凍える星の姫君12
【という訳で蘇生させました】
「どうです? 身体の調子、おかしかったりしません?」
「衝撃の事実を突き付けられて、頭の中がしっちゃかめっちゃかなんだけど?」
シェフィルの家こと洞穴の中で、母(洞穴の外で待機中)とシェフィルから事のあらましを聞いたアイシャは、引き攣った表情を浮かべた。
母の細胞を埋め込まれたアイシャは、特段問題もなく蘇生した。
記憶や人格がどうなるかは分からなかったが、アイシャの戸惑いや反応、言葉遣いを鑑みるに大きな影響はなかったらしい。精々死ぬ直前の記憶が曖昧な程度だ。人格が変わったら変わったでシェフィルは『別人』として接するつもりだったが、それらが継続している方が嬉しい。なんやかんや、シェフィルはこれまで一緒に過ごしてきたアイシャの事を気に入っていたのだから。
そんなアイシャであるが、今も蘇生前と同じ服(今更ながら宇宙服と呼ぶらしい)を着ている。
しかしもう、顔を覆う透明な被り物……ヘルメットは着けていない。生身の肌が、外気に晒されている状態だ。外気と言ってもあらゆる気体が凍結して固体となっているため、真空状態なのだが。会話も宇宙服がやっていた電波通信ではなく、アイシャ自身が発する電磁波によって交わしている。
「うう……私、本当に真空で息してるし、大気が凍る中で生きてるし、電磁波で話せるし……こんなの人間じゃないわよぉ……」
「? 別に人間じゃなくても、良くないですか?」
「良くない! 人間じゃなくなってんのよ!?」
元々人間など『種名』ぐらいにしか思っていなかったシェフィルには、アイシャが感情的になる理由が分からない。人間ではないと、何か不利益があるというのか。
「なら死んだままの方が良かったのですか?」
「うぐ……」
何より、この質問を投げ掛けるとアイシャは黙りこくってしまう。
やっぱり生きてる方が良いじゃないですか、とシェフィルは思った。正直アイシャの事を面倒臭い奴とシェフィルは感じていたが、蘇生後は一層面倒臭くなっている気がする。
とはいえ面倒臭いだけで、嫌いという訳ではない。アイシャのころころと変わる反応は見ていて飽きず、話だって難しいものでなければ(意味は分からずとも)十分楽しい。
ましてや相手は『繁殖相手』の候補である。どうして拒むような真似が出来ようか。
【なんにせよ、これでアイシャはシェフィルと同じ種となりました。繁殖が可能ですね】
母としても、アイシャにそれを期待している。話として振ってくるのは当然だ。
しかしアイシャにとっては、ちょっとばかり予期せぬ話題だったらしい。ポカンと呆けた顔を浮かべる。
尤もすぐに何を言われたのか理解したのだろう。アイシャの顔は真っ赤に染まり、おろおろしながら身体を仰け反らせた。
「は、繁殖って、で、でもほら私達女同士だし」
【我々に性別がない事は以前述べました。純粋な人間だった頃の性別が同じだとしても、今の身体であれば恐らく問題はないでしょう】
「も、も、問題はあるでしょ!? だって、ほら、その、身体が女だから、えと、入れる場所はあっても、入れるものはないし……!」
【ふむ。人間の繁殖にはなんらかの挿入器官が必要という事ですか。それならば問題ありません。繁殖相手に遺伝情報を送るのは我々もしている事で、そのための挿入器官は存在します。私の遺伝子が主体となっているシェフィルやあなたも、コツさえ掴めば挿入器官を生やせるでしょう】
「は、は、生や……!?」
母の意見に丸め込まれるほどに、赤かったアイシャの顔色が青くなっていく。
余程嫌なのだろうか。アイシャの気持ちはなんとなく察せられるが、しかしシェフィルとしては自分の子孫を残したい本能がある。
なら、アイシャの気持ちは割とどうでも良い。基本的にシェフィルは母達と同じく、自分本位な考えなので。
「てぇい」
「きゃっ!?」
隙を見てシェフィルはアイシャを押し倒す。いよいよ待ち望んでいた繁殖の時であると、シェフィルは気持ちと共に表情を引き締めた。
他の人間の事などてんで知らぬが故に、シェフィルには自覚がない。笑みを消したシェフィルの顔立ちは、あり触れた『雄』では到底出せぬ凛々しさがある事など。加えて彼女は数多の生存競争に勝利してきた適者。その身に纏う個体としての『魅力』は、穏やかな文明社会に浸った個体群には到底出せやしない。
更にアイシャ自身、今はシェフィルと極めて近しい肉体だ。本能に正直な、野生生物としての気質が身に染み付いている。繁殖は本能であり、それを抑える必要などない。むしろ衝動が強ければ強いほど、多くの子孫を残せて適応的。故に細胞が発する繁殖衝動は圧倒的に強力である。
シェフィルに両手を押さえ付けられたアイシャの、青かった顔が最高潮に赤くなるのも致し方ない事だ。
