49 エンドレスエイトⅢ
待ち合わせ時間よりも15分早くついた。すでにお祭りは賑わっていて楽しそうな声や食べ物の匂いで溢れている。
葉月先輩の浴衣姿を想像するだけでドキドキして早く来ないかと周囲を何度も見まわしてしまう。
葉月先輩からレインが来た。
『準備できたから鳥居で待ってるね~』
そうだ、2人は神社で着付けしてもらっているんだった。それなら先に来ていて当然だ。先輩の浴衣姿に胸を弾ませながら僕は入り口の長い階段を軽い足取りで駆け上がった。
「叡人君~」
階段を上り終わって膝に手をついて切れていた息を整える。自分の名前が呼ばれた。
顔を声がするほうへ顔を向けて視界に入ったのは精霊か女神かはたまた天使か。
普段と違いすぎて一瞬誰だかわ分らなかった。
葉月先輩は薄い桜色の生地にオレンジや黄色、赤など暖色系の花柄が淡く描かれた浴衣を着ている。幼く見える浴衣かもしれないが紫紺の帯が大人っぽさを演出している。
いつもは着けている眼鏡を今日は外しているから、すぐに葉月先輩と気づけなかった。だが、この胸の高鳴りに覚えがある。葉月先輩の浴衣姿も眼鏡がない姿も初めて見たはずなのになぜか既視感のようなものを感じる。
「黙って見ていられると恥ずかしい……」
先輩がうつむくと白い睡蓮の簪が存在感を露わにする。
巾着袋のひもを何度も持ち替えながらもじもじ体を揺らしている。提灯の照らす明かりも相まって顔が朱に染まる。
「す、すごく似合っていると思います……」
言葉が出ない。周りは喧騒に包まれているはずなのに今は自分の心臓の音しか聞こえない。さっき整えたはずの息はまた乱れている。
何か言わなければ。自分の違和感を頭を振って消し去る。
顔を上げると先輩と視線が交錯する。そして弾かれたように僕の視線はあさっての方向に向く。
「2人とも私のことを忘れていませんか?」
クールなアルトの声が僕の意識を現実に引き戻した。いつも通りの声だが少し鼻声だし目が涙ぐんでいる。
「クリス、久しぶり。どうしたんだ、泣いているのか?」
「な、泣いてなんかいません!
他に何か言うことはないんですか?」
若干不機嫌というか拗ねている。
「似合っているぞ。馬子にも衣裳って言葉がお似合いだ」
「まったく褒めてないですね。ホビロン!」
クリスは持っていた水色の巾着袋を僕に叩きつけた。
プリプリ怒らせてしまったがクリスの浴衣も似合っている。
青や紫の朝顔があしらわれた藍色の浴衣は小学生が着るには背伸びしているデザインだが、クリスの大和撫子然とした落ち着いた雰囲気に合っている。今日の趣旨が一応部活ということでインスタントカメラを首に掛けている。
いつも下ろしている髪は黒いリボンで2つ結びにしている。
クリスが近づいて僕にだけ聞こえる声で言う。
「私たちの戦争を始めましょう」
◆◆◆
見渡す限り人、人、人。歩くスペースなんてないくらい人が詰まっている。屋台の出す煙とも合わさって熱気がすごい。
「全然前に進めないね~」
「ですね。ここまで人が多いとは思いませんでした」
「漁業の神が祀られている龍守神社のお祭りは結構有名なんですよ? 近隣の都道府県から観光客は来ますし、地元民も田舎だと他に楽しめるイベントも少ないのでみんな来ますし」
クリスの解説を聞いて納得していると右耳から声が聞こえる。
『七森さん、聞こえていますか? 聞こえていたら顎を触ってください』
言われた通りに僕は顎を触る。
最後に会った日に渡されたものはインカムである。どうやらここから指示を出してデートを成功させるらしい。
『今日の目標は彩音さんをデートしてデレさせることです。準備はできていますね?』
『一緒にいるんだから普通にアシストしてくれればよくないか?』
『雰囲気作りです』
『まずはどうする?』
『そうですね……』
◆◆◆
私の目の前に選択肢が現れた。
私の脳内ラタトスクで投票が始まる。
1暗がりに連れ込む。
2スーパーボールすくいならぬスーパーぼいーんすくいをする。
3チ〇コバナナを食べさせる。
クリス「総員選択開始!」
脳内に無数にいるクリスがそれぞれ選択肢を選ぶ。
結果が表示される。
1 40%
2 15%
3 45%
クリス 「なるほど、意見を聞かせて」
インテリクリス「私は2を選びました。理由はユーモ
アにあふれているから。女性は面白
い男性に惹れる傾向がある。顔がイ
マイチでも芸人の妻に美人が多いの
が裏付け」
肉食系クリス 「面白いだけの男なんて友達どまりの
典型だ! ここは攻めの選択肢の1
番一択だ!」
金持ちクリス 「そんな選択しかできないから成功者
になれないザマス。ユーモアと攻め
の姿勢両方の性質を併せ持つ3が最
良ザマス」
クリス 「ふむふむ」
クリスが熟考している間も脳内の様々なクリスが意見を交わし合い、時に怒号が飛び交うほど議論が白熱している。
クリス 「静粛に!」
その一言で場が水を打ったように鎮まる。
クリス 「3のチ〇コバナナを食べさせるにす
る!」
この結論が出るまでの時間、約2秒。
◆◆◆
『七森さん、ここはチ〇コバナナを食べさせましょう』
インカムからはとんでもない言葉が飛び出し、思わず吹きだした。
「ぶふーーっ。お前、伏字が出るような言葉を使うな! 先輩にそんなこと言えるわけないだろ!」
先輩に聞こえないように小声でインカムに向かって抗議する。やっぱこのインカムいらない。
『ラタトスクが出した答えは完璧です。絶対にうまくいきます。ずっと黙っていると気まずくなりますよ』
まだデートは始まったばかり。あとで挽回できるチャンスもあるだろうし、クリスの遊びにも1度くらいは付き合ってあげよう。
「せ、先輩」
「なに?」
つぶらな瞳で僕を見る先輩に申し訳ない。今からあなたの耳を汚します。
「えっとー、チ〇コバナナ食べさせてくれませんか?」
「え?」
やばい部分は小声にしたけどどうだろうか。冷や汗が止まらない。
言った瞬間に時間が凍った。
「あー、チョコバナナ? いいね~、食べよっか~」
「え?」
「なんで叡人君が驚いてるの~? 自分で言ったじゃ~ん」
そういうことかよ~!紛らわしく伏字にするなよ。クリスのほうを睨むと、いたずらが成功したガキのようなムカつく笑いを浮かべている。
このクソガキ。あとで覚えてろ。
僕はインカムを外してポケットにしまった。
◆◆◆
「すっごい甘いね~」
「ですね。バナナにかかってるチョコの量がすさまじいです」
買ったチョコバナナはバナナに割り箸を突き刺した典型的なものだが、チョコの量がえぐい。バナナ全体にチョコがコーティングされていて、それが何重にも重なっていることがわかるくらいチョコがぶ厚い。
「私はこれ、すごい好きです! この味付けがお祭りって感じがします!」
僕と先輩は少し胸やけ気味だがクリスはこってりした甘さに満足しているようだ。
「ここまで甘い物を食べるとしょっぱいものも食べたいですね」
「名案~、焼きそば食べよ~」
チョコバナナの屋台の近くに並ぶ焼きそば屋に立ち寄った。目の前の鉄板で焼かれる焼きそばの存在感と香るソースの匂いに胃袋を刺激される。
「はい、お待ち! 焼きそば3つ!」
「ありがとうございます」
3つの焼きそばが入った袋を提げながら戻るとさっきいた場所に2人はいなかった?
