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凍結惑星シェフィル  作者: 彼岸花
第四章 侵略的祖先種

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侵略的祖先種06

 ぱくり、と肉の塊を口に入れる。

 瞬間、口いっぱいに広がったのは芳醇な香り。肉の良さを凝縮した、極めて濃厚な匂いだ。それでいて臭さは殆どなく、爽やかにさえ感じられる。

 しかし香りの良さすら些末に思わせてしまうほどに、舌を満たす味覚は暴力的。濃厚濃密濃縮……味の濃さを表現する語彙は数あれど、どれを使えば良いのか迷ってしまう。一つ言える事があるとすれば、どんなに興奮した捕食生物であろうとも、この肉の味を前にすればにっこりとだらしなく ― 表情筋を持っている生物などこの星では人間以外にいないが ― 微笑むに違いない。

 言葉では語りきれない、複雑にして至高の味覚。だが人間の言語というものは素晴らしい。どれだけの弁を尽くしても語りきれない魅力を、ただ一言で説明するための言葉を持つ。


「美味しい!」


 シェフィルが発した、この言葉だ。目をキラキラと輝かせ、その手に握り締めた肉をバクバクと頬張る。


「うん、確かに美味しいわ」


 同じ肉を食べるアイシャは、シェフィルほど激しくは食べない。むしろ何時もより食べ方は遅い。しかしそれは口に含んだものをじっくりゆっくりと噛むからで、決して食べる事を疎んでいる訳ではなかった。

 家である洞窟の中にて、シェフィルとアイシャは食事をしている。食べているのはつい先程発見し、持ってきた肉の塊――――デカポンの内臓だ。それも生ではなく、アイシャの手により焼きデカポン肉として料理されたもの。

 比喩でなく、シェフィルとしてはこれまでの人生で食べてきたものの中で、一番美味しいと思う。天敵がいないデカポンの肉は不味さで身を守る必要がない。だからこそ許される旨味だ。

 更にこのデカポンの焼肉には、なんとトゲトゲボーの汁を僅かながら掛けている。

 トゲトゲボーの体液には強烈な、口が爛れるほどの刺激成分がある。非常に危険な物質であるが、ところがアイシャ曰く、この刺激を人間文明では『辛味』というらしい。アイシャはごく少量のトゲトゲボーの汁をデカポンの血で薄め、それを更にほんの少しだけ肉に使ったところ……不思議な事に、ピリリと刺激的な味覚に早変わり。

 シェフィルにとって初めて体験する味だが、なんと面白い事か。舌から伝わる情報は間違いなく痛覚なのに、弱ければここまで心地良いとは思わなかった。

 これもまた料理という、人間の技術があってこそのものだろう。一つ懸念があるとすればトゲトゲボーが有毒な点だが、それは主食として大量に食べた場合の話。今回のように少量の体液を薄めて摂取する程度ならば、まず問題にはなるまい。念のため毎食使ったり、胃腸が弱っている時に使ったりするのを控えれば大丈夫だろう。

 辛味そのものに栄養はないが、だからこそ味を楽しめる。こんなにも心震わす味があったとは、料理というのはなんと素晴らしいのだろう。

 そんな風に感じるシェフィルからすれば、アイシャの(肯定的ではあるが)淡々とした反応はちょっと釈然としない。


「むぅ。本当に美味しいと思ってます? その割に反応鈍くありません?」


「いやいや、ちゃんと美味しいって思ってるわよ? ただ、まぁ、現代の肉と比べたら……ふつー以下?」


「普通以下、ですと……!?」


 シェフィルは驚愕した。

 アイシャが乗ってきた宇宙船や料理の技術、日常に対する不平不満から、『人間社会』というのはさぞや暮らしやすい場所だと思っていたが……これほどまで美味しいデカポンの肉を普通以下と呼ぶほど、美味しいものに溢れているらしい。

 別段今の暮らしが嫌とは思っていないシェフィルだが、こうも『生活水準』の差を突き付けられると、流石に羨ましく思う。じとっと欲望塗れの視線をアイシャに向ければ、彼女は苦笑いを浮かべた。