なんとも忙しい顔色ですねぇ、と思いつつ、アイシャの抵抗が止んだ今のうちにシェフィルは繁殖を行おうとする。やり方など全く知らないが、本能の赴くままにやればなんとかなる筈。故になんとなく、アイシャの下半身に手を伸ばす。
「だ、駄目! それはほんとに駄目ぇ!」
すると顔を赤くしながら、ポカポカとアイシャが殴ってくる。本能に流されそうになっていたアイシャであるが、強靭な理性がそれを許さなかったようだ。全く痛くないのでシェフィルは怯みもしないが、アイシャの拒絶の意思はひしひしと感じられた。
……アイシャの気持ちなどどうでも良いが、しかしこうも拒まれるとそれはそれで興味が湧く。
子孫を残したいのは本能の衝動だ。それこそ食事や睡眠と変わりないもので、衝動を覚えたら拒む理由などないとシェフィルは思っている。強いて言うなら初めての繁殖で緊張する、上手く子育て出来るか不安になる気持ちは分かるが……そもそも過酷な生存競争の中で子供が生き残る確率などたかが知れている。つまり、産んだ子の殆どはどうせ死ぬのだ。失敗したら次を産めば良いし、そうしなければ子孫を残せない。
どうしてここまで繁殖を嫌がるのか、シェフィルには理由が分からない。分からない時は当人に訊くのが一番手っ取り早いだろう。
「何がそんなに嫌なのです?」
シェフィルは手を止め、アイシャに尋ねる。
アイシャは少し驚いたような表情を浮かべた。次いで目を逸らし、もじもじと身を縮こまらせる。
「こ、こういう事は、す、好きな人とやらなきゃ駄目で……」
やがて、出てきたのはそんな言葉。
シェフィルは首を傾げてしまった。
「私はアイシャの事好きですよ? 見た目が可愛くて気に入ってますし」
「かわ……って、完全に身体目当てじゃない! そんなんじゃなくて、こう、愛というか、そういうのがないと……」
「あい? なんですかそれ?」
聞き慣れない単語に、シェフィルはその意味をアイシャに尋ねる。ついでに母の顔も見てみたが、母も分からないと答えるように触手を動かすだけ。
アイシャも「愛ってのは、その、なんというか、尊くて、こう、大事な……」等と曖昧な説明をするばかり。全く心当たりがなく、シェフィルは困惑してしまう。
そもそもにして。
「そのアイとやらがないと、人間は繁殖出来ないのですか?」
そんなものが、繁殖に必要なのだろうか?
シェフィルに訊かれたアイシャは、言葉を詰まらせた。視線があらぬ方向に飛んでいく。それから右を見たり、左を見たり、目を瞑って唸り出したり。
しばらくして目を開けたアイシャは唇を震わせて、
「……はい」
シェフィルの疑問を小さな声で肯定した。
「あ、そうなんですね。それで今、アイとやらはないのですか?」
「う、うん。ないわ、ない。この状況じゃこれっぽっちもないから」
「じゃあ繁殖出来ませんね」
アイシャの言い分に納得し、シェフィルは彼女から手を離す。
自由になったアイシャはゆっくり起き上がる。少しの間呆けたようにシェフィルを見ていたが……ややあって赤くなった自らの頬を触り、ぶんぶんと顔を横に振った。
そんなアイシャを横目に見つつ、シェフィルは母と向き合う。これからどうしましょう、という気持ちを込めて。母も困ったような仕草を見せるだけ。母にもアイなるものはよく分からないらしい。
「(うーん、困りました。まさか人間がアイなるものがないと繁殖出来ないとは)」
本能的には全くそんな要求はないのだが、しかし人間などろくに知らぬシェフィルに対し、アイシャはほんのつい最近まで人間社会にいた生粋の人間である。人間に対する『知識』は、きっと母よりも詳しい。
それに自分達の身体は、細胞的にはほぼ置き換わった形とはいえ、人間の遺伝子が含まれているのだ。性別面では母と同じようになっている(とシェフィルは本能的に確信している)としても、繁殖メカニズムは未だ人間寄りかも知れない。いや、アイシャがあそこまで拒絶するのだ。彼女の本能はそれを察知し、正しい繁殖を行おうとしていると考えるのが妥当である。
ならばアイシャの意見が正しい筈だと、シェフィルは思った。彼女が嘘を吐いているとは思わない。『理由』もなく繁殖を拒むなど、シェフィルには考え付かない行いなのだから。
そして繁殖が出来ないなら、繁殖行為に意味はない。否、それどころか有害だ。繁殖行為には莫大なエネルギーが必要であり、種によっては比喩でなく寿命を削るからである。もしも人間が同様の生態を持っていた場合、不要な生殖行為は子孫を残す上で不適応だ。よって自重しなければならない。そのためアイシャとの繁殖を中断したのである。
アイシャと繁殖するには、どうにかアイを用意しなければならない。だがアイが何かも分からないのに、一体どうやって用意すれば良いのだろうか。母もこの件については頼れそうにない。
