絶対凍結気候07
【ふむ。今のところ調子は悪くないようですね】
冬の到来から ― 人間が用いる暦に換算して ― 二日目。ふらりと母が現れた。横穴を覗き込むように身を屈め、巨大な傘にある無数の目でシェフィル達を見つめている。一本の触手を長く伸ばし、シェフィルの額に触れた状態で声を届けていた。
寒さに耐えつつ、少しでも消耗を抑えようと、アイシャと共に寝ていたシェフィルはそれで目を覚ます。
家である丘に空いた横穴の前にやってきた母の姿を見て、シェフィルは少しばかり安堵する。慣れ親しんだ顔がある、というのも大きな理由だが……何より顔が見える、つまり地上に僅かだが電磁波がある状況に安心した。冬は惑星シェフィルのエネルギー吸収が強まる時期だが、常に強力なままではない。まるで一息挟むように、ほんの少し吸収されるエネルギー量の減る時期があるのだ。
今なら少し体温上昇を抑えても凍り付く事はあるまい。エネルギーの消費もそうだが、常にエネルギーを使い続けるのも疲れる。星の性質と同じように、自分達も一息挟む必要があるだろう。
ちなみに母の背後にある景色を見るに、嵐も止んでいる様子。それは大地が冷え切った事を意味しているが、何時もより大分早い。つまり惑星シェフィル全体を覆う冬の勢いが、今の時点で相当強い事を意味している。素直には喜べない情報だ。
シェフィルはもぞもぞと身体を動かす。大きな毛皮で身を包み、アイシャと身を寄せ合って寒さに耐えていた。シェフィルが身体を動かせば、隣り合うアイシャも自然と目を覚ます。
「ん……シェフィル……?」
「アイシャ、母さまが来ましたよ」
「え? ……あれ、冬越し中じゃ……」
【我々は冬の間でも活動に大きな支障はありません。冬越しといっても、精々冬季の会合に顔を出すだけです。正直面倒臭いとは思うのですが、上には逆らえませんからね】
言葉通り、心底面倒臭そうに母は語る。アイシャは目覚めたばかりで眠く、頭が働いていないのだろうか。「ぽへー……」と間の抜けた声を漏らすだけだった。
シェフィルが試しに背中を優しく擦ってみれば、アイシャはすぐにうつらうつらし始める。彼女は寝起きが悪いのか、寒さで休眠状態から目覚めきれていないのか。恐らくは両方の理由だろう。
撫で続けてアイシャを寝かせてから、シェフィルは母と向き合う。何故アイシャを寝かせたのか?
それは二日ぶりぐらいの、母と二人きりのお喋りをしたかったからだ。
「相変わらず、冬の母さまは忙しそうですね」
【仕方ありません。シェフィルがまともな覚醒状態になるのはこの時期だけです。重要な情報共有や、我々の現在個体数や変動幅、シェフィルの生育状況などの報告をするには今しかありません。ええ、それは分かります。ただ――――】
「ただ?」
【何故アナログな近距離通信での報告を要求するのか理解に苦しみます。顔を見せて個体状態を把握させろだの、心理パターン分析を掛けるだの。遠距離通信でデータだけ送れば良いのに、非効率の極みですよ全く】
ぐちぐちと、母(から伸びて額に触れている触手)から垂れ流される言葉という名の電磁波。語る言葉は感情的でこそないが、露骨な嫌悪感に塗れている。
余程冬の会合が嫌らしい。
「だったら言えば良いのではないですか? 母さまがそんなに嫌がるなら、他のお仲間達も嫌がっているのでは?」
【残念ながら我々は、意外と賑やかなのが好きな種族なのです。恐らく同種間での協調性を高めるための本能でしょう。だから仲間内で集まってわいわいする会合を、大抵の個体は好んでいるのですよ。私は、まぁ、それなりに変わり者ですから意見が合わなくて】
「あはは。確かに、そうでないなら私を育てたりしませんもんねー」
シェフィルは知っている。母達の種族の大半は、赤子の死体を見たところで、蘇生させて飼おうなんて発想は出ない事を。
全くの皆無ではないが、母は母達の種族の中では少数派の性格だ。それで爪弾きにされた様子もないので、仲間との関係が悪いという事はないが……母が言うように、意見が合わない事も多いだろう。
