凍える星の姫君04
「うわー……こりゃまた凄い」
辿り着いた場所にて、シェフィルは驚きの気持ちを独りごちた。
そこは本来平坦で、他の場所と同じく固体化した物質に覆い尽くされた白い大地が広がっていたであろう。されど今、そこにあるのは黒い岩盤。白い粉は全く残っていない。
更に地形は大きく抉れ、窪んでいた。クレーターと呼ばれるその地形は、直径十メートルを超える大きさがある。岩盤に出来た傷を見れば、衝撃の大きさは一目で理解出来た。周囲に生命の気配が一切感じられないのは、恐らくこのクレーターが発生した際の衝撃に驚き、逃げ出したからだろう。
そしてクレーターの中心にあるのが、星の外から落ちてきたものの筈だ。
金属の残骸が一塊で残っている。色は銀一色で、黒い岩盤の上ではとてもよく映える色彩をしていた。全長はざっと十五メートル以上あるだろうか。元々は大きな翼が二枚あったようだが、一枚は何かの拍子に折れたのか近くに見当たらず、もう一枚は残っているもののすっかりひん曲がっていた。
表面はぐしゃぐしゃに潰れていて、装甲は半分ぐらい剥がれ落ちそうになっている。浮いた装甲の隙間のあちこちから黒煙が噴き出していた。とはいえ黒煙(恐らく二酸化炭素の類)は外の寒さによって、すぐに凍り付いて地面に落ちる。お陰で船の全体像が隠れる事はなく、遠目からでもよく見えた。
シェフィルに船の知識など欠片もない。そもそも人間がいないこの星に船などない。母がその概念を教えてくれなければ今でも知らなかっただろう。しかしそれでも、これだけボロボロなら壊れていると考えるのが妥当だ。もう、空を飛ぶ事は出来まい。
そう、壊れているのは確かだ。だが……バラバラではない。
だとすると『中身』――――中に乗っている人間はまだ無事という可能性がある。
「(いやー、願った傍から人間が来てくれるとは。しかもこの感じなら、中の人間は大丈夫かもですねー)」
シェフィルは大いに喜ぶ。
ただしそれは自分以外の人間と出会えるかもという期待ではなく、『繁殖相手』を手にする事への喜びだ。何分シェフィルはこれまで、自分以外の人間がいないこの星の状況に寂しさを感じた事がない。同族の存在など、繁殖相手程度にしか考えていなかった。
なので船の乗組員の生命が無事でなくとも、『形』が崩れていなければ問題ないと思っている。原型さえ留めていれば自分の時の同じように、母の細胞を注入すれば蘇生出来るだろう。むしろ遺伝子の親和性を考えると、母の遺伝子を混ぜた方が良い。生存状態での抵抗を考慮すれば、既に死んでいる方が好都合とさえ言えた。
ともあれ人間が来てくれた事にシェフィルは大はしゃぎ。しかし同時に、疑念と警戒心も抱く。
何故この船は、バラバラになっていないのだろうか? 自分が乗っていた船は、墜落時の衝撃で粉々になっていたらしいのに。
「(ひょっとして、これ、人間の作ったものじゃないとか?)」
脳裏を過る、突飛な考え。
しかしあり得ない話ではない。どうやら人間は星々を渡る船を作れる(実際のところこの部分もシェフィルには確証がない。何しろ彼女は物心付く前にこの星に墜落しているのだから)が、しかしこれが人間の特権とは限らない。
もしかすると人間以外の、未知の生物が作った船なのだろうか。だとすると中には正体不明の生物がいるかも知れない。
それが安全な存在だと、どうして言えるのか。
「(それなら死んでる方が良いんですけどねー。人間でも死んでる方が良いんですけど。半端に生きてる状態なら、とりあえず殺しとこうかなー)」
相手の死を軽い気持ちで願い、同じく軽く気持ちで殺害を選択肢に含めながら、シェフィルは船へと近付く。
船が発する熱は凄まじく、固体酸素や固体窒素が気化したのは勿論、混ざっていた氷も溶け出す。それでも温度を下げ切るには足りず、水は沸騰を始めていた。
