絶対凍結気候03
メンメンの幼体は体長三十センチ近い身体のうち、頭部が約八センチと全体の四分の一を占める。
頭部と称したが、外見は人間の眼球に酷似した見た目だ。直径八センチの球形をしており、白目と黒目を持つ。この白目と黒目の比率も人間とほぼ同じなのも、人間の眼球を思わせる要因だろう。
頭部から生える胴体は細長い形をしている。こちらは頭部とは異なった質感で、乾燥した繊維を束ねたような作りをしている。足やヒレはなく、胴体を左右に振って泳ぐ。極めて単純な作りであり、生み出せる力は極めて小さい。しかし安全な環境で暮らしているのだから必要最低限の運動性があれば良い。むしろ高度で屈強な身体を作るためにエネルギーを消費する方が勿体ない。生活環境に最適化された、合理的形態と言える。
なお人間の眼球のような頭部であるが、似ているのは見た目だけ。この巨大な眼球モドキに視力はない。黒目部分にしても人間の黒目とは役目がまるで違う。
この黒目はメンメンの『口』なのだ。ここから食べ物を取り込む。具体的には黒目部分が四つに裂け、ぱくりと開いた中から無数の触手を伸ばす。触手は腸壁が変化して出来たもので、ここから直に液化した死骸の栄養分を吸収する。
液体を体内に吸い込まないのは、汚染を避けるため。有毒とはいえ長期間放置された大型生物の身体は多少なりと腐敗しており、細菌の温床と言わざるを得ない。これを体内に入れると感染症の恐れがある。栄養を吸収する消化器官だけを外に出し、格納後その消化器官を洗浄すれば、細菌を体内に入れずに済むため安全という訳だ。
ちなみに身体的に苦しい状況でも口から触手を出す。天敵を少しでも驚かせ、逃げるための悪足掻きといったところ。尤も効果の程は微妙である……少なくとも、賢い人間に通じるものではない。先程シェフィルが捕まえたメンメンも、降り積もった雪の上でびたんびたんと跳ねながら、黒目部分から無数の触手を伸ばしてのたうち回っていた。
「ひぃいぃぃぃいぃいい……!」
そしてそれを目にしたアイシャは、腰を抜かして怖がる。顔面蒼白で、ガタガタ身体を震わせる有り様。
シェフィルからすると、なんとも情けない反応に思えてならなかった。
「何をそんなに怖がっているのです? コイツら、ウゾウゾよりも貧弱ですよ?」
「強いとか弱いじゃないの! 気持ち悪い! ウゾウゾはまだ蛆虫だったけど、これとか完全にモンスターの類じゃない!」
「もんすたーってなんです?」
「生物進化を語れる奴がなんでモンスターを知らないのよ!?」
最早言い掛かりに近いお叱り。何故と言われても、シェフィルが持つ人間に関する知識は母から聞いたもので、母の知識は墜落した宇宙船由来である。つまり壊れた宇宙船からその単語が拾えなかっただけだ。
それに恐らく重要な問題ではないだろう。前に同じく卒倒したウゾウゾだって、今では嫌がりながらも食べているのだから。アイシャのツッコミを軽く流しつつ、シェフィルはアイシャを窘める。
「兎も角、冬を乗り越えるには、これを集めて保存食にする必要があります。池の液体を掬って家まで運んで、その中で飼っておきます。ウゾウゾと違ってコイツらは地面に潜れませんから、飼うのは簡単です。液体そのものが餌なので面倒も見なくて良いですし、食べる量が少ないから長持ちします」
「うぅ……そ、そうは言うけど、やっぱり気持ち悪い……食べるだけじゃなくて、持つのも無理ぃ……」
「うーん、流石にちょっと手伝ってほしいですけど。動かなくなった奴でも運べません?」
シェフィルはそう言いながら、今し方自分が雪の上に置いたメンメンを指差す。アイシャは何かを言おうとしていたが、しかしメンメンを見るとその言葉を詰まらせた。
雪の上で凍り付いているメンメンに、驚いた様子だった。
「え、あれ? 凍ってる……?」
「コイツら周りに液体がなくなると、冬が来たと勘違いして休眠するんです。で、休眠すると身体が凍らないようにする仕組みも止まるので、勝手に凍って動かなくなります。池の液体に浸せば、また動くようになりますが」
