進化の根源01
春。
冬が終わった後の季節を、シェフィルはそう呼んでいる。墜落した宇宙船の記録によれば、人間達はそう呼んでいると母から教わった。
春は此処惑星シェフィルでも、生命に溢れる季節だ。冬に備えて地中へと退避していた数多の生命が、一斉に地上へと戻ってくる。その中には、冬の直前には全く見られなかったものもいる。
例えば『ドロドロ』。
これは真っ白な粘液を纏った、軟体生物的種だ。体長は十五〜二十センチに達し、体節が見当たらない扁平な体躯を持つ。太く発達したヒダ状の突起物が身体の側面から伸び、これで大地を踏み締めて歩く。頭からは角のように太く短い触角が生え、小さな粒状の単眼と共に世界を見通す。口を形作るのは硬い顎ではなく、無数のヒダ状突起物で出来ている。
普段は地中に潜んでいるが、冬が終わると成体がよく地上に出てくる。理由は繁殖のため。特定の場所……具体的には地上に転がる死肉の周辺に集まる事で、他個体と出会い、交尾して次世代を生み出す。
例えば『コロコロ』。
体長一センチの、丸くて小さな生き物である。球形の身体を持ち、ころころと転がりながら移動する。全身が甲殻で覆われているが、体節などの切れ目は存在しない。完全な球形生物という事だ。甲殻表面には産毛のような脚が無数に生えているが、動き回るためにではなく、転がる方向を変えるのに使う。最大の特徴は口となる穴が三十六個、身体をぐるりと一周するように空いている事。母曰く厳密には口ではなく気門から変化したものであるという。
コロコロはその穴のような口から、降り積もった雪(固体化した様々な分子)を取り込んで食べる。体内で気化させて、それを取り込んでいるらしい。食べ物がそこらに積もっている『気体』なだけに大人しい生物であり、攻撃的な部位や能力は持たない。代わりに身体が極めて頑強で、ちょっとやそっとの攻撃なら跳ね返す。
例えば『フカフカボー』。
ふかふかとした白い毛に覆われた、一本の棒のような姿をした生物だ。棒のような身体は高さ一メートルにもなるが、太さは僅か五センチしかない。降り積もった雪や土壌養分を体表面から取り込んで生きており、口どころか頭も持たない。枝分かれした突起などは持たず、極めて単純な姿をしているが、それ故に繁殖力・成長速度は早く、栄養分の豊富な土地では瞬く間に増殖。春になればフカフカボーの森が、大地のあちらこちらで見られるだろう。
溢れんばかりの命達。そしてこうした小さな命が、より大きな生き物を支える。シェフィル達『人間』もこの星ではまぁまぁ大きな生き物であり、小さな生き物達の命を頂いて生きている身だ。獣の思考を持つシェフィルはそこに感謝などしないが……とても有り難いのは分かっている。冬で消耗した体力を回復出来るのも、春の恵みがあるお陰だ。
「はい、アイシャ! 大きなモージャを見付けましたよ!」
シェフィルが自宅である小高い丘に開けた横穴に持って帰ってきた、モージャの死骸もそんな恵みの一つだ。大きくて脂肪をたくさん蓄えた、ぶよぶよとしたイモムシ型の身体は食糧として極めて有用である。
いくらでも食べられる、この時期に取れる中では最高の食材の一つだ。そう、最高の。
「……もう嫌」
ところがどうした事か。モージャを目にしたアイシャ(シェフィルが少し遠出するので留守番していた)の口から出てきたのは、直球の嫌悪感だった。
たった今自分が抱いていたのとは、真逆の言葉。そんなものが返ってくるとは思わず、シェフィルは目を丸くしてキョトンとしてしまう。
次いで、アイシャが何故そんな事を言い出したのか気になる。
「どうしました、アイシャ。モージャですよモージャ。脂身たっぷりですよ?」
「脂身多過ぎるのよ! めっちゃギトギトしてるじゃないこれ! あと最近は腐ってる臭いするし!」
「脂が多いのはカロリー面から考えると利点でしょうに。臭いについては、まぁ、生き物のいない冬なら兎も角、春になると流石に色々湧きますからねぇ。腐るのも当然でしょう」
「やっぱり腐ってんじゃん! 腐ったもん普通に出さないでよ! そして何より!」
「何より?」
「このところずっとこれしか食べてないじゃない! 飽きたのよ流石に!」
びしりと指を向けながら、アイシャは力強く理由を教えてくれた。
アイシャが言うように、春になってから今に至るまでの数日間、シェフィルはモージャばかりを持ってきている。他のものは全く手に入れておらず、モージャ尽くしだ。
しかしシェフィルはまた首を傾げてしまう。一体それの何が問題なのか、シェフィルには分からないがために。
「そうは言いますけど、春はこれが一番良い食べ物なんですよ? 苦労もないですし」
説明しながらシェフィルが思い返すは、今し方持ってきた、そして冬には戦いもしたモージャの生態について。
冬であれば無敵に等しい強さを持つモージャ。
しかしモージャ達が冬に地上で活動するのは、他生物相手に無双するためではない。嵐で掘り出された生物に卵を産み付け、繁殖するためだ。