「うん、そうね。でも牛とか豚みたいな一般的な家畜とは、全然異なる味だわ。品種改良したら、すっごく美味しくなるかもね」


「ひんしゅかいりょーってなんです?」


「生き物を人間の都合の良いように作り替える事、かしら。野菜とか家畜の中から、人間にとって都合の良い……美味しいとか、大人しいとか、そういう個体を交配させて、望んだ性質の生き物にする。要するに人工的に進化を起こす訳ね」


「ほへー。また随分と気長な事をしてますね……私なんか美味しいものがあったらそっちから食べてしまいますよ」


「アンタらしい考えねぇ。昔はそれこそ何年何十年……積み重ねという意味では何千年も掛けて改良してきた訳だけど、今なら遺伝子コード編集とか、形質転換技法とかですぐ生み出せるわ。この星の生き物に同じやり方が通用するかは分からないけど」


「ふぅん。しかし何千年もですか……なんとも気の遠くなる話です」


 惑星シェフィルの生物も、何千年も掛けて改良すれば美味しくなるのだろうか。或いはアイシャの言う、遺伝子コード編集などの技術を使えば思い通りに作り変えられるのか。

 そんな考えが浮かぶが、すぐにあり得ないとシェフィルは思う。

 論理的な根拠はない。しかし『本能』で理解する。この星の生物が何千年も、大人しく従う訳がない。ましてや人間にとって好都合な進化に誘導出来るとは到底考えられない。

 自分達の中にある『衝動』は、誰かの言う事に従うような聞き分けの良い存在ではないのだから。


「ま、もしも人間が来たらお手並み拝見といきたいですね」


「なんでアンタが上から目線で語ってんのよ。改良される側じゃないし」


「いやー、遺伝子的にはほぼ完全にこの星の生き物だと思いますけどねぇ。割合云々で言えば確か九割ぐらいは母さま由来な訳ですし」


「今更だけど、なんでそれで人の形を保てているのかしらね……」

 

 美味しいものを食べながら交わす会話は、とても弾む。人間というのは、食事中にお喋りになる生き物なのだろう。

 つまり何かを食べる度、何時もこんなに楽しくなるという事。

 こんな時間が何時までも続いてほしい。勿論惑星シェフィルの過酷な環境を思えば、それは夢物語だ。何時か、何処かで、命は終わるものである。それでも何時までも、変わらない時間を過ごしたいと願う――――


「……………」


「シェフィル? どうしたの? さっき外に出ていた時も、なーんか考え事ばかりしてたし」


 黙るシェフィルに、アイシャは訝しげな視線と共に尋ねてきた。

 答えられない問いではない。そして答えたくない問いでもなければ、自分の中で曖昧なものでもない。自分の気持ちをすとんと切り替えて、シェフィルは話す。


「今食べている、デカポンについて考えていました。どうしてあの個体はあそこで死んでいたのか、と」


「……あまり考えないようにしていたけど、やっぱりあの死骸、何かに殺されたのよね?」


「ええ。デカポンはこの地域では一番大きく、母さま達を除けば多分一番強い生き物です。あれと戦うのは捕食者にとっても命懸けですし、基本勝ち目なんてありません。なのに一口も食べてないのは、おかしいです」


「うーん。倒しはしたけど反撃で致命傷を受けて、何処かで死んだとか?」


「それなら近くに死骸がありそうなものですし、離れられるぐらい元気ならまずデカポンを食べるでしょう。再生にはエネルギーが必要ですからね」


 アイシャの考えを聞いても、やはり納得のいく説明にはならない。

 どう考えても、道理に合わない。自分の知識にある『常識』では説明出来ない。

 だとすると……


「昔、母さまが話していた『原種返り』でも現れましたかねぇ」


 残る可能性は自分も出会った事がない、何処まで本当かも分からない存在ぐらいなものだ。


「ゲンシュガエリ? なんか、そんな種類の生き物がいるの?」


「種類と言いますか、突然変異だそうです。私も母さまから聞いただけなので、それがどんな存在なのかは詳しく知りませんが……」


 ちらりと見れば、アイシャの瞳は何処か好奇心に満ちている。話の続きを待っているのは明白だ。

 期待されているからには、ちゃんと話そう。シェフィルは遠い昔の記憶を念入りに思い出しながら、アイシャに語る。

 母曰く、惑星シェフィルの生物の祖先……原種と呼ばれる存在は、途方もない繁栄を遂げていた。

 無限に等しい力を有し、あらゆる物理法則を制御し、その力の全てを自らの遺伝子の繁栄に費やす。完成した生態系を瞬く間に食い尽くし、栄華の絶頂にある文明を平らげ、星々をも養分としてきた。どんな存在だろうと原種の繁栄を抑える事は出来ない。

