凍える星の姫君03
シェフィルの家は、大地に掘られた『横穴』である。
この星では極めて珍しい、三メートルほど隆起した丘(のように大きな岩盤)に開いた穴を住処としている。穴を掘ったのはシェフィル自身。母は『家』というものをよく分かっておらず、作るという発想もなかった。物心が付いた頃に「ひょっとするとそとよりあなのなかのほうがくらしやすいのでは……?」と思い立って作り上げなければ、きっと今でもシェフィルは凍り付いた大地の上で寝ていただろう。
穴は高さ二メートル、奥行き十メートルほど。入り口は幅一メートルしかないが、最奥では五メートルほどの広さが確保されている。壁面は地上を覆う氷や固体酸素ではなく、岩石質の物質で出来ていた。剥き出しの岩であるが、天然の荒々しさはない。何処も綺麗に磨き上げられていた。勿論シェフィルが長い時間を掛けて掘り、素手で磨いた成果である。
部屋には獣の骨から作り上げた槍が、何本も立て掛けられている。人間よりも遥かに大きな獣の頭蓋骨の中には赤黒い血が溜められ、その中を体長三十センチほどの生き物(眼球に細長い胴体を生やしたような見た目をしている)が泳いでいた。床にはふかふかとした毛皮が敷き詰められ、歩き心地が良い。
暮らしぶりは原始的。されどより心地良い生活を求め、様々な改良が施されている。数々の工夫は家の主・シェフィルが、この過酷な世界を少しでも快適に生きようとした証だ。
【しかし正直なところ、あなたが今日まで生き延びるとは思っていませんでした】
そんな家の中を外から覗き込みながら、曲がりなりにも『母』と呼ばれる生物は淡々とそう告げるのだが。
しかし穴の中にいるシェフィルはまるで気にせず。むしろケラケラと笑いながら、つい先程自分が仕留め、家に持ち込んだゴワゴワの解体を行う。解体と言っても、自分が切り落とした頭の断面に手を突っ込み、引きずり出したどろどろの中身をそのまま食べるぐらいだが。
「もぐもぐ……そりゃまぁ、母さま達ほど強くないですし。あと母さまの子育て、割と雑だと思います。赤ん坊に血どころか肉を食わせて育てるとか、他の動物達の方がちゃんと子育てしてますよ」
【何分ペットとして飼いましたから。子供のつもりで育てた事はありません。死んだらそれまでのつもりでした】
「知ってますけどねー。昔から聞いてますし。はむっ」
なんの愛情も感じさせない言葉であるが、シェフィルはそれを気に留めない。
シェフィルは既に知っている。
母が単なる好奇心で自分を育てていた事は、言葉を理解するようになった辺りで教えられた。その事については「成程なぁー」と思うだけで、ショックなども受けた事がない。子というのは親に似るのだ。例え親にその自覚がなくとも。
そもそも人間の親子関係というのがどういうものか、シェフィルはよく知らない。この星には、シェフィル以外の人間がいないのだから。
何故自分がたった一人この星にいるのかも、シェフィルは母から聞いている。昔、この星に人間達の乗る船が墜落。事故の激しさから殆どの人間が原型すら留めていない中、唯一シェフィルの身体だけは大きな傷もなく存在していた。
そこで母は自らの細胞を与え、シェフィルを『蘇生』させた。
実際には『置換』に近いらしい。生きた細胞が神経系などを捕食しながら置き換わり、健全な肉体を再構築するというもの。母と同じ姿形にならず人間の姿を保っているのは、侵入した細胞が元あった細胞の遺伝子を取り込み、より安定した形態へと『進化』した結果だ。遺伝子的には人間と母の混ざりものとでも言うべき状態である。母達の遺伝子はあまりにも複雑かつ巨大なため、割合では母の遺伝子情報が九割を占めているらしいが……
ちなみにシェフィルが母達と同じく、電磁波言語を使えるのも細胞が同じだからである。大気がないこの世界では、光の一種である電磁波を用いなければ会話が成り立たない。
また、メートル法などの人間が用いる知識は母から伝え聞いた。人間という概念は、船に積み込まれていた『でんしきき』から抜き出したものらしい。『でんしきき』なるものがどんな物体か、実物を見た事がないシェフィルは詳しく知らないが。
ともあれシェフィルという少女の身体は、見た目は人間でも、細胞のルーツで言えば母と同じものなのだ。そういう意味では人間というのは誤りで、母達と同じ種族なのかも知れないとシェフィルは思う。尤も、シェフィルはあまり難しい事は考えたくない性格で、自分がなんであるかなど興味もない。この星に自分以外の『人間』が存在しない事実に、寂しさを感じた事さえなかった。
