進化の根源05
それからシェフィルとアイシャはたくさんのウゾウゾを料理し、食べていった。
例えば大きく身を開き、敢えて中身を露出させて『外気』に触れさせる。もしくはたっぷりと内側を触り、温めてから食べてみる。べちんべちんと執拗に叩いてから食べてみる……試した方法は様々だ。
そしてそれらの結果は、散々だった。
「ぐぶぇぇ……」
山ほど『味見』をさせられて、シェフィルはすっかりダウン。口から涎やらなんやらを零しつつ、横たわっている。目は白目を剥き、ピクピクと痙攣していた。
対して、同じぐらいウゾウゾを食べていた筈のアイシャはそれなりに元気だ。二本の足で立ち、目はちゃんと黒目がある。表情は真剣かつ健康的なもの。
そして恐れる事なく、自分が捌いたウゾウゾの味見をし――――ぺっと吐き出し、口許を拭う。
「うーん、成程。切れば切るほど、時間を置けば置くほど、ウゾウゾは味が悪くなるわね。温度ではなく、外気に触れるのが悪いみたい。外気なんてないから、露出してる状態と言うのが正しいのかしら。丸齧りだと辛うじて食べられるのも納得だわ」
「つ、つまりそれは、ウゾウゾは料理出来ない、という事でしょうか……?」
「少なくとも、生食は向いてないわねぇ」
シェフィルが絞り出した言葉を、アイシャは少し遠回りな表現で肯定した。
色々やった挙句に駄目だったらしい。
とはいえそう簡単な話でない事は、シェフィルも予想していた。こんな切り方を変えた程度でウゾウゾが美味しく(何より高栄養価に)なるのであれば、母なら知っていそうなものである。今まで教わらなかった事から、そのやり方では駄目なのだろう。
シェフィルとしてはもう諦めムードだ。けれどもアイシャは違うらしい。未だ、いや、むしろより苛烈に瞳の奥で闘志が燃え上がっている。
「だから火を使って、加熱調理をしたいんだけど、何か手はないかしら!?」
「いやー、もう正直面倒臭いんですけど……」
その闘志に嫌気が差してしまい、ついついシェフィルは本音を漏らす。
アイシャがその瞬間、酷い顔を浮かべたのをシェフィルの目は見逃さなかった。
「……あ、ああ。そうね。流石に、ちょっと熱中し過ぎたかも。うん」
すぐにアイシャは笑みを浮かべる。
けれどもその笑みを、可愛いとシェフィルが思う事はない。むしろ今にも泣きそうで、物悲しげで、何かを我慢したようで。
自分の言葉が、彼女にそんな顔をさせたのだとシェフィルはすぐに察した。
嘘を言ったつもりはない。間違った事を言ったとも思っていない。けれどもアイシャがそこまで思い詰めるとは予想していなかったのも事実。不本意な結果に対し言葉を詰まらせるほど、シェフィルは体面なんて気にしない。何より、面倒臭いから面倒と言っただけ。
アイシャのやりたい事を否定したつもりもないのだ。アイシャの熱意が消えてしまうのも、シェフィルとしては望んでいない。
「別に熱中するのは構いませんよ。ただ、どうしてそこまでやるのかなーと思いまして」
「う、うん、それは……なんというか……」
「なんというか?」
「……このままだと私、やっぱり役立たずになりそうで」
ぽつりと語られた、アイシャの言葉。
思い返すは冬が明けたばかりの頃。そう言えば自分と母は、二人してアイシャを役立たず呼ばわりしたなと思い出す。
あれは悪意も何もなく、本心及び事実を言っただけだ。しかしアイシャにとっては思い詰めてしまうほど、心にこびり付いた言葉となったらしい。
それであれこれ考えて、料理なら自分でもやれる、シェフィルの役に立てると考えたのだろうか。
アイシャの心境は、シェフィルにも理解は出来る。何故ならシェフィルも幼い頃、母に自分の実力を認めてほしいと思っていたからだ。当の母から【承認欲求というものでしょう。事実を否認する、非合理的で無駄な感情です】と全否定され、そういうものかーと幼いシェフィルは納得したが……アイシャが同じ気持ちを抱いているからには、きっと、これは人間にとって大事な感情なのだろう。
