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凍結惑星シェフィル  作者: 彼岸花
第二章 絶対凍結気候
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絶対凍結気候08

 冬の到来から、人間が使う暦に換算して四日目。


「(……寒い)」


 シェフィルはぽつりと独りごちるように、自身の感じたものを心の中で呟いた。

 冬の始まりとは比べようもないほど強烈に、身体の熱が奪われていく。周囲は完全な暗闇に閉ざされ、肌で感じるアイシャの体温以外何も分からない。惑星シェフィルのエネルギー吸収がどんどん強まっているからだ。細胞の活性を上げ、体温上昇でこれに対処しているが……やはりエネルギーの消費が激しい。

 気を抜けば一瞬で体温は絶対零度まで下がるだろう。現時点で表皮の一部が、シャーベットぐらいの軽度の凍結を引き起こしている。この程度なら細胞が破損するには至らないが、更に寒くなれば完全に凍り付いてもおかしくない状況だ。

 エネルギーの消耗を抑えるためとはいえ、この四日間の行動は殆ど寝るかぼんやりするかのどちらかしかしていない。その所為か、少し集中力が途切れている気もした。体温調整を維持するためにも、少し気分転換が必要かも知れない。

 幸いと言うべきか、今はアイシャも起きている。

 身体を覆う一枚の毛皮の中で、一緒に寒さに耐えているアイシャ。密着している肌から、ぐぅ、という奇妙な音が聞こえてきた。腹の音であり、空腹を示すもの。以前はお腹を減らした時に顔を赤くして恥ずかしがっていたアイシャだが、もう慣れたもののようで、恥ずかしがる素振りすらなくなっている。

 シェフィルが話を振る前に、アイシャの方から話し掛けてきた。


「お腹空いたぁ……食べて寝てるだけの生活なのに、幸せとかぜんぜん感じない……」


「そりゃ感じないでしょう。空腹は死に近付いている証であって、短時間に何度も感じるなんてろくでもない状況なんですから」


「そうよねぇー……」


 状況的には『食っちゃ寝』なのに、楽しめていない事にアイシャは苦笑い。その笑顔……は見えないが、浮かべている気配につられてシェフィルも笑う。

 とはいえ置かれている状況は、お世辞にも笑っていられるものではない。

 冬到来初日に齧っていた骨は、もう食べ尽くしてしまった。大きな骨が最後の一欠片になったのを知った時のアイシャの絶望的気配は、恐らく一生忘れないだろう。その一生が何時まで続くかは分からないが。

 他の骨こと飾っていた槍も、全て食べ尽くしている。母からもらったウネウネなんてあの日のうちに食べてしまった。もう食べられるものは、家の中には残っていない。

 ……いや、厳密にはまだある。

 というよりこの時のために保存しておいた、大切な食べ物だ。飢えが迫ってきたのだから、食べる事自体になんら問題はない。しかしシェフィルとしては気が進まない。

 理由の一つはその保存食を、まだ冬の折返し地点にもなっていない時に食べねばならないから。もう一つの理由は――――本当に、こんな時でもなければ食べたくないぐらい不味いから。

 されど何を言ったところで、他に食べ物がないのだからワガママでしかない。シェフィルはため息(空気呼吸などしていないが本能的な仕草として身体に染み付いている)と共に覚悟を決める。


「……食べますか、メンメン」


 非常食として大事に取っていた、凍り付いたメンメンを食べようと。


「あ、そういやあったわねアレ。でもアレに手を付けるって事は……」


「はい。もう他に食べ物はありません。あれを食べ終えたら冬が終わるまで、じっと耐えるしかないでしょう。寒さが落ち着いたら外に食べ物を探しに行けますが、外に出るのは危険ですし、そもそも寒さが落ち着くまで私達の体力が持つとも限りません」


「そっか。なら、大事に食べないといけないわね」


 アイシャは神妙な面持ちを浮かべている。食べ物が残り少ない状況に、彼女なりの危機感を覚えているのだろう。

 事実、こんなに早くメンメンに手を付ける事になるのは、シェフィルにとっても不本意だ。十分なエネルギーさえ身体に蓄えていれば、暦に換算してあと一日か二日は耐えられた筈。冬が今までよりも過酷である事を考慮しても、ここまで早く消費するのはかなり不味い。

