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凍結惑星シェフィル  作者: 彼岸花
第三章 進化の根源

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進化の根源13

「えぁ!? わ、私ぃ!?」


 シェフィルの要請に、アイシャは悲鳴染みた声を出すほどに驚いた。

 しかしシェフィルはこの状況で冗談を言えるほど、ひょうきんな性格ではない。付け加えると本当にこのままだと死ぬので、強がっている場合でもない。

 合理的であるが故に、助けを求める事に躊躇いなどないのだ。


「はい! ちょっと、取ってきてほしいものが、ありまして!」


「と、取ってくる……はっ!? や、槍とか!?」


「ではなくて、おおっと!?」


 説明しようとしたところで、一層力が増大したマゼマゼの、大きく裂けた口がシェフィルの顔面に迫る。

 話は後回し。まずはこの危機を抜け出さなければ。


「っがあぁッ!」


 シェフィルは押し退けようとしていた両手で、マゼマゼの開いた顎を掴む。顎の内側には小さな棘が無数に生えており、掴んだ手を穴だらけにしたが……シェフィルは怯まず、むしろ強く握り締める。

 続いて足でマゼマゼの身体を腹側から蹴り飛ばす。同時に、顎を掴んでいた手も離した。

 如何にシェフィルを上回る巨体とはいえ、その体長は(細長い尻尾を除けば)精々二〜三メートル。しかも何かを食べた様子はない。周囲の雪などを取り込んで肥大化したようだが、この短時間で摂取出来る量などたかが知れている。その体重は見た目ほどではなく、恐らく百キロ前後だろう。この程度の重さであればシェフィルの力なら蹴り飛ばせる。踏ん張りの利かない、()から上向きの力ならば尚更簡単だ。

 蹴られたマゼマゼは大きく浮かぶ。その隙にシェフィルはもう一度蹴り、今度はマゼマゼを後ろに突き飛ばしてやった。更にシェフィルは反動を利用してバク転。マゼマゼと距離を取る。

 これだけ蹴ってもろくなダメージになっていないだろう。しかし今は僅かでも時間を稼げれば十分。


「油石です! あれを使えば恐らくコイツを倒せます!」


 アイシャに持ってきてほしいものを伝えるには、数秒もあれば良い。

 シェフィルの言葉に、アイシャはわたふたしながら頷く。そしてすぐに油石のある場所……自宅である洞穴に向けて走り出す。

 その動きが気を引いてしまったのか。


「ギョポォオ」


 濁った声と共に、マゼマゼは走るアイシャの方へと振り向いた。


「させません!」


 アイシャにマゼマゼの攻撃を防ぐ手立てはない。シェフィルはそっぽを向いたマゼマゼの首目掛け、渾身の拳を叩き込む。

 打撃はやはり通りが悪いと、手応えで分かる。されどマゼマゼの意識を再びこちらに向けさせる事は出来た。ぐるりと振り返ったマゼマゼは、前脚の付根まで裂けた口でシェフィルに迫る。

 ここは距離を取りたいところだが、そうするとまたマゼマゼの意識がアイシャに行ってしまうかも知れない。距離を取った状態でマゼマゼを止めるのは難しいだろう。よって近接戦闘を続け、気を引き続けるしかない。


「がぁっ!」


 マゼマゼが攻撃へと転じる前に、シェフィルは追撃を行う。顔面ではなく、胴体に向けて蹴りを放った。

 弾力のある肉によって、シェフィルの蹴りは跳ね返されてしまう。だが今必要なのはダメージではなく、アイシャが油石を持ってくるまで時間を稼ぐ事。胴体への攻撃はマゼマゼの体勢を崩し、反撃に転じる時間を伸ばす。

 尤も、それで稼げたのは瞬き数回分の僅かなものだが。


「ピグキァアッ!」


 マゼマゼは即座にシェフィルの方を見遣り、口を大きく広げた。今にも噛み付かんばかりの動き。

 しかしマゼマゼが次に繰り出した攻撃は、噛み付きではない。

 長く伸びた腹部の末端から、黒々とした煙を出すというものだ。惑星シェフィルにおいて高々数百度程度の熱ならたちまち冷えてしまい、気体は固体となって地面に落ちる。だがこの煙は何時までも消えず辺りを漂う。

