進化の根源03
料理。
それは人が手を加えた食物を指す言葉。或いは、その料理を作り出す行程自体を指す。
人類文明において、料理は古代から行われてきた。それこそ人間が文字を用いるよりも前……火を扱い始めた時に『加熱調理』が誕生している。或いはそれ以前にも『干し肉』や、或いは他の食材(香草や塩など)と合わせて食べるという事は行われていたかも知れない。これらも食材の加工という意味では料理の一種と言えるだろう。
料理こそが人類最古の文化。おまけに機械の発展などで方法は変われども、今でも続けられている由緒ある伝統だ。
「はぁ。それをすると食べ物が美味しくなるのですか?」
もちゃもちゃとウゾウゾ(アイシャの食べ残し)を食べながら、料理についての概要を聞かされたシェフィルは根本的な疑問を尋ねる。
アイシャは不敵に、そして自慢気に笑いながら答えた。
「当然! というか食材をそのまま丸齧りなんて、ふつーはしないわ。例え生で食べるにしても、何かしらの手間は掛けるものよ」
「そーいうもんですかねぇ……というか美味しくするためだけに手間というか、コストを掛けるのが合理的だとは思えませんが。それをするぐらいなら不味くても数を取ってきた方が生存率は高いでしょうに」
「全く、これだから野生動物は。良い? 料理は人間が宇宙を旅出来るようになるまで『進化』出来た、大きな要因なのよ? 自然界を生き抜く上でも凄く重要なんだから」
アイシャはそう言うと、料理と人間の進化について話し始める。
曰く、料理による味の改善は、同時に栄養面や衛生面の改善ももたらすという。
例えば最も原始的な料理である加熱調理。肉を焼く事で香ばしくなり、食感も良くなる。こうした味覚的な変化と共に、肉類に含まれるタンパク質も変化。食感が柔らかになって噛み千切りやすくなり、消化に負担が掛からず、そしてより多くの栄養が摂取出来るようになるのだ。
これは肉だけに言える話ではない。むしろ真価を発揮したのは、植物に対してだろう。植物というのは基本的に有毒なため、そのまま食べると身体を壊す(中毒を起こす)ものが少なくない。しかし加熱を行うと、それら毒素の多くを分解し、食用にする事が可能となる。
例えば食用豆類はその筆頭だ。一部の種類を除いて豆には有毒成分が多く含まれており、そのまま食べると命すら危険に晒す場合もある。豆というのは本来植物の種子なのだから、これが食べられるのは植物にとって一大事。猛毒を含有するのは、豆類の立場からすれば当然だろう。しかしこれらの毒の一部は、加熱により分解・無害化する事が可能だ。また生だと硬くて歯が立たない事も多いが、加熱すれば柔らかくなって噛み潰せる。
そして穀物を食用に出来た事は、人類の繁栄を決定付けたといっても過言ではない。
穀物に含まれるデンプンは、本来人間には消化出来ない成分だ。そのため穀物を生のまま大量に食べると、消化不良によりお腹を下してしまう。しかし加熱調理をする事でデンプンの性質が変化し、人間でも食べられるようになる。
穀物は他の作物と違い、『主食』として利用出来る。優れた栄養価を誇り、生産性も高く、保存性に優れていた。特に保存性の良さから備蓄可能な『富』としても活用出来、これにより人類は富の交換――――経済活動を獲得。富を他者に分け与える給与の概念が誕生し、兵士や職人など非食料生産職を生み出す。職業の分業化が進み、食料生産の片手間では出来なかった高度な技術を会得。これが人類文明発展の基礎となった。
また生肉には寄生虫や食中毒菌が多数存在しているが、これらも加熱調理である程度無害化出来る。毒素や菌の中には高熱に強いものがいるため、必ずしも有効ではないが……しかしその可能性を大きく低下させる事は可能だ。食中毒を回避し、健康的な肉体を維持出来れば、その肉体が生む労働力や知能を止め処なく発揮出来るだろう。
料理こそが、人類文明を育んだ根幹たる技術なのだ。
「まぁ、色々言ったけど、要するに今まで食べられなかったものが食べられるようになって、あんまり狩りをしなくても暮らしていけるようになるのよ」
「ほー。それは確かに大きなメリットですねぇ」
アイシャの説明により、シェフィルも料理の利点は理解出来た。もし本当にその通りなら、確かに生きる上で極めて有効な行いと言えるだろう。
シェフィルは長らくこの星で生きているが、冬以外の時期なら有り余るほど食べ物に恵まれていたという訳でもない。生き物の数というのは変動するものであり、時には食用となる種が殆ど見られない時期もあった。こうなると食用になる生物種が増えるまで、飢えに苦しむ羽目になる。
