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凍結惑星シェフィル  作者: 彼岸花
第二章 絶対凍結気候
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絶対凍結気候09

 冬の到来から五日目。寒さはいよいよピークに達する。

 電磁波がほぼ完全に吸い尽くされている今、シェフィルの目に外の景色は一切映らない。自分の体内電磁波すら捉えられず、あらゆる感覚が暗闇に閉ざされている。

 ピークという事は、後は衰えていくだけ。寒さはこれから段々と和らぐ……と言いたいが、実際にはピーク状態が維持される『最大期』がある。母の情報曰く、継続時間は一万百二十秒――――凡そ三時間。冬全体から見れば僅かな時間だが、最も苛烈な寒さが三時間続くと思えばかなり厳しい。

 ピークが収まり次第、出来るだけ早く食べ物を探しに行きたい。

 そう思うぐらい、今のシェフィルの身体は消耗していた。


「(お腹、空きましたね……)」


 ぼんやりとした意識で感じる、空腹感。

 シェフィルの意識が朦朧としているのは、あまりにも空腹だから、ではない。意図的に脳の働きを抑え、少しでも消費するエネルギーを減らそうとした結果だ。

 本来、このやり方は比較的愚策である。人間というのは知能に優れた生物であるが、知能を活かすために()()()()()()()()()()()()()()()。むしろ弱くなければいけない。「この臭いは絶対罠なんだけど本能には逆らえない」なんて事になっては、優れた知能の意味がないのだから。

 シェフィルは母の遺伝子を受け継いだ結果か、身体はそれなりには本能に忠実だ。それに全ての行動に一々思考を挟んでいる訳ではない。しかしそれを差し引いても、多くの行動が思考の後に行われる。

 即ち思考力の低下は、何かトラブルが起きた際、咄嗟に動けない事を意味していた。極めて危険な状態と言えよう。

 されど、こうでもしなければ寒さが弱まるまで身体が持ちそうにない。

 あるかも知れない危険に備えるか、チャンスを確実に掴めるようにするか。シェフィルが選んだのは、後者の選択だった。


「(アイシャが傍にいる事も、分からなくなりそうです)」


 一枚の毛皮に包まれた状態で、シェフィルとアイシャは密着している。

 体内の電磁波すら奪われている今、シェフィルには隣り合うアイシャの姿すら見えない。いや、それどころか肌の感触もない。体温どころか肌の弾力……運動エネルギーさえもが伝わる前に、星によって吸われているのだ。無論声も届かない。

 同族と隣り合っているのに、一人でいるような気持ちになる。


「(……何を今更)」


 幼い頃を除けば、シェフィルは何時も一人で冬を越している。

 もう子供ではないのだから、それを寂しいだの不安だのと思う事はない。大人になってから経験した二回の冬だってそうなのだから、三度目になった今回こうした気持ちを抱くようになるなどあり得ない。

 理屈で考えれば、先程の自分の心境は『寂しさ』によるものではないと結論付けられる。そう、理屈の上では。

 ところがどうしてか、無性にアイシャの顔が脳裏を過る。


「(……これは、ヤバいかも、ですね。死にかけて、いる、かも)」


 命の危機に対し、自分の本能が『繁殖相手』を求めているのか。頭をチラつくアイシャの顔にそんな理屈を付けてみたが、どうにもシェフィルの心は納得しない。

 それと、無性にアイシャの声が聞きたい。

 聞いたところでなんになるのかと、『本能』及び理性的な思考で自問自答する。そもそもアイシャは蘇生後、シェフィルが捕まえたメンメンを一緒に運んだぐらいの事しかしていない。今の実力がどの程度かは未知数であり、得手不得手も分からないため、繁殖以外の面で役立つ相手とは言えないのが実情。というより今はシェフィルが養っている状態だ。それに惑星シェフィルに降り立って日が浅く、基本的な知識もない。現状の打開策を相談したところで良い答えが得られるとは思えず、話した分だけ時間とエネルギーの無駄なのは考えるまでもない。

 理性的にも本能的にも、話す事が無意味を通り越して有害なのは明白。そんなのは分かっているのに心がざわめく。

 こんな感覚は今まで感じた事がない。自分の気持ちが、よく分からない。

 何故、アイシャの傍にいるとこんな気持ちになるのだろうか。人間の遺伝子が、この奇妙な感覚を生んでいるのだろうか。


「(全く……我ながら、面倒な、生き物ですね……)」


 自嘲しながら巡らせた思考。出来れば感情の正体を確かめたいところだが、意識は徐々に薄れていく。

 体温が減っていく。脳の活性が低下していく。全ては最高潮に達した寒さの所為で。

 頭に靄の掛かったようなシェフィルは、何故自分の目が閉じようとしているのかも考えられず――――





























「はっ!?」


 完全に意識が途絶えていた事に、シェフィルは十時間以上も経ってからようやく気付いた。

 今のは本当に危なかった。下手をするとこのまま凍り付いて、二度と目覚めなかったかも知れない。幸いにしてそうなる前に目覚めたものの、そんなのは結果論だ。

 しかし悪い事ばかりではない。

 まず、寒さがほんの少しだけ和らいでいた。気絶していた間に冬のピークを超えたのだ。失神していた間もシェフィルの細胞内時計は正確に稼働しており、今が冬の何時頃かの把握は問題ない。母から聞いた通りの『スケジュール』で冬が経過していると確認出来た。