 間違いなく、生物由来の特殊な物質だ。そしてこのタイミングで繰り出した以上、ろくなものではないとシェフィルは直感する。


「(毒の類ですか!)」


 アカタマの遺伝子を取り込み、毒を吐けるようになったのか。効果は定かでないが、吸い込んで確かめる訳にもいかない。

 シェフィルは口と鼻、更に気道を閉める。外気を一切取り込まない状態であり、これでは呼吸出来ないが……そもそもシェフィルの身体は酸素を必要としない。外気の出入りを遮断する事に問題はなかった。とはいえ煙の中に入れば隙間から入り込む可能性があり、迂闊に近付く訳にもいかない。

 対してマゼマゼは、自分が吐き出したものだからか。黒い煙を恐れる事もなく突っ切り、シェフィルに肉薄してきた。

 シェフィルは即座に足を振り上げ、マゼマゼの顎を打つ――――つもりだった。されどマゼマゼの口は今や足の付根まで開く構造。シェフィルが繰り出した蹴りを、()()()()()()()してしまう。

 高々と足を上げた体勢。後退するにはあまりにも不恰好な姿であり、今のシェフィルは身動きが取れない。


「ふぅ!」


 ならばとシェフィルが繰り出すは、踵落としの一撃。

 無論開いた口には当てられない。当てたところでダメージを数字で認識するであろうマゼマゼは、怯まずその口を閉じるだろう。そこで落とした踵が狙うは、突っ込んできた事で迫ってきた胴体の方。文字通り裂けるほどに開いたからこそ、足が胴体に届くまで肉薄出来た。

 踵落としは直撃し、マゼマゼはびたんっと大地に倒れ伏す。だが怯んではおらず、そのままの体勢で顎を閉じようとした。胴体に足先が届くほど肉薄した状態であり、そのまま閉じればシェフィルの足を噛み砕ける。

 それぐらいの流れはシェフィルも予測済み。回避も考えている。

 踵落としで叩き付けた足を軸にして、跳躍したのだ。マゼマゼの口は空振り。シェフィルは跳んだ勢いを使って空中でくるんと前転するように一回転し、


「っだらあぁっ!」


 その回転の勢いも加えた踵落としを、再度マゼマゼの胴体に叩き込んだ!

 シェフィル渾身の一撃で、マゼマゼの身体が雪の積もった地面に深々と埋もれる。当のシェフィルは蹴りの反動を利用してまた空中へと跳躍。

 くるくる回転しながらマゼマゼの後方に着地し、振り返りざまの蹴りを尾のような腹部末端に放つ。

 しかしマゼマゼはここで反撃に出る。

 腹部末端が四方八方に裂け、何本もの触手に変化したのだ。


「っ!? しまっ――――ぐぅ!?」


 蹴りが空振りに終わり、不味いと思うも手遅れ。触手はシェフィルの首や手、胴体にも巻き付き、身動きを封じる。

 マゼマゼは大きく身体を振るい、触手で拘束したシェフィルを引きずる。大地に擦り付けるような動きをし、雪の奥にある岩盤がシェフィルの肌を削っていく。

 獣の皮で作った服がなければ、今頃大地と擦られた背中は皮膚がべろんと剥がれていただろう。その服も長くは持たない。いずれは破れ、防具としての機能を失う。


「あぐッ!」


 シェフィルは触手の一本が顔に近付いたタイミングで、これに噛み付く。そのまま離れるように頭を仰け反らせ、触手から皮と肉を剥いでやった。

 とはいえこれで攻撃が止まるとは思っていない。皮を剥いだのは触手の防御力を下げるため。細く、脆くなった触手を両手で掴む。

 手首も拘束され、動きが妨げられている。しかし全く動かせない訳ではなく、脆くなった触手相手ならば……引き千切る事は可能だ。

 千切った触手は右手を拘束していたもの。本体から離れた触手は力を失い、萎れていく。こうなれば右手は自由を取り戻したも同然。左手を束縛する触手を掴み、力で強引に引き剥がす。後はこれで胴体に絡まる触手を引き剥がせば――――

 等という考えは過ぎったものの、そう上手くはいかないともシェフィルは思った。この方法は時間が掛かり過ぎる。ろくな脳みそを持たないマゼマゼでも、本能的に対策を思い付くには十分なぐらい。