自分は母のお陰で合理的な『生物』になった。アイシャも生き延びる上では、そうなる方がきっと良いと思う。
だけどシェフィルは、今の非合理的で感情的な、どうしてこんなので数多の星を支配する覇者になれたのか分からない存在が気に入っていた。自分と異なる考え方のアイシャに興味を持っている。もしも彼女が自分と同じ考え方になったら……それはそれで面白いかも知れないが、しかし勿体ないという気持ちが強い。
どうせこの星で暮らしていれば、そのうち合理的な考え方は身に付くだろう。シェフィルがそうだったのだから。ならばアイシャの考え方を無理に変える必要はないし、むしろ今はその考えに存分に触れていたい。
「そういう事なら良いでしょう。手伝いますよ、アイシャが納得するまで」
あくまでも自分の好奇心に従った上での答え。されどアイシャは大きくその目を見開き、頬を赤らめながら俯く。
「……ありがとう」
それからぽつりと、感謝の言葉を述べた。
「ん、んん……?」
アイシャの言葉を聞いた途端、むずむずとした感覚に見舞われる。胸の奥が火照るような、熱さも感じられた。
高揚感、と呼ぶには攻撃性の高まりが感じられない。というより臨戦態勢に入ったつもりなんてない。
この気持ちは一体なんなのだろうか?
よく分からない。しかし不快な感覚でもないので、あまり気にしない事にした。それよりもアイシャの要求に応えたい。
「それはそうと、火が欲しいのですね?」
「ええ。でもこの星だと難しいわよね。木材もないし、そもそも酸素がないと火なんて付かないだろうし」
「? 酸素とか火を使うのに関係あるのですか?」
「そりゃあ、酸素がないと物は燃えないでしょ?」
「いえ、燃えるものはありますよ?」
シェフィルは部屋の隅へと向かい、そこに捨て置かれていた『石』を手に取る。
拾い上げた石は、普通のものとは少々異なる様相をしていた。
まず色合い。青みがかった色彩をしており、繊維質を思わせる筋が幾本も走っている。表面は滑らかで、まるで磨いたかのように艷やかだ。
次いで重み。手に取ると分かるが、普通の石と比べ格段に軽い。拳大の大きさだが、まるで指先ぐらいの小さな小石かと錯覚するほどだ。軽く手を振るえば、簡単に空へと打ち上がる。
これらの、石としては奇妙な特徴の理由は単純。これは石のように見えて石ではない、生物由来の資源だからだ。
「これは油石というものです。この石はですね、こう、圧力を込めると……」
アイシャの前で、シェフィルはぎゅっと石を握る。
すると手の内にある石から、青白い炎が吹き出した。一度吹いた炎は消えず、石の何倍もの大きさで燃え盛る。
これが油石の性質だ。圧力を加えると、高エネルギーの『炎』が放出される。一度炎が出たら、雪などで急激に冷却しない限り燃え尽きるまで止まらない。
シェフィルは素早くこれを手放し、地面に転がす。アイシャはと言えば火が吹いた事に驚いたようで、ぴょんっと跳ねた挙句に尻餅を撞く。中々に可愛らしい姿であるが、アイシャとしては恥ずかしさよりも驚きが勝るようだ。狼狽えた声でシェフィルに尋ねてくる。
「ひゃっ!? え、な、何これ!?」
「今のように強く握ると、炎が出るんですよ。あ、触れると普通に火傷するんで気を付けてくださいね」
シェフィルの忠告を真剣に受けたようで、アイシャは恐る恐る炎と向き合う。石から染み出す炎は僅かなものであるが、しかしその強い火力は、放出される電磁波の形でひしひしと感じられた。
「凄い……こんな火力を出す鉱石、初めて見たわ。一体、これはなんなの?」
