侵略的祖先種07
「(なん、ですかこれは……!?)」
シェフィルがその『現象』に反応したのは、それが起きた後だった。
視界を埋め尽くす、白一色。これが判別不可能なほど高出力の電磁波であると気付いたのは、更に数瞬遅れての事。身体が浮遊感に見舞われ、自分が宙に浮かんでいると理解したのは此処から一拍置いた後である。
そしてこのままでは同じく浮かび上がったアイシャと離れ離れになると、アイシャの身体が少し離れるように飛んでいくところを見て察した。
「ぬぅうっ!」
咄嗟にシェフィルは手を伸ばし、アイシャの腕を掴む。兎に角逃がすまいと、無意識に爪を立ててしまう。
アイシャの柔肌からすれば、シェフィルの鋭く頑強な爪は凶器も同然。深く切り裂き、血を滲ませる。それなりの痛みを感じるかも知れない。
尤も、シェフィルが掴むまで眉一つ動かしていなかったアイシャは、自分の今の状態を微塵も把握していないだろう。腕に切り傷が一つ増えたところで、気付きもするまい。
「――――ぃ、きゃああっ!?」
「っ!」
今になってようやく悲鳴を上げたアイシャを、シェフィルは抱き締めるようにして包み込む。アイシャ目掛けて飛んでくる石や衝撃などを、自身の身体で受けるために。
岩をも吹き飛ばす衝撃だったが、浮かび上がったシェフィル達はその流れに乗っている形だ。身を任せているため身体を襲う衝撃は大したものではない。また飛んでくる石と同じ方に飛んでいるため相対速度が小さく、それらと激しくぶつかる事もない。大きな怪我もなくシェフィル達は地面に落ちる。
アイシャを抱き締めながらゴロゴロと転がり、身体に残る運動エネルギーを摩擦熱の形で逃がす。本来外には無数のトゲトゲボーが生えている筈だが、シェフィル達を吹き飛ばした衝撃により粉砕されたのか。落ちた場所には雪すらなく、剥き出しの岩盤があるだけ。不幸中の幸いと言うべきか、鋭い棘で全身傷だらけにはならずに済んだ。勿論岩も硬く、擦れば痛いが、トゲトゲボーの棘と比べればマシである。
二人が自然と止まったのは、何百メートルと転がった頃。バシンっと片手で地面を叩き、反動で跳び上がってシェフィルは体勢を立て直す。両足で着地し、家である洞穴がある筈の方角を見遣る。
「……いや、これは流石に……」
その光景を見にしたシェフィルが発したのは、現実逃避の言葉。
この星の生物は合理的だ。例え自分の身体が喰われている最中でも、「どうやって逃げるか?」を冷静に考えられる程度には。シェフィルは元々人間であるが、母からこの星の生物の遺伝子を引き継ぎ、ある程度似たような思考を持つ。
どんなに不都合で出鱈目な現実が起きようとも、事実として淡々と受け入れられる。それがこの星の生命の強さだ。しかしシェフィルは今、この強さを活かせていない。
住処である洞穴があった場所が、丸ごと抉れて吹き飛んでいる光景なんて見たら――――流石に冷静さを保つ事は出来なかった。
洞穴があった岩場は数百メートルの範囲で消し飛んでいて、今は灰色の煙が朦々と舞い上がるだけ。自分達があそこから、大した怪我もなく吹っ飛ばされただけで済んだのは奇跡と言うしかない。
おまけに、洞穴があった場所から更に数百メートル離れた位置にも異常が見られる。
そこは大地が赤熱していて、よく見れば内側が溶解していた。つまり岩が溶けてしまうほどの高熱になっている。岩石の融点は主成分次第だが、一千度以上あるのが普通。平時の地面が氷点下二百六十度近くまで冷えている事を考えたら、短時間のうちに一千三百度近く加熱された筈だ。ちょっとやそっとの熱量では到底成し得ない。
そして溶けた大地は一直線に何キロもの距離を伸びていたが、洞穴のあった方には向いていない。