 事実マゼマゼはじっくり体細胞全体で考え出したであろう、反撃を繰り出してきた。

 空高くシェフィルを放り投げるという形で。


「うぅううぅ……!」


 投げられた慣性で呻き、何十メートルもの高さまで打ち上げあれたシェフィル。しかしこの程度の高さから落ちたぐらいで死ぬほど、シェフィルの身体は軟でない。

 問題は、真下でマゼマゼが大きな口を開けて待っている事だ。

 このまま落ちたらマゼマゼの口の中。回避しなければ不味いが、シェフィルには空を飛ぶための能力などない。羽ばたいたり蹴ったりしたところで無駄。大気全てが凍り付いているがために真空となっている惑星シェフィルでは、大気に圧を加えた際の『反作用』で空中を移動する事は不可能である。真上に上げたものは、どうやっても真下に落ちるしかない。

 マゼマゼにこの星の環境や、物理法則を理解するだけの知能はない。本能で、この逃げ場のない状況を作り出したのだ。


「(逃げ道なし、搦手なし……あんな奴と真っ向勝負など御免ですが、やるしかありません!)」


 危機的状況を認識しつつも、現実逃避はせず。

 自由落下に転じた時、シェフィルは待ち構えるマゼマゼと向き合い、両腕で構えを取る。マゼマゼもまた今更移動などしない。

 惑星シェフィルの重力加速度は十・二メートル。両者が激突するまでに掛かった時間は三秒であり、地上スレスレに達した時のシェフィルの落下速度は時速百キロに達する。だがこの星の生物から見れば、遅い。


「があああああっ!」


「プキュピップリアァアッ!」


 シェフィルとマゼマゼは射程圏内に入るや、共に攻撃を繰り出す!

 マゼマゼの攻撃は噛み付き。大きく開いた顎を閉じるというシンプルなもの。胴体を噛まれようものなら、そのまま骨も内臓も噛み砕くであろう。

 対するシェフィルは、この噛み付きに殴り返す!

 殴れば反動で身体が動く。自由落下しか出来ない我が身を、大きく移動させる事が可能だ。しかしタイミングが少しでも遅れれば、反動で動く前に噛み砕かれてしまう。かといって早ければ顎を叩く力が不十分で、離れるだけの反動が得られない。

 怯んで遅れても、焦って早くとも、待っているのは死。

 だが優れた演算能力を持つシェフィルにとって、二つの感情を制御する事など造作もない。それが出来ていなければ、この星の生存競争を生き抜くなど出来ないのだから。

 最適の瞬間にシェフィルはマゼマゼの顎に拳を叩き込んだ! 反動で飛ぶ身体を、閉じたマゼマゼの顎が掠める。足の薄皮を一枚千切られた程度ならば問題ないと、着地と同時にシェフィルはマゼマゼの方へと振り向く。

 ところがである。

 体勢を立て直す最良のタイミングで、シェフィルの足がつるんと滑ったのは。


「へぁ!? ぶっ!?」


 流石にこれは予測しておらず、シェフィルは転倒。とはいえ転んだままでは不味いと、すぐに立ち上がろうとする。

 なのに上手くいかない。身体を支えようと地面に付いた手が、ぬるりと滑るからだ。


「(これは、粘液……!?)」


 手に触れたものは、ぬるぬるとした粘液状のもの。それが足や手の摩擦を減らし、滑りやすくしていたのだ。

 理屈は分かった。そして気付く。

 この粘液が、マゼマゼの頭を掴んだ時のぬめりと同じ感触であると。

 恐らくはマゼマゼが撒いておいたのだ。落下した後、シェフィルが上手い事危機的状況を切り抜けた際の保険として。

 それほど高度な知能を、原始的で単純なウゾウゾ由来の身体がどうして備えているのか。その答えも即座に思い至る。シェフィルがマゼマゼの神経を引っこ抜いた後、再生の過程で新たな神経が何本にも増えていた。神経の役割は情報処理。その数が増えれば、それだけ演算能力の結果である『知能』も上がっていく。後の事を予想し、備える事さえも今のマゼマゼには難しくないのだ。


「(まさか、知恵比べでも負けるとは……!)」


 完膚なきまでの敗北。

 それを認めたシェフィルを、突進してきたマゼマゼが押し倒した!