「あ、そ、そうなんだ……」
触手を伸ばしたまま凍り付いたメンメンを、アイシャはつんつんと指で突く。完全に凍っているため、メンメンは動く気配もない。
アイシャは恐る恐る指でメンメンの胴体を摘み、一層恐る恐る持ち上げる。顔はまだ引き攣っていたが、もう恐怖心はない様子だ。単に気持ち悪がっているだけのようである。
「……姿形はなーんにも変わらないのに、動かなくなるだけで全然平気になるのってなんでかしら」
「さぁ? 死んだように感じるからじゃないですか?」
「うん、まぁ……普通は凍り付いたら死んでるわよね。うん。これなら持っていくのは平気。もし動いたら、雪の上に捨てればまた動かなくなるかしら?」
「そうじゃないですか? 私の経験上一度凍らせたら液体に浸すまで動き出した事はないですけど」
嘘は吐かず、本当の事だけを話す。
アイシャはその言葉を信じてくれたようだ。小さくため息を吐いたら、ぱちんと両頬を自らの手で叩く。もう、その顔に怯えは全くない。
「分かった。これなら私も掴めるから、運ぶのを手伝えるわ。それと後で液体も運ばないとね。家に壺とかあるの?」
「つぼってなんですか? 何時も頭蓋骨とか使って運んでましたけど、それじゃ駄目ですかね?」
「……………まぁ、それで良いわ。うん、そのうち原始的でも良いからテクノロジーで生活改善しましょ」
アイシャはそれだけ言うと、諦めたように頷いた。
何を言いたかったのかは分からないが、なんにせよアイシャも働いてくれるのなら助かる。単純な力で言えばメンメン数十匹ぐらいシェフィルは簡単に持ち運べるが、メンメンは大きさと形態的に何匹も纏めて持ち運ぶのが難しい。アイシャが手伝ってくれれば、それだけで効率は倍だ。
後はメンメンを捕まえるだけ。
そしてそれはシェフィルの役割である。メンメン狩りはちょっとコツがいるので、この星に来たばかりのアイシャには難しいであろうし……仮にアイシャに出来たとしても、この作業を譲ったり手伝ってもらったりする訳にはいかない。
もしもここで同じ事をしてしまったら、食べ物をたくさん取れる自分の優秀さ――――繁殖相手としての魅力をアピールする機会を失ってしまうのだから。
「さぁ、そろそろ狩りとしましょうか。アイシャ、ちゃんと見ていてくださいね!」
「え? あ、うん」
アイシャのキョトンとした表情に見られつつ、シェフィルは再び自らの腕を池に突っ込む。
そして出来るだけ身動きを取らず、じっとし続ける。
安全な液体内での生活に適応しているため、メンメンの運動能力はかなり低い。とはいえそれは平時の話。いざ敵が襲ってきたら、細長い胴体で地面を叩くようにして『跳躍』し、勢いよくその場から離れるぐらいの事は出来る。ましてや赤黒い液体の中にいては、その姿を目視で確認する事は難しい。ただの液体ならば電磁波で観測出来ただろうが、生憎腐っていても惑星シェフィルの生物の肉。固体窒素が出来る環境でも凍らぬ体液は、電磁波による観測を未だ阻む。
このため闇雲に捕まえようとしても上手くはいかない。しかしメンメンの生態と気質を理解すればやりようはある。
まず腕を液体の中に突っ込む。『敵』の存在に気付いたメンメンは素早く逃げ出し、周囲からいなくなるだろうが……決して追わない。突っ込んだ体勢のままじっとし、出来るだけ動かないようにする。
するとメンメンは、すぐに突っ込んだ手の周囲に戻ってくる。
有毒液体の中という安全な環境で暮らすメンメンには、すぐに警戒心を失う性質があるのだ。どうせ襲ってこない天敵を何時までも警戒するのは、それはそれでエネルギーの無駄使いだからである。