 どう考えても、何時か外に食べ物を探しに行く必要がある。リスクは大きいが、このままではどうやっても冬の終わりまで体力は持たない。多少の危険は仕方ないだろう。

 ……ひとまずの方針は決めた。シェフィルはもう一度息を吐き、改めて気持ちを切り替える。


「そうですね、一欠片も無駄にしないようにしましょう」


 アイシャの言葉に同意してから、シェフィルはメンメンを取りに行った。アイシャの手を掴んだまま、記憶を頼りにメンメンのいる即席池へと向かう。

 凍り付いた池を叩き割り、中にいる肉の塊……メンメンを取り出す。凍っていても液体部分は有毒なので、摂取しないよう、メンメンを何度も強く地面に叩き付けて氷を落としておく。そうして今回手に取ったメンメンの数は二匹。アイシャとシェフィル、それぞれ一匹ずつはぺろりと平らげると考えたからである。

 体長三十センチもあるメンメンは、見た目の上では食べ応えのある生き物だ。しかしその身体はお世辞にも高栄養価とは言えない。大きな身体の殆どが、スカスカな肉だからである。おまけにかなり水っぽい体質だ。

 母によれば、これもまたメンメンの生存戦略らしい。筋肉は消費エネルギーが大きく、大量の食べ物を必要とする。極めて長い成長時間を有すメンメンにとって、限りある死骸を短期間で食べ尽くす訳にはいかない。そこで時間当たりの消費エネルギーを抑え、死骸を殆ど食べずにいられるよう進化が進んだ……との話である。ちなみに餌である液体の中で暮らし、成体となる前に餌が尽きれば移動も出来ず飢え死に不可避という生態上、蓄えが全く必要ないのでその身には脂肪分や糖質が殆ど含まれていない。

 メンメンにとってその身体は生きるのに最適なものだが、シェフィル達食べる側からすると低タンパク低脂質という最悪な代物。他の生物と比べて保存食に最適なのは間違いないが、保存性以外の魅力はほぼないのだ。無論メンメンからすればシェフィル達は忌々しい敵なのだから、食べ物としての魅力がないと言われても嬉しいだけだろうが。

 それでも、美味しければ精神面のプラスもあって悪くないのだが……


「では食べましょうか」


「うん……なんか、気持ち悪いと思っていた筈なのに、お腹が空いたらふつーに食べられそうな気がするわね。いただきます」


 アイシャは(シェフィルには馴染みのないものだが)食べ物への感謝を伝え、捕獲時はあんなに不気味がっていたメンメンを頭から齧った。シェフィルも合わせて齧り付く。

 瞬間、舌の上で弾けたのは強烈な硫黄臭さ。

 メンメンが餌としているのは、猛毒を持った巨大生物の死骸。その猛毒は硫黄を含んだものであり、メンメンは毒素こそ溜め込んでいないが……毒素を分解する過程で発生した硫黄酸化物、これを体組織に蓄積している。この硫黄酸化物が極めて『不味い』のだ。

 襲い掛かる不味さはこれだけではない。肉から滲み出た汁も、激烈に苦いという要素を含んでいる。

 この苦さの要因は、代謝により生じた老廃物だ。メンメンの幼生は餌場である池を汚さないよう、排泄行為を一切行わない。しかし生体が糞と共に排泄するのは、未消化物の塊だけではない。

 有害物質の代謝などで生じ、もう生物体内では使い物にならない化学的な『ゴミ』も排泄物には含まれている。例えばタンパク質分解時に生じるアンモニアは、高濃度になれば惑星シェフィルの生物にとっても有害な物質であり、尿や糞と共に迅速に排泄される。しかしメンメン達にはこの排泄機能がない。よって体内で生じたアンモニア等々の老廃物は、身体の体組織に蓄積したままだ。勿論このままでは有害なので、糖などと結合して安定的な形にはなっている。