だからといって母がそれを気に病んでいる素振りもなく、割と自由に生きているとシェフィルは思っているが。その自由な母が自分に会いに来てくれた事は、率直に言って嬉しい。
【愚痴はこのぐらいにしておきましょう。はい、お土産です】
そんな母は、長さ一メートルほどのひょろ長い生物の凍結体を家の中に放り込んできた。
シェフィルが『ウネウネ』と呼んでいる種だ。普段は雪の上でうねうねしながら暮らしている生物で、主に雪(という名の微細な固体分子)そのものを食べている大人しい生き物である。足はなく、棘や甲殻も持たないため身体は非常に柔らか。雪を食べるのに特化した口は柔軟なブラシ状をしていて、落ちてるものを舐め取る事は出来ても噛み付くような力はない……という具合に戦闘能力は皆無。しかし警戒心が強く、捕食者に狙われると素早く地中に潜ってしまう。苦労に見合わないので本気で狙った事自体がないものの、シェフィルは自力で仕留めた事がない。
寝る前にやってきていた嵐に掘り起こされ、そのまま凍り付いてしまったのだろうか。死因はどうあれ貴重な食糧だ。有り難く頂戴していく。
とはいえ、そこらに落ちていた、という言葉通り母がこれを見付けたのは偶々だろう。母が此処を訪れたのには、別の目的がある。それがなんであるのか、シェフィルには心当たりがあった。何分、冬になる度毎回聞いているのだ。
【それと、冬に関する情報を伝えます】
今回の冬がどんなものであるのか、という情報を。
母達の種族は、何故か冬の詳細な情報を把握している。尤も事前に分かっている訳ではなく、冬になった後での話なのだが……しかしそれでも得られる情報は値千金だ。
例えば冬が何時まで継続するのか。
例えば冬が何処まで寒くなるのか。
例えば冬の寒さは何処でピークを迎え、どの程度の勢いで終息するのか。
これらの情報に、母達は完璧な答えを持ち合わせているのである。完璧とは、つまり今から何秒後にそうなるのかを答え、寸分違わず的中させるという事。一秒一度の誤差さえない。
何故そこまで正確に当てられるのかと疑問に思い、シェフィルは母に尋ねた事がある。母からの答えは【この冬もシェフィルの活動により発生したものです。シェフィルが決めた周期と出力を伝えているだけに過ぎません】というものだった。どうやらこの星の冬は母達が決めているらしい。何をどうすればそんな真似が出来るのか、シェフィルには見当も付かない事だ。
なんにせよ、この情報のお陰でシェフィルは冬の計画を練る事が出来る。遺伝子的には母の血を色濃く受け継いだシェフィルであるが、肉体構造が人間に近い彼女は本来惑星シェフィルの環境に適した生き物ではない。それでもシェフィルが幾度となく冬を越えられたのは、母がもたらす情報のお陰といっても過言ではなかった。
【此度の冬の継続時間は九十一万七千秒。最大吸収熱量は三万六千六百度であり、この最大期は十万百二十秒続きます。ピークは冬の開始から四十六万七千二百秒……今から三十九万七秒後です】
「うわぁ、三万六千六百度って……私が覚えている限り、今までで一番厳しくないですか?」
【記録上今季は最も生物数が多く、惑星熱量も最高値を記録していましたからね。実際、この寒さはシェフィルの歴史上最大規模です。今回ばかりはあなたも生存が難しいかも知れません】
淡々と、母はシェフィルの冬越し失敗――――死の可能性について触れる。まるで死んでも構わないと言いたげな、投げやりな言い方だ。
普通の人間であれば、母からそのような言葉を掛けられたならショックを受けるだろう。しかしシェフィルはそうした感情を抱かない。何故なら母の指摘は事実だから。それを受け入れる方が生存率は高い。『合理的』な考えを持てば、どう受け取るべきかは明白である。
ただ、生き物の気持ちは必ずしも単純なものではない。
