凍える星の姫君05
放たれた光は、寸分違わず母の身体に命中した。
間違いなく命中している。確かに光は一瞬で、シェフィルでも反応出来ないほどの速さで母まで届いたが、照射されていた時間は〇・一秒近い。シェフィルの動体視力であればそれだけの『長時間』起きていた光景を捉えるのは容易かった。そして母がなんらかの方法で回避している可能性がない事は、光が母の背中から放出されていない点からも明らかだ。
撃たれた母は、何も言わない。
シェフィルも何も思わない。人間であっても、物心付く前にその文明圏から離れた彼女には、光が何を引き起こすか想像も付かないのだから。
アイシャだけが不敵に笑う。彼女は知っている。人間の叡智により作り出された武器が、どんな脅威でも打ち破ると。これまでに数え切れないほどの人間達が、この光で危険を打倒してきた事を。
そして――――
【ふむ。人間のようですが生きていますね】
全く何事もなかったかのように、母は話を続けた。
「……え、あれ?」
「そーなんですよー。でも何を言っているのか分からなくて。母さま、あんどろいどとか、せいぞうばんごうってなんですか?」
【さぁ? 私も人間が用いる語彙は、昔落ちてきた船の電子機器から取得しただけですからね。電子機器という単語も、そのパーツから抜き出したものです。限られた単語しか把握していません】
「えぇー。じゃあどうしたら良いんです? このままじゃまともにお話も出来ませんよー」
唖然とするアイシャを放置して、シェフィルは母と話し合う。母の方もアイシャの行動をこれっぽっちも気にせず、シェフィルと向き合っていた。
アイシャからすると、これは想定外過ぎる結果だったらしい。目をパチクリさせた彼女は、目線をあちこちに泳がせながら戸惑う。
そして試しとばかりに、遠く離れた場所に光を撃った。
光はまたも一瞬で遥か彼方まで届き、〇・一秒近く照射される。すると光が命中した場所が赤く光り始めたではないか。母が光を受けた時とは違う現象に、シェフィルの好奇心は釘付けとなる。勿論両目で真っ直ぐに、起きた出来事を観察していて、
故に、突如として生じた爆発に驚く事となる。
「わひゃっ!?」
思ってもみなかった事象にシェフィルは飛び跳ね、尻餅を撞く。これでも胸の中の驚きは消えず、目をパチパチと瞬かせてしまう。無論、何度瞬きしても爆発により生じた紅蓮は消えない。
大きな爆発だった。半径三メートル近い範囲を包み込む爆炎が広がり、降り積もった固体窒素や氷のみならず、その下にある岩さえも吹き飛ばしている。舞い上がった岩石がパラパラと降り注ぎ、熱せられているのか地面に降り積もっていた固体物質を溶かしていく。
シェフィルは、自分が普通の人間よりも丈夫な身体である事を知っている。母からそう教わっているからだ。しかしそんな自分でもあんな爆発の中にいては助からない……シェフィルがそう思うほどの威力を、起きた爆発の痕跡は示す。
だが、どうして爆発が起きたのか? あの光が何かしたのか?
シェフィルには一体何が起きたのか分からず、目をパチクリさせ、爆発の残渣を呆けながら見つめるばかり。母の方は興味深そうに爆発を見ていて、何が起きたのか推察しているようだった。
そしてアイシャは、シェフィル以上に呆けていた。
自らの手に持つ道具をまじまじと見つめる。爆発もまじまじと見つめる。アイシャは納得したようにこくんと頷き、再び母の方を見遣る。
それから再び、道具の先から光を撃つ。
光は母に命中し、何も起こらない。一体何がどうなっているのか、シェフィルにはさっぱり分からないが……一つだけ、確かな事があった。
アイシャは母を爆発させ、跡形もなく吹き飛ばそうとしているのだと。
「わあぁーっ!? な、何やってるんてすかぁ!? 母さまに酷い事しないでください!」
「ひいぃっ!? こ、来ないでよ化け物! このっ! このぉ!」
シェフィルの声は届いていないようで、アイシャは何度も何度も光を撃つ。
母はそれを躱そうとする素振りもせず、全ての光を身体で受けた。今までと変わらず、母が爆発する様子はない。
しかし一発二発は大丈夫でも、十発百発も大丈夫とは限らない。シェフィルには何が起きているのか分からないのだ。どうにかして止めなければと思うが、されどあの光が自分に当たれば自分が爆発してしまうかも知れない。光を発射する仕組みがよく分からないのもあって、迂闊に近付く事も出来ず。
【シェフィル。まずは私の後ろに隠れなさい。安全を確保しましょう】
シェフィルが落ち着きを取り戻せたのは、母にそう言い聞かされてから。