即ちシェフィル達の家を吹き飛ばした『何か』は、直接岩場を攻撃したのではなく、余波だけで跡形もなく破壊してみせたのだ。狙われる心当たりなどシェフィルにはないが、これだけの威力があれば狙われずとも巻き添えで死ぬ可能性は十分あった。
……いや、狙われていなかったから生きていたと言うべきか。こんなものに直撃したら、どんな抵抗をしたところで跡形も残らない。
「な、何よこれ……!?」
シェフィルに続き、アイシャも現状を理解したようだ。ガタガタと震えながら、同じく現実逃避の言葉を漏らす。
怯えるアイシャを見て、シェフィルの頭に理性が戻る。自分の身は勿論、アイシャをこの危機から守れるのも自分だけ。その自分が暢気に混乱している暇はない。
「(まずは状況の把握です!)」
シェフィルはアイシャを抱き寄せつつ、視野を広げる。少しでも情報を集めるためだ。
特に集中して見るのが、一直線に伸びている赤熱した大地の傷跡……が続く先。
つまり発射地点だ。本当に何かが撃ち出されたのかは見ていないので分からないが、周りの環境から凄まじいエネルギーが放射された結果と考えるのが妥当だろう。
発射地点があるとすれば、そこに何か、この出来事を引き起こした原因があるのではないか。戦う、という選択肢は正直端から考慮していないが、逃げるにしても『何』からかぐらい知らなければどうにもなるまい。
幸いと呼ぶべきか、その原因が何処にいるかはすぐに判明した。
――――空高く伸びる、青白い閃光によって。
「……な、に……」
再び、シェフィルの思考が止まる。傍にいるアイシャも、呆けているのか微動だにしない。
青白い閃光は、地上から空高くに伸びていく。具体的な高度は分からないが……本当に遥か彼方だ。恐らく数百キロ彼方まで伸びているだろう。
それほどの高さでありながら、閃光は一瞬で地上から空まで伸びた。恐らく光速で飛んでいる。強力な電磁波を放っている事も考慮すれば、光や電気を用いた攻撃だろう。全身でひしひしと感じ取れるエネルギー量からして、凄まじい威力を秘めているようだ。
ここまでは理解出来た。
だが、それ以上は訳が分からない。あんな閃光を放つ生物などシェフィルは知らないからだ。敵への威嚇として発光する生物種はいるが、ここまで滅茶苦茶な光り方はしない。精々一瞬チカッと光り、捕食者を少し怯ませる程度である。
一体、あれはなんなのか? 観察して理解を深めるつもりが、余計に混乱してしまう。シェフィルは無意識に、ぼんやりと閃光を見つめ続け……
ふと気付く。
閃光が、自分達のいる方に向けて傾いているようだと。
「お、ぉおおおおおっ!?」
「きゃっ!? え、シェフィ……」
ぞわりと背筋に冷たいものが走った瞬間、シェフィルは走り出す! アイシャが困惑した声を出すも、事情を説明する暇はない
と言いたいところだが、説明したり、のんびり歩いたりしていても問題はなかっただろう。
何故なら空に伸びていた閃光はシェフィルが十メートルと進む前に地上へと倒れ、そして逃げた距離など関係ない規模の『大爆発』を引き起こしたのだから。
「くあっ!?」
「ひゃああぁあっ!?」
シェフィルは衝撃で呻き、アイシャは悲鳴を上げる。
抱き締めているアイシャと共に、シェフィルの身体が宙に浮かぶ。あまりの衝撃にぐるぐると回転する身体。空を飛ぶ事は出来ないシェフィルであるが、手を振り回す事で重心を変え、回転する向きの調整を試みる。
殆ど効果はなかったが、全くのゼロでもない。どうにか体勢を変えたシェフィルは、自身の背中で勢いよく着地。アイシャの身体を地面との摩擦から守る事が出来た。代わりにシェフィルの骨に小さな亀裂が入る。とはいえこの程度ならば数十秒もあれば回復するだろう。
「くっ……っぅ……!」
「シェフィル! だ、大丈夫……!?」