またメンメン達は動かない固形有機物を認識すると、寄ってくるという習性がある。これは餌である有毒生物の死骸を効率良く分解するための性質だ。死骸の液化に使う酵素は、生成に多くの資源とエネルギーを使う。なので出来るだけ使用量は節約したく、そのためには適当にばら撒くよりも、目的のものの傍で散布する方が良い。固形有機物があると分かったら、まずは近付くのが『効率的』なのだ。
どちらの生態もメンメンがより多くの子孫を残すために進化させた形質であり、極めて優秀な生存戦略である。されど優れた知能を持つシェフィルは、その生態だからこその弱点を理解し、突くための行動を取れる。
液体の底でじっとしていたシェフィルの手に、メンメンが自ら近付いてくるのは、正にシェフィルの思惑通りだ。
「よっと」
手に触れてきたなら、如何に相手の動きが速くとも捕まえるのは造作もない。素早くその身体に指を伸ばす。
最初はアイシャに見せるためしっかりと掴んだが、最早そうする必要もない。僅かでもメンメンの身体に指が引っ掛かった瞬間に、強い力で引き寄せる。
ウゾウゾよりも遥かに貧弱な身体は簡単に引きあげられ、液体の外へと放り出される。飛んでいったメンメンは重力に引かれ、雪の中に着地。十数秒は暴れていたが、すぐに凍り付いて動かなくなった。
後はこれの繰り返しだ。メンメン狩りの利点は、兎に角楽な事。あちこち掘りまくって探すしかないウゾウゾと違い、こちらは待っていれば勝手に近付いてくる。
欠点は、あまり数が得られない事だ。
「……うーん。こんなもんですかね」
十匹も引っ張り出したところで、シェフィルはメンメン狩りを中断する。
池の中を観測する事は出来ない。だが自分の手に寄ってくるまでの時間から推測するに、まだまだ此処にはそれなりにたくさんのメンメンがいるだろう。しかしシェフィルは、そのたくさんのメンメンに手を出すつもりがない。
アイシャも違和感を覚えたのか。こてんと首を傾げながら尋ねてきた。
「あれ? もう止めちゃうの? まだいそうだし、もっと捕まえたら?」
「捕まえたいですけど、あまり捕ると此処らからいなくなっちゃいますからね」
メンメンは成体となるまでの時間がとても長い。つまり、それは新しい個体を生み出す頻度が少ないという事だ。この手の生物は一度減った個体数が回復するのに、長い時間が必要である。
しかもメンメンは特定の大型生物の死骸を、偶々見付けられた時に繁殖するという方法で世代交代している。よって試行回数=個体数が少ないと繁殖が失敗しやすい。このため『乱獲』すると、捕まえた数以上に減少する性質があるのだ。あまりやり過ぎると局地的な絶滅を招くかも知れない。
別段シェフィルは生き物が絶滅する事にあれこれ思いはしない。生き物が他種の捕食や競争などで絶滅するのはあり触れた出来事であり、惑星シェフィルでも幾度となく起きた現象だ。仮にシェフィルの乱獲でメンメンが絶滅したとしても、それはシェフィルという生物種の出現に適応出来なかったメンメン自身の問題である。
ただ、メンメンが絶滅した場合、シェフィルとしても困った事になる。
「次の冬も、その次の冬も、きっとメンメンのお世話になります。もし絶滅したら他の食べ物なんてないのですから、ちゃんと加減するのは当然でしょう?」
「あー……そっか、資源管理ね。確かに養殖技術が確立してるなら兎も角、そうでないなら貴重な食料源をその場で使い潰すのは愚策よね」
「そういう事です。ただまぁ、他の食べ物とかで代用出来るようになって、仮に絶滅しても困らなくなった時には……多分捕まえなくなるでしょうけど」
「? どうして?」
素朴な表情と共に尋ねてくるアイシャ。何も知らない彼女にこれを伝えるのは酷だと思うシェフィルだが、何時か知る以上話さない訳にはいかない。
メンメンが抱えるもう一つの、ある意味どんな事よりも重大な問題点。
「メンメンってとんでもなく不味いんですよ。いやもう、ほんとどうしようもないぐらいに」
冬でもなければ絶対食べない。
過酷な惑星シェフィルの生態系で生きてきたシェフィルでさえ、そう言い切ってしまうぐらい味が酷い事を……