要するに母を盾にしろという指示だが、母自らが言った事だ。シェフィルはすぐに母の後ろへと隠れる。それからしばらくアイシャは光を撃ち続けたが、やがて光の連射は止まった。
恐る恐る覗き込んでみれば、アイシャは道具を必死に弄り、構え、また弄っている。どうやら光が撃てなくなったらしい。なのに延々と道具を使おうとする様は、散々ビビった自分が言うのも難だが、かなり滑稽なものだとシェフィルは感じる。
【あの人間も落ち着いたようですね。では、あの光が何かについて説明しましょう】
ともあれ『攻撃』が止まったところで、母は今までとなんら変わらない冷静な口調で語り出す。
――――中性子ビーム。
それは原子を構成する粒子の一つである中性子を、高エネルギーにより加速・射出したもの。ビームというのは無数の粒子を同じ方向に揃えて飛ばしたものの総称だ。要するに目に見えない小さな粒を飛ばしてぶつけているだけの、実にシンプルな攻撃である。
されど単純だから弱い、という事はない。
中性子はその小ささとエネルギー量により、命中した原子を破壊する。勿論原子一個を破壊されたところで、人間のように巨大な『物体』からすれば些末なものだが……破壊された原子は破片として、自らを構成する素粒子を周囲にばら撒く。撒かれる素粒子の種類は電子や陽子、そして中性子など。
あちこちに飛び散った中性子は他の原子と衝突した時、十分なエネルギーを持っていればその原子も破壊する。破壊された原子もまた中性子をばら撒き、これも十分なエネルギーを有していればやはり衝突した原子を壊す。これにより破壊の連鎖が指数関数的に広がっていく。
重要なのは、原子は壊れた際に大量の熱も出すという事。連鎖的に原子の崩壊が起きる事で、莫大な熱量が一気に生み出される。熱は周りの物質を加熱し、固体や液体を気体に変えるが、これが急速に起きた場合、膨張に伴う圧力増加で全てを吹き飛ばす。
つまるところ、爆発だ。しかもこれは核爆発と呼ばれる類のもの。
即ち中性子ビームとは、命中した相手を核爆発させる攻撃なのである。電磁フィールドなど非物質により中性子を遮断すれば防げるが、逆にそうでもしなければ防ぎようがない。相手が原子で出来ている限り、この反応を止める事など出来ないのだ。
正に必殺の一撃。
アイシャはそれを、母に向けて撃ったのである――――母はそう説明する。シェフィルには少々難しい話で意味はよく分からなかったが、要するに当てたものを爆発させる力だと理解した。
「じゃあ、どうして母さまは平気なのですか?」
【我々に熱や粒子系の攻撃は通じないからです。全て吸収しますから】
「な、な、何よそれぇ……」
【補足しますと、あなたは私に攻撃を当てたつもりでしょうが、それは違います。我々の動体視力と身体能力を以てすれば、あなたが引き金を引こうとした際の運動時間で回避行動は可能です。今回は装置内の反応から中性子ビームによる攻撃と予測出来たため、回避は不要と判断しました】
母の説明こと電磁波会話はアイシャにも届いていたようで、アイシャの驚きの声がシェフィルにも聞こえる。どうやら彼女にとって、攻撃が全く通じないのは想定外だったらしい。しかも母が発射前から攻撃の種類を予測していたと語った事で、ますます唖然としたようだ。
【それと、中性子ビームを実用的な威力で放つには多くのエネルギーが必要な筈です。撃てなくなったのはエネルギー切れが原因でしょう。加えて今までの反応と、武器を変えなかった事から考えるに、他に攻撃手段はないと思われます】
そしてアイシャの顔に浮かんでいた驚きが恐怖に変わったのは、母からの無感情な指摘を聞いてから。
苦し紛れとばかりに、アイシャは持っていた道具を母に向けて投げた。こつんとぶつかったそれは、しかし母をどうこうするような威力など持ち合わせていない。アイシャは後退りすると、尻餅体勢で大した速さなど出せる筈もなく。
「う、うく、ひっく。ひぅ……こ、こんな奴、助けが来てくれれば……うぅ……!」
ついには嗚咽を漏らし、泣き出してしまう。
その姿にシェフィルは戸惑った。どうして泣くのか、シェフィルには分からない。泣いたところで獣は手を緩めない以上、全く以て無駄な行動だ。そんな事をする余裕があるのなら、手元にある氷や石を投げ付けた方がマシではないか。
何より泣いた相手との接し方など、シェフィルには経験がない。育ててくれたのは横にいる無感情な巨大生命体であるし、狩ってきたの合理的で野蛮な獣達ばかり。泣く、という仕草など見た事もなかった。