唯一アイを知っているのは、アイシャだけ。
「――――ん? ああ、なら簡単じゃないですか」
ぽんっと手を叩いた後、シェフィルはアイシャに顔を近付けた。「わひゃあっ!?」という情けない悲鳴を上げるアイシャであるが、シェフィルは構わずに言う。
「アイシャ、私にアイがどのようなものか教えてください! それでアイが出来れば、私と繁殖しましょう!」
今し方閃いた名案を。
シェフィルの提案に、アイシャは跳び上がるほどに驚き、母は納得したように触手を蠢かす。
「ええええぇっ!? ちょ、そんな、こ、こま……」
【良い考えですね。アイがあれば繁殖出来るのであれば、そうすべきです。アイシャ、シェフィルにアイを教えてやってくれませんか】
「なんかドラマとか漫画で聞いた台詞なんだけど、シチュエーション最悪過ぎない!?」
「うーん。駄目なのですか? アイシャは私と繁殖したくないのですか?」
率直に聞いてみると、アイシャは声を詰まらせた。詰まらせた事に驚いたように目を見開き、ぶんぶんと顔を横に振る。
次いで、何かを考えながらシェフィルの目を見つめてきた。シェフィルもその目を、真剣かつ凛々しい顔付き込みで見つめると、アイシャはそっぽを向くようにして見つめ合いを止めてしまう。
仕草だけなら拒絶のそれ。
「ま、まぁ、その……教えるだけなら、い、良いわよ……」
けれどもアイシャからの答えは、シェフィルのお願いを聞いてくれたものだった。
「わーい! ありがとうございます!」
シェフィルは満面の笑みを浮かべ、感謝の言葉を伝えた。
アイシャは胸を抑えながら、ちょっと口許をもごもごさせた後、小さくため息を吐く。
けれどもその仕草を挟んだ後は、小さな笑みを浮かべていた。
「まぁ、あなたと私の間に愛が出来るかは分からないけど……同じ人間のよしみで、愛ぐらいは教えてあげるわ。あなたが愛を理解したら面白そうだし……うん、面白そうだから教えるわ。ええ」
「はい! それでアイって何時ぐらいに出来ます? 三回寝たぐらいですかね? ちなみに私は大体二十時間周期で寝ていますよ!」
「寝た数って……ああ、恒星がないから暦とか時刻がないのね。そんなすぐには出来ないわよ。人にもよるけど、そうねぇ、早くても百回とか二百回とか寝た頃じゃないかしら」
シェフィルの問いに、アイシャは笑いながらそう答える。
シェフィルはそれを冗談だと思った。
だから「もー。大袈裟に言わないでくださいよー」と返したが、アイシャはますます笑うだけ。大袈裟じゃないわよと、一言でバッサリと切り捨てる。
故に、シェフィルは固まった。ついでに母も固まり、アイシャに尋ねる。
【……本当にそれぐらい時間が掛かるのですか?】
「え? うーん、まぁ、人によっては一目惚れって言って、一瞬で愛が芽生える時もあるし、条件が良ければ数日ぐらいで育まれる時もあるだろうけど……大抵は百回以上寝るぐらいの時間が掛かるんじゃないかしら?」
アイシャは少し考えながらも、母の問いに答える。戸惑いを見せる顔色に、嘘を吐いている様子はない。
きっと、本当に時間が掛かるのだ。それを理解したシェフィルはゆっけりと天井を仰ぎ、顔に手を当てながら大きなため息を漏らす。
【どうやらあなたとの繁殖は、出来そうにありませんね】
更には母から、繁殖不可能の宣言も出た。
アイシャは訝しむように眉を潜めた。彼女はシェフィルとの繁殖を拒んでいたが、しかし「出来ない」と言われるのは思うところがあるらしい。
「ちょっと、どういう意味よ」
知らずにはいられないとばかりに、強い口調でアイシャは問い詰めてくる。シェフィルも母もそんな『脅し』に屈するほど軟ではないが、同時に事実を伝える事に躊躇いもない。
そう、この星の生物はどんな事実も受け入れる。繁殖可能な確率が極めて低くなった事も、自分の身に訪れる死の危険も。過不足なしに。
【恐らくですが、あなた、もう一度死にますよ】
「それも今度は復活出来ないやつですねぇ」
故に二人は細胞が導き出した演算結果を、声色一つ変えずアイシャに伝える。
「……………はい?」
赤かったアイシャの顔が真っ青に変わり、やっぱり忙しい顔色ですねーとシェフィルは暢気に思う。右往左往するアイシャに詳細な話を伝える前に、シェフィルは洞穴の入り口から外を眺める。
地平線まで広がる、白い大地。何も変わらないようであるが、シェフィルはひしひしと感じていた。
寒くなっている。寸分の狂いなく、一定の速さで。されどこれは異様な現象ではなく、ましてや過去に例がない事態でもない。
もうすぐ惑星シェフィルに『冬』が訪れると、シェフィルの本能は感じ取っていた。