物質は気圧が低いと沸点が下がる。水の場合も、一気圧に満たなければほんの数十度で沸騰してしまう。だがそれでも、この船が発するのは水を瞬く間に三百度近く上昇させる熱量という事だ。そしてその熱が一部ではなく、船全体から発せられていると、近付いたシェフィルは肌で実感する。
普通の人間が不用心に触ったなら、酷い火傷をしてしまうだろう。だがシェフィルは普通の人間ではない。
水を沸かせるほど熱い装甲の一枚を、シェフィルは素手で掴んだ。船体から浮かび上がって今にも剥がれそうなそれは、だからといって他よりも温いという事はない。莫大な熱量がシェフィルの手に伝わる。
しかしシェフィルは顔を歪める事もしなかった。
それどころか力強く掴んで、腕力で強引に装甲を引き剥がす。ぽいっと投げ捨てた装甲はクレーターの外側に落下。そこに積もっていた固体水素や氷を一瞬で気化させる。まだまだ莫大な熱量がそこにあると、沸き立たせる湯気で物語った。
「うんしょっ、とぉ」
シェフィルは次々と装甲を剥がし、ついに船の中へと通じる道が出来た――――途端、今まで以上の熱波がシェフィルの顔を叩いた。
外側の装甲は、降り積もった冷たい固体物質により冷やされていた。しかし内部は違う。装甲の優れた断熱効果により、生み出される熱が外へ逃げていかない状態になっていたのである。そして船内には大気が充満しており、船の熱によって加熱・膨張。これがシェフィルの開けた穴から勢いよく吹き出した、という訳だ。
普通の人間なら今の熱波で丸焦げになっていただろう。されどシェフィルはちょっと目を顰めただけ。顰めた理由も、強い風が目に当たったから、というものだった。
灼熱の船内を、シェフィルは裸足で入る。着込んでいるボロの毛皮も燃える事はない。赤熱して柔らかくなっている金属の床を踏み締めながら、どんどんシェフィルは奥へと進む。歩いた際の振動が原因か、時折壁が倒れてきたが、これも片手で押し留める。壁も高温を発していたが、触れたシェフィルは気にも気にも留めない。
「こりゃ焼け死んでますかねー。炭化してると流石に駄目だと思うのですが」
諦め状態になったシェフィルは、段々進み方が雑になってくる。その辺に散らばる金属の破片を蹴飛ばして退かし、壊れた金属の板を雑に剥がし、穴があったら頭を入れて覗き込む。
やがて大きくて、妙な形をした銀色の金属っぽい塊が横たわっているのを発見。進路上にあって邪魔だったから、これも適当に蹴飛ばして退かす。
「うぐ」
するとどうした事だろう。その塊は『声』を発したではないか。
最初、シェフィルは声を上手く認識出来なかった。何しろ大気のないこの星で暮らしていて、声などずっと聞いていないのだ。船内に大気があったから感知出来た刺激であり、聴覚という感覚がまだあった事実にシェフィル自身驚く。
次いで、それが声を発した事実に驚愕した。
シェフィルは蹴飛ばした物体に目を向けた。やはりそれは金属で出来た物体のようだったが、しかしよくよく見れば二つの腕と二つの足を持ち、丸くて大きな頭があり、胴体がある。大きさは、シェフィルより少し大きいぐらいだろうか。
一見して自分と同じ『人間』とはシェフィルには思えず、念のため弱っているうちに止めを刺しておくか……と腕を振り上げたところでふと思い至る。ひょっとするとこの奇妙な塊は、服なのではないか。そう思ったシェフィルは早速塊を起こしてみた。
頭だと思っていた部分が、半透明な物質で出来た被り物だと分かった。その物質は黒く、中をハッキリとは見通せないが……奥に何かがいると、シェフィルの目には確認出来た。胴体を覆う銀色のものも、触ってみれば金属にしては柔らかで、『中身』があると感触で分かる。
そしてその中身が微かに動いていて、生きているらしい事も。
「おおっ!」