 この結合した糖が激烈に苦いのだ。構造が苦味成分であるカテキン類に似ているのが原因と、シェフィルは母から聞いた。

 他にも食感がグニグニしているとか、噛めば噛むほど苦いのに噛み千切れないとか、染み出した酵素が口内の粘膜を荒らして痒くなるとか。兎にも角にも味が悪い。


「(まぁ、そう感じるだけ言えばその通りなのですが)」


 『不味い』と感じる物質は、惑星シェフィルの生物の場合二つに大別される。

 一つは身体にとって有害なもの。口内などで検出された化学物質が生命活動に悪影響を及ぼすと結論付けられた時、『不味い』ものとして摂取を避けようとする。

 そしてもう一つは、有害な物質の()()をしている場合だ。特定の刺激を誘発する化学物質であり、生物体にとって無害(とは言い切れないが)でありながら、有毒だと誤認させてくる。

 種によってどんな成分を持つかは違い、また両方の物質を含んでいる事もある。そもそもどんな物質も過剰に摂取すれば有害なのだから、こうした区分け自体が誤りかも知れない。

 それでも敢えて二つに分けた場合、メンメンの持つ成分はどれも後者だ。普通に食べる分には不味いだけで、体調を崩す心配はない。だから安全だという知識を用いて食べれば、食べられない事もない。その程度のものだとシェフィルは思っている。


「(問題はアイシャですね)」


 母曰く舌が肥えているアイシャは、この不味さに耐えられるだろうか。そんな心配がちらりと脳裏を過る。

 とはいえ、アイシャも少しずつこの星に適応している。

 あれだけ嫌がっていたウゾウゾも、蘇生後は食べられるようになってるのだ。味覚はかつてと違いシェフィル達と同質の、数学的結果を認識したものに近付いているだろう。

 この苛烈な寒さを乗り越えるため、淡々と食べているに違いない――――それを確認するため、シェフィルはすぐ隣にいるアイシャに寄り掛かって声を聞く。


「あが、あがば、ば、ばば、ば、ば、あが」


 ……アイシャは明らかに駄目な感じの声を発しながら、身体をガタガタと震わせていた。

 電磁波がないので姿は見えない。しかし雰囲気から察するに、舌の上にメンメンの肉片を乗せているようだ。あとはそれを飲み込めば良いのに、震えるばかりで行動を起こさない。

 どうやら、想像以上の不味さに固まってしまったらしい。

 ちょっと期待し過ぎたかと、シェフィルはアイシャへの評価を下方修正しておく。とはいえ初めてウゾウゾを食べた時と違い、吐き出そうとしないのは偉い。しかも顔を上向きにし、舌の上に乗せたメンメン肉を落とさないようにしている。自分の置かれている状況を理解し、なんとかこの星に適応しようとしているのだ。傍目には(暗くて何も見えないが)舌の上のものを飲み込む事すら出来ずわたふたしているだけだが。

 しかしどれだけ無様だろうと、生き延びるために奮闘する姿はとても魅力的だとシェフィルは思う。それはきっと、より生命力に優れた相手を繁殖相手にしたいという本能なのだろう。

 そして苦戦する彼女を手伝いたいと思う気持ちは、きっと人間の本能だ。


「アイシャ。こういうのは下手にあれこれ考えてはなりません。無心で噛み、最短時間で飲み込むのです」


「むひぃ……むひぃぃぃぃ……!」


「むう。ならば少し手伝うとしますか」


 藻掻くアイシャを見かねたシェフィルは、アイシャの顎を片手で掴む。

 それからぐいっと、アイシャの頭を上向きに。次いで指で舌を口内に捩じ込んだ後、顎も閉じさせた。


「んんううぅううぅううっ!? んぅうううぅうううぅううっ!?」


「何時までも口の中にあるから苦しいのです。ほら、飲んでください」


 荒療治というのも生温い、拷問染みた方法で飲み込ませるシェフィル。

 ちなみにこれは幼い頃、メンメンの味を嫌がったシェフィルに母がやったやり方である。なんとも苛烈で強引だが、この星に虐待の概念はない。

 何より、どんなに不味くとも食べなければ死ぬのだ。優しくした挙句に吐き出し、それで飢え死にしてはなんの意味もない。そしてそれが現実に起こり得るのがこの星の環境である。