 無敵を誇る原種だったが、しかし一つ、明確な弱点を有していた。

 エネルギー消費の激しさである。どんな生命体も文明も及ばない力は、どんな生命体や文明よりもエネルギーを使わなければ為し得ないもの。原種は桁違いのエネルギーを生み出す能力を備えていたが、能力を使うにもやはりエネルギーが必要であり、原種達は大量の餌を必要としていた。

 原種本来の生息域では、エネルギーはそれこそ無尽蔵にあったらしい。密度も高く、普通の生き物のような食生活で生きていけたという。

 だが惑星シェフィルに暮らす祖となった存在は、なんらかの事故で生息域から出てしまった。戻ろうにも戻れず、外の世界で生き抜くしかない。故郷と違いエネルギーの乏しい空間に適応するため、原種の子孫は少しずつ自分の力を弱めていった。

 そうして誕生したのが、惑星シェフィルの生命――――の祖先である。


「で、そこから更に冷たい星の環境に適応し、色々な種に分岐したのが今の生物達、だそうです。ここまでは良いですか?」


「ううん、ぜんぜんよくない」


 話を一区切りさせて尋ねてみると、アイシャの返事は何故か片言気味。

 そして頭を抱え、ぶつぶつと独りごちる。


「いや、待って待って。その話が正しいなら、その、この星の生物って惑星外から来たの? 文明に運ばれたとかではなく、自力で?」


「そうなんじゃないですか? アイシャだって宇宙船に乗ってこの星に来た訳ですし、それと同じでこう、ひょろーっと落ちてきたかと」


「んな訳ないでしょ!? 宇宙空間を嘗めんじゃないわよ! 空気もないし食べ物もないし気温も絶対零度近いのよ! 生命が生きていける環境じゃないの!」


「空気はこの星にもないですし、食べ物がないなら休眠すれば飲まず食わずでも多少は耐えられます。ただの絶対零度ならむしろちょっと温かいですし、天敵もいないなら、この星よりも宇宙の方が過ごしやすくないですか?」


「…………………………うん」


 シェフィルの素朴な疑問で、アイシャの反論はあっさり論破。宇宙より過酷な星で生きている生命がいるのだから、生身で宇宙を渡ってきた生命がいてもおかしくないだろう。


「じゃあ話を続けましょうか。それでこの星に適応した生き物が繁栄した訳ですけど、生き物の身体の中には遺伝子があります。例え身体は進化したとしても、遺伝子も全て置き換わった訳ではありません」


「……確かに。人間とバナナですら、遺伝子は五割ぐらい一致しているらしいし。見た目や身体機能の違いは、遺伝子の違いとは直結しない。生命としての根本的な作りが変わらない限り、何処かに古い遺伝子は残ってるでしょうね」


「そうです。そしてその古い遺伝子の中には、かつて無敵を誇った原種が持っていたものも残っています」


 その遺伝子は原種が持っていたもののほんのごく一部。おまけに長い進化の中であちこちが破損した『出来損ない』だ。しかし原種が持ち合わせていた形質の、ほんの一部を再現する事は出来る。

 このほんの一部の力を取り戻した突然変異個体を、原種返りと母達は呼んでいる。その力は凄まじいものであり、母達の一族にとっては最も警戒すべき対象との事。もしも出会ったならシェフィルでは絶対に勝ち目がないため、死力を尽くして逃げねばならない。まかり間違っても勝てるなんて思ってはならない、絶対的脅威である――――