【しかしここまで育ったからには、あなたしか人間がいない状況はあまり良くありませんね】
ところが母の方はシェフィルに『仲間』がいない事を気に掛けている。
予想外の言葉に、シェフィルは驚いて目を見開いた。パチパチと瞬きした後、掴んでいたゴワゴワのどろどろ肉を口に入れ、咀嚼し、飲み込んで……それから身を乗り出して母に尋ねる。
「どういう事です? 私一人では何か不都合がありましたか?」
【ええ、繁殖相手がいません。ペットとはいえ仮にも私の遺伝子を与えたのです。あなたが子孫を残せず死ぬのは、極めて不本意です】
「あー、繁殖ですかぁ」
母が気にしていた部分が分かり、シェフィルは納得する。
正直、シェフィル自身もその衝動――――「自分の遺伝子を増やしたい」という欲求がある事は自覚している。
母が不本意と述べたように、自分の子孫を残せない事は嫌だと感じるのだ。何故と問われても答えられない。
きっと母から受け継いだ遺伝子が、その衝動を引き起こすのだろう。シェフィルはこれを拒むつもりもない。生物が子孫を残すのは普通の事なのだから。この星に暮らす様々な生物や、母達の種族の繁殖も見てきたシェフィルにとって、それはなんら拒否感を覚えるものではなかった。
尤も、どれだけ受け入れる心を持ち合わせていても、環境がそれを許さない以上どうにもならない。シェフィルの身体を作る遺伝子の大半は母由来のものであり、母達は繁殖に他個体を必要とする。そして恐らくだが、人間も同様らしい。自分以外の人間がいないので推測に過ぎないが、シェフィルは本能的に、同種がいなければ繁殖は出来ないと感じていた。
一応シェフィルの遺伝子は母由来のものが九割を占めているので、形質的には母の種族と近い。だからもし今から繁殖相手を選ぶとすれば、母の種族が好ましいのだが……九割程度の一致では、繁殖相手に適さない。そもそも人間の遺伝子を取り込んだ分、シェフィルの遺伝子は母達よりも少し長く、正常な『結合』が行えない。これでは遺伝子の読み込みも上手くいかず、誕生前に死んでしまうだろう。仮に誕生しても恐らく繁殖能力がないため、自分の遺伝子を増やしたいというシェフィルの衝動にそぐわない。
シェフィルの子孫を残すのは、この星では現状不可能な願いだった。
母もそれは理解しており、故に非合理で感情的な指示を言ってくる事はしない。母の種族は極めて無感情で合理的である事を、シェフィルは知っていた。
【ないもの強請りをしても仕方ありません。これからは単為生殖の練習をする事にしましょう】
ただし時々非合理でも感情的でもない、けれども相当な無茶振りもしてくるが。
「……いや、それ練習でどうにかなるものじゃないですよね?」
【そうとは限りません。我々の祖先は単為生殖により繁殖していました。それらの形質が僅かでも遺伝子に残っていれば、なんらかの環境や体質により発現する可能性があるでしょう。やってみなければ無理かどうかは分かりません。諦めては僅かな可能性も掴めなくなります。何事も気合いが大事ですよ】
「気合いでどうにかなるかなぁー。というか母さま達の種族、普段は全く感情がない癖に、時々凄い根性論持ち出しますけど、なんでなのです?」
【最後まで諦めない事が、我々が繁栄してきた一因ですから。死の間際まで繁殖を試みたものだけが生き延び、今に血筋を繋いでいるのです】
母との他愛ない会話を交わしながら、シェフィルは物思いに耽る。
母は気合いでの解決を推奨している。それはつまり、論理的かつこちらから関与可能な解決策が母には思い付かなかったという事だ。もしもそんな方法があれば、気合い云々なんて絶対言わない。母は極めて『合理的』なのだから。
シェフィルも案は浮かばない。暇な時に単為生殖の練習をするぐらいしか、繁殖するチャンスはないように思えた。しかしこの方法、駄目元でやっているように端から成功するとは思えない。
母達含めたこの星の生物ならば、その『根性』とやらでなんとかしてしまうだろう。無論成し遂げた際の仕組みは極めて論理的な、例えば生理機能の応用などであるが……言葉で言うほど単純なものではない。文字通り内臓を物理的に裏返しにするような、応用というより改造に近いやり方をする事も多々ある。この星の生物の繁殖に対するものは、根性というより執念に近い。