「問題ありません。それよりも、状況を把握しなければ……!」
苦悶の声でアイシャが怪我に気付くも、シェフィルはその言葉を遮り身体を起こす。
最優先で確認したい事は、閃光が『着弾』した場所は自分達からどの程度離れていたか。
死ぬほど強烈ではなかったが、それでも負傷するぐらいには苛烈な衝撃だった。つまり今よりもっと近くに着弾すれば生命が危うく、遠ければ死にはしない。安全な距離を保つためにも、まずは知る必要がある。
それを知るのは容易かった。真っ赤に溶解した大地の傷跡が、ハッキリと刻まれていたのだから。
シェフィル達から、ざっと数十メートルは離れた位置にある事も。
「(つまり数十メートル離れていて、辛うじて安全という訳ですか……なんの冗談ですかねこれは)」
閃光がこっちに来ると認識して、すぐにシェフィルは逃げた。多少唖然としていたとはいえ、仮に最速で反応出来たとしても今より一メートル離れられたかどうかだろう。
もしも閃光が真っ直ぐシェフィル達を狙っていたら、逃げる事さえ出来なかったに違いない。
あまりにも強過ぎる。『これ』がどのような理屈で起きた出来事かは分からないが、シェフィルにどうこう出来るものではない。近付くだけで自殺行為だろう。
「(逃げなければ……遠くに……!)」
ここまで出鱈目な攻撃では、本来正道である相手の正体を確かめる行いさえも悠長。シェフィルは全力でこの場から離れる事を決断する。
幸いにして閃光の発射地点は確認出来た。あそこに元凶がいるのだから、そこから離れれば良い。逃げる方角も定めた。後は全力で走るだけ――――
考えを纏めたシェフィルは、アイシャの手を掴んで再び走り出そうとする。安全な場所まで逃げるために。
だが、その足は動かなかった。
何時までも動かず、結果的にシェフィルは棒立ちした状態となる。これにはアイシャも不審がるように「シェフィル? どうしたの?」と尋ねてきたが、シェフィルは答えを返す事さえもしない。
代わりに、顔を青ざめさせる。
冷や汗は流さない。大気を持たないこの星に適応したシェフィルの身体は、汗という非効率な機能を失っているのだ。しかし仮に汗を掻く能力が残っていたなら、今頃全身がびしょ濡れになっていただろう。
背後からひしひしと感じる『存在感』に、恐怖を感じたがために。
「(恐怖? ああ、そうです。これは、恐怖心……!)」
幼い頃に感じていた、だが今では完全に忘れていた感覚を思い出す。
合理的かつ数学的思考を持つ惑星シェフィルの生物は、恐怖という感情は持ち合わせていない。危険は数字で判断出来る以上、非合理的な『感情』なんて必要ないのだから。例え手足をもがれようと、生きたまま腸を引き摺り出されても、最善最適の思考で現状を理解し、打開策を淡々と考えられる。
シェフィルも母から受け継いだ遺伝子のお陰で、これまで恐怖という感情は抑え込めていた。しかしやはりシェフィルの身体は人間であり、感情そのものを無に出来た訳ではない。
背後に現れた気配により、本能で封じていた衝動が思わず表に出てきてしまった。
直感する。『コイツ』が自分達の家を吹き飛ばした何かであると。一体何時の間に、どうして此処に来たのかは分からない。何よりそうだと考えるに足る証拠は何一つとしてない。けれどもひしひしと感じるおぞましいほど強烈な存在感が、証拠なき想像を裏付ける。
かつてならばそのまま頭を抱え、母に助けを求めただろう。されど今のシェフィルであれば恐怖を自覚しつつ、理性を巡らせることが出来る。呼吸を整え、息を飲み、身体の力を抜き……
振り返り、気配の正体を見た。
そして更なる悪寒と恐怖、本能の警告がシェフィルの全身を駆け巡る。
そこにいたのはたった一体の、体長一メートルもないような生物だと言うのに……




