら前に出る。そうすれば当然シェフィルとアイシャの顔が近付き――――
アイシャの唇が、シェフィルのおでこに触れた。
触れていた時間はほんの一秒ぐらいか。アイシャは仰け反るように離れると、今度は自らの頬を挟むように両手で触れ、身体を縮こまらせる。
「……………アイ、シャ?」
「お、おまじないよ! 元気になる、とか、無事に帰る、的な! に、に、人間としては一般的な行いね!」
名を呼んだ途端に出てくるのは力強い、なのにしどろもどろな言葉。おまけに意味もあやふや。珍妙な言動をするアイシャの顔は、随分と赤い。
その顔を見ていると、シェフィルの顔も熱くなってくる。
「ん? んん……?」
何故体温が上がるのか。ただ唇がおでこに付いただけ、アイシャが変な言動をしているだけなのに……理解不能な現象にシェフィルは困惑してしまう。
だけど嫌な発熱ではない。
むしろ腹の底から力が湧いてくる。今まで濁っていたようにも感じていた頭がスッキリと冴え、思考と意思が明瞭なものへと変化していく。
力が滾るとはこの事か。どうしてそうなるかは全く以て原理不明であるが――――そんなのは大した問題ではない。自分の身体がどうやって動いているのか、なんて分かる必要もないのだ。
肝心なのは、この力で何をするのか。
それはつい先程決意したばかりだ。
「ありがとうございます! なんか力が湧いてきました!」
「へぁっ?! え、あ、そ、そう? ふぅん……」
「では行ってきます! 母さまを助けに!」
漲る力を感じながら、アイシャの顔を見ずにシェフィルは走り出す。
目を向けた先にある、黒と白の光が四方八方に飛び交う恐ろしい場所を目指して……