「先輩たちどこにいった?」
不意にひんやりした感触が首を撫でた。
「ひょっ」
「叡人君、変な声~」
背後にはラムネを持った葉月先輩が無邪気な笑顔で立っていた。
「びっくりしましたよー。それラムネですか?」
「うん、のども乾いたから焼きそばに並んでくれてる間に買いに行ったんだ~。ベンチあったから行こ~」
「七森さん、遅いです。いちゃついてたんですか?」
「いちゃついてないよ。やっぱり人気だから客が多かっただけだよ」
「ふーん。ラムネで首を冷やすみたいなベタなことをやっていると思ったんですけどね」
「なんで知ってるんだよ」
「やってたんですね」
「鎌をかけるようなことするなよ」
「素直に言えばいいんですよ」
告るように言ってきたときと言い、この小学生はどこでそんな話術を身につけたんだよ。
「冷めちゃう前に焼きそば食べよ~」
「はい! 七森さんもしょうもない話してないで早く食べますよ!」
「クリスが言ってきたんだろ」
そう言いつつ箸を焼きそばに通す。
味は想像通りだ。もったりした油気が絡む柔らかい細麺、異様にシャキシャキしたキャベツ、片手で持つと安定しないプラスチックの容器と、欠点をあげればきりがない。さっぱりした酸味のある紅しょうがだけが救いの定番のお祭りの焼きそばだ。
「クオリティはそんなに高くないのにおいしく感じる焼きそば、お祭りって感じがする~」
葉月先輩の言葉に同意だ。お祭りの焼きそばはたくさんの欠点があるのにお祭りというだけですべての欠点を補ってしまう。
「私は毎年お祭りの焼きそばを食べているのになぜか飽きないんですよね」
「クリスちゃんは毎年お手伝いしてるもんねー。友達とお祭り回りたいとか思わないの~?」
「思いますよー。いつも今日みたいに抜け出してるんですけど、面倒なので普通に遊びたいです。演舞の時間にはさすがに戻らないといけないですし」
足をぶらぶらしながら唇を尖らせてクリスは言った。
「時間はまだ大丈夫なの~?」
「あと1件くらいなら大丈夫です。私射的やりたいです!」
「いいね~。食べ終わったら行こう~」
「ところで2人は写真は撮らなくていいんですか?」
「「あ」」
僕と先輩の声が重なった。完全に忘れていた。
「ま、まあ、すごく人が多くて立ち止まると迷惑になるから撮っていなかっただけで忘れていたわけではないからな!」
「そうそうそう! 周りの人に配慮しているっていうだけで忘れていんじゃないんだよ~」
「別に責めているわけではないですよ。学生なんですから普通にデートするだけでもいいと思いますよ」
「「……」」
赤面して互いに黙る。
クリスが大きなため息をつきながら首を横に振った。
何も言っていないけど呆れられているのはわかった。
「射的に行きましょう」
◆◆◆
「らっしゃーい、らっしゃーい、ららららっしゃーい!」
威勢のいい射的屋の店主の声が響いている。どこもかしこもお祭り騒ぎなのに変な掛け声のせいですごく目立っている。
「おじさん、3人分お願い」
「お嬢ちゃんかわいいからおまけして、1人1回100円に負けてあげるよ!」
看板には1人1回100円と書いてある。
「見抜かれちまったかー。それじゃあ、しゃあねえ。ホントは1回3発ところを4発にしてやるよ!
どうだ?」
額に手を当てた仕草をしてから、またおまけの提案をしてきた。
「ありがとう。それじゃあ3人分ちょうだい」
「あいよ」
クリスが3人分のコルク銃と弾を受け取り、それぞれに手渡す。
「私はね、知っているんだよ~。的屋で大物を狙っても落ちないということをね~。だからお菓子を狙うよ~」
葉月先輩の宣言通り撃ちだしたコルクの弾はキャラメルの箱のど真ん中に命中した。
が、落ちなかった。
「お姉ちゃん、残念だね~。でも着眼点は良かったよ」
こいつ確信犯だ。わかってて細工してやがるな。
「あんちゃん、睨むなよ。確かにすこーしだけ細工はしているがちゃんと景品は獲得できるようになってるぜ」
「僕のヘカートⅡで撃ち落とす」
銃を構えて狙いを定める。
普通に当てても落ちないようになっている。ならば当てる場所が重要。狙うは箱の上部。
引き金を引いてコルクの弾を撃つ。狙い通りの場所に着弾。箱は前後に揺れる。
が、落ちない。
「惜っしい~、あとちょっとだったねー、あんちゃん」
「おい、インチキだろ!」
「商売にケチつけるのはやめてよー。景品を獲得してるお客さんもいるんだから、インチキではないよー」
くそ、次こそ落としてやる。銃に弾を込めて2発目の準備をしているとクリスが僕の銃を奪った。
「闇雲に撃っても意味ないですよ」
「だからって僕の銃を取るな」
「資材は乏しいからね、どんなものでも使わないと!」
「やってることはただの窃盗なんだよな。
でも2本銃を持てばその分安定しなくなって狙いが定まらなくなるぞ」
「私を誰だと思っているのかしら? 双剣双銃のクリスよ」
クリスの顔は真剣で本気で撃ち落としにいってる。「双剣はどこだよ」なんてツッコミは喉の奥に引っ込めた。
「風穴開けるわよ」
銃弾は同時にキャラメルの箱の上部にヒット。 箱が前後に大きく揺れる。
が、落ちない。
「あとちょっとですね」
「でもどうするんだ? 銃2丁使っても無理だったぞ」
「策はあります」
そう言って2丁の銃を僕に渡した。
「僕?」
「はい。やり方と狙いは正しいはずです。ただ、威力が少し足りなかったんです。七森さんのほうがリーチが長いから景品に当たるときの弾速は早いです。お願いします」
クリスの言う通りだ。クリスが撃ったときは本当にギリギリ落ちなかったという感じだった。小学生よりも景品までの距離を稼げる僕なら可能性はある。
「2丁使えば威力は上がるが、精度は落ちる。僕はそこまで正確に狙える自信はない」
「策は1つじゃないんですよ。えいっ」
クリスは僕を両手で押した。
急に押されてバランスを崩して横にいた葉月先輩を巻き込む形で転んでしまった。
「いったいなー、急に押すなよ」
地面に両手をついて体重を支えたせいで手が痛い……いや、右手だけ痛くない。むしろなんか幸せな感触がある。握ってみると包み込まれるような優しさがある。
僕の右手は葉月先輩のおっぱいに置かれていた。
「叡人君のえっち!」
葉月先輩に下から突き飛ばされた。
ベタだなーなんて感想を抱いていると心臓がドクンと跳ねる。全身の血が沸騰していると思えるくらいに体が熱くなる。
「七森さん、ヒステリアモードには入れましたか?」
「まあな。やれやれ飛んだお転婆娘がいたもんだ。
彩音先輩、失礼しました。立てますか?」
僕は先輩に片膝をついて手を差し伸べた。
「え?」
状況が呑み込めていないようで呆けている。
「おや、腰を抜かして1人では立てないですか?
わかりました。立たせて差し上げます」
僕は彩音先輩の膝と肩に手を回して持ち上げた。
「ちょ、叡人君⁉ お姫様抱っこなんて恥ずかしいからやめて! 立てるから!」
「照れなくてもいいんですよ」
じたばたして暴れる先輩を僕はそっと下ろした。
「叡人君雰囲気変わりすぎじゃない~?
ホストっぽいというかキザっていうか~」
「これが本来の僕です。以後お見知りおきを」
右手を左肩に添えて恭しく礼をする。
「もう何が何だかわからないよ~」
「彩音さん、特に気にしないでください。人には色々な面があるんですよ」
「クリスちゃん、それって……」
彩音先輩はそれ以上の言葉は何も言わなかった。
「さあ、パーティーはこれからだ」
6丁の銃に弾を込めて淀みのない動作で2丁ずつ引き金を引く。
一定のリズムで銃を構えて、狙いを定め、撃つ。
そして景品が落ちる。
「「おおおおーーーーーー」」
周囲が拍手と歓声で包まれる。
「叡人君、すごすぎ~! 同時に3つも落としたじゃん!」
「先輩のおかげです。ありがとうございます」
先輩の髪に優しく指を通す。
「ちょ、叡人君⁉」
少し触れただけで赤くなって照れる姿が可愛い。
「ヒューヒュー、景品だけじゃなくて女の子まで落とすなんてやるねー。
よ、色男!
弾はあと3発残ってるが何を狙うんだ?」
「1番の大物だよ。3人で同時に撃ち落とす」
目にかかる前髪をかき上げながら言った。
「あのSwitchの箱を落とせると思うならやってみな」
僕は2人に向き直った。
「さあ、銃を持って。一緒に撃とう。掛け声はクリスに任せる」
「わかりました。彩音さんもですよ」
「うーん、ちゃんと当てられるかな~」
「この中で1番大きな標的ですから当たりますよ」
「そっか、そういうことだね~」
彩音先輩にも意図が伝わった。
「2人とも準備はいいですか? 行きます、このバカ犬ー!」
クリスの合図とともに銃口はSwitch、ではなくインチキ店主に向けられた。
「お前らぁ、誰を撃っているーーーー!」
インチキ店主の叫び声で楽しい射的の時間は終わった。
◆◆◆
「こんなところにいたのね! 早く戻りなさい! 演舞の準備よ!」
射的が終わって次はどこに行こうかと考えていたとき、凛とした声と視線でクリスが呼び止められる。
目の前には上品な和服を身にまとった白髪の女性がいた。
「お、おばあちゃんがなぜここに?」
「それはこちらのセリフよ。急に抜け出すなんて豊姫のバカさが移ったのかしら」
「お母さんは関係ない。家に縛られ続けていれば年頃の女の子は普通嫌になる」
さっきまでの楽しそうにはしゃいでいた声とは異なる、冷たい怒りを感じる声音でクリスは答えた。
「そんなことはどうでもいいわ。あなたのためだから。さあ、来なさい」
クリスの祖母は強引に手を掴み、引っ張っていく。
「ご迷惑をお掛けしました」
それだけ言って僕たちに背を向けた。
クリスは遊びたいときはいつもこんな風に祖母に否定されているのだろうか。
まだ小学生なのに自由にさせてくれないのだろうか。
気づくと僕は祖母が掴んだ手とは逆のクリスの手を握っていた。
「何の真似?」
人を殺せそうなほど鋭く尖った視線が僕を射抜いた。
「いやー、まだ子どもなんですしお祭りくらい自由に遊ばせてもいいんじゃないですか?」
「うるさい。あなたに関係のないことだわ。龍守家のことを何も知らないくせに」
その怒気にすくんでしまい、握った手の力が弱くなる。
祖母はそのままクリスを連れていってしまった。
「……」
「叡人君……。クリスちゃんのお家って複雑みたいだね。前に家に遊びに行ったときもおばあちゃんが途中で入ってきたよ。戻ってきたときのクリスちゃんはいつもとかなり様子が違ったし」
あの祖母がいるとクリスの様子が変になるのか?
いつもは明るいクリスが祖母を前にすると人格が変わったようになる。単に怖くて委縮しているだけとも思えない。
「と、とにかくクリスちゃんの演舞を見に行こうか~。クリスちゃんはあんまり乗り気じゃなさそうだけど晴れ舞台であることには間違いないからさ~」
悩んでいてもわからない。お祭りが終わったらどんな事情があるのか話してもらおう。簡単に答えてはくれなさそうだけど。
「クリスが神社の演舞みたいな神聖な儀式をやるなんて想像つかなくて逆に面白そうですね」
「もう、クリスちゃんが頑張ってるんだから応援しなきゃだめだよ~」
「わかってますよ、演舞の会場まで行きましょう」
◆◆◆
演舞は本殿で行われる。たくさんの人が本殿を囲んでおり、とてもじゃないが後方から演舞を見ることなんてできない。
「この腕章が役に立ちますね」
「だね~。クリスちゃんに感謝」
今日は水翠高校の写真部として部活動の一環で来ている。堂々と最前列で見させてもらう。
係の人に腕章を見せて関係者席に腰を下ろす。
屋台を巡っていたときは人の流れがあって写真が撮れなかったけどここならじっくり腰を据えて撮ることができる。
演舞は和太鼓から始まった。
大太鼓のズドンと来る力強い音は直接心臓に響き体ごと震わせる。
そして鞨鼓や竜笛、琵琶など他の楽器の演奏も始まる。
クリスの祖母や清正さんも演奏に参加している。
少しアレンジが加わっているのかわからないが、聞き馴染みがない演奏に最初は違和感というか異物感みたいなものを感じた。が、慣れてくれば今まで聞いたどの演奏よりも心地よい。
そしてクリスが現れた。神楽鈴を持ちながら音楽に合わせて優雅に舞う。指先から足先に至る1つ1つの所作が丁寧で目を奪われる。
心地よい音楽と舞を見ていると心が穏やかになり、眠ってしまいそうになる。構えたカメラを下げて目を閉じたくなる。この奇妙な快感はどこかで感じたことがあるような。少し気にかかるけどよく覚えていないし、どうでもいいことかもしれない。
このまま演奏に身を任せてしまおうとした矢先、笛の音が少しずれる。これまで非の打ち所がない演奏だったからこそミスが目立ってしまう。
眠りに落ちそうだった意識がそのミスで覚醒して脳が動く。
この妙な感覚には心当たりがある。記憶を遡るとかなり最近のことだった。前に神社のPVを見た時と同じ感覚だ。あの時はクリスが途中で割って入ってきたけど今回はそんなことできない。
変な感覚になる演奏で危ないと感じるがそれだけでこの演奏を止めることなんてできない。
周囲の様子を見まわすと僕と同じような感覚に陥っている人がいる。葉月先輩もだ。
危険だと判断してはづき葉月先輩の体を揺らして起こす。
「起きてください、起きてください」
「うー。もうちょっとだけ~」
寝ぼけている。もう少し強い刺激を与えないといけない。
僕は強みに先輩の頬をつねる。
「痛っ。なんでつねったりするの~」
つねられた頬をさすりながら不平を言う。
「少しここを離れましょう」
「え? なんで~?」
「なんか危ない気がするので。詳しくは後で話します」
僕は無理矢理先輩の手を引いて席を立ちあがった。
◆◆◆
「ちょっと、叡人君~。せっかくきれいな演奏が聞けてて気持ちよかったのに~」
先輩は不満そうだが、音楽が聞こえないところまで離れた。
「あの音楽を聴いた感覚って身に覚えないですか?」
クリスを見にきたのにクリスの感想が出てこないのはおかしい。
葉月先輩は顎に指を当てて考え込む。
「そう言われてもな~、あんなに幸せな気分になる音楽ってなかったと思うけど~」
「前に一緒にここの神社に来た時のことを思い出せますか?」
再度考え込み、顔色が変わる。
「男の人に見せてもらった動画にちょっと似てるかも~?」
思い出したが確信も持っていない、あやふやな回答だった。
「クリスのことも含めてこの神社は何かありそうですよ」
「神社のことはともかく、クリスちゃんのことは絶対に何かあるよね~」
「演舞も終わったので、今日はこの辺で解散しましょう。送っていきますよ」
「ありがとう~」
今日の演舞に違和感はあったけど違和感でしかないし、演奏している人にも変なところはなかった。せいぜい誰かが少し音を外したくらい。
明日は花火大会だけだし何も起こらないはず。それに告白をするつもりだから決意が鈍るようなことはしたくない。
◆◆◆
個人的には昨日のことでお祭りがどうなっていたのか気になって周囲の様子を気にしてみたが、特に変わった様子はない。
みんな楽しそうにお祭りに参加している。
「七森さーん!」
元気な声で僕に手を振る小学生と横で小さく手を振る先輩がいた。
「お待たせ」
「女の子を待たせるなんてよくないですよ」
「遅刻しているわけじゃないんだからいいだろ。
それにこれは女の子を先に待たせるという新しいレディーファーストだよ」
「最悪なレディファーストですね。それにボケの担当は私なんですから七森さんはツッコミに徹してください」
額に手を当ててげんなりしながらクリスは言った。
「いつからボケとツッコミで役割分担されたんだよ。僕たちは芸人じゃないだろ」
「2人は仲良しだからメテオ漫才って感じがしていいと思うよ~」
ボケ担当もう1人増えた。
「夫婦漫才のことですね。空から降ってくる漫才って意味わからないですよ。無理にボケなくていいですから」
「七森さんは私と夫婦漫才したかったんですか? 夫婦犯罪ですよ?」
「次から次へとわけのわからない言葉を作らないでくれ。ツッコミが追いつかん。
早く屋台に行こう」
「私、たこ焼き食べたい~」
「私も食べたいです!」
葉月先輩とクリスの両方がリクエストしたからたこ焼きを食べることにした。
「クリスちゃん、屋台って内容かぶったりするけど、どこが美味しいかとか見分けつくの~?」
それは僕も気になる。クリスと葉月先輩の会話に耳を傾ける。クリスは神社の人間だし、お祭りに精通していそうだから何か知っているかもしれない。
「どこも変わらないんじゃないですか?
あーいうのはみんなで材料費出し合って商売してるんで素材に違いはありませんよ。売り上げの差は立地条件ですよ。
屋台の料理を食べ比べする人なんていないんでここが美味しいとかあそこは不味いとか噂も流れないですし」
「え~? そうなの~?」
夢がないな。お祭りの屋台にたこ焼き職人とか焼きそば職人がいる思ってたのに。
「冗談です。見分け方なんて知らないです」
「美味しい屋台の見分け方かい? ラッキーだねー! うちが1番うまい店だよ!」
いつの間にか順番が来ていて店主に会話を聞かれていた。
「たこ焼き3個でいい?」
「はい、3つください~」
「あいよ。お嬢ちゃんたち可愛いし、お兄さんはイケメンだから1個おまけしておくよ!
お代は1500円」
「ありがとうございます~」
「毎度あり!」
たこ焼きを購入して座れる場所を探すが、なかなか見当たらない。
「昨日は運よくベンチが空きましたけどやっぱりどこも埋まってますね」
「七森さん、イスになってください」
「僕は杉田じゃない!」
「たこ焼きなら立ってでも食べられるからいいんじゃないかな~」
「そうしますか。冷めちゃうのももったいないですし」
中も外もとろとろのじゅくじゅくたこ焼きだ。ソースがたっぷりついていて味が濃い。おまけにたこも小さい。ほとんど生地だ。でもお祭りだから許される。
「はふはふ、あふいです」
クリスが口を半開きにして悶えている。
「なんで丸ごと1個食べてるんだよ。熱いに決まってるだろ」
「だっへ~、あふいものはあふいうひにはへはいはないへすはー」
「なんて言ってるのかまったくわからん」
「私、飲み物買ってくるよ~」
先輩は飲み物を買いにこの場を去り、僕とクリスの2人だけになった。
「クリス、昨日の演舞ってなんかおかしくなかったか?」
「おかしい? 別にいつも通り退屈な……」
話し出した途中でクリスが口ごもる。真顔になって黙り込む。もしかして何か気が付いたのか? もしくは心当たりがあるのか?
「具体的にどんなところがおかしかったですか?」
「前に神社で見たPVと似た感覚になった。ふわふわするような、気持ちいいような感覚だ」
「ふーん、なるほど」
またしばらく黙って何か思案している。
「何か知っているのか?」
「いーえー。ただ、退屈な曲なんで、『もってけ!セーラーふく』とか流してほしいと思っただけです」
「雰囲気ぶち壊しじゃねーか」
何か知れると思ったけどはぐらかされてしまった。
「お待たせ~、クリスちゃんやけどしてない~?」
3本のペットボトルを持った葉月先輩が戻ってきた。
「大丈夫です! ありがとうございます!」
「叡人君もどうぞ~」
なっちゃんのオレンジジュースをもらった。
「ありがとうございます、いくらでした?」
僕はポケットから財布を取り出す。
「そんなこと気にしなくていいよ~。先輩のおごり~」
「いや、悪いですよ」
「叡人君は真面目だな~。先輩らしくかっこつけさせてよ~」
「わかりました、ありがとうございます」
「さっきもお礼は聞いたよ~。どういたしまして~」
そんなやり取りをしているとクリスの顔が引きつっている。
「はー、たこ焼き以外が原因で胸やけするわー。お腹いっぱいです」
いちゃついているように見えたか?
◆◆◆
「あれやりたいです!」
クリスが指さしたのはくじ引きボックスだった。
大きな箱に四角い穴が規則的にいくつも並び、その穴は紙で塞がれて穴の中に何が入っているのかはわからない。ハンマーや手で紙を突き破って中から何が出てくるかを楽しむものだ。
「縁日でしか見れないものだよね~。小さいころよくやったよ~」
「僕もやりました。あんまりいい景品が当たった記憶がありませんが」
「ああいうのは景品が出てくる前のドキドキを楽しむの醍醐味みたいなところがあるからね~」
先輩と子どものころを懐かしむ話をしているうちにクリスはすでに列に並んでいた。
「2人とも早くこっち来てくださーい!」
大きな声で呼ぶクリスのほうに早足で向かう。
「七森さん、勝負しましょう」
「何の?」
「このボックスには1等から6等までの景品が入ってます。どちらが高いものを手に入れられるか勝負です。
負けたほうが綿あめおごりです」
「いいだろう、受けて立つ」
丁度自分たちの出番が回ってきた。箱は2つあり僕が左、クリスが右を選んだ。
最初に動いたのは僕だ。正直、負ける気がしない。
「僕にはくじ引きで神引きをする能力があるのさ。
導く薬指の鎖!」
僕の右手から具現化された鎖も現れチェーンを付けた家の鍵が現れる。
「この能力でどこに大物が入っているかを探り当てることができる」
鎖を箱の上で垂らして反応を見る。大きく揺れれば揺れるほど当たりである。
「まさか、その程度の能力じゃないでしょうね? まだ本気出していませんよね?」
「もちろん。ここから本気を見せてやる」
僕は集中力を高めて高めて高めて高めた。おそらく今、僕の眼は緋色になっている。
「絶対時間!
発動中は景品のランクや中身まで当てることができる」
鎖が大きく揺れるところを探し当てた。
「ここだな。1等のPS5の引換券が入っている。
トールハンマー!」
借りた木の槌で穴を突き破る。
「中身がなんだったのかはクリスと同時に出したほうが面白いから後にしよう。
さあ、1等を超えることができるかな?」
余裕綽々でクリスに悠然と問いかける。
クリスも不敵な態度で答える。
「私にだって切り札はあります。
ところでPS5ってもう発売されてたんですね」
ズゴーーー。冗談で言ってなさそうな言い方だから、驚きすぎて古臭いずっこけをしてしまった。
「世間知らずすぎないか?」
僕の「こいつマジで知らないのかよ」の視線を受けたクリスはわたわたして訂正する。
「し、知ってますよ~? ちょっとボケてみただけすー。ツッコミ係なんだからちゃんとボケを的確に捌いてくださいよ。
ま、気を取り直して私の番を始めます」
「おい、ガチで知らなかっただろ」
クリスは無視して続けた。
「私の能力は七森さんの絶対時間に負けません。
見せてあげます、ふわふわ時間!」
突然音楽が鳴り始め、クリスが歌い始める。
「あぁカミサマお願い
2人だけのDream Timeください☆
お気に入りのうさちゃん抱いて今夜もオヤスミ♪
ふわふわ時間 ふわふわ時間 ふわふわ時間」
『ふわふわ時間』って言うたびに槌を振り下ろして穴を突き破った。
「ただのズルだろ! 3回にチャンス増やしてるだけじゃん!」
「そういう能力ですからね。さあ、勝負です!」
そのお互いに開けた穴から、品を引っ張り出す。
「「せーの!」」
僕の手には4等と書かれた袋の中に『唐揚げ無料券』が入っていた。
「お兄さん、それ持って唐揚げのお店行けば無料で交換してくれるぜ。お祭りは今日までだから早めに行っときな」
「はい、ありがとうございます」
店主から説明を受けて景品の意味を理解した。嬉しいが4等はあまりいい結果ではない。
「絶対時間で強化された導く薬指の鎖」も大したことないですね」
「今回はたまたまうまくいかなかっただけだ。そういうクリスはどうなんだ?」
クリスはどや顔で景品を見せつけた。
「6等のスライムと6等のうまい棒と3等のお菓子の詰め合わせをゲットしました!
3等を当てた私の勝ちです!」
「やっぱりズルしたから勝てただけだろ! チャンスが1回なら6等だった!」
「そんなのは実際に1回だけだったときに言ってくださ~い。潔く負けを認めてくださ~い」
小学生にズルされて本気で悔しがっている自分がバカみたいだ。
「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」
「その言葉が出てくるということはちゃんと負けを認めることができたということです。
ていうかよくそんな言葉を高校生の七森さんが知ってますね」
「僕は昔、嫌なことがあってその時に1日中アニメを見て現実逃避をしている時期があったから。
クリスが知っているほうが変だからな」
「私は幼いころからアニメの英才教育を受けていますから」
アニメの英才教育ってなんだよ。ただオタクが増えるだけの教育としか思えない。そこを問いただそうとしたら大きな鈴の音が鳴った。
チリンチリーン!
「大当たりです! 1等の2泊3日の温泉旅行です!」
1等が存在することにも驚いたが、デスティニードローの正体を確かめるともっと驚いた。
「叡人君、クリスちゃん、私1等当たったよ~。いいでしょう~」
ニコニコ笑顔で自慢している先輩に僕たちは開いた口が塞がらない。
「認めたくないですね、自分自身の若さゆえの過ちというものを」
この後、2人で葉月先輩に綿あめをごちそうした。
◆◆◆
「腹ごしらえも遊びも十分楽しんだということで、花火の特等席に案内しま~す」
「まだ早くないか?」
花火の開始まで40分ほどあるし、クリスが取ってくれた関係者席もそこまで離れていないはず。
「花火の直前になると人が同じところに固まり続けて動きにくくなるんですよ」
「なるほどね。それなら移動するか」
僕たちは様々な屋台に目を奪われながら歩いた。お祭りでしか味わえない食べ物の匂いに惹かれたり、心地よい喧騒に耳を傾けたり、どうでもいいことで3人で笑ったりした。
「関係者席はここですね。ちょっと待っててください。話を通してきます」
クリスは僕たちを置いて、スタッフと思われる人に声を掛けていた。
話し終えたのかこちらに手を振っている。
僕と先輩は顔を見合わせ「一緒に行けばよかったのでは?」と視線で話したけど、クリスの方に向かった。
関係者席には肘かけと背もたれのついた上等な椅子が用意されていた。
立って見るよりも快適で疲れにくく花火を最後まで楽しむ。
「すごいふわふわだね~」
葉月先輩が椅子の座り心地の感想をこぼした。
僕も座ると、確かにお尻全体が包まれるようなフィット感がある。背もたれ肘かけも体への負担が軽減されるように作られているように感じる。
「こんな椅子よくここまで運んできたね」
品質が上等なだけあって重さもそれなりにあるはず。パイプ椅子みたいに持ち運びが簡単じゃないはずだから、かなり労力がかかったはず。
「今日は偉い人がいっぱい視察に来ているらしいです。詳しいことは知らないですけど、神仕町を改革するらしく、そのための視察で協力してもらえるようにいろんな人が頑張ってるようです」
富宇賀町が大きく発展したからその波にあやかるってことか。
「私はこのままの町の方がいいな~。もちろん便利にはなると思うんだけど、ゆったりした海辺のこの町で生まれ育ってきたから愛着あるんだよね~」
先輩は懐かしむような目でお祭りを見渡した。
「僕も今のこの町の雰囲気が好きです」
都会的な便利な町にするのか、それとも今ののどかな田舎町を維持するのか、どうなるにせよ決まるのはもっと先のことだろう。
話がひと段落したところで僕は席を立った。
「まだ開始まで時間があるので、トイレ行ってきます」
「え?」
クリスの動きが固まっていた。
「なんだよ。花火始まったらしばらくトイレ行けないから今のうちに行くんだよ」
「トイレは危ないから3人でここで待ってましょう! 少しくらいは我慢してください!」
すごく切羽詰まった表情で訴えてくる。トイレに行くだけなのになんでこんな真剣な表情をしているんだ?
「何の心配? 漏らすほどじゃないよ」
「私もトイレに行きたいだけです」
「じゃあ、行くか」
女子小学生と連れしょんすることになった。
◆◆◆
「なんで男子トイレに並んでるの?」
男子トイレの列に並ぶ僕の後ろにクリスもいた。
「心配だからです」
「だから何の?」
男子トイレの列で女子小学生と話しているのって目立つから早く女子トイレに行ってほしい。
「とにかく心配です。女子トイレの長蛇の列だと私が漏らすかもしれないです」
「そっちの心配かよ!
僕が話つけてあげるから女子トイレ行くぞ」
クリスの手を引いて女子トイレの列に交渉しに行った。
「すいませ~ん、うちの妹が我慢できないくらいトイレ行きたいみたいなので前を譲ってくれませんか?」
「いいですよ。漏らしちゃって可愛い浴衣が台無しになっちゃ嫌ですからね」
優しそうなお姉さんは快諾してくれた。
「ありがとうございます。クリスもお礼を言え」
「……ありがとうございます」
不服そうな顔だがお礼は言った。
「気にしなくていいよ、優しいお兄ちゃんを持ったね」
「いえいえ、そんなことないですよ」
クリスを列に並ばせ男子トイレに戻った。
◆◆◆
男子トイレから出てもクリスがいなかった。僕より先に並んでいたから順番は早く来るはずだが。近くの女性に聞いてみた。
「すいません、さっきこのくらいの小学生の女の子って見覚えないですか?」
「なんかわからないけど、お父さんみたいな人と向こうの方にいったわね」
お姉さんは立ち入り禁止の木が生い茂って森みたいな場所を指した。
「わかりました、ありがとうございます」
お父さんと? なぜ?
◆◆◆
「俺の計画を邪魔するな」
七森さんの元を不本意な形で別れ、トイレに並んでいる中で清正に声をかけられた。
「それがいきなり話すことなの? 親子なんだから強引に人がいないところに連れ込むんじゃなくて普通に声かけてよ」
「普通に声をかけてもおとなしく話に応じてくれるとは思っていなくてね。いさなは僕に対する警戒心が高いから」
今、清正は私のことをいさなだと思っている。自分の話し相手が小学生だと思ってくれていたほうが油断しやすく話を聞き出すことがしやすい。いさなの日記だけでは情報が足りない。
ただ、悲しくもある。自分の娘の中身の人格が入れ替わっているのに清正は全く気付いていない。しかも入れ替わっているのはいさなの母親であり、清正の妻でもある私、龍守豊姫であるのに。もちろん、清正に自分の能力については伝えていない。それでも毎日接していれば何か違和感を感じるはずだ。何も気づかないということはつまり、妻にも子どもにも興味がないということだ。
「計画ってなんなの?」
自分の中から込み上げてくる何かに拳を握りしめて耐えながら質問をする。こんなところで泣いている場合じゃない。自分が人生で1番愛した人間が自分にも子どもにも愛が一切なかった事実に挫けている場合じゃない。
「とぼけるなよ。いさなの能力で未来予知したんだろ? 俺が自分の宗教を作っている未来を見たんだろ?」
いさなが未来予知で見た光景は清正が作った宗教の集まりということか。
「そんな計画は初めて知った。なんで私を巻き込むの?」
「宗教には心が脆い人間が集まってきやすい。現実が辛くて救いを求めているやつらさ。そいつらにいさなが持つ未来予知なんて超常的な力を見せつければ1発で信者にできる」
「なるほど、カルト宗教の教祖にでもなってちやほやされたいの?」
そう言うと、清正は大きく笑いながら否定した。
「違う違う。宗教なんて道具だよ。宗教を使って人員とお金を稼ぐ。信者から金を巻き上げるのは簡単だし、天国に行くためだよとか天罰が下るぞとか言えば無償で手足となって動いてくれるからコスパがいいんだよ」
とんでもない最低野郎だ。自分がこんな奴と結婚していたのかと思うと寒気が止まらない。
崩れ落ちそうになる膝を気持ちで落ち着けて次の質問をする。
「宗教が道具ってことは他に目的があるんでしょ?」
「みんなが幸せになれる世界を作ることだ」
堂々とした態度であり、曇り1つない眼で言い放った。
絶対に嘘をついていないと確信できる。
それに清正なら可能かもしれないとすら思える。
人の目を引く容姿、人に耳を傾けさせる声、人を惹きつける表情や仕草が備わっている。天性のカリスマ性を持つ清正なら宗教を作って自分に従う人間を組織化することだってできるだろう。
「みんなが幸せって言ってるけど、騙されてお金や時間を奪われている信者の人たちは幸せって言えるの?」
さっきまで自信にあふれた様子だった清正の表情が一瞬だけ陰る。
「あちゃー、痛いところを突かれちゃったね。
でもそんな小さな犠牲なんて考えてもしょうがない。考えてごらん。
今この国は平和な世の中と言えるよね? もちろん、犯罪がなくなったわけではないけどそれでも平和と言えるはずだ。その平和を作るために多くの人が血を流し、命を落とした。でも現代に生きる俺たちは教科書でその事実を認識するだけで、普段は考えもしない。
それと一緒。実際にそうなればそれまでの犠牲なんてみんな考えなくなるから気にしなくていいんだよ」
「っ―」
何かを言おうと口を開きかけたが言葉が出ない。即座に反論ができなくて歯嚙みする。
清正の言っていることは間違っていないけど間違っている。否定したいけど否定できない。
口論になったら清正に勝てるわけない。こいつはむかつくくらい頭もいい。とりあえず話を変えてより多くの情報を引き出す。
「みんなが幸せな世界って言っているけど具体的にはどんな世界を作るの?」
清正の口角が上がり、これまでよりも明るい声が出る。
「ノブレスオブリージュ」
ノブレスオブリージュ? それって身分の高い人とか優れた人はそれに相応しい義務を果たさなければならないってやつ?」
「そう、博識だね。さすがは俺の娘だ」
本当にそう思っていることはないだろう。清正は龍守の能力を利用するために近づいた。私と結婚したのも子どもを作ってその子供に能力が現れるのを期待してのことだ。
バカな私が騙されたばっかりにいさなの身に危険が生じている。私がなんとかしなければならない。
「で、ノブレスオブリージュと宗教って何の関係があるの?」
「俺は才能に溢れていてそれを活かして、会社を設立してお金ももうけている。これは俺の才能で成し遂げられたものだが、才能は誰が与えてくれた?
神様だよ。才能は神様からの贈り物だよ」
高らかに言った清正に私は辟易している。神社で生まれ育った私が言うのは違う気がするけど、才能が神様からの贈り物だなんて本気で思っている人間を初めて見たし、滑稽だ。神様なんて不確定なものにそこまで恩義を感じれる清正は頭がおかしい。
「才能を最大限に活かすにはやっぱり金が必要。俺1人で稼ぐより多くの人間から集めたほうが効率的。集めたお金は町の発展や人々のために使う。どうせみんなお金なんてロクなことに使わない。そのお金をほんの少しもらって俺の才能で世界に貢献している。まさにノブレスオブリージュだ」
自分の言いたいことを言いきった清正は晴れやかな表情をしていた。そ
目線で私に自分の考えに同意するように訴えてくる。同意する気なんてさらさらない。
「そういうことがしたいなら政治家にでもなればいいんじゃない?」
「もっともな意見だがああいうしがらみだらけの世界は面倒くさい。内部の人間として動くより外部の人間として利用するほうが扱いやすい」
清正がそう言った瞬間、突然、近くから発砲音が響いた。
何の音だと周囲を見渡すと木々の隙間かか花火が見えた。
花火大会が始まったようだ。
「お祭りもクライマックスに入ったね。俺たちの話もそろそろ終わりにしよう。いさなは俺に協力してくれるよな?」
「人から騙し取ったお金で世の中に良くしているようだけどそれはただのエゴよ。善意の押し付けでしかない。
私は協力しない」
「残念だな。いさなが協力してくれればもっとうまく世界を良くできるのに。
でも、これでも断るかな?」
清正は懐から銃を取り出した
「もはや脅しね。娘に銃口を向ける父親がこの世界にいるなんて思わなかった」
「さあ、どうする?」
「私は触れたもののベクトルの方向を変える能力を持ってる。撃っても返り討ちになるからやめたほうがいい」
「そうか。でも、撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけだって学んだから、その覚悟はできているつもりだよ。
時間稼ぎのつもりか知らないが早く決めてくれ」
清正に協力なんてしたくないが、ここで断って撃たれた場合、私もいさなもどうなるかわからない。一旦協力する素振りをして安全を確保しよう。
「いいよ、協力す―」
パンッ。銃の発砲音が響いた。
全身に鳥肌が立った。慌てて体のあちこちを触るがどこにも異常がない。
脅しの射撃か。安心したのも束の間。
「威嚇射撃じゃないからね。後ろを見てみな」
清正の言葉に従い、後ろを振り返った。
草むらから血が流れているのが見えた。
駆け寄って姿を見ると、右足を撃ち抜かれた七森さんがいた。
「きゃああああああああああああああああ!」
赤黒い血がとめどなく流れているのを見て肺の酸素を使い切る悲鳴を上げた。
一瞬で息がつまり、過呼吸になりながら七森さんに声をかける。
「だ、だ、だ、だい、じょ、うぶ、ですか。ど、うして、ここ、に」
七森さんは痛みをこらえながら笑みをつくった。絞り出したような声で話し始める。
「近くの人にクリスが森の中に入ったって聞いて」
そんなの彩音さんと2人きりになれてラッキーくらいに思っておけばいいのに。
「すぐに救急車呼びますからじっとしててください」
「状況はわかったか? 撃ったのは足だから死にはしないよ」
「協力する! 何でもする! だからもうやめて!」
私は地面に額をこすりつけてお願いした。状況がこれ以上酷くならないように早くこの場を納めなければいけない。
清正が歩いて頭を下げる私の近くまできた。足を上げて私の頭の上に置いた。
「最初からそうしていればよかったんだよ。さっきは適当に協力する振りでもしようとか考えてたでしょ?」
何も言えない。悲しみと屈辱に耐えるので精いっぱいだ。
「2度と下手な嘘なんてつけないようにもう1発そいつに撃ってやる」
「やめ―」
頭を上げようとし押さえつけるように清正の足に力が入った。
「すまない。急に動いたからつい踏みつけてしまった。まあ、友達が苦しむ様子くらいみせてやるよ」
清正は左手で私の首を掴み、起き上がらせもう1度地面に叩きつけて顔だけ上げさせた。
「そこで見てろ。ギリギリ死なない程度に1発撃ってやる」
「やめてーーーーー!!」
私の制止の叫びを無視して発砲音が2回響いた。
「間違えて2発撃っちゃった。もう死んだな」
「いやあああああああああ!」
「これ以上、犠牲を出したくなければ協力しろ。警察に通報しても根回しはできているから意味はない」
「……」
「涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった汚いブス顔を直してから神社に戻れよ」
清正はそれだけ言ってこの場を離れた。
「七森さん! 七森さん! 七森さん!」
何度も呼びかけるが返事は返ってこない。おびただしい量の血だけが周囲にたまっている。
そして私の意識は飛んだ。
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