そしてモージャは、この星の生物にしては珍しく生涯で一シーズンだけ……冬にだけ繁殖を行う。冬の間は無敵だが、冬以外はへっぽこだ。冬以外に繁殖しようとしても狩られてしまうので、冬以外はそのためのエネルギー収集に注力する。余程大きな死骸を見付けた時には少数の卵を生む事があるらしいが、極めて稀な出来事には違いない。
そして冬以外ではろくに勝てないのだから、次の冬まで生き残れる保証はない。だったら初めて迎えた冬の間に、全てのエネルギーを使って繁殖する方が多くの子孫を残せる。
誰にでも立ち向かう攻撃性の高さは、限られた時期に少しでも獲物を得るためのもの。冬の間は尽きぬスタミナも、冬に全ての命を燃やす事を対価に得たものだ。モージャ達の身体は冬が終わる頃にはボロボロとなり、春を迎えると次々に死んでいく。
その死骸の山が冬は取り放題。無論他の生物もこの死骸は食べるが、それを差し引いてもモージャの死骸は極めて豊富だ。しばらくはこれだけで食っていけるほどに。
また、モージャを食べる理由は他にもある。
「数の多さも良いですけど、脂身たっぷりですからね。冬で弱った身体を回復させるのに、負担がとても小さくて済みます」
モージャの身体は極めて脂肪分が豊富だ。冬の間活動を続けるだけのエネルギーを持つ。春になると死ぬが、その多くはエネルギー切れではなく、酷使された細胞が損壊して機能不全に陥った結果だ。このため死んだ個体の身体には、まだまだたくさんの脂肪分が残っている。
冬越し後の身体は、非常に弱っている。寒さによる飢えを凌ぐため、身体中からエネルギーを絞り出したがために。消化器官も弱っていて、消化が難しいものを食べるのは体力の消耗が激しい。
モージャの身に含まれる脂質は、極めて上質で分解しやすい。小さな負担で大きなエネルギーを摂取出来、身体を本調子に戻すのにうってつけなのだ。
……尤も、身体の調子云々で言えば、一食分もあれば必要なエネルギーは十分確保出来る。
「体力はもう回復しきってると思うけど。かれこれ五食以上連続でこれ食べてるし」
「ギクッ」
アイシャが指摘するように、その目的は既に完了している。
「正直に話しなさい。なんで、こればっかり持ってくるの?」
真っ直ぐ、鋭い眼差しを向けながら、アイシャが問う。
別段そんな目で見られても怖くはない。けれども妙な圧迫感を覚え、シェフィルは居た堪れなさを覚える。
「……だってこれが一番楽に食べられるんですもの」
つい、シェフィルは本音をぽろっと零してしまう。アイシャが「それ見た事かーっ」と言わんばかりの顔になるのは、予期出来ていたというのに。
「そんな理由!?」
「だってだってぇ〜。普段食べ物を探すのってそこそこ大変ですし、今回の冬なんてわざわざ食べ物探しにまで出たんですよぉ? だったらしばらく休みたいですよぉー」
「あのねぇ……気持ちは分からなくもないし、苦労した方が良いとは言わないけど。でも同じのばかり食べていたら身体を壊すわよ」
【その意見には私も同意しましょう】
窘めてくるアイシャの言葉に、家の外から同意する者が現れる。
母だった。厄介な相手の出現にシェフィルは顔を顰める。
「えぇー……食べられるものを食べるのは、自然界で生きる上での大原則じゃないですか。他の生き物もみんなそうしですよ」
【確かにそうですが、あなたはあまりにも偏食が過ぎます。雑食動物というのは広い食性という強みを持ちますが、同時に特定の食べ物だけでは必要な栄養素を確保出来ません。様々なものを食べるべきです】
「そーそー。お母さんの言う事はちゃんと聞いた方が良いわよー」
母の指摘に、アイシャが同意を示す。
二対一の状況。おまけに『理詰め』でも『感情』でも、アイシャ達の方に分がある。どうにか言い返せないかとシェフィルは思考を巡らせるも、この立場の悪さを覆す方法はとんと思い付かず。
諦めの悪さは大自然を生き抜く上で大事だが、駄目な時は駄目。切り替えの良さもまた大事であり、それを理解しているシェフィルは反論を諦めた。
それに、シェフィルだって好んでモージャばかり食べていた訳ではない。ここまで言われて意地を張ろうと思うほど、モージャの死骸の味に思い入れはないのだ。
「……まぁ、確かに私もモージャはそろそろ飽きてきましたし、他の食べ物を探すのに異論はありません。アイシャ、手伝ってくださいよ?」
「勿論! 美味しいものをたくさん食べるためなら、人間はいくらでも頑張れる生き物なのよ!」
拳を握りしめながら、アイシャは気合いを見せる。やる気満々なのは良い事だ。厳しい自然界において、気を弛めないのは生きていく上で欠かせない。特に春は生命が豊富故に、凶悪な種も多いのだから。
だが、シェフィルは思う。果たしてアイシャのやる気は、何時まで続くのだろうか。
食べ物がたくさん得られる事と、美味しいものが食べられる事。二つが無関係どころか、割と対立すると分かっていて言っているのだろうか……