もしかしたら自分はこの冬で死ぬかも知れない。母曰く過去に例のない過酷さとの事なのだから、今までの冬でも死にかけていた身が持たないのはむしろ自然な結果であろう。
自分の遺伝子を残せていない事以外、シェフィルに思い残す事は特にないが……母に言っておきたい言葉はある。例えその言葉に大した『意味』はなくとも。
「そうかも知れませんね……母さま、今まで育ててくれてありがとうございます。母さまに育ててもらえて、良かったです」
胸に沸き立つ衝動のままに、その言葉を伝える。
尤も、シェフィルの感謝を聞いても母に感動した様子はない。むしろちょっと呆れたような雰囲気を纏う。
それも仕方ないと、シェフィル自身思う。
【あなた、それ何度目ですか? 冬になる度に言ってますけど】
この言葉を伝えたのは、一度や二度ではないのだから。
そもそも母に『育ててくれた礼』を理解する事は出来ない。自分が育てたかったから育てたのであり、あくまでも自分本位の行動だ。母からすれば、シェフィルは「勝手に育てられた」存在であり、何故感謝するのか意味が分からないだろう。
そんなのは『娘』であるシェフィルも重々承知しているが、シェフィルもまた言いたい事を言っただけ。言葉が空回りしても恥ずかしくないし、呆れられても拗ねる事はない。
「良いじゃないですか、お礼なんですから素直に受け取ってくれれば」
【それはそうですね。まぁ、あなたの好きにすれば良いでしょう。少なくとも有害ではありませんから】
「ええ、好きにします……では母さま、次は『春』に会いましょう」
【ええ、また春に会いましょう】
別れと再会の約束を伝えると、母はこの場を後にした。
母が冬に関する情報を教えてくれるのは、何時もの事。
そして春に会おうと約束したら、春まで顔を出さないのもまた何時もの事だ。とはいえ仮に冬の間に何度か来てくれと頼んだところで、母はそれを断るだろう。冬に行われる母達の会合や作業は、冬が過酷になるほど本格的に行われるらしい。母も大分忙しくなるようで、シェフィルを世話する余裕なんてない。
シェフィルが幼い頃はそこそこ丁寧に面倒を見てくれだが、あくまでもそこそこだ。半分ぐらい身体が凍るまで放置された事もあれば、ガリガリに痩せ衰えるまで食べ物が与えられなかった事もある。これでさえ母的には相当無理をしていたし、そもそも会合や作業量が今より少なかったとかなんとか。今、その丁寧さを要求するのは無理難題だろう。
何よりシェフィルはもう繁殖可能な大人だ。何時までも母親に頼るというのは、これから子孫を残し、育てる立場となる大人として如何なものだろうか。
無論生き残るための方法を選んでどうすると、シェフィルは思う。恥も外聞も彼女にとってはどうでも良い。しかしこれではアイシャに繁殖相手としてのアピールは出来ない。自分の遺伝子が如何に優秀であるかを示すためには、多少リスクはあっても自力でこの環境を乗り越える必要がある。
自身の遺伝子を増やしたいシェフィルの本能は、繁殖のために自分の命よりも『見栄』を選んだ。
「はっ!? ね、寝てた……あれ? アンタのお母さん、来てなかった?」
母の気配がすっかり消えたタイミングで、アイシャが目を覚ます。
起こした時には随分と寝惚けていたが、母が来ていた事は覚えているらしい。アイシャはキョロキョロと辺りを見回していた。ちょっと間の抜けたアイシャの動きはとても可愛らしく、シェフィルは思わず笑みが溢れる。
やはり、アイシャと繁殖したいと改めて思う。生物の本能として――――それと単純にアイシャの事が『好き』なので。
そして出来る事なら、この楽しい時間をこの冬で終わらせたくない。今此処で死にたくはない。
「母さまはもう帰りました。さぁ、これを食べたらもう一眠りしましょう。体力の消費を少しでも抑えませんとね」
もう少し長く楽しみたいお喋りを打ち切って、シェフィルは母が持ってきてくれた食べ物をアイシャに渡すのだった。