「ぐぁっ! くっ……!」


 マゼマゼの四つに分かれる顎のうち二つを両手で掴み止めるも、マゼマゼの力はシェフィルを上回る。止める事は出来ず、じりじりとマゼマゼの口がシェフィルに迫ってきた。

 腹部を蹴り飛ばしてみるが、以前押し倒された時とは手応えが違う。分厚く、屈強な筋肉に触れたような感触だ。確かに力の入る体勢ではなかったが、それを差し引いてもびくともしない。むしろ蹴り飛ばした足が跳ね返されてしまう。

 暴走する自己進化の中で偶々此処が筋肉質になったのか、それとも一度目の伸し掛かりが失敗に終わったため『対策』が進化したのか。どちらにせよシェフィルにとっては効果覿面だ。これではマゼマゼを退かせない。


「キピシュィイイアィイイ」


 少しずつシェフィルの手を押し返し、マゼマゼの顎が迫る。

 腕の筋繊維が切れるほどの力で抗うシェフィル。全身の細胞が熱さで焼けそうになるほどエネルギーを生み出し、マゼマゼを食い止めようとするが……力の差があり過ぎた。動きを鈍らせるのが限界で、状況を変える事は出来そうにない。

 もう、打つ手はない。


「敵いません、か……!」


 打ち破る手段が尽き、諦めの言葉がシェフィルの口から出た。

 悔しいとは思わない。自分より強い生き物なんてこの星にはいくらでもいて、その中の一体にマゼマゼがいるというだけなのだから。

 何より――――自分が負ける事と、此処で死ぬ事は別の話。


「シェフィル!」


 自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。

 アイシャだ。自宅に戻っていた彼女がようやく戻ってきた。

 その手に、油石を握り締めて。


「プギ?」


 大声という名の電磁波でシェフィルの名を呼んだからか、マゼマゼの意識がアイシャの方へと向いた。

 睨まれたアイシャは一瞬足が止まったものの、勇気を振り絞るように唇を噛み締め、また走り出す。大きく振り被った手には、とびきり大きな油石がある。

 アイシャは力いっぱい、シェフィル目掛けて油石を投げた。

 油石は正確に放物線を描き、シェフィルの下へと飛んでくる。マゼマゼは初めて見る物体を警戒してか、身体を強張らせて守りの体勢を取る。シェフィルに迫る顎もほんの一瞬ではあるが停止。

 お陰でシェフィルは油石を、左手で捕まえる事が出来た。

 油石がシェフィルの下に届くや、マゼマゼは再びシェフィルに喰らい付こうとする。何かしてくる前に仕留めようという算段か。しかしシェフィルに言わせれば一手遅く、また『好都合』でしかない。


「これが、あなたにとって最後のご馳走です!」


 シェフィルは自らの腕を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 獲物が自ら口に跳び込み、マゼマゼは驚いたのか。ほんの一瞬だけ身体を強張らせ、動きが止まる。

 その次の瞬間にはばくんと口を閉じ、突っ込んだシェフィルの片腕を肩近くまで食い千切ったが……もう手遅れ。食い千切られる前に、シェフィルは既に作戦を実行していた。

 砕けんばかりの強さで、油石を握り締めるという形で。


「ゴポッ」


 マゼマゼの胸部がぶくりと膨れ上がる。

 それは油石から吹き出した高熱により、体組織が沸騰・気化した事で起きた現象。身体の異変に気付いたマゼマゼは全身に力を入れて抑え込もうとするが、これは逆効果だ。強い力を生めばその分多量の熱が生じるのがこの世の物理法則。マゼマゼの身体も例外でなく、力を込めた瞬間に生まれた熱も加算されて一段と膨れた。

 次いで全身が赤熱し、身体から湯気が漂う。体内で渦巻く莫大な熱量をどうにか発散させようとしているのだ。これは効果的な対策であり、油石の熱を周囲に放出する。

 しかし力及ばず。

 マゼマゼの身体のあちこみが膨らみ出す。腹も、足も、頭も。閉じていた顎を開くと中から青い火炎が溢れ出すが、これでも熱は逃げ切らない。赤熱した身体が青くなったのは、冷めたのではなくより高温になった証。

 もう、どうにもならない。


「コ、コペポ」


 自分の身体の異変を、シェフィルの攻撃だと思ったのか。再び大きく口を開けたマゼマゼはシェフィルに噛み付こうとして

 その一瞬手前で、ついに全身が圧力に耐えきれず、爆散するのだった。

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