シェフィルも母からその遺伝子を引き継いでいるが、人間のものが混ざっているからかそこまでの執念は持ち合わせていない。物理的に内臓をひっくり返すほどの根性は出せる気がしなかった。よって成功するとも思えない。
……一応、もう一つ可能性はある。それは起きさえすれば、確実に繁殖出来る可能性。
「(私みたいに、この星の外から人間が来てくれれば悩まずに済むんですけどねー)」
シェフィルのように、事故で人間がやってくる可能性だ。シェフィルという『前例』がある以上、絶対にないとは言えない。
言えないが、しかし母曰く、この星に人間が来たのはシェフィル達が初めてらしい。母はシェフィルが生まれる遥か以前から生きているが、それでも前例がないのだ。そしてシェフィルがこの星で暮らすようになってそれなりの時間が経ったが、未だシェフィル以外の人間は現れていない。極めて低確率な出来事なのは確かである。
それが今、自分が繁殖相手に悩んでいるこのタイミングでやってくる……そんな都合の良い展開、早々起きないだろう。シェフィルは合理的にそう考えていた。
――――そう考えていた時に『事』が起きたのは、天文学的確率による奇跡か。
否である。シェフィルの身体は既に予兆を捉えていた。優れた感覚器が捕捉した微細な情報は、思考として意味を理解する事は出来なかったが……無意識の領域を刺激。その可能性を脳裏に浮かび上がらせ、理性ではあり得ないと否定しつつも本能的にシミュレーションを行う。
高度な感覚器を有するシェフィル達にとって、考えた事が現実になるのは、珍しい出来事ではなかった。
【ふむ】
最初に『兆候』に気付いたのは母だった。シェフィルとの会話を唐突に打ち切り、シェフィルの家である横穴から離れていく。疑問を抱いたのも束の間、シェフィルも奇妙な感覚を覚えた。
空から、何かがやってくる。
まさか、とシェフィルは思った。思って身体が強張ってしまうのが、兆候を実感してすぐに行動を起こした母との違い。『人間』である彼女は母ほど自分の直感を信じられない。
【影響圏外から侵入する物体があります】
母からこの言葉を伝えられるまで、シェフィルは確信を抱けずにいた。
影響圏――――母達がこの星の『範囲』について語る時に使う言葉だ。影響圏外とは即ち星の外側、宇宙から何かがやってきた事を意味する。
母の言葉があれば、どれだけ非現実的な事でも即座に受け入れる。シェフィルは獲物の解体を放棄し、横穴の外へと飛び出す。
母は空を見上げていた。シェフィルも空を見上げる。大気のない空に広がるのは満点の星空。青さを感じるほどの濃密な星々の海が視界を埋め尽くす。
その星の中に、奇妙な明かりが一つだけあった。
明かりは不規則に明滅している。この時点で普通の星としておかしい。更に明かりは段々と大きく……いや、この星に近付いてきていた。
母の言う通り、何かがこの星に落ちてきていた。そしてそれは流星などではない。大気を持たないこの星に、大気との摩擦により生じた熱で発光する現象は起こらないのだ。つまりあの物体は自ら発光しているという事。
やがて星の動きが目に見えて加速する。それは物体とシェフィル達の距離が近付いてきた証拠。加速したと思った時には、あっという間に地上へと迫り――――
光は、墜落した。
音はない。大気を持たないこの星では、例え惑星中に響き渡るような大音量でも伝わる事はないのだから。しかし墜落場所に積もっていた酸素や二酸化炭素が、衝突で生じた熱エネルギーにより気化。数百メートルにもなる巨大な白煙が舞い上がり、遠く離れたシェフィル達に落下時の激しさを伝えた。
……それだけ激しければ、『中身』が無事である保証はない訳で。
【中に人間が乗っていたとしても、あれでは原型を留めていそうにありませんね】
「ですねー。でも見に行きましょう」
【ええ。私は『シェフィル』に回収を少し待つように依頼します。先に行ってください】
母の無感情で無慈悲な言葉に同意しつつ、シェフィルは落下地点に向かう事を伝える。母はそれに反対せず、そのための根回しもしてくれた。
確かに、母が言うように落ちたものかなんであれ、中身が形を保っている可能性は高くない。しかしそれでも、諦めて見に行かないという選択は頭の片隅にも浮かばない。
母の遺伝子から込み上がる繁殖の衝動は、それほどまでに強いものなのだから。