シェフィルはすぐにその金属の塊、及び中身を腕で抱えた。ずしりとくる重さは、凡そ七十キロほど……シェフィルの体重よりも大分重い。
しかしシェフィルにとっては、片手で掴める重さでしかない。軽々と持ち上げた彼女は駆け足で船の外へと出る。
出る時には装甲を思いっきり蹴飛ばし、揚々と脱出。駆け足で船から離れた後、シェフィルは運んできた誰かを地面に降ろす。
「……ねぇねぇ。生きてます? 死んでいるなら蘇生させますけど」
ぺちぺちと叩いてみると、微かに中身が動いたのが見えた。しかしどうにも動きが鈍い。
どうしたのだろうかと思っていたが、触っていてふと思い至る。この金属で出来た服が、極めて熱いという事に。
恐らく、この金属製の服は断熱効果に優れているのだろう。だがあの船を満たしていた灼熱相手には不十分で、少しずつその熱が伝わってきた。このため中は死なないまでも、意識が朦朧とするぐらいの暑さになっているのだろう。
ならば脱がしてしまえば、とも考えたが、もしも中身が人間ならば死んでしまう。死んでも蘇生させるので繁殖するだけなら問題ないが、どうせなら死んでいない方が良いと考えを改めた。『普通の人間』という存在への好奇心が、実物を前にして湧いたのである。
なのでもっと穏便なやり方で助ける必要がある。シェフィルは少し考えた末、周りに積もっている固体物質で冷やす事を思い付く。金属製の服はかなりの熱を持っていたようで、振り掛けてすぐに固体は溶けて気化する。
それでも少しずつ冷却されていき、やがて振り掛けた固体が溶けなくなった。十分冷えたと判断したシェフィルがしばし待っていると、服の中身が自発的に動き出す。
シェフィルは一旦距離を取る。金属製の服を着たそれは自身の身体をぺたぺたと触り、服にあった何かを引いた。すると服から大量の熱気が吐き出される。中の暑さをどうにかする何かがあったらしい。しばらくの間、それは身体から力が抜けたように地面に座り込んでいたが、やがて身振り手振りで何かを伝えようとしてきた。
恐らく声も出しているのだろうが、しかしシェフィルには届かない。中に熱気が充満していた船内と違い、此処はあらゆるものが凍り付く世界。どんな大声を出しても決して届かない。
「あーあー。私の声は聞こえますかー?」
そこでシェフィルは電磁波による会話を試みた。とはいえ通じるとは思えない。普通の人間には電磁波で会話する能力がない事を、シェフィルは母から聞いていた。
ところがである。
シェフィルが電磁波で話し掛けてみれば、目の前の人物はぴたりと動きを止めた。次いでわたわたと金属製の服を弄り、肩の辺りから細長い棒を伸ばす。
「も、もしもし……?」
すると、今度はシェフィルにも聞こえる可愛らしい『声』が飛んできた。
電磁波による会話だ。慣れ親しんだ言葉が返ってきてシェフィルは驚くも、折角来た言葉なのだからと張り切って答える。
「おお! もしもし! なんだ話せるんじゃないですかー。あれ? でも母さまは、人間は電磁波で話せないと言ってましたけど……実際こうして話してますし、きっと母さまの勘違いでしょう! うん!」
「え。ど、どういう事? な、なんであなた……」
一人納得するシェフィルの前で、その人物は困惑する。何かを言おうとしているが、言葉が続かない。
「あ、ところであなたの顔が見えませんね。その服、脱げます?」
だからシェフィルはお構いなしにそう尋ねた。
シェフィルのお願いに、その人物は一瞬動きが止まる。しばらく何かを考えていたようだが、やがてまた服を弄り始めた。
すると、顔の部分を包む黒い被り物が突然透明になる。
あっという間の出来事に、シェフィルはまた驚いた。続いてそれ以上の驚きで、満面の笑みを浮かべた。
透明になった事で、服の中身がようやく見えたのだ。