「という事です。まぁ、母さまが話していた内容をそのまま言ってるだけで、私には会ったら逃げるべきってところ以外、どういう事なのかさっぱり分かりませんが」


「アンタはもう少し話の内容を理解しながら聞く癖を付けた方が良いわよ……でも今の話で大体の理屈は分かった。つまり、大昔のご先祖様の力を持った個体が時々現れる訳ね」


「そうです多分! ただ、これは滅多にない事だそうで。私はこれまで生きてきて一度も見た事がなく、しょーじき本当にそんなのいるのかなーとか思っていたんですが」


「……そう思うのも、分からなくもないけどね。古代の遺伝子が目覚めて〜とか、漫画とかゲームの話っぽいし」


 古代の祖先が持っていた形質が今になって蘇る――――先祖返りと呼ばれる事象は、地球生命の身にも起きる事はある。とはいえ大抵の場合、それはあまりにも些細な変化だ。

 例えば人間の場合、尻尾が生えるという先祖返りがある。人間の祖先は樹上生活をしていた猿の仲間。元々は長い尾を持っていたが、地上で二足歩行生活をするのに適した形態へと進化する過程で消失した。しかしその遺伝子は今も人間の身体には残っていて、なんらかの理由で発現する事で尻尾が生じる。他にもクジラでは退化・喪失した後ろ足が生えてくる、ポメラニアンは巨大化するなどの形質が確認されている。

 では、これらの先祖返りをした生物は、強大な力を発揮するのか?

 ……残念ながら、そうはならない。何故なら『力』というのは、単に形質が再現出来れば振るえるものではないからだ。先の人間の尻尾を例にすれば、尻尾というのは生えれば動かせるものではない。中に適切な筋肉と神経があって初めてまともに動く。仮に祖先と同じ力を手に入れたところで、尻尾で枝にぶら下がっていた祖先の体重など精々数キロ程度。その時の力で、体重五十キロ以上になる今の人類を持ち上げる事など不可能だ。海を泳ぐクジラに足が生えても邪魔であるし、デカいポメラニアンは可愛いだけ。

 身体というのはパーツごとに独立しているものではない。むしろ複雑に連動し、『今』の姿で完璧に動くよう出来ている。そこでいきなり祖先の特徴が出ても、上手く扱える訳がないのだ。

 ……という事をシェフィルは知らなかったので、話してくれたアイシャを尊敬の眼差しで見る。アイシャはちょっと自慢気に笑った。


「話を戻すけど、その原種返りとかいうのがデカポンを殺したの?」


「現状、一番可能性が高いのはそれかと。正直原種返りがどれだけ強いか分からない以上、やはり仮定に過ぎませんが」


「なんだー」


 どれだけ話しても確信には至れない。故にシェフィルもアイシャも緊張感もなく、自宅の中でのんびりとしてしまう。


「それはそうと! そろそろデカポンの幼体を食べてみませんか!? 子宮の中の幼体丸ごと一匹なんて、多分もう二度とお目にかかれませんよ!」


「えー。流石に赤ん坊を解体するのは気が引けるんだけどー。というかさっき内臓食べたし、明日で良いでしょそれは」


 断定出来ないと判断したら、これ以上デカポンについては考えない。それよりも食欲と美味しい料理を楽しみたくなったシェフィルは、デカポン胎児に手を伸ばす。アイシャは心底呆れた様子で窘めつつも、しつこく頼めば聞いてくれそうな、人の良い笑みを浮かべている。

 他愛ない会話を交わしながら、二人の一日は終わろうとしていた。

 この地に『それ』がいなければ。

 眩い閃光と共に二人の住処である洞窟が《《吹き飛ぶ》》なんて、アイシャにしつこくお願いしようとしたシェフィルには思いもよらない事であった。

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惑星シェフィルの生物も、何千年も掛けて改良すれば美味しくなるのだろうか。 そんな考えが浮かぶが、すぐにあり得ないとシェフィルは思う。 でも祖先のネビオスは家畜化できた実績があるんですよね。だから環境…
>母曰く、惑星シェフィルの生物の祖先……原種と呼ばれる存在は、途方もない繁栄を遂げていた。  無限に等しい力を有し、あらゆる物理法則を制御し、その力の全てを自らの遺伝子の繁栄に費やす。完成した生態系…
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