「げほっ! けほっ……うぅ、恨んでやるぅ」


 咳き込みながら睨んできたアイシャに、言葉ほどの敵意や憎しみがないのは事情を分かっているからだろう。シェフィルもこれは必要な事だと考えているので、責められても罪悪感のようなものは一切抱かない。


「恨むぐらいなら自力で食べてください。あとメンメンは量こそ多いですが、栄養は殆どありません。眠る前に此処にいる十匹全部食べますから覚悟してくださいね」


「ひーん……容赦ないぃー」


 突き放すシェフィルの言葉に、アイシャは泣き言を漏らす。

 尤も多少なりと慣れたからか。二回目からは、アイシャもちゃんと一人でメンメンを飲み込む。

 昔の私よりは聞き分けが良いですね――――幼い時の自分を思い出したシェフィルは、くすりと微笑みながら吐き気がするほど不味い肉を喰らうのだった。

 ……………

 ………

 …


「……もう二度と食べたくない」


「安心してください。このままだと本当にそうなりますから」


 保存していた十体のメンメンをあっという間に平らげ、不平を言うアイシャにシェフィルは冗談を返す。厳密には冗談ではなく、質の悪い現状の確認であるが。

 メンメンから得られたカロリーが持つのは、あと一眠り分……人間文明の暦に換算して一日分あるかどうか。

 これはメンメンが低カロリーだからというのに加え、あまりにも寒さが過酷でエネルギーの消費が激しいからという要素も大きい。今まで経験した冬の寒さであれば、二人で分け合っても一日半は持っただろう。シェフィル一人なら三日分だ。

 母の情報通りならこの冬が明けるまで、人間の暦で言えばあと六日は掛かる。まだ折り返し地点にもなっていないのに、もう食べ物が尽きてしまった。残りの体力では六日どころか二日も持たないだろう。

 状況は極めて絶望的。それを感じ取ったのか、アイシャの身体は小刻みに震えていた。寒さではなく、怖がっているようだ。


「(ふむ。確かに今までの話だけだと不安になるのも仕方ありませんね)」


 思い返すと、アイシャには不安になる事しか伝えていない気がする。

 嘘は言っていない。しかし不安要素ばかりでは、未来への展望が思い描けないのも無理はないだろう。アイシャにとって初めての冬というのも、良い未来を想像出来ない理由か。

 一応、寒さが和らいだら食べ物探しが出来るとは伝えたが……それでどの程度食べ物が得られるか分からないなら、不安が消える事はあるまい。

 あまりに精神的負担(ストレス)が大きいと、肉体面にも問題が生じる。大丈夫だと説明してあげた方が良いだろうと、シェフィルは声を発す。


「アイ■ャ……ん?」


 その時に気付く。電磁波による自分の声が、上手く出ないと。

 身体を密着させている今、発した電磁波は直接アイシャに届く筈なのに。


「シ■■ィル? ど■し、え、何こ■!?」


 アイシャも同じ状態で、彼女は自分の発した声に酷く驚いた。喉を触り、自身の身体に何かが起きたのではないかと調べ始めている。

 しかしその行為は無意味だと、シェフィルは知っている。

 冬が最も勢いを強める頃になると、最早電磁波による会話は不可能だ。例え身体を密着させていても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からである。今はその兆候が出始めたばかりで、まだ完全な会話不能状態になっていないが……数時間もすれば、いよいよ何をしても声は届かなくなるだろう。

 何かを伝えるには、今しかない。何を伝えるべきか、シェフィルは数秒だけ考え――――ぎゅっと、アイシャを抱き締める。


「大丈夫■す。私が傍に■ま■から」


 伝えたのはシンプルで、ただの事実を確認する言葉。

 何故こんな言葉なのか、シェフィルにも分からない。ただ、本能的に思ったのだ。今、言うべきはこの言葉だと。

 果たしてこれが正しい事なのか。ちゃんと考えて『反省』すべきだとも思ったが、そんな思考はすぐに吹き飛ぶ。


「……………■■」


 アイシャは聞き取れない言葉の後、強くしがみついてきた。

 それだけで自分の言葉が正解だと確信するには、十分なのだから。

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