中にいたのは『人間』だった。やや目付きが鋭い、けれども愛らしい顔立ちをしている。雰囲気から察するにシェフィルより少し年上だろうか。
その人間は赤い瞳と黒い髪を携えている。髪はかなり長く伸ばしているようで、頭を包んでいるものの中で折り重なっていた。赤らんだ頬は、感情の昂りを示すのか、それとも中の暑さを物語るのか。
視線は鋭く、シェフィルの顔をじっと見つめる。正確にはちらりちらりと、右下の方に度々目線を動かしていた。その行動の意味は分からないが、目付きから少なからず警戒されているのはシェフィルにも伝わる。唇をきゅっと噛み締めているところも、人間の内心を知るヒントとなった。
どうにも友好的な雰囲気ではないが、初対面の関係なのだ。シェフィルとて中身が人間でなければ同じ顔をしただろう。だから敵意がないと伝えるべく、本心を露わにした笑みを浮かべる。
「はじめまして! 私はシェフィルと言います! あなたのお名前はなんですか?」
「……………アイシャよ」
「アイシャですね! 覚えました!」
心の中で何度も何度も、アイシャと呼んでみるシェフィル。満面の笑みが自然と浮かぶ。
笑顔の理由は、友好を心掛けているのもあるが……何より嬉しいから。生まれて初めて人間と出会った ― 厳密には生誕時に親の顔ぐらいは見ているだろうが、覚えていないのでノーカンだ ― のだ。同族がいなくて寂しいと感じた事はないが、同族と会えた事は嬉しい。だから笑みが溢れてしまう。
対してアイシャの顔は、どんどん険しくなっていた。じりじりと後ろに下がっており、距離を取ろうとしている。
「……あなた、製造番号は?」
ついには、そんな問いを投げ掛けられた。
しかし『せいぞうばんごう』と問われてもシェフィルには分からない。そんな単語に心当たりはないのだから。
「? せいぞうばんごう、ってなんです?」
「とぼけないで! 電磁波で会話なんて、アンドロイドじゃなきゃあり得ないわ! でも人間と見分けが付かない姿は製造が禁止されてるし、私が製造番号を聞いたのに答えない! 違法アンドロイドなのは明白よ! そもそも! 人間が真空で生きてる訳ないでしょッ!」
「あんどろ……?」
アイシャから問い詰められ、シェフィルは思考が止まってしまう。
アイシャはどうにも興奮した様子であるが、宥めようにも何を言っているのか分からなくては掛ける言葉が見付からない。
途方に暮れて黙ってしまったが、するとアイシャは何やら確信したような鋭い眼差しを向けてくる。弁明しないと不味そうではあるものの、何を疑われているのか理解出来ず。
どうしてこんな事になっている? 混乱からシェフィルはますます身動きが取れなくなってしまう。
【先程から揉めているようですが、何があったのですか】
そんな時に、母が現れた。
音もなく、気配もなく、突如としてシェフィルの背後に現れる母。シェフィルにとっては何時も通りの事で、求めていた助けが現れて嬉しく思う。
「母さま! 実は人間を見付けたのですが、先程からよく分からない事を言ってて」
この状況を打開するためのアドバイスがほしい。そんな気持ちからシェフィルは母に話し掛けたのだが、母からの答えは返ってこなかった。
「ひぃいっ!? ば、化け物!?」
その前にアイシャが悲鳴を上げながら尻餅を撞いたのだから。
続いてアイシャは自身の服をまさぐると小さな道具を取り出し、母に向けてくる。道具は大きさ十センチほどで、鈍器にも刃物にも見えないちゃちな代物。構えたところで戦いに使えるものとは思えない。
一体何をしているんだ? とシェフィルが疑問に思ったのも束の間、道具の先端が煌々と光り出し……
道具から放たれた光が、光速で飛んで母を撃つ。
シェフィルは知らない。
その光が人間達から『中性子レーザー』と呼ばれる、全てを焼き貫く攻撃である事など――――