しかしある種の生物が少ない時は、別の生物が増えているものだ。天敵が少なかったり、ライバルが少なかったりと、理由は様々だが、結果的に生物の『総数』はそこまで変わらない事が多い。食べられる生物の幅が広がれば、特定の生物種が減っても、他の生物を食べる事で飢えを凌げる。今後はアイシャと共に生活する以上今までよりも多くの食料が必要となるのだから、食べられるものの種類を増やす事は重要だろう。
正直なところシェフィルは(星に墜落するわ母には通じない武器だわという具合に)人間の技術というものは、確かに凄いが、肝心なところで役に立たないと思っていたが……料理という『テクノロジー』には興味を惹かれた。
「でしたら早速何か料理をしてみてください。必要なものがありましたら取ってきますよ」
早速料理したものを食べてみたい。好奇心のままに手伝いを申し出るシェフィルだったが、アイシャは不敵に笑いながら窘める。
「落ち着いて。私は、まぁ今時珍しい自炊する系の女子で、料理経験は豊富よ。でも料理の方法は食材によって大きく変わる。人類文明で使われている食材はどれも先人の知恵があるから、初めてでも問題なく使えるけど……この星の食材にそんなものはないわ。だからまず、『経験』を積まないと」
「んー? つまり、あれこれ試すという事ですか?」
「そーゆー事。とりあえずは……そうね、やっぱりウゾウゾからやりましょ。数が集められるから練習にはうってつけだと思うし」
「確かに経験を積むのは大事ですね」
自分も狩りや戦いの技術は、様々な相手との『戦い』で身に着けてきた。そうした経験が料理にも必要なのはシェフィルとしても頷ける。
加えて、ウゾウゾの味がどう変わるのか、というのは気になるところ。春のウゾウゾはとても不味い。それが美味しく食べられるようになり、更に栄養面も改善出来れば、今後の生活がとても楽になる筈だ。
「という訳でウゾウゾを捕まえて、家に持って帰りましょ。料理は安全な場所で、落ち着いてやらないとね」
「分かりました! いっぱい捕まえます!」
ワクワクしてくる気持ちを抑えきれず、シェフィルは元気よく返事。早速とばかりに地面を掘る。
そうすればウゾウゾは簡単に見付かった。地面を二十センチも掘れば白い身体が現れ、簡単に捕まえられる。そしてウゾウゾはこの星で大繁栄を遂げている、成功した一族。一匹捕まえたところの穴からもう一匹顔を出すなど珍しくもなく、一度に二〜三匹発見する事もザラだ。
集める事にはなんの苦労もない。瞬く間に数十匹と掘り出す。ところがこの楽な採取に、アイシャが待ったを掛けてきた。
「すとーっぷ。いっぱい捕るのは良いけど、ちょっと選別をしましょ」
「選別ですか? ……どれも同じでは?」
今し方捕まえたウゾウゾと、先程捕まえて地面に引っ張り出したウゾウゾ。両者を掴んで見比べてみるシェフィルだが、違いなどないように思える。
いや、実際には違いがあるかも知れない。
母曰く、ウゾウゾはこの地域だけで三十種以上生息しているのだ。シェフィルが捕まえたウゾウゾも、全てが同種とは限らない。とはいえ見た目に殆ど違いはなく、味も大差ない筈だ。少なくともシェフィルはこれまでの生涯で何千ものウゾウゾを食べてきたが、明らかに味が違う(美味だった)個体に出会った経験はない。
だからシェフィル的には分ける必要などないと思うのだが、アイシャの意見は違うらしい。鋭く真剣な眼差しでウゾウゾを見ていた。
その視線に、シェフィルは少しドキリとする。今まで情けない姿ばかりのアイシャだったが、こんな『獰猛』な目をする事もあるのかと驚いた。何より真剣な姿が、カッコいいと思う。
ちょっと頬が熱くなるのを感じる。何故身体が火照るのだろう? 獰猛な眼差しに気付いて身体が臨戦態勢に入ったのだろうか。いや、目付き一つで相手の戦闘力を見誤るとも思えないが……シェフィルがあれこれ考えているのを余所に、アイシャはウゾウゾだけを見ながら意見を述べる。
「こっちの個体の方が、そっちよりも太ってるわ。それに肌の艶も良いと思う」
「え? ……あー、確かにそうかも知れません」
「多分だけど、こっちの方がまだ脂肪の乗りが良いんじゃないかしら。確かウゾウゾって春になったら脂肪を燃やして、天敵に備えるため苦味とかを蓄えるのよね? なら、太っている個体はあまり苦くない筈じゃない?」
「お、おお? そうなのですか?」
「推測だけどね。という訳でちょっと試してみましょうか」
シェフィルが持つ、ちょっと太っているウゾウゾを手に取り、アイシャはそれを丸齧りにする。顔を顰め、白目を剥いたので、美味しくはなかったのだろう。しかしダバーッと口から吐きはせず、ごくんと飲み干した。
それでへこたれず、今度はもう一方のウゾウゾを掴み、同じく頭から丸齧り。今度は白目を剥き、即座に口の中身を吐き出す。
アイシャがわざとやっているのではない限り、太っている方のウゾウゾはまだ食べられる味だったようだ。
「げほっ! ごほ、ごぼっ……す、推測は、合ってたみたい、げほっ! うう、まっず……」
「ほほう、どれどれ」
苦しみながらも分析するアイシャの前で、シェフィルもウゾウゾを食べてみる。
どちらも吐き気がするほどに不味い。アイシャのように吐かずに済んでいるのは、シェフィルにとってこの程度の不味さは慣れっこだからだ。
そして慣れているからこそ、味を念入りに確かめる余裕もある。吐き出したくなる感覚を堪えて苦々しい肉を舌の上で転がし、それぞれの味の違いを確かめてみる。
……言われてみれば、太っている個体の方がまだ苦味や渋味が少ない気がする。美味しいには程遠いが、それでもかなり食べやすい。
些細な変化であるが、しかし大きな成果でもある。食べやすいものが見分けられれば、一食に費やす時間を減らす事が可能だ。つまり時間的余裕、他の作業を行う事が出来るようになる。それに美味しいものを食べた方が、精神的な負担が小さい。緊張状態を和らげ、生存率を上げるだろう。
「凄いですアイシャ! 私今までウゾウゾに味の違いがあるなんて知りませんでした!」
「え? そ、そう? そんなに褒められると、ちょっと照れるわね」
本心からの言葉を伝えたところ、アイシャは赤くした頬を掻く。
照れた姿も可愛いなぁとシェフィルは思いつつ、掘り出した他のウゾウゾに目を向ける。
「(うーん。しかし先程ぐらい太ったウゾウゾは、あんまりいませんねぇ)」
転がるウゾウゾは今食べた『マシだった方』と比べ、いずれも痩せた姿をしていた。
ウゾウゾの立場からすれば、冬に溜め込んだ脂肪は既に用なしであり、それを素早く分解・利用している個体の方が『優秀』である。勿論脂肪の分解の遅い個体にも有利な点はある(繁殖時期をずらす事で、他個体が繁殖するタイミングで増える天敵をやり過ごす事が出来る等)のだが……基本的にはさっさと繁殖した方が良い。成体になろうとウゾウゾ達はやはり喰われる側で、繁殖が遅くなればその分繁殖前に死ぬ可能性が高くなるのだから。
冬が終わってしばらく経った今でも丸々太っている個体は、極めて珍しいと言わざるを得ない。料理をすると栄養の吸収効率が上がるとアイシャは言っていたが、選り好みし過ぎて摂取量が激減しては元も子もないだろう。
「ですがアイシャ。もう太った個体はいないみたいですよ。探せば見付かるかも知れませんが、それでは量が取れません」
「んー。そうみたいね。ならまぁ、しょうがないわ」
率直な意見を述べてみると、アイシャはあっさりと同意した。
これにはシェフィルも少し驚く。アイシャはこういう時、ちょっとワガママを言うような気がしたので。
「……何よその顔。私がワガママ言わなくて意外って言いたげね」
どうやらその気持ちは顔に出ていたらしい。別段隠すつもりもないので、素直に頷く。
「はい、意外で驚きました」
「ぐぅ。ここまで毒気なく正直に言われると怒るに怒れないわね……そりゃまぁ、出来ればより美味しい食材を使いたかったけど、ないなら仕方ないわよ。それに……」
「それに?」
「私、食材の味で『ゴリ押し』するの、好きじゃないの。料理の本質は、その食材をより美味しく食べるための加工よ。そりゃ最低限の目利きはするけど、美味しい食材を使って美味しくなるなんて、そんな普通の結果を出しても面白くないわ!」
胸を張り、誇らしげに語るアイシャ。
シェフィルに料理の本質云々は分からない。だが、少なくともアイシャが料理に対し、当人なりの美学を持ち合わせている事は窺えた。
それが良い事なのか悪い事なのかは、やはり料理を知らぬシェフィルには予想も付かない。しかし語られるこだわりに、何処か心惹かれる気持ちもある。
少なくとも、期待はしてみたい。
「という訳でより良いもの探しはここまで! 今まで捕まえた中で特に太ってる奴だけ持ってくわよ!」
「おーっ!」
胸が弾んだシェフィルは、アイシャからの指示に元気な返事をするのだった。