「何、というのは正体の事ですか? でしたら大昔にこの星にいた生物の体組織が、長い年月を掛けて石のように硬くなったもの……と母さまは言っていました」
「化石って事? ちなみにその大昔の生き物って、今も生きてる種なの?」
「いいえ、絶滅したそうです。なんでもこの辺りの地域は昔、今よりもずっと暖かくて生き物が豊富だったとか。でも環境が変わって、食べ物がなくなって滅びたようです」
「つまり、再生不可能資源って事ね。なら大事に使わないと……ま、二人で使う分には取り尽くす心配なんてないかもだけど」
手を翳し、その暖かさをじっくりと感じようとしているアイシャ。潤んだ瞳を見ると、随分有り難く思っているようだ。
ただ、シェフィル的にはこの石、何かの役に立った試しがない。
普通の人間であれば、炎と言えば身を温めるという用途が思い付くだろう。実際放たれる膨大な電磁波を浴びれば、身体は温まる。しかしそれは冬以外であればの話だ。
冬はエネルギー吸収量が凄まじく、そして無差別。このため油石が発する電磁波さえも吸い尽くしてしまい、暖かさが身体に届く事はない。冬以外の時期なら、冬越しが苦手なシェフィルでさえ身体を温める必要がない。よって『暖を取る』用途だと使い道がない。
ならば火力を活かして護身具に、というのはシェフィルも幼い頃に考えた。しかしこれも上手く使えずに終わった。重くないので持ち運びには便利だが、そこそこ大きいのでかさ張り、動きを妨げる。しかも使うには一度圧力を加えねばならない都合、使用前には手が塞がる状態だ。護身具が必要な相手、つまり強大な敵相手に片手が使えない状態で挑むのは自殺行為である。
厄介なのがこの火――――特殊な熱エネルギーで相手を焼く。シェフィル含めて、惑星シェフィルの生物は熱エネルギーを吸収する性質を持つ。しかも体温を数万度引き上げるほどの熱量を毎秒生成する事が可能だ。だから本来、ちょっとやそっとの熱では火傷なんてしない筈なのだが……油石が発する熱エネルギーは特別。母曰く『波形』が普通と違い、吸収するのに少し時間が掛かるらしい。
そして油石が発する炎は数万度に達する。吸収性の悪さと高熱により、シェフィル達の肌さえも焼くのだ。
火傷を再生する事は難しくないが、使う度にダメージを負うのでは扱い辛い。おまけに惑星シェフィルの生物は、その殆どがシェフィルよりも再生力が上だ。自傷しながら攻撃しても、不利になるのはシェフィルの方。武器どころか自爆装備としても使い道がなかった。
「(しかしアイシャが嬉しく思っているのなら、火というのは料理に欠かせないものなのでしょうね)」
ふと、アイシャが話していた事を思い出す。人間は加熱により、本来食用にならない様々なものを食べられるようにしてきたと。
ならばもしかすると、ウゾウゾも加熱により味が大きく変化するのだろうか。
「火力の調整が難しい……まずはこのぐらいで」
アイシャは中身を取り出して肉厚の表皮だけになったウゾウゾを、油石から吹き出す火の前に翳す。手に持ってではなく、フカフカボーに突き刺した状態だ。お陰で火傷の心配もなく、油石が出す炎にウゾウゾだけを近付けられる。
火の近くに置かれたウゾウゾの身は、びくびくと跳ねた。
アイシャは身体を強張らせて驚く。対してシェフィルは、大きくその目を見開きながら驚いた。恐らくはアイシャよりも驚愕している。
何故なら焼いているウゾウゾは肉厚の皮だけの存在だ。確かに生命力は強いのでいずれ再生するが、だとしても体組織がなければ活発な動きは出来ない筈。ろくに再生していない、皮だけの状態で跳ねるとは考え難い。
油石の熱エネルギーは特殊なものだが、エネルギーには違いない。遅れて吸収したエネルギーを糧にして、細胞が活性化したのだろうか――――尤も、そんな事を思ったのも束の間、すぐにウゾウゾは動かなくなった。熱エネルギーを使って再生しようとしたが、それよりも油石の炎に焼かれる方が早かったのだろう。
アイシャは指を器用に使ってくるくるとフカフカボーを回し、そこに突き刺さっているウゾウゾの身も回す。満遍なく加熱する作業は数十秒で終わり、アイシャはフカフカボーを持ち上げる。
火から離された時、ウゾウゾの真っ白な身体は黒ずんだ茶色に変色していた。
「うへー。なんかウンコみたいな色になってますけど、大丈夫なんてすかこれ」
「うん……!? う、うん、まぁ、そういう色ではあるわね。ちょっと焼き過ぎたかも。思っていた以上に火力が強かったわ。でも、これで加熱調理は出来たわよ」
焼けたウゾウゾの身を半分に切り、アイシャはシェフィルに片側を渡す。
受け取ったシェフィルであるが、今回は少し躊躇った。何分今まで料理として作ってきたものは、いずれも美味しくなるどころか不味くなっている。しかも焼いたウゾウゾの色合いは、数多の動物達が出している糞と似たようなもの。美味しいものとは思えない。
しかしアイシャは加熱調理を信頼しているのか。殆ど迷った様子もなく、半身をぱくりと口の中に入れた。更にもぐもぐと、何度もしっかり噛んでいく。
なのに、顔を顰める事はしない。
ついにはごくりと喉を鳴らし、飲み込む。
「……やったわ! ちゃんと美味しくなってる!」
そして満面の笑みを浮かべて、心底嬉しそうに報告してきた。
「ほんとですか? 単に食べ慣れただけでなく?」
「疑り深いわねぇ。そういうのは食べてから言いなさいよ」
疑念をぶつけてみると、アイシャから返ってきたのは正論。それもそうだと納得し、シェフィルは思い切って焼きウゾウゾを口の中に入れた。
その瞬間、シェフィルは衝撃を覚える。
口の中に広がったのは『香り』。
そう、香りと呼べるほど好ましい匂いだった。今まで食べてきたものの中で、良いと思えたのは大型獣の生肉の臭いぐらいなもの。ところがこれはウゾウゾで、普通に食べれば苦くて渋くて臭い肉である。なのに極めて濃密な、大型獣の生肉すら比にならない芳醇な香りを漂わせていた。
何かがおかしい。あまりにも想定外の香りに危機感すら覚えるも、本能には逆らえず。無意識に動いた顎がウゾウゾの身を砕く。
途端、溢れ出した汁が更なる衝撃をシェフィルに与えた。
汁が苦くない。いや、厳密には苦味があるのだが、仄かなものだ。アクセントとして丁度いい。
何より身が甘い。脂肪や糖質の甘みが舌をビリビリと刺激してくる。しかし何よりも強力なのがアミノ酸の味こと旨味だ。これが口の中を溢れんばかりに満たし、味覚神経をガンガンに刺激してくる。天敵がいない、不味さで身を守らなくて良い大型生物の肉でさえ、こんな上質で濃厚な甘味と旨味は持ち合わせていないというのに。
たった一口噛んだだけでこれ。もう一口、二口噛んだら一体どうなってしまうのか。
「ふふーん。どうよ! これが料理の力、それと私の力よ!」
余程『料理』の出来に自信があるのか、アイシャは胸を張りながら自慢してくる。
実際、その自信に相応しい、いやそれ以上の出来だとシェフィルは思う。されどそれを言葉で伝える事はしない。
理由は言葉が出てこないから。
「……ほへー」
味わった事のない味覚に、シェフィルはパタリと仰向けに倒れてしまう。
そしてそのまま動かず、このまま『昇天』しそうな安らかな笑みを浮かべた。
「ちょ、シェフィル!? シェフィルぅーっ!?」
予期せぬ反応にアイシャが動揺し、身体を揺さぶって呼び覚まそうとする。実際意識はあり、起きようと思えば自分の意思で起き上がれる状態だったが……シェフィルはこれを無視した。ただもごもごと、ゆっくり顎を動かして、口内の肉を噛み潰すだけ。
口の中に広がる至上の味の前では、アイシャの心配した様子の声すらも瑣末事に思えてしまうのだから……
 