 惑星シェフィルの冬は極めて規則的に推移するもの。一旦ピークを超えれば、後は寒さが増す事はない。星のエネルギー吸収量はどんどん低下、つまり体温を奪う寒さは和らぐ。

 そして周りが、薄っすらとだが見えるようになった。エネルギーの吸収が弱まった事で、電磁波がほんの微かにだが存在出来るようになったのだ。これからどんどん周囲は明るくなり、活動しやすくなるだろう。

 ひとまず山場は乗り越えた。シェフィルは安堵し、身体から力を抜く。無論もうしばらく冬は続くし、身体に蓄えられていたエネルギー源……脂質や糖は枯渇寸前だ。生命活動の猶予は短い。

 すぐに食べ物を探さすべきだろう。


「(今回はアイシャにも手伝ってもらいましょう)」


 冬支度に失敗した、または嵐の影響で地上へと放り出された、そんな理由で凍り付いている生き物を探すだけなら、狩りなどろくにした事がないアイシャにも出来る。少なくともメンメンを運べるのだから、それぐらいの大きさの生物を拾い集める事は可能だろう。

 出来ればすぐにでもやりたい。寒さが厳しい今動くのは大変だが、暖かくなるのを待てば体力が持たない。発熱にエネルギーを使って疲れているだろうが、すぐにでも今後について話し合うべきだ。


「アイシャ。起きてください、アイシャ」


 意識が朦朧としているであろうアイシャを起こすべく、シェフィルはその身体を強めに揺する。電磁波による声掛けも同時に行った。

 ところがアイシャは中々起きない。

 寝惚けているのだろうか? そう思いシェフィルは更に強くアイシャを揺する。するとアイシャの身体はこてんと傾き、シェフィルに寄り掛かってきた。

 ただ、寄り掛かったまま動かないのだが。


「……アイシャ? アイシャ!」


 強く名前を呼ぶ。更に身体を揺する。けれどもアイシャはぴくりともしない。

 シェフィルは俯いたままのアイシャの顔を掴み、強引に上向かせる。

 暗い中でも分かるぐらい、アイシャの顔からは血の気が失せていた。


「これは……!」


 シェフィルはアイシャの顔に触れ、身体の様子を探る。アイシャの身体から放たれる電磁波から体調を調べようとしたのだ。

 しかしその電磁波が極めて弱い。

 絶え間なく電磁波が出ているので、まだ生きてはいる。だが生きているだけ。顔が青ざめているのは体温が低下しているからであり、揺さぶっても反応がないのは脳が正常な機能を保てていないからだろう。

 いずれも原因はエネルギー不足だ。体温を維持するのにエネルギーを使い過ぎて、もう意識(脳活動)を維持する事も出来ないと思われる。


「(何時の間に……いえ、私が失神している間でしょう……!)」


 自分も厳しい状態だったとはいえ、アイシャの異変を見逃すとは。自らの失態を自覚するシェフィルであるが、しかし後悔の念は湧かない。

 シェフィルは合理的だ。反省は必要だとしても、今此処で後悔に浸ってもなんの意味もないと分かっている。そんな事をあれこれ考えるぐらいなら、状況を打開する策を巡らせる事に演算能力(思考)を割くべきだ。


「(兎に角、エネルギーを補給させないと!)」


 全ての原因が飢えであるなら、解決方法は単純だ。何かを食べさせれば良い。

 されど食べ物がないから、アイシャはここまで追い詰められている。解決方法は単純だが、単純だからこそ他の解決手段がない。そしてアイシャの様子からして、悠長にしていたらエネルギーが枯渇……餓死してしまう。

 すぐに何かを食べさせなければならない。

 何か、食べられるものはないか。シェフィルは部屋の中を素早く見回す。何もかも食べ尽くしてがらんとした部屋の中に、一つだけ、今すぐにでも食べられるものがあった。

 シェフィルのペットであるメンメンだ。


「(あ、あの子を食べさせれば、一時的にでもアイシャは回復する筈……)」


 脳裏を過る解決策。だが、あのメンメンは特別だ。何回も一緒に冬を乗り越えた存在であり、今までずっと大事にしてきた。普通のメンメン相手であればすぐに伸びた手が、上手く動かせない。

 けれどもアイシャとどちらが大事か?