この行為にどんな意味があるのか。どうしたら良いのか。シェフィルには判断が出来ず、右往左往するばかり。
だが、母は違う。彼女は泣き喚く相手を対処した事がある。
生まれて間もない、赤子だったシェフィルを育てたのは母なのだから。
【さて、シェフィル。あなたには二つ、取れる行動があります】
「ふ、二つ?」
【一つは殺して黙らせる事です。これが一番手っ取り早いでしょう】
一番目に伝える選択肢は、極めて物騒なもの。そうした答えが出るとはつまり、母も泣き喚くシェフィルを殺しておくかと考えた事を意味する。
仮に殺したところで、新たに細胞を与えれば蘇生出来るのだから、大したデメリットはない。シェフィルも「その手があったか」と納得するぐらいには、母と価値観が近しかった。
しかしこれは最後の手で良いとシェフィルは思う。殺してしまっては、折角の『純粋な人間』が失われてしまう。それが勿体ないと、シェフィルは感じていた。
【二つ目の方法は、安心感を与えるというものです。言葉を理解するのであれば、これが妥当な選択でしょう。敵意を抱かれる行動を、積極的に行う理由はありません】
母もシェフィルの気持ちを汲んだようで、より魅力的な案を出してくれる。
「おお、それですよそれ。で、どうすれば良いのですか?」
【まずは同族である事を示してみましょう。人間は群れる生物のようですから、仲間の存在はそれだけで安心材料となる筈です。また、この人間はあなたがアンドロイドという存在だと誤解しています。詳細は不明ですが、先程の会話の文脈から読み解くに人型の道具なのでしょう。ですからあなたがアンドロイドではなく、生きた人間だと提示出来れば、安心感を得ると推測します】
母からのアドバイスに、シェフィルは成程と思った。流石母さまは聡明だと誇らしくも感じる。
自分が道具ではないと示すのであれば、方法は簡単だ。生きた人間ならば必ず持っているものを示せば良い。
例えば、血である。
「えいっ」
シェフィルは自分の手首に爪を立て、躊躇いなく引っ掻く。
鋭い爪により肉が抉れ、血管が露わとなった。その血管は爪により切り裂かれ、断面から大量の血液が溢れ出す。
いきなりの自傷行為、更に多量の出血は、アイシャの涙を止めた。「ひぃっ」と怯えきった声をアイシャは漏らしたが、シェフィルはこれで上手くいくと確信。ずずいと顔を近付け、にこやかに微笑む。
「どうです? あんどろいどが何かはよく分かりませんが、私は違います。人間ですよ、ほら」
肉が剥き出しとなった傷口から、だらだらと血が流れる腕を近付け、ニコニコと笑うシェフィル。
何故かアイシャは顔を引き攣らせ、全体的に青ざめていた。しかし涙は止まったようだ。同時に、冷静な思考が戻ってきたらしい。
「た、確かに、アンドロイドの循環液は青いし……皮膚の下にあるのは白い強化繊維の筈。こんな赤い体液も、赤い繊維もない……」
言っている事は相変わらず意味不明であるが、『あんどろいど』ではないとは理解してくれたらしい。おどおどと見上げるようにアイシャはシェフィルを見つめてくる。
「あなた、なんなの。本当に……」
そしてこちらが『何』かを尋ねてくる。
シェフィルはその問いの答えを持ち合わせていない。何と言われても、自分は自分でしかないのだから。
つまり彼女はこちらについて、もっとたくさん知りたいのだろう。シェフィルとしても自分の事を話すのはやぶさかではないし、その話の中でアイシャについてたくさん聞きたい。
たくさん話をするのであれば、安全な場所に移動した方が良い。
「私について聞きたいなら、是非お話しましょう。ただ、此処は安全ではありません。今は特に気配もありませんが、何時大型の肉食獣が現れるか分かりませんからね。ですから一旦私の家に来ませんか? そこなら安全ですよ」
そしてシェフィルが知る限り、自分の家こそがこの星で一番安全な場所だ。
シェフィルとしては本心からの言葉。アイシャは一瞬眉を顰めたが、しかし小さなため息を吐くと、少なくとも表情の緊張は薄れた。
次いで、アイシャはシェフィルの方に手を伸ばす。
それは大半の人間にとっては『友好』を示す行為。行為は行為でしかなく、必ずしも内面を見せるものではないが、歩み寄りの意思を伝えるものだ。
尤もろくに人間とコミュニケーションをした事がないシェフィルには、その行為の意味も意図も分からない。ただ、立たせてほしいのかな、という印象は覚えた。
だからシェフィルは意図せず握手を行い、尻餅を撞いているアイシャを引っ張り上げるのだった。