 アイシャは繁殖相手になり得る存在で、シェフィルと同じ人間である。『合理的』に考えれば、メンメン(他種)よりもアイシャの方が重要な存在だ。天秤に掛けるまでもない。

 答えを得たシェフィルはついにその手をペットのメンメンに伸ばす。冬の寒さで液体は凍り、中のメンメンも凍結状態にある。仮に泳げる状態でも、頭蓋骨の中では逃げ道などない。捕まえるのは至極簡単だ。

 シェフィルはメンメンを取り出すため、入れ物である頭蓋骨の縁を掴む


「――――っ! 違う、これは駄目です!」


 間際、我に返る。

 メンメンを食べれば少しは回復する。シェフィルはつい先程までそう考えていたが、冷静に思考を巡らせれば誤りだと分かる。

 何故ならメンメンは栄養価の乏しい生物だからだ。まともな満腹感を得るには数匹纏めて食べなければならない。高々一匹食べたところで、意識喪失状態から回復するほどの補給が出来るとは考え難い。よってメンメンを食べさせたところで、大した意味はない。

 むしろ大量の『物質』を分解しようとして、一時的に大量のエネルギーを使ってしまう。今にも飢え死にしそうなアイシャにとってそれは致命的な消耗だ。助けるどころか『止め』となりかねない。

 メンメンは非常食であるが、緊急時に食べるのは好ましくない。それはシェフィルが幼い頃、母から聞いた教えだった。今まで忘れた事などないというのに、今に限って失念してしまった。


「(いえ、今だからこそ、でしょう)」


 このままではアイシャが死ぬ――――その事実を前にして焦ってしまった。もしも残るメンメンが大事なペットでなければ、シェフィルは迷いなく粉々にし、アイシャの口の中に入れてしまっていただろう。

 そう、これは焦り。思考が浅はかになる、忌むべき感情だ。

 焦りを覚えた自分に、シェフィルは正直なところ驚きも覚えた。人間文明が用いる年齢に加算して十五年にも及ぶ人生、シェフィルが焦った事など一度もない……なんて事はない。危険な生物と遭遇した時や、あると思っていた食べ物がなかった時、【今回から一人で冬越ししてください】といきなり母から告げられた時。様々な状況で焦った事がある。

 けれども、いずれもシェフィルが幼い時だ。そしてどれも、全く想定していなかったがために感じた事。焦りとは、突発的に訪れた自分への危機に対して感じるものなのだから。

 アイシャの死は全く当て嵌まらない。冬が訪れる前のシェフィルは、アイシャが冬を生き残れないと予想していた。確かに予想よりも早く弱っているが、結果自体はそうなるだろうと思っていたもの。驚くには値しない。

 それにアイシャが死んだところで、シェフィルの命がどうこうなるものではない。むしろその亡骸を食べれば、かなり高い確率でシェフィルはこの冬を乗り越えられるだろう。そしてそれで何も問題はない。重要なのは自分の遺伝子を残す事であり、子孫を残せないのならアイシャなどどうでも良いのだから。

 合理的に考えれば焦る要素なんてない。なのに、妙な焦燥感が身体を突き動かす。

 何か、妙だ。今まで感じた事のない感情が、アイシャと一緒にいると湧いてくる。眠る前にも覚えた感覚に似ていて――――


「(って、余計な事を考えている場合じゃありません!)」


 優先事項を狂わせる感情を、胸の奥底に封じ込める。冷静に、合理的に。言い聞かせるように、空気を吸わない深呼吸を一つ。

 まず、何をすべきか。

 ()()()()()()()()()。自分の命ではなくアイシャを優先したがる想いは、正直『まとも』ではないとシェフィルは思う。どうしてもこれを求めてしまうのは、きっと繁殖の本能と正体不明の感情が混ざり合った所為だろう。

 捻じ伏せる事も出来なくはないが、シェフィルは本能に正直だ。本能的にアイシャを助けたいと思った以上、そうする事に躊躇いはない。

 問題はその助け方。何かを食べさせる以外にアイシャを助ける術はないが、メンメンのような低カロリー低タンパクの食べ物を与えては駄目だ。与えるべきは消化が容易く、少量で莫大なエネルギーが得られるもの。出来れば脂肪分の塊が好ましい。それは今、家の中にはない。

 では、何処にあるのか?

 ……ちらりと、シェフィルは横穴の出入り口部分から外を見遣る。やや明るくなってきたとはいえ、未だ暗闇に閉ざされた外の世界。穏やかになりつつあるとはいえ、未だ寒さが支配する冬の領域。

 考えなしに飛び出せば、間違いなく死ぬ。大体活動可能な範囲内に、アイシャにとって相応しい食べ物があるとは限らない。歩くだけでもエネルギーを使うのだから、行動が無駄に終わればアイシャだけでなく自分の命も危険に晒される。

 だが、他にアイシャを助ける手があるだろうか?

 ない。ないのだから、それをやるしかない。


「……なら、やるしかありませんね」


 選択肢が他にない以上、やるべき事は明白。死のリスクがどれだけあろうと、選ぶべきなら迷わない。

 それがこの星で生きてきた、この星の生き物であるシェフィルの思考。

 故に決断したシェフィルは躊躇いなく、住処である丘に開けた横穴から飛び出